2016年12月26日月曜日

北方領土 3

 ”時は金なり”、とマックス・ヴェーバーは歴史的著作の冒頭近くでベンジャミン・フランクリンの言葉を引用している。

 「”時間は貨幣だ”ということを忘れてはいけない。一日の労働で10シリング儲けられるのに、外出したり、室内で怠けていて半日を過ごすとすれば、娯楽や懶惰のためにはたとえ6ペンスしか支払っていないとしても、それを勘定に入れるだけではいけない。ほんとうは、そのほかに5シリングの貨幣を支払っているか、むしろ捨てているのだ。」
(マックス・ヴェーバ著大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)

 時間を守らない、期限を設定しない。これほど資本主義の精神に悖るものはない。
 ソ連邦崩壊をいち早く予言した小室直樹博士はソ連労働者の非効率性について言う。

 「納期のない仕事なんて、日本では考えられまい。どの企業も、納期をよく守ることが、日本経済が世界に冠たる所以である。

 みんなが納期を守ってくれないことには、目的合理的(とくに形式合理的)な仕事なんかできっこないではないか。
 資本主義では、納期を守らない企業は、信用がうすれる。追徴金をとられる。日本だと、追徴金くらいではすまずに、取引停止を覚悟しておかなければなるまい。資本主義においては、納期厳守は、これほどまで大切。
 ところが、ソ連労働者には、納期という考え方がない。納期という考え方がなければ、流通機構は動きようがない。
 だってそうでしょう。品物を注文して、相手が、たしかにご注文うかがいましたと言ったところで、その品物がいつとどくのか。まるっきり分からない。
 これでは、商売のしようがありませんか。工場なら動かない。原料や資材を注文して、相手は、たしかにうけたまわりました、と。  でも、いつとどくか分からない。てんでバラバラに、ポツリポツリ来たって、これでは操業できない。操業できないから、こちらも納期が守れない。
 このストーリーからお分かりのとおり、どこか一ヶ所でも納期が守らない企業があると、その企業よりも物流の川下にある企業はみんな、納期が守れなくなってしまうのである。物流が乱されるのである。」
(小室直樹著光文社『ロシアの悲劇』)

 ロシア人労働者の行動様式は、マックス・ヴェーバーの”資本主義の精神”の神髄、ベンジャミン・フランクリンが喝破した”時間は貨幣である”からほど遠い。
 訪日時のプーチン大統領の時間に対するルーズさにもその一端を窺い知ることができる。
 ロシア経済を疲弊させているものには既述の三重苦のほかに厖大な軍事費支出と日常的な汚職がある。
 2015年度のIMF発表によるとロシアのGDPに占める軍事費は5.4%でアメリカの3.3%、その他主要国の約2%と比べて多い。
 汚職はロシア社会に深く根付いている。「汚職ははびこり、毎年GDPの3分の1に相当する額が汚職に回っているという。」
(2016年1月16日EL mundo紙電子版)
 下表は1人あたりGDPと汚職ランキングである。GDPが低いほど汚職も多いが、ロシアは例外的に多い。


 これでは欧米の基準に照らせばロシアは汚職国家、泥棒国家である。
 西側の一部メディアによればプーチン大統領はロシアでも賄賂と盗みがもっともうまい人であるという。
 プーチン大統領の周囲には常に汚職や陰謀の影がつきまとう。彼のサンクトペトルブルグ時代からそうである。政敵に対する追放や粛清の噂も絶えない。
 だがプーチン大統領になって、天然資源と兵器輸出に支えられているロシア経済も、それ以前よりは安定している。
 高度な科学技術者を擁し、女性の大学進学率も男子100人に対し女子130人とスウェーデンの140人に次いで高い。(2013年OECD)。
 クリミア併合もありロシア国民のプーチン大統領に対する支持率は高い。
 ロシア国民だけでなく、ブッシュ前アメリカ大統領をはじめ彼に傾倒している西欧の指導者も多いという。安倍首相もその一人かもしれない。
 プーチン氏を盲信するあまり、仮に北方4島の潜在主権について譲歩・放棄するようなことがあればその影響は尖閣諸島、竹島におよび取り返しのつかない失政として歴史に残るであろう。
 権謀術数により権力を掌握したプーチン大統領、片や三世議員の安倍首相、この違いは領土交渉とは無関係と思いたい。だが、過去には手練手管を弄した政治家が相手を振り回した例には事欠かない。
 独裁者の約束ほどあてにならないものはない。1938年第二次世界大戦の要因の一つとなったミュンヘン会談におけるヒットラーの約束、1945年スターリンによる日ソ中立条約の一方的破棄など。
 プーチン大統領をこれら独裁者と同列には扱えないが、武力によりクリミアを併合するなど、法による支配と民主主義の価値観を共有している相手でないことは確かだ。
 上を鑑みれば、北方領土が無条件で返還されると考えるのは夢物語にすぎない。
 70年近くにわたる領土交渉で北方4島が最も近づいた時期があった。
 元駐日ロシア大使アレクサンドル・パノフ氏の証言がある。
 「ソ連邦崩壊直後の1992年3月日露外相会談時、水面下で平和条約を締結し、まず歯舞・色丹を返還、その後国後・択捉を協議したいと提案したが、日本側は4島一括でなければと拒否した。」 
 当時のロシアはハイパーインフレに苦しみ、日本はバブル経済の余韻にあった。その後ロシアは復活し、日本の国際社会での地位は相対的に低下した。
 北方4島ははるかかなたにいってしまった。ロシアとの領土交渉は日暮れて道遠し。次世代またはそれ以降の世代に俟つほかない。

2016年12月19日月曜日

北方領土 2

 今回の安倍、プーチンの日ロ首脳会談は北方4島の帰属の問題を解決し平和条約を締結するという日本側の目標にどれだけ近づくことができるかが焦点であった。

 決まったことは、北方4島で共同経済活動を行う協議を開始すること、これに尽きる。
 4島の帰属問題については何ら進展はなかった。むしろ後退したと言える。
 プーチン大統領は、4島が日本に返還されれば日米安保条約のもと日米がどう対処するか自分にはわからないが、と断りながらも、4島が事実上米軍の支配下に入るのではないかと懸念していたからである。
 領土問題について進展がなかったから交渉は失敗であったと断定するのは事実に即していない。この問題については下の理由でもともと今回の交渉で期待できなかったからである。

 北方領土については、プーチン大統領は一貫して領土問題は存在しないという厳しい見方であった。
 ところがわが国では比較的楽観的な論調が目立った。それはメディアの責任が大きいと袴田茂樹氏はインタビューに答えている。
 「朝日新聞は2012年、海外主要紙幹部とともにプーチン氏と会見した際、領土問題を『引き分け』で解決しようという発言を引き出した。
 だがロシア政府の発表では、プーチン氏は1956年の日ソ共同宣言について『歯舞、色丹の引き渡し後、この2島がどちらの国の主権下になるかは書かれていない』とも述べている。
 『引き分け』発言だけが報じられたため、日本国内で領土交渉の進展に対する期待が高まってしまった」

 「今年5月の日ロ首脳会談後も、安倍首相とプーチン氏の間で領土交渉が進むのではないかというメディアの過熱報道が続き、楽天主義的な期待につながっている」

(聞き手・小林豪 2016年12月11日朝日新聞デジタル)

 北方領土問題では、メディアの偏向した報道が世論を間違って誘導していたことは交渉結果からも明らかとなった。


 一方、共同経済活動は、これが進展すれば島が帰ってくことにはならないが、平和条約締結への小さな一歩とはいえる。
 これが意味するところは、単に経済的、領土的問題だけでなく中国を見据えた安全保障上の問題である。
 ロシアが少なくとも敵対的勢力でなくなればわが国の安全保障上有利に働く。

 それにしても今回の訪日でプーチン大統領の2時間を超える遅刻には日本中が唖然とした。遅刻の常習者らしいがそれにしてもひどい。

 さらにプーチン大統領は平和条約交渉に期限を設定するのは有害であるとさえ言った。これまた期限のない目標は目標たりえないというわれわれの常識と相容れない。

 時間は守らない、期限を設けない。これはプーチン大統領の作戦に違いないとの論評も目立つが果たしてそうか。

 過去15回も会っている相手にいまさらそんな作戦をあえてする必要があるだろうか。

 プーチン大統領の遅刻常習は相手に対する作戦的な一面もあるかもしれないが、本来の自然な振舞いではないか。

 ロシア人の行動様式を大統領自らが体現しているように見える。ロシア人の行動様式とはどんなものか。それは日本とどう違うのか。日ロ交渉に絡めて考えてみよう。

2016年12月12日月曜日

北方領土 1

 領土問題は一筋縄では行かない。今も昔も。それが平時であればなおさらそうだ。
 ロシアのプーチン大統領と安倍首相は今月15日に首相の郷里山口県の長門で会談する。
 なんと両首脳同士の会談は16回目になるという。お互いファーストネームで呼び合うほどの間柄でさぞかし経済協力と抱き合わせの北方4島の領土交渉も進展するのではと期待されたが、その日が近づくにつれトーンダウンしている。

 北方4島関連のいままでの経緯はこうだ。

 ・1956年の日ソ共同宣言で歯舞群島・色丹島を日本に引渡す。
 ・1993年の東京宣言で4島の帰属の問題を解決し、平和条約を早期に締結する。

 これらの宣言にかかわらず、最近になってプーチン大統領は日ソ共同宣言の歯舞・色丹の2島引渡しには主権が含まれているとはどこにも書いていないと言い出した。
 歯舞・色丹は当然主権を含めて返還されるものと思っていた日本側はプーチン大統領の話に吃驚仰天した。
 西欧諸国からの経済制裁、原油下落、通貨ルーブルの暴落と三重苦にあえぐロシア経済、それに2018年に大統領選挙を控えていることもあり、プーチン大統領にとって領土問題の譲歩は考え難い。
 それはクリミア併合でロシア国民の圧倒的支持をえているプーチン政権の人気離散を意味する。
 一方、領土問題で後退するようなことになれば期待が大きかっただけに安倍政権にはダメージとなる。
 首脳同士の波長が合えばうまくいくと考えがちだが国家間の付き合いはそれほど甘くはない。
 現にプーチン大統領とアメリカのブッシュ元大統領はウマが合ったといわれたが中東紛争ではことごとく対立した。
 かって田中角栄は首相就任直後、国交正常化のため北京に飛んでいった。
 毛沢東や周恩来は、苦労して主席や首相になった。
 中国と正式な国交がない状態を解決するには、自分と同じように苦労した彼らが権力の座にいる今をおいて他にない。
 率直に話をすれば必ずわかってくれる筈だ。”蛇の道は蛇”、角栄首相の想いは通じみごと日中共同声明を発表して、中国と国交を結んだ。
 プーチン大統領と安倍首相、ともに返り咲きの長期政権、既に15回も会談している。
 政権の長さや会談の多さだけでは、”蛇の道は蛇”、とはいえない。この両首脳には”同床異夢”という言葉がふさわしいようだ。

2016年12月6日火曜日

トランプ次期米大統領誕生 4

 トランプ氏は11月21日に大統領就任後の百日行動計画を表明した。
 就任初日に実行するものと100日以内に実行するものとに分けている。

・ 就任初日に実行するもの。
汚職の一掃、米国労働者の保護および安全と法の支配の回復の3項目からなり、このうちの米国労働者の保護にはTPPからの脱退と中国を為替操作国に指定が含まれている。

・ 就任100日以内に実行するもの。
法制化を目指す措置として10点を挙げ、このうち注目すべき経済、軍事関連には次の4点がある。
① 年4%の経済成長に向け、法人税を35%から15%に引き下げる。
② 企業の海外移転を阻止するため関税率を設定。
③ 10年かけて1兆ドルのインフラ投資を促進
④ 国防予算の強制削減措置を廃止し、サイバー攻撃からインフラを守る計画を策定。

 いまトランプ氏の一挙手一投足に米国のみならず世界が注目している。
 この100日行動計画にある企業への大型減税は1980年代の第40代ロナルド・レーガン大統領の”レーガノミクス”と重ねあわせてトランプ氏は偉大な大統領に大化けするかもしれないという見方が浮上している。
 一方政権移行チームを身内、親族で固めるなど4年後の2期目の選挙のことしか考えない利己的、狭量な大統領にすぎないという見方もある。

 前者の見方の根拠はこうだ。
 トランプ氏は向う10年間で財政出動により1兆ドルものインフラ投資をするので”小さな政府”を掲げたレーガン政権とはことなるが景気浮揚という点では似通っている。
 為替と通商面での強硬路線は両者ともに共通している。レーガン政権は、日本をターゲットにしてプラザ合意によるドル高是正と報復貿易を実施した。トランプ氏の場合、日本のかわりに中国をターゲットにしている点であとは同じだ。
 大統領当選後のトランプ氏はそれまでの言動から一転、落ち着いた次期大統領らしい振るまいをしている。

 後者の根拠を挙げてみよう。
 春名幹男氏は”韓国化の危険”と題してトランプ政権の公私混同の危うさを次のように指摘している。

 トランプ氏は公私の利益相反を免れるために、保有資産を長男、次男、長女に引き渡すという。
 近年のアメリカ大統領は、個人資産を売却するか、あるいは公的立場にあるものが職権濫用を防ぐため第三者の委託機関に資産管理をブラインド・トラストに委託するかしている。
 ところがトランプ氏はこのいずれもとらず事実上厖大な資産を抱えたまま大統領に就任しようとしている。
 トランプ氏の中核会社トランプ・オーガニゼーションの傘下には、インド16、アラブ首長国連邦13、カナダ12、中国9、インドネシア、パナマ、サウジアラビア各8など合計18カ国111もの企業を擁している。
 仮にこれらの資産がテロ組織に攻撃され米軍が派遣されたらそれは国益のためなのか大統領の私的資産保護のためなのかといった議論が生じるという。

 個人資産を売却も委託もせず事実上保持したままでいては公的立場にある人、まして大統領としてあるまじき振るまい、利己的である。

 どちらの見方がよりトランプ氏の実像に近いのだろうか。
そのヒントは”トランプ自伝”に求めることができる。
 政治家は一般的に権力を手に入れる前に自らの考え、主張あるいは構想を述べる。
 たまにそれらを著作の形で残す政治家もいる。わかり易い例ではヒットラーの”わが闘争”、田中角栄の”日本列島改造論”などがある。
 政権奪取後、両者ともにそれを実行に移した。特にヒットラーの”わが闘争”はその過激さゆえに、現実に政権の座につけばそこまでやらないだろうと、多くの人びとは高をくくっていたが、あにはからんや、ヒットラーは政権奪取後”わが闘争”で述べた自らの偏狂な世界観を無慈悲に実行に移した。
 田中角栄も首相就任後矢継ぎ早に自ら掲げた構想の具現化に努めた。
 一実業家にすぎなかったトランプ氏をこれらの政治家と比較するのは適当ではないかもしれないが、”トランプ自伝”は自分の考え、将来展望を率直に述べている点ではこれら政治家の著作と同じだ。

 同著から再び引用しよう。
 「これまでの人生で、私は得意なことが二つあることがわかった。 困難を克服することと、優秀な人材が最高の仕事をするよう動機づけることだ。 これまではこの特技を自分のために使ってきた。これを人のためにいかにうまく使うかが、今後の課題である。」(前掲書)



 トランプ氏は2012年の大統領選挙で共和党のミット・ロムニー候補を応援したがロムニー氏は惨敗した。
 トランプ氏はこのときから2016年の大統領選挙を目指したという。そして掲げた政策が”アメリカファースト”のMake America Great Againである。
 トランプ氏の選挙期間中と選挙後の政策は首尾一貫しているとはいえないがこの”アメリカファースト”だけは首尾一貫している。
 これでトランプ氏がどのような大統領になるかおぼろげながら浮かび上がってくるものがある。
 なりふりかまわず詐欺的手法で財をなしたが、より大きな世界を目指して”人のため”になるべく大統領となった。
 彼がいう”人のため”は選挙に勝つべく彼自身が掲げた”アメリカファースト”にほかならない。
 トランプ氏にはこの政策のためには他のすべてを犠牲にしかねない危うさがある。
 また自分の個人資産を親族に引き渡し公私混同の疑いを完全に晴らすことができなければ将来の火種になり政治家として致命傷になりかねない。
 政策が似通っているとはいえトランプ氏がどう贔屓目にみてもレーガンのような偉大な大統領になるとは想像できない。
 彼の不動産業界での詐欺的手法が国内外の政治の世界で通用するとは思えないからである。
 一方4年後の2期目の選挙だけを目指す狭量、利己的な政治家とは言いすぎかもしれない。
 トランプ氏の”アメリカファースト”の政策は言動の端々からひしひしと伝わるものがある。
 だが”アメリカファースト”はトランプ氏の場合前のめりすぎているため”アメリカファースト”の目的達成が危ぶまれる。
 相手を軽視しかねない”アメリカファースト”は挫折の憂き目を見るかもしれない。
 トランプ氏の選挙後の落ち着いた言動で人びとは胸をなでおろしている。
 だがそれは一時的なものに過ぎない。トランプ氏の真の姿は選挙中にあると考える。
 政権奪取後おとなしくなったヒットラーを見てドイツ人だけでなくヨーロッパ中が安堵した。だがそれは束の間のことであった。
 時代背景、民主主義と議会の歴史などから比較などできないが、唯一危うい人物にみられる選挙前と選挙直後の言動の違いには共通したものがある。
 願わくはトランプ氏がアメリカ史上最低の大統領にならないことを祈る。そうなれば困惑するのは米国民に止まらない。

2016年11月28日月曜日

トランプ次期米大統領誕生 3

 次に、グローバル化の結果アメリカの雇用が失われ産業が疲弊したと声高に主張して次期米大統領の座を射止めたドナルド・トランプ氏、彼がこの先米国をどう導びきまた国際社会との関係をどうするのだろうか。
 トランプ氏とはどんな人か。彼の選挙中の暴言に大統領としての資質を懸念した人も当選後の言動を見ていくぶん安堵したという声も聞かれる。
 トランプ氏とはいったいどんな人なのだろう。彼を知るうえで格好のものがある。
 トランプ氏が1987年に上梓したTHE ART OF THE DEAL(邦訳 トランプ自伝)である。
 29年前のこの本でトランプ氏は自分の生い立ち、家族、ビジネスのやり方などを述べるとともに自分の信念、信条をアメリカ人らしい率直さで語っている。
 注目すべきものとしていくつか挙げてみよう。

 ① ビジネスにあたっての基本的な姿勢として彼は理論や理屈などより自分自身のカンを優先させカンに頼って判断するという。

 「複雑な計算をするアナリストはあまり雇わない。最新技術によるマーケット・リサーチも信用しない。私は自分で調査し、自分で結論を出す。
 何かを決める前には、必ずいろいろな人の意見をきくことにしている。
 私にとってこれはいわば反射的な反応のようなものだ。土地を買おうと思う時には、その近くに住んでいる人びとに学校、治安、商店のことなどをきく。
 知らない町へ行ってタクシーに乗ると、必ず運転手に町のことを尋ねる。根ほり葉ほりきいているうちに、何かがつかめてくる。
 その時に決断を下すのだ。」
(ドナルド・トランプ&トニー・シュウォーツ著相原真理子訳ちくま文庫『トランプ自伝』)

 これがトランプ氏の基本的なビジネススタイルだ。このためトランプ氏はコンサルタントや評論家などに本気でとりあわなかったという。
 コンサルティング会社は料金も高く、調査にひどく時間がかかるので、有利な取引を逃してしまう。
 大衆が何を望んでいるかがわかる評論家はほとんどいない。もし彼らが不動産開発を手がけたら、惨憺たる結果になるだろう、と切り捨てている。
 ② 不動産の取引では書面に記載されない限り何も信用できないのが常識となっているとトランプ氏は言う。
 彼はこれを逆手にとって最初にはじめたシンシナティ・キッドの不動産取引で取引相手のプルーデントをうまく騙して取引を成立させた。それは違法ではないが信義に悖るものであった。
 驚くことにトランプ氏はこの取引を自著で誇らしげに語っている。
 ③ トランプ氏は選挙中の発言から女性蔑視の差別主義者と非難されたが、それは事実でなく誤解にすぎないようだ。
 有名となったトランプ・タワー建設に女性の現場監督を起用するなど積極的に女性を登用している。

 「私の代理として工事をとりしきる現場監督には、バーバラ・レスを起用した。ニューヨークで超高層ビルの建設をまかされた女性は、彼女が初めてだった。
 当時三十三歳で、HRHに勤めていた。私が初めてレスと会ったのは、彼女がコモドアの事業で機械関係の工事の監督をつとめていた時だ。
 現場で作業員と話し合っているレスを見たことがある。彼女がどんな相手にも屈せず、堂々とわたりあっていた。
 私が気に入ったのはその点だ。体の大きさはそうした屈強な男たちの半分しかなかったが、必要とあればためらうことなく彼らを叱り付けたし、仕事の進め方も心得ていた。
 おかしなことに、私自身の母は生涯平凡な主婦だったにもかかわらず、私は多くの重要な仕事に女性を起用してきた。
 それらの女性は、私のスタッフの中でも特に有能な人たちだ。実際、その働きぶりはまわりの男性をはるかにしのぐことも多い」(前掲書)

 仕事で積極的に女性を活用しているトランプ氏に対し女性差別主義者という非難はあたらない。

 ④ 1982年のトランプ・タワー完成時は日本の好景気と重なりトランプ・タワーの日本人の買手についての記述がある。

 「日本人が自国の経済をあれだけ成長させたことは尊敬に値するが、個人的には、彼らは非常に商売のやりにくい相手だ。
 まず第一に、六人や八人、多い時は十二人ものグループでやってくる。
 話をまとめるためには全員を説得しなければならない。二、三人ならともかく、十二人全員を納得させるのは至難のわざだ。
 その上、日本人はめったに笑顔を見せないし、まじめ一点張りなので取引をしていても楽しくない。
 幸い、金はたくさん持っているし、不動産にも興味があるようだ。 ただ残念なのは、日本が何十年もの間、主として利己的な貿易政策でアメリカを圧迫することによって、富を蓄えてきた点だ。
 アメリカの政治指導者は日本のこのやり方を十分に理解することも、それにうまく対処することもできずにいる。」(前掲書)

 この記述は今後日本がトランプ政権と折衝するに当たって決して見過ごすことができない重大なことである。

 ⑤ 自伝は最後にこう締めくくっている。

 「社会に出てから二十年間、私は、とうていできないと人が言うようなものを建設し、蓄積し、達成してきた。
 これからの二十年間の最大の課題は、これまで手に入れたものの一部を社会に還元する、独創的な方法を考えることだ。
 金もその中に含まれるが、それだけではない。金を持つ者が気前よくするのはたやすいし、金がある者はそうすべきだ。
 しかし私が尊敬するのは、直接自分で何かをしようとする人たちだ。人がなぜ与えようとするのかについてはあまり関心がない。  その動機にはたいてい裏があり、純粋な愛他精神によることはほとんどないからだ。
 私にとって重要なのは、何をするかである。金を与えるよりも時間を与えるほうが、はるかに尊いと思う。
 これまでの人生で、私は得意なことが二つあることがわかった。 困難を克服することと、優秀な人材が最高の仕事をするよう動機づけることだ。
 これまではこの特技を自分のために使ってきた。これを人のためにいかにうまく使うかが、今後の課題である。
 といっても、誤解しないでほしい。取引はもちろんこれからもするつもりだ。それも大きな取引を着々とまとめていくだろう。」(前掲書)

 自伝のため誇張や糊塗はあるにせよこの本でトランプ氏のおおよその基本的な考え方と行動パターンが分かる。
 最後にこのようなトランプ氏が大統領就任後どう行動するかについて考えをめぐらしてみよう。

2016年11月21日月曜日

トランプ次期米大統領誕生 2

 その資質に欠けるのではないかと政敵から厳しく指摘されたトランプ氏がまさかの次期米大統領の選挙に当選した。
 米国民のみならず世界中が驚きそして懸念した。この先世界はどうなるのか、と。
 ノーベル経済学賞受賞者のクルーグマンは選挙の結果をうけてニューヨーク・タイムズ紙にこう寄稿した。

 「世界は地獄へ向かっているが自分にできることは何一つない、ならば自分の庭の手入れだけしていればいい、と。
 私は『その日』以降の大半はニュースを避け、個人的なことに時間を費やし、基本的に頭の中をからっぽにして過ごした。(中略)
 おそらく、米国は特別な国ではなく、一時代は築いたものの、いまや強権者に支配される堕落した国へと転がり落ちている途上にあるのかもしれない。」(NYタイムズ、11月11日付 抄訳から)

 トランプ大統領になって米国はどうなるのか、国際社会はどうなるのか。時代の流れとトランプ氏個人の問題を区別して考えてみよう。

 まず、時代の流れから。
 アメリカを覇権国の地位にのぼらせた要因の一つにグローバリズムがある。
 国際企業家がアメリカを経済的・軍事的に強力な国に仕立てあげたのだ。
 そして今やアメリカの覇権国としての地位を脅かしているのもグローバリズムである。
 グローバリズムの負の遺産である格差拡大がアメリカ社会を蝕み始めている。
 このことは4年に一度米国国家情報会議が大統領選挙にあわせて提出する報告書に経済的不安要素の一つに挙げられている。2012年12月の報告書には次の3つを挙げて
いる。
   1 非効率で高額な医療保険
   2 中等教育の水準低下
   3 所得格差


 上記の3はグローバリズムがもたらした負の遺産である。
グローバリズムの負の遺産とは何か。富の一極集中と製造業の疲弊である。製造業の疲弊は主にグローバルな自由貿易に起因している。

 2国間の貿易は、双方が比較優位を持つ財に特化し、他の財の生産を貿易相手国にまかせるという国際的分業をおこなう。この分業により貿易当事国は貿易を行わなかった場合よりも利益を得ることができる。

 これがデヴィッド・リカードの比較生産費説(比較優位)である。
 だが、リカードの学説は特定の諸条件のもとにおいてのみ成立し、その条件が成立しなければ正しくないことが明らかになった。

 「その特定の条件とは何か。それにはいくつかのものがあるが、とくに重要なものを挙げると、

 (1) 静学的であること。つまり、ダイナミックな経済変動を考慮に入れると、比較生産費説は成立するとはかぎらない。

 (2) 収穫逓増ではないこと。つまり、大規模生産の利点(多く作れば作るほど生産性が向上すること)がある場合には、比較生産費説は成立するとはかぎらない。

 (3) 外部経済、外部不経済が存在しないこと。つまり、公害や産業の地域開発効果、あるいはデモンストレーション効果(後進国の国民が先進国の国民のまねをすること)などが意味を有する場合には、比較生産費説は成立するとはかぎらない。

 この三点である。このような理論経済学の進歩によって、比較生産費説のジレンマは、じつはジレンマでも何でもなく、特定の諸条件のもとにおいてのみ成立する比較生産費説を、あたかも無条件で成立するかのごとく錯覚したものであるのにすぎないことが明らかになった。
 このことから得られる結論は明白であり、かつ重大である。
 すなわち、自由貿易は、いついかなる場合でも最良の経済システムとはかぎらない。
 ある国が、自由貿易をおこなうことによって、かならず、よりよくなるともかぎらない。」
(小室直樹著光文社『アメリカの逆襲』)

 アメリカの前の覇権国である英国も帝国主義全盛のころその国力を武器に他国に対し自由貿易を推し進め自らの地位の安定をはかった。
 現在のアメリカはグローバル化が極度にすすみ富が一部国際企業家に集中して格差が拡大し、製造業が疲弊した。
 自由貿易は善だ、グローバル化は善だとばかりに突き進んだ結果がこれだ。
 リカードの比較生産費説の成立条件などそんなめんどくさいことなどてんで考えないで突き進んだ結果がこれだ。
 此度の大統領選挙でもこれらが争点となった。そして内向きアメリカファーストを掲げたトランプ候補が勝利した。
 この内向き不干渉主義はアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンが宣言したものである。いわばアメリカ誕生時の国是への先祖返りである。
 この意味において驚きでも何でもないが覇権国から脱落する速度を早める結果になることは間違いないだろう。他国へ干渉しない覇権国などありえないからである。潮目がはっきりと変わった。

2016年11月14日月曜日

トランプ次期米大統領誕生 1

 日本人はよく本音と建前を使い分けるといわれる。たとえばかって日本社会には ”ノミ(飲み)ニュケーション” ということばが流行った。
 その意図するところは、かしこまった会議では建前だけが横行しなかなか議論がまとまらないが酒席では本音が飛び出し実のあるコミュニケーションがとれることにあった
 千年以上もの都の歴史ある京都はさすがに人の応対も洗練されているようだ。ある席で京都の人に聞いたことがある。
 京都では人を傷つけまいとする配慮から建前が先行し本音を飲み込みがちである。このため京都の人の言うことは真にうけず真意を測らなければならない。真意を測らず真にうけると田舎者とさげすまれてしまうという。
 人を傷つけまいとする配慮は多とするもさげすまされた側にしてみれば素直に受け取ったのに何だと思うだろう。

 本音と建前は、”Honne and tatemae” とあたりまえのように英語風に表記されるので日本特有のものと思いがちだがどうやらそうでもなさそうだ。  
 今回の米大統領選挙ではほぼすべての人、大げさにいえば全世界中のひとが、米国の有権者のことばを真にうけて真意を測るのを怠った。
 アメリカの選挙予想のプロたちもことごとく予想を外した。前2回の米大統領選挙で州ごとの結果を99%の確率で的中させたFive Thirty Eightのネイト・シルバーも直前まで7対3の割合でクリントンの圧勝と予想していた。
 彼は全米の世論調査を含むビッグデータを駆使し、スポーツおよび選挙予測で目覚しい成果をあげたにもかかわらず、ことトランプ氏に関しては共和党予備選の段階から予想を外した。
 私も5ヶ月前だけでなく直前までクリントンの勝利を疑わなかった。
 なぜこのような結果になったのだろう。大半の要因は世論調査が正確でなくその原因は、トランプ支持の有権者が世論調査に応じないかまたは応じたとしても本音をかくし建前で応じたからとあろうと言われている。
 世論調査の選挙予測がことごとく外れた事実からこのように推論されても一概に否定できない。
 アメリカの有権者がこれほどまでに本音と建前を使い分けたとすれば、従来の米大統領選挙にはなかったことで、どちらかといえば ”率直なアメリカ人” という印象を改めなければならない契機となるかもしれない。

 今回の選挙で、新聞、テレビなどマスコミを含むアメリカのエスタブリッシュメントはこぞって反トランプに与した。
 第2回候補テレビ討論会の直前に、ワシントン・ポストが2005年にバスの車内でトランプ氏のわいせつな内輪話の録音データをウェブサイトに掲載したことなどその典型である。
 トランプ氏が勝った要因はいくつかあるだろうが、そのなかの一つにフェイスブック、ツイッターなどのソーシャルメディアをフルに活用したことが挙げられる。
 トランプ氏は不満や怒っている有権者に直接ソーシャルメディアで働きかけフォロワーの数を増やし、既存のメディアの反トランプ キャンペーンに反撃した。
 トランプ氏に投票したといわれる白人低所得者の経済的苦境は深刻で、それは死亡率にあらわれているという。
 プリンストン大公共政策大学院の研究者は論文でそれを明らかにしている。

 1999年から2013年の間、米国の45~54歳の非ヒスパニック系白人の死亡率は薬物や飲酒による中毒、自殺の増加などの要因で上昇している。一方、同期間の英仏独の同じ人種・年齢層や米国の他の人種は例外なく死亡率は低下している。論文は、経済的不安定が死亡率上昇の原因になっている可能性もあるとの見方を示している。(2016/11/7 ニューヨーク時事)

 トランプ氏は全てのマスコミを敵にまわして有権者に直接ソーシャルメディアで発信した。有権者の本音に直接響くようなことばで発信したため、これが有権者を動かしたといわれている。
 経済的苦境にあえぐ人たちはマスコミの派手な宣伝などには目をそむけトランプ氏の呼びかけに反応したのだ。
 選挙結果をみるかぎりこれを否定する根拠はない。ここにネット社会における既存のマスコミの影響力の限界がみてとれる。

 巧みな戦術で選挙戦を勝ちぬいたトランプ次期大統領、フィナンシャル・タイムズ記者の口調をかりれば、この希有な ”ペテン師” は米国をどう導いていくのだろうか、また国際社会との関係をどうするのだろうか。

2016年11月7日月曜日

ピコ太郎現象

 シンガーソングライターのピコ太郎の歌 PEN-PINEAPPLE-APPLE-PENが動画You Tubeで9月下旬から突如異常なほど再生されている。
You Tubeのミュージック全世界トップ100の数字(下表)がそれを示している。
期間       ランク        再生回数(百万回)  9/23~9/29        2             54.8
9/30~10/9        1             134
10/7~10/13         1                120
10/14~10/20       1            77.4
10/21~10/27          2            56
 またアメリカの音楽チャートBillboard誌のTHE HOT 100 10/29に日本人として松田聖子以来26年ぶに77位にランクインした。ランクインした曲で史上最も短い曲であることが判明した。
 外国特派員協会が主催する会見ではいまのところ今年度誰よりも多くメディアの記者が取材した。海外大手メディアのTIME BBC CNNなどもその会見模様を報じた。
 その人気の原因としていくつか挙げられている。シンプルでコミカル、バカバカしい(ridiculous)、時間が短い(45秒)、Twitterのフォロワー数が8800万人を誇るカナダのミュージシャン ジャスティン・ビーバーが、自身のTwitterにて”お気に入りの動画だ”とツイートしたこと、などなど。
 これらが人気の原因であることに違いはないだろうが、どうも決め手に欠ける。他の多くの動画にも似たようなことが言えるからである。
 この動画を見たある社会学者はなんでこれほど人気になるのか自分には理解できないと言った。人気になるまでの過程を分析、検証してみたいとも言った。
 再生回数が示すようにこの現象は一時的なもので、この一例だけで意味のある社会学的分析は困難である。
 この動画を見て、そこに何らかの意味を見出そうとか、理解しようとかしてもムダだとすぐ分かる。
 作者も言っているようにこの歌が何かを意図しているものではない。強いていえばこの歌が人びとに考えることを放棄させるような作用がありそれが人気の秘密となっているのかもしれないが、それも一つの推測にすぎない。
 ただこの歌が一時的にせよ爆発的な動画再生回数を記録したのは世相の一面を強く反映しているとだけは言える。その世相が何であるかはっきりと分からないが。

2016年10月31日月曜日

都民ファースト

 東京都の小池百合子知事は派手なパーフォーマンスとテレビやスポーツ紙をたくみに取り込むなどマスコミ戦術にも長けた政治家だ。
 過去、環境大臣時代のクールビズの旗振り、防衛大臣時代の派手な立ち回り、そして参院選真っ最中のいち早い都知事選への出馬表明などなど。
 知事当選後は都民ファーストの改革着手で都民からヤンヤの喝采を浴びている。少なくともメディアはそう報じている。
 そのメディア露出度の多さから関心は首都に止まらず地方にまで及んでいるともいう。

 小池知事は着任後まもなく外部から13人の顧問団を登用し都政の透明化と刷新に乗り出した。
 まずターゲットにされたのが豊洲市場移転費と2020年東京オリンピック施設整備費である。
 豊洲市場移転費は11年2月の3926億円から15年3月には5884億円となった。
 オリンピック施設整備費も招致時からハネあがった。やり玉にあがったのが水泳、ボート・カヌー、バレボール会場であり費用は招致当初の566億円から1578億円となりこれだけで施設整備費の7割を占めるに至った。
 この費用膨張の数字はいかにも不自然だ。都知事がこれにメスを入れ、既得権益やムダの有無の調査に乗り出したのは当然といえる。
 その政策スタンスは都民ファーストの ”もったいない” 精神だ。これには誰も異論を差し挟むことなどできない。できる筈がない。だって、そこに使われるのは貴重な都民の税金であるからである。
 かくて小池知事の都政刷新の嵐は不正、腐敗および既得権益を受けている人びとに吹き荒れメディアはおおむね好意をもって連日報道している。

 だが誰一人反論できないようなことにはおおにして落とし穴が潜んでいる。小池知事の都民ファーストも例外ではない。
 この都民ファーストの”もったいない”施策は納税者の都民のために真に利益をもたらすものだろうか。
 不正や賄賂などに起因する費用高騰はメスを入れなければならないがそうでない単に”もったいない”精神での一律の費用削減政策は疑問なしとはしない。
 それは人びとのマインドを萎縮させマイナス思考へと導きかねないからである。
 デフレ下での緊縮策は需要を減らし景気に悪影響を及ぼすことはここ20年来の日本経済の停滞がそのことを証明している。
 もったいない、ムダ使いの排除とは片面から見れば需要を減らすことにほかならない。
 需要が減るということは何を意味するか。GDPの三面等価の原則により生産(供給)、支出(需要)、分配(所得)は必ず一致する。
 需要が減れば、供給や所得も減り、GDPは縮小均衡する。こんな統計上のロジックを持ちださなくとも、景気が悪くなれば人びとの所得が伸びないため物が売れず商売はあがったりとなり、サラリーマンは会社の業績が悪くなれば、給料も上がらないことぐらいは誰でも知っている。
 需要が減ればそれに応じて消費も投資も減り、必然的に景気も悪くなる。
 もったいないやムダの排除は家計簿感覚では美徳だが、国家レベルでは必ずしも美徳とはかぎらない。

 ところで東京都も他府県と同じく一自治体にすぎないが財政の規模からその与える影響は大きくわが国のGDPに占める割合は約20%にもなる。
 財政に余裕がなければともかくそうでなければ、デフレに逆戻りの恐れがある現状を鑑みれば東京都が率先してデフレ阻止に舵を切ることが求められる。
 所得が伸びないデフレ下では民間に消費や投資を期待できないからである。
 都政改革にはこの視点が等閑に付されているのではないか。この意味において小池都知事の都民ファーストは都民ファーストになっていない。
 小池知事がもったいない、節約だ、緊縮だ、と叫べば叫ぶほど、景気には逆風となる。人気絶大なだけにその影響は大きい。

2016年10月24日月曜日

暴動と革命

 革命といえば真っ先にフランス革命が頭をよぎる。世界史的事件であるがゆえだろう。
 シュテファン・ツヴァイクは著書『マリー・アントワネット』で1789年7月14日パリのバスティーユ監獄の襲撃直後の様子を描いている。

 ヴェルサイユの神聖な寝室で深夜ゆさぶりおこされた国王ルイ16世は使者からパリの事件についての報告を受ける。

 ”バスティーユが襲撃されました、要塞司令官は殺害されました!かれの首は槍先に刺されて、パリ中のさらしものになっております!”

 ”それは暴動というものではないか”
 
 と眠りから起こされた不幸な支配者は口ごもる。しかし凶事の使者は無慈悲にもきびしく訂正する、

 ”いいえ、陛下、革命でございます。” 
 
 フランス革命も直後は誰も事の本質を理解できなかった。
国王ルイ16世が革命の言葉を完全に理解しなかったといって世人の嘲笑を買っていることについて、ツヴァイクは 
”生起した事件がすっかり頭にはいったときになってから、なにをなすべきだったかを見てとるのは容易である” 
というメーテルリンクの言葉を引用して国王を擁護している。
 さらに問題はほかにもあるとツヴァイクは同書で言う。

 「つまり、同時代人のうちのだれが、いまここではじまったおそるべき事件の性格を、この最初の時間に感知したろうか? 
 革命に火をつけ、革命をあおりたてた者ですら、そのうちのだれがそれを感知したろうか?
 ミラボー、バイイ、ラファイエットのごときあたらしい民衆運動の指導者すら、このときくさりをとかれた力によって自分たちの目標をこえ、自分たちの意に反してどこまで引きずられてゆくことになるのか、まったく予想がつかないでいる。
 1789年には、のちにもっとも残忍な革命家となったロベスピエール、マラ、ダントンなどすら、まだ生粋の王党派である。」

 革命は決してロマンチックなものなどではなく、陰謀だ、裏切りだ、スパイだといって血しぶきをあげて荒れ狂い止まることを知らない血なまぐさいものだ。
 この革命で活躍した代表的な政治家の一人でのちに断頭台に消えたジョルジュ・ダントンは、これぞフランス革命の革命観を表しているといわれる言葉を残している。
”われわれは下なるものを上に、上なるものを下におきたいと思う” 
 格差拡大が際限なく進む今日の世界の行く末を暗示しているかのような言葉である。
 それが暴動になるのかそれとも革命にまで発展するのか分からないが。

2016年10月17日月曜日

人工知能 7

 シンギュラリティが到来すれば AI が人類を滅ぼすなど AI 脅威論を説くアメリカのテスラモーターズのイーロン・マスクやマイクロソフトのビル・ゲイツは巨額の資金を AI に投資している。
 AI の脅威を煽りながら AI から巨大な利益を得ようとしている。このことになんら矛盾を感じていないようだ。
 また AI の軍事利用は現実的な脅威である。
 欧米の街には戦勝記念のモニュメンがいたるところにあり観光スポットになっている。日本では見かけない風景だ。AI の軍事利用が進められていることは想像に難くない。
 欧米諸国では経済的・軍事的な AI 利用の言行不一致は意に介さない素地があるのだろう。これも日本ではありえないことである。
 これらを踏まえてわが国の AI 対策を練らなければならないだろう。

 明治維新の担い手はそれまでの支配層ではなく下級武士であり、中心的役割を演じたのは薩長土肥の一握りの志士である。
 彼らは政治的にも軍事的にも危ない橋をわたりながらも欧米列強から国を守ろうという気概によって維新を成し遂げた。

 今わが国は少子高齢化と生産年齢人口の減少で経済は低迷しデフレに苦しみ相対的国力は衰退の一途を辿っている。
 現状はかろうじて過去の遺産でそれなりの国力を維持しているが、将来はこの国力を維持できるか否か保障の限りでない。
 激動の時代の現状維持は、後退を意味する。
 平和が長く続いたせいか現状維持・ほどほどの国力・ほどほどの経済であればいいなどの声も聞かれるが、そのようなスタンスでは現状維持など望めず後退あるのみだろう。
 AI 革命は生産性を指数関数的に引き上げる。少子高齢化はAI 革命を受け入れる絶好の環境である。
 このことを理解しないで外国人労働者受け入れ策を実行しようとしているがそれは AI 対策とは真逆の政策である。
 AI を開発するためにいま求められるのは数学とコンピュータの素養ある AI 技術者であるが、ような人材は極めて少ないため育てるほかないという
 こうなるとすぐわが国の当局は理科・情報教育重視を喧伝し、文科系の削減をいいだす。この近視眼的思考は官僚の抜け難い習性なのだろう。
 選択と集中は企業経営上は有力な武器であるが、こと人材育成のようなセンシティブな問題にはこの手法は必ずしも当て嵌まらない。
 いわゆるひも付き資金は研究者の自由な発想を妨げ目的達成への障害となりやすい。
  育てるにはそれなりの支援が必要であるが、その支援は研究者の自由な発想を拘束しない、いわゆるパトロン的支援が有効であろう。
 これに関連して武田邦彦氏はこう述べている。

 「もともと学問というのは、研究を始めるとき、それが将来の社会に『役に立つか、立たないか』は誰も判定できない。
 現在の社会は過去の学問で成り立っているのだから、『新しい世界を開く知』が未来の社会に役立つことを他人に説得することは論理的にはあり得ない。
 現在、日本では『役に立つ研究』にしか潤沢な研究資金が出ない。
 しかも、その審査はノーベル賞を取れないような社交的な東大教授を中心として行われている。
 その結果、日本の研究資金の配分は極端に東大に偏ってしまった。」(2016年10月16日 産経ニュース)

 東京大学の松尾准教授は、日本のトップ研究者を50人集めれば世界と戦えるといいそのための予算は150億あればいいと言い、PEZYグループの斉藤元章代表は超知能開発のため必要な100京コンピュータを開発するには最大500億あればいいと言うがその要求はみたされていない。
 国家の運命をも左右しかねないプロジェクトの一環としてはなんというつましい要求か。
 役に立つことがはっきりしない AI などに研究資金など出せないということなのだろうか。

 この点アメリカはどうか。アメリカはグーグル、フェイスブック、マイクロソフト、IBMなどの私企業がトータルで年間1兆円相当の資金を毎年 AI 開発に充当しているという。
 この資金面の格差はあまりにも大きい。この原因は AI に対する認識の差異からくるものであろう。
 政治家をはじめとした指導層の役割が望まれる。
 繰り返して言おう、明治維新は封建制度の因習が残る環境下で薩摩や長州など雄藩の志士たちによって成し遂げられた。 
 AI 革命もまた現代の志士によって成し遂げられることを期待したい。
 現代の志士は必ずしも AI 研究の中心にいる人から出るとは限らず、むしろ AI の専門外・素人から出るかもしれない。たとえば斉藤元章氏のような専門外の人から。
 すべての革命がそうであるように AI 革命もまた慣習や伝統に捉われていては成功はおぼつかない。
 AI 革命前夜、出でよ 狂瀾を既倒に廻らす平成の志士!

2016年10月10日月曜日

人工知能 6

 これまでのわが国の AI 開発の実績を簡単に振り返ってみよう。
 わが国の AI 開発は高度経済成長期からの研究実績があるもののアメリカの開発スピードには遠く及ばない。
 特に画像・音声認識などの情報処理系はグーグル、フェイスブック、マイクロソフト、IBMなど米企業が先行し、この分野の大半を壟断している。
 物造りのロボット分野はどうか。

 「ロボット市場は、大きく『産業用ロボット市場』と『サービスロボット市場』に分けられる。
 現在、日本の産業用ロボットの稼働台数は約30万台で、2位のアメリカに10万台以上の差をつけて堂々のトップ。その市場シェアは50%前後と圧倒的だ。
 しかし注目したいのは急成長が見込まれるサービスロボットの分野だ。
 特許庁の予測値では、2015年の産業用ロボット市場規模は約5000億円。
 リーマンショック後の2009年に2000億まで落ち込んだが、先進国の持ち直しと新興国の需要拡大を受けて回復傾向にある。 一方サービスロボット市場の成長率は産業用の比ではなく、2012年の5000億円からわずか2年で2倍になる1兆円を突破(予測値)。
 2020年には4兆円に達すると見られ、今後のロボット産業の主流になると考えられている。」
(開発者著PHP研究所『人工知能の今と未来の話』)

 産業用ロボットとは製造業の工場で稼動するロボットであるがサービスロボットは生活に身近なサービスで2014年の日本のシェアは10%未満に過ぎない。
 サービスロボットは、医療・介護・清掃・警備・案内・消防・農業など今後 AI が活躍すると予想される領域である。

 このように情報処理系のみならず、物造りのロボット分野でも必ずしも楽観できないのがわが国の現状といえよう。

 だが、日本の AI 開発が欧米に遅れているとはいえ、AI 開発は未だ端緒にすぎず十分キャッチアップ可能というのが識者の見方である。
 AI 技術のブレークスルーといわれるディープラーニングは2012年に開発されたばかりであり真の競争は今後にかかっている。
 AI 革命はかってない革命である。
 脳のニューロン(神経細胞)とニューロンどうしが情報を伝達するシナプス結合を数学的にモデル化したニューラル・ネットワークをベースに進化したディープラーニングが現在の主流になっている。
 だが、AI 開発手法はこの他にも大脳皮質をエミュレートする有力な生物学的手法がある。
 この分野で近い将来超知能を日本発で開発できるかもしれないと大胆にも予測している学者がいる。

 「日本が人工知能開発における現状の遅れを挽回し、世界に先駆けて超知能を開発し、人工知能開発の勝者になるためには、すなわち21世紀の先進国になるためにはどうすればいいのでしょうか。
 その起死回生の切り札となるのが、3章(注:トップランナーは誰か)でふれ、7章(注:ものづくり大国・日本だからできる)の対談でもご登場いただくペジーコンピューティングの斉藤元章さんが開発に挑んでいるニューロ・シナプティック・プロセッシング・ユニット(NSPU)だと、私はおもいます。
 人間の脳と同等のニューロンとシナプス結合をもったコンピュータを、今から10年以内に実現するという。
 斉藤さんの野心的な計画が本当に実現すれば、間違いなく世界最先端の技術になります。
 少なくともハートウエアの面では、現在、人工知能開発ではるか先を行くアメリカを、一挙に追い抜ける可能性もあるのです。
 しかし、問題はあります。たとえ世界最先端のハードウエアができたとしても、その上で動くソフトウエアがなければ、役に立ちません。
 NSPUが2025年までに完成すると想定して、今から、その上で動く人工知能アルゴリズムを開発し、世界に先駆けて完成させること。
 これが、日本にとって起死回生のラストチャンスです。
 人工知能開発で先行する海外諸国に圧倒的に差をつけられている現状を ”ちゃぶ台返し” するためには、斉藤さんが開発しようとしているNSPUに賭けるしかないと私は思います。」
(松田卓也著宥廣済堂新書『人類を超えるAIは日本から生まれる』)

 超知能の開発に成功すれば次元の違う世界が拡がる。

 「超知能を開発した国は、間違いなく世界でもっとも力をもつモンスター国家になります。
 たとえば、現在使われている暗号を解読することなど簡単です。通信を盗聴して機密情報を盗み出すことも、核爆弾や無人攻撃機、その他の破壊兵器を制御するコンピュータに侵入することも、お茶の子さいさいです。
 武器だけでなく、交通・管制システムや電力網、水処理装置といった社会インフラも自由にコントロールできるでしょう。
 しかし、超知能の技術を公開すれば、こうした圧倒的な優位性は失われます。
 そんな国があろうはずもありません。この意味でも、平和主義国家である日本が、世界に先駆けて超知能を開発するのが望ましいのです。(中略)
 超知能開発競争は、最初に開発した者のみが勝者で、2位以下はすべて敗者になるという、 『勝者総取り』 の過酷な競争です。ここでは、1位をめざすしか選択肢がないのです。」(前掲書)

 AI はわれわれが想像する以上に未来を支配するようだ。最後にこのことを踏まえて AI について考えてみたい。

2016年10月3日月曜日

人工知能 5

 シンギュラリティを喧伝するのは西欧の学者・研究者にかぎられなぜ日本人はそれから距離をおくのだろうか。
 シンギュラリティ仮説に反論する日本人研究者の一人に情報学者の西垣通氏がいる。
 西垣氏はシンギュラリティ仮説に対する西欧と日本の信念の違いは宗教文化のそれによると考えている。
 ビッグデータ型人工知能の先端技術におけるコンピュータという存在の隠された実像を見抜けば AI が人間を滅ぼすことなどありえない、そんな脅し文句に惑わされてはいけないという。
 日本の AI 戦略に熱心な松尾豊氏もシンギュラリティに否定的な発言をしている。
 日本の AI 識者の多くは AI の脅威にたいして楽観的であるようだ。
 少なくとも AI が人類を滅ぼすなどと主張する研究者の声はあまり聞かれない。

 西垣氏によれば、宗教文化の違いがシンギュラリティ仮説に対する考え方の違いとなっているがその原因の一つが西欧社会の一神教にあるという。
 ユダヤ教・キリスト教の教義によればこの世界は唯一神が造りたもうたもので人間を含め万物は神の被造物である。
 その被造物の一つにすぎない人間が人間を超えた能力をもつ AI を造ることは神への冒涜である。
 神への冒涜の結果、シンギュラリティ到達後 文明人が未開人を駆逐するごとく AI が人間を襲うかもしれないと密かに恐れているのだ。
 ユダヤ教やキリスト教の一神教の論理からすればこうなる。このことは AI を知り尽くしている科学者であっても例外ではない。
 むしろ科学者が率先して AI の脅威に警鐘を鳴らしている。未来学者レイ・カーツワイルが2045年に特異点に到達すると予想した 『2045年問題』 などその典型である。

 キリスト教ファンダメンタリストは聖書の数々の奇跡を字句どおり信じている。
 ファンダメンタリストの中には科学者もいるが彼らも例外なく聖書の奇跡を信じているという。
 奇跡と科学、この両者をともに矛盾なく受け入れているのだ。
この意味において西欧の AI 研究者がシンギュラリティ仮説を信奉することについて違和感はない。
 唯一絶対神を信奉する西欧の科学者は聖書に対しても AI に対しても絶対的観点で物事を捉えているからである。

 西垣氏は、ことシンギュラリティ仮説に関連して、機械と人間を同列に扱う西欧の絶対的観点に疑問を投げかけている。

 「人工知能とはあくまで 『人間という生物種の思考』 から生まれたという事実である。
 機械は人間がつくるのだから当たり前だ。だがそれなら、いくら頑張っても、人間の認識や知性の限界を超えることは不可能ではないか。
 お釈迦様の手のひらで踊るだけではないだろうか・・・。
 シンギュラリティ仮説は、人工知能の知的能力が人間を超えていき、人間の理解できない領域に突入すると語る。
 だが、右の議論が示すように、人間に理解できないということは、別に 『賢くなる』 のではない。
 われわれから見ると、ただメチャクチャな結果を出力する怪物機械、つまり廃品になるだけなのである。
 欧米のシンギュラリティ仮説の支持者たちは、人間が自分の思考をもとに人工知能をつくったことをカッコに入れ、人間と人工知能を同質な存在として同一次元で比較しようとする。
 まるで第三者の手によって、人間も人工知能もつくられたような感じだ。
 たぶんそこには、超越的な造物主を奉じるユダヤ=キリスト教文化という遠因があるのだろう。
 これは絶対主義にもとづく設計思想である。機械という存在を、人間の限られた能力との関連で相対的にとらえるという、最重要な観点が脱け落ちているのだ。」
(西垣通著中公新書『ビッグデータと人工知能』)

 西欧のシンギュラリティ仮説の支持者は、脳を分析すれば心を理解でき、脳を再現すれば心をつくれるという立場である。
 人間の頭骸骨のなかに約1000億個の神経細胞があり、これを客観的に外側から観察し、正確に分析すれば共通の記述結果がえられるはずという。
 このようにシンギュラリティ到来を論じる西欧の研究者は人間とコンピュータとが基本的に同質だと信じている。

 これに対し、西垣氏は異をとなえている。

 「脳研究は、実験と数理モデルを駆使し、その成果がいかにも客観的・絶対的な真理であるような印象をあたえる。
 その方法論は科学としては正しい。だが、いろいろな学説も、所詮は研究者たちがつくりあげるものであり、時代とともに変わっていく。
 近代思想の元祖デカルトは昔、人間だけが精神をもち、それ以外の動物は機械的・物質的存在にすぎないと考えた。
 今ではそんな考えは動物行動学者によって否定されている。
 20世紀初頭、ドイツの生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルは、動物の主観世界に目をむけた。
 ハチはハチ、イヌはイヌ特有の主観世界をもっている。われわれには動物の主観世界を完全に理解することはできないにせよ、そういう相対主義的観点なしには、自然の生態系を理解することはできない。
 われわれは、ホモサピエンス特有のまなざしで科学技術を研究しているだけなのだ。
 こうして、ひとたび相対主義的観点の大切さに気づけば、生物と機械を同質とみなすシンギュラリティ仮説の欠陥がはっきり分かってくる。」(前掲書)

 日本の研究者は AI がディープラーニングにより如何に意思や感情をもった人間のように結果をだそうともそれは自立の動作や情動を持っているかのように見えるだけですべて人間によってプログラムされた結果にすぎない。
 闘争心、支配欲、種の保存欲など人間が進化によって獲得したものを持っていないコンピュータが人間の知能を超えても自ら複製や改善は望めない。
 進化によって獲得した人間の脳のゲノムをシリコントランジスタと同質に扱うには無理がある。
 このように考えるのは日本の研究者だけでなく西欧の一部の AI 研究者や生物学者にもいる。
 彼らは、人間とコンピュータは異質であり、シンギュラリティの到達はないと批判している。

 シンギュラリティは人間と超人間に関する議論に発展するため一神教を奉ずる西欧の研究者と一神教でない日本の研究者との間の橋渡しを試みても、それは神学論争を重ねるだけである。

 シンギュラリティが到来するか否かに関係なく AI は技術的にも社会的にも革命的変化をもたらすであろう。
 神学論争よりこの革命的変化にどう対処するかが肝要で、それにより未来は大きく変わる。
 近い将来 ” AI は革命的変化をもたらす” 肝に銘じ、胸に刻み込むべきことばである。

2016年9月26日月曜日

人工知能 4

 AI が全人類の知能を超え シンギュラリティ(技術的特異点)に到達すれば、人類は AI にとって邪魔者になり AI によって滅ぼされるいう見方とそういうことにはならないという見方がある。
 今の時点では一見荒唐無稽に思われるかもしれないがこれは科学者の間でも真剣に議論されている問題である。

 まず前者 AI によって人類が滅ぼされるという見方について

 英国の高名な理論物理学者スティーヴン・ウイリアム・ホーキングはいう。

 「今後100年のどこかの時点で AI は人間の能力を超えていきます。そしてこの人工知能の目的は我々人間を”余所者”にすることだと気づく必要があるのです。」
 「コンピュータは我々の知性と違い、18ヶ月ごとに能力を2倍にする。そのため、コンピュータが知能を発達させて世界を乗っ取るという危険はすでに現実のものだ。」
(マルチョ名言集他)

 進化の度合いが高いものが低いものを駆逐するという論理からすれば必然的にこうなる。


 米国のジャーナリストで AI による脅威についてさまざまな識者にインタービューしたジェイムス・バッラットは自著でこう述べている。
 
 「すでに知能マシンはつくられているが、それでも人類は絶滅していないのだから、もしかしたら AI を擬人的にとらえても結構なのかもしれない。
 しかし、AGI(汎用人工知能)誕生の瀬戸際にあるいまや、それは危険な考え方である。オックスフォード大学の倫理学者ニック・ボストロムは、つぎのように言っている。
 『超知能に関して意味のある議論をするうえで前提条件となるのが、超知能は単なるテクノロジーの一種でもなければ、人間の能力を徐々に高める一種の道具でもないという点を認識することである。
 超知能は根本的に別物だ。超知能を擬人化することがもっとも多くの誤解を生んでいるので、この点はとくに強調しておきたい。』
 ボストロムいわく、超知能が技術的な面で根本的に別物であるのは、超知能が実現すると進歩のルールが変わってしまうからだ。
 つまり、超知能自体が発明を生み出して、技術進歩のペースを決めることになる。
 もはや人類が変化を推し進めることはなくなり、後戻りすることもできなくなる。
 さらに、高度な機械知能も根本的に別物だ。人間によって発明された身でありながら、自己決定権と人間からの自由を欲する。 
 そして人間のような魂がないため、人間に似た動機も持たないだろう。
 したがって、機械を擬人的にとらえると誤った考えにつながり、危険な機械をどのようにして安全に作るかを見誤ると大惨事につながる。」

 「いまやAGI の懐疑的な危険性は、尊敬を集める熟達した多くの研究者が認めるところだ。
 カーツワイルがシンギュラリティの恩恵と考えている、血液のナノ浄化、より優れた高速な脳、不死などと比べても、その危険性はより十分に立証されている。
 シンギュラリティに関して唯一確実なのは、LORAのパワーによって我々の生活や身体のあらゆる側面に高速で賢いコンピュータが、組み込まれるということだけだ。
 そうなったら、異質な機械知能は我々の自然の知能に挑んでくるかもしれない。
 我々がそれを望むかどうかは関係ないだろう。」

 「著名なIT起業家で科学者、アップル社のスティーヴ・ジョブズの同僚であるスティーヴ・ジャーヴェソンは、”設計された”システムと”進化した”システムをどのように統合するかを考えた。そして、その計り知れないパラドックスをうまく表現する方法を思いついた。
 『もし複雑なシステムを進化させたら、それはインターフェースによって特徴づけられるブラックボックスとなる。
 その内部のしくみを改良するうえで、我々の設計上の直感を当てはめることは容易ではない。・・・ もし賢い AI を人工的に進化させたら、それは感覚インターフェースによって特徴づけられる異質な知能となり、その内部のしくみを理解するには、人間の脳を説明するために現在費やされているのと同程度の努力が必要かもしれない。
 コンピュータコードが生物の増殖率よりもずっと速く進化できると仮定したうえで、我々が知識でできることはあまりにも少ないのだから。
 その中間段階をリバースエンジニアリングする時間が取れるとは思えない。進化のプロセスは、そのまま続いていくことになるだろう。』
 注目すべきことに、”進化したシステムやそのサブシステムはどの程度複雑になるか”という疑問に対して、ジャーヴェソンは次のように答えている。
 『そのしくみを事細かく因果的に理解するには、人間の脳のリバースエンジニアリングに匹敵する技術的偉業が必要になる、その程度にだ』
 ということは、進化したシステムやサブシステムが知能を持ったら、人間に似た超知能、すなわち ASI(超人工知能) が実現するのではなく、我々の脳と同程度に理解困難な"脳”を持った異質な知能が生まれるのだ。
 そしてその異質な脳は、生物的でなくコンピュータ的なスピードで進化して自己成長していくだろう、」
(以上 ジェイムス・バッラット著水谷淳訳ダイヤモンド社『人工知能 人類最悪にして最後の発明』 から)

 一言でいえば、ジェイムス・バラッドは、識者へのインタビューを通じシンギュラリティに到達すれば AI が強力になりすぎ人間がコントロールできなくなることを懸念している。

 このように AI によって人類が滅ぼされるかもしれないという懸念は西欧社会にのみ見られることである。日本ではこのようなことを心配する声は聞かれない。
 日本の識者は AI をどうみているのだろうか?

2016年9月12日月曜日

人工知能 3

 AI が活用される分野は、画像認識、音声認識、ビッグ・データ、自動運転、創薬、文字認識、自然言語、セキュリティ、ロボットなどがある。
 その成果は日常生活、仕事、産業の広範囲に及ぶ。
AI でもアメリカは一歩先んじている。グーグル、フェイスブック、アップル、マイクロソフト、アマゾン、IBMなどその豊富な資金力で目ぼしい国内外のAI ベンチャーを買収して AI の技術開発で先行している。
 この顔ぶれには製造業はなく IT 企業のみである。
IT 企業がAI の技術開発に力を入れるのはそこに巨大なビジネスチャンスを見出しているからであろう。
 日本はどうか。日本はトヨタ、ホンダ、日立、パナソニックなど主に製造業がベンチャー企業と提携して AI の技術開発に取り組んでいる。

 日本における AI の熱心な推進者である東京大学の松尾豊准教授は、一口に AI というが、これは二つに分けて考えた方がいいという。
 情報路線(大人の人工知能)と、運動路線(子どもの人工知能)である。
 そしてこの二つの路線は AI 産業競技のいわば予選リーグで、予選リーグを勝ち進んだ企業が決勝に進み、最終的には高度に知能・機械がモジュール化し組み込まれた社会において、人工知能が組み込まれた日常生活ロボット・機械を担う企業が勝者となるという。
 日本が目指すべきは運動路線である子どもの人工知能をターゲットにすべきであると主張している。

 「以前にもお話ししましたが、僕は人工知能を 『大人の人工知能』 と 『子どもの人工知能』 に区別しています。
 これまで、コンピュータにやらせるのは子どものできることほど難しいという時期が何十年も続いてきたのですが、今は変わりつつあります。
 子どもができるような認識や運動の習熟、言葉の意味理解などができるようになりつつあるということで、こちらを 『子どもの人工知能』 と呼んでいます。
 一方でビッグデータ全般や IoT に代表されるように、今までデータが取れなかった領域でデータが取れるようになってきました。 
 ここに旧来からある人工知能の技術を使うと、いろいろなことができます。
 こちらを 『大人の人工知能』 といっています。
 今の動きの中で、僕が一つ非常に気を付けるべきだと思っているのは、 『人工知能』 という言葉が独り歩きしていて、いろいろな技術を人工知能と呼んでいる点です。
 大人の人工知能の世界は 『データを活用していきましょう』 ということなので、これは当たり前のことです。
 昔からデータの重要性はありましたし、活用した方がもちろん良かったのです。
 これはもう10年も20年も前からそうです。日本はそこのところの理解がなかなか進んでおらず、むしろ遅れているので、今頃になってようやく 『データを活用した方がいい』 『情報技術を活用した方がいい』 と多くの人が思うようになってきたということです。
 ですから、これは当然やった方がいいのですが、既に10~20年も遅れをとっています。
 一方で子どもの人工知能、すなわちディープラーニングをベースにする技術は、技術的なブレークスルーの時期に当たり、ここ2~3年で、急激にできるようになってきたのです。
 これをどのように産業競争力につなげていくか。そこに日本の戦略的なチャンスがあると思います。
 ですから、この二つは分けて考えた方がいいと、僕は思っています。
 プレイヤーについても、大人の人工知能をやろうとしている人の方が今は多いのです。
 大手の電機メーカーもそうだし、研究者にも大人の人工知能系、つまり情報(データ)を使おうとか、先端の情報技術を使おうという技術を研究している人が多いのです。
 ですから、今はこちら(大人の人工知能)の方が声が大きく、『国レベルで 人工知能をやりましょう』 といったときに、大半が 『大人の人工知能』 系の話になってしまうのです。
 ここ(大人の人工知能)も大事ですが、今あえて投資する必要があるかといえば、それほどありません。
 今、日本が戦略的に投資するべきは 『子どもの人工知能』 で、その技術的なブレークスルーに賭けるべきだと、僕は思っています。
 ただ、こちら(子どもの人工知能)はプレイヤーが少ないので、なかなか苦しいのです。
 しかし、グローバルな産業競争力につながるのはきっと 『子どもの人工知能』 の方に違いないと、僕は思っています。
(10MTV 日本のAI戦略)

 なぜ日本は、情報技術・データの活用が10~20年も遅れをとったのだろうか。 
 今年7月松尾准教授はフォーリン・プレスセンターの講演で情報路線はあきらめ運動路線にターゲットを絞るべきと述べた。
 なぜそうなのか理由を質問した記者にこう答えている。

 ”日本には1990年代既に検索エンジンがあり、2000年代に入ってすぐソーシャルネットワークもあった。
 だがユーザが日本人に限られるため大きくならなかった。
10倍人通りが多いところで店を開くのと10倍少ないところで店を開く違いである。
 日本語でやっている限り大きくならない。情報路線にはこの制約があるが運動路線にはこれがない。”

 別の講演では運動路線に特化すべき理由を列挙している。

① 少子高齢化でかつ幸いにも移民を受け入れていないため、AI を活用した機械化・ロボット化の効用が大きい。

② 人工知能研究者数に恵まれている。2015年現在人工知能学界 日本人は 3500人、 日本以外では全世界でも 6000人である。

③ 日本は第1~2次ブームからの研究者を擁していて、指導者層にAI にたいする理解がある。インターネットのときにはなかったことである。

④ インターネットのときにはニーズを見つけるというビジネスセンスが求められたが、今回は防犯は防犯、建設は建設とニーズは変わらず性能向上の要求であり、製造業にも求められる賢さと真面目さが重要となり日本人向きである。

⑤ インターネットは日本語が障壁となり早くから検索エンジン、ソーシャルネットワークがありながら日本からグーグルもフェイスブックも生まれなかった。
 AI は言葉は関係がない。アルゴリズムを製品にのせるから日本語のハンデがない。

 このように松尾准教授は日本は運動路線に特化すべきと力説している。

 AI は今アメリカが先行しているが この技術は2012年にブレークスルーしたばかりである。真の競争は今後にかかっている。

 わが国における AI の今後の展望に先立ちシンギュラリティについて考えてみたい。
 AI が全人類の知能を越えるときがくればどのようなことになるのか。その日は2045年ともいわれている。

2016年9月5日月曜日

人工知能 2

 AI は過去2回ブームがあり現在3回目のブームにさしかかっている。
第3次AIブームのビッグウェーブ出典:松尾 豊著KADOKAWA『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』

 過去のブームの衰退を簡単にいえば、第1次ブームは特定の問題は解けても複雑な現実の問題は解けないこと、第2次ブームはコンピュータに大量の知識をいれ管理するには限界があり費用と時間がかかりすぎかつ汎用性に乏しいことであった。

 現在は AI 技術のブレークスルー(飛躍的進歩)といわれるディープラーニングで3度目のブームにさしかかっている。
 囲碁の対戦でAI が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段に勝利したのはこの技術によるものであった。
 今回はこれにシンギュラリティ(技術的特異点)の問題が加わり AI が人間の知能を越え人類の脅威となるなどとブームに拍車がかかっている。

 東京大学の松尾准教授は AI を飛躍的に進化させたディープラーニングについてこう述べている。


 「人間は特徴量をつかむことに長けている。何か同じ対象を見ていると、自然にそこに内在する特徴に気づき、より簡単に理解することができる。

 ある道の先人が、驚くほどシンプルにものごとを語るのを聞いたことがあるかもしれない。特徴をつかみさえすれば、複雑に見える事象も整理され、簡単に理解することができる。
 同じことを人間は視覚情報でもやっている。
 たとえば、ある動物がゾウかキリンかシマウマかネコかをみわけるのは人間にはとても簡単だが、画像情報からこれらの動物を判定するのに必要な特徴を見つけ出すのは、コンピュータにはきわめて難しかった。 
 機械学習させようにも、この特徴を適切に出すことができなければ、うまく学習できないのである。(中略)
 ディープラーニングは、データをもとに、コンピュータが自ら特徴量をつくり出す。
 人間が特徴量を設計するのではなく、コンピュータが自ら高次の特徴量を獲得し、それをもとに画像を分類できるようになる。(注:もちろん、画像特有の知識ー事前知識 をいくつか用いているので、完全に自動的につくり出せるわけではない。)
 ディープラーニングによって、これまで人間が介在しなければならなかった領域に、ついに人工知能が一歩踏み込んだのだ。 
 私はディープラーニングを 『人工知能研究における50年来のブレークスルー』 と言っている。」
(松尾 豊著KADOKAWA『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』)

 AI の歴史はわずか60年であるから、ディープラーニングが50年来のブレークスルーとすればこれがいかに画期的な技術であるかが想像できよう。


 ディープラーニングの凄さについて小林雅一氏は分かり易く解説している。

 「ディープラーニングは人間という教師の手助けがなくても、自分で勝手に大量のデータから何かを学び、ある問題を解く上で、何か本質的に重要なポイント(変数)であるかを、システム自身が探し出してくるのです。

 そして、ここにも再び謎が登場します。つまりディープラーニングがなぜ、それらの変数(特徴量)を選び出してきたのか? 
 そこに至るシステムの思考経路を、それを開発した技術者(つまり人間)は理解できないのです。
 しかしディープラーニングは、難問を解決する上で、必ずといっていいほど正しい変数を選んできます。
 だから音声・画像認識など、これまで停滞していたパターン認識の分野で大幅な性能向上が見られたのです。
 多くのAI 専門家は口を揃えて、この点を絶賛しています。
 彼らの見方によれば、問題を解決するために必要な 『何かに気付く』 という能力こそ、これまでのAI に欠如していたものです。
 この限界を突破したことで、ディープラーニングは AI における永遠の難問とされてきた 『フレーム問題』 さえ解決する、との見方も出てきました。
 第1章でも紹介したように、フレーム問題とは、
『所詮は限られた情報処理能力しかないロボットや AI には、現実世界で起こり得る問題の全てには対処できない』 ということでした。
 それは特に、ケース・バイ・ケースの判断ルールをコンピュータなどに移植していく 『ルール・ベースの AI 』 にとって致命的な問題でした。
 しかしディープラーニングのように、人間がロボットやコンピュータに何らかのルールや変数などを教えなくても、彼ら自身が問題を解く上で本質的に重要なことに気付いてくれるなら、フレーム問題は解決できる可能性があります。
 そして、ここでも興味深いことは、ディープラーニングが人間の脳の仕組みを参考にしていることです。
 つまりディープラーニングがフレーム問題を解決できるとすれば、それは私たち人間が普段何らかの形でフレーム問題を処理している、あるいは少なくとも何とか切り抜けている証になるということです。(もちろん、ときにはジタバタしたり失敗することもありますが。)
 いづれにせよディープラーニングは単なる機械学習の手段という枠組みを越え、人間のような汎用的知性を持つ最初の AI になる可能性があるとの期待が高まってきました。
 その進化のスピードは今後、一層加速すると見られています。 それは脳科学(神経科学)と AI 研究が連携することで相乗効果が期待されるからです。」
(小林雅一著講談社現代新書 『 AI の衝撃』 )

 此度のAI ブームは過去2回と異なりすぐに衰退しそうにない、それどころか AI の開発は指数関数的に増加する可能性さえある。
 このような革新的な技術について各国はどう取り組んでいるか先行している日米を中心に見てみよう。

2016年8月29日月曜日

人工知能 1

 いま途轍もない可能性を秘めた波が押し寄せている。だがこの波はそれをはっきりと自覚しなければ見過ごしてしまうほど静かな波だ。
 21世紀の日本にとって最初にして最後の起死回生の幸運の女神となるかもしれない人工知能 AI (Artificial Intelligence )がそれである。

 人間 対 AI の戦いの例を見てみよう。
 チェスは1997年IBMのスーパーコンピュータ 「ディープ・ブルー」 がチェスの世界チャンピオンを負かした。
 将棋は2013年にプロ棋士と将棋ソフトが対戦しプロ棋士が1勝3敗1分で将棋ソフトに負けた。
 囲碁は盤面が広いためコンピュータソフトがプロに勝つにはあと10年はかかるだろうといわれていたが今年3月グーグルのコンピュータソフト 「アルファ碁」 が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段と対戦し4勝1敗で勝ち越し世間をアッと驚かせた。
 これはほんの一例に過ぎない。AI の進歩はゲームに止まらずさまざまな分野におよびわれわれの想像を超えている。

 専門家によればいまの AI の発展段階は1995年のインターネットに相当するという。
 1995年といえばマイクロソフトのWindows 95が発売されこれにインターネット接続機器が搭載された時期である。
 この時期にはグーグルもフェイスブックもアマゾンもなかった。アップルとマイクロソフトがやっと黎明期から脱出しかかっていた時代である。それから約20年後の今日インターネットの進化は隔世の感がある。
 インターネットの進化から類推するにいまから20年後 AI がどのように進化しているのか想像さえできない。

 一方 AI はそのあまりにも革新的過ぎるゆえに様々な懸念、特に倫理面でのそれがあることも事実だ。
 人間の知能を超えるかも知れない AI に対して人間はどう対処するのか、AI の軍事利用に対してどのような対策がなされなければならないのか等々。

 AI の破壊力はそれ以前の常識をことごとく覆す力がある。その影響は政治、経済は言うにおよばず文化、人びとの働き方など生活の隅々まで及ぶであろう。

 革新的な技術には先行者利得がある。インターネット技術で先行したアメリカはマイクロソフト、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンとほぼこの世界を壟断している。
 そしていま AI でもアメリカが先行していると言われている。だがその程度はキャッチアップできないほどではないという。

 少子高齢化で経済が低迷している日本にとって AI 革命はこの苦境を一気に払拭する千載一遇のチャンスでもある。
 幸運の女神には前髪はあるが後髪はない。この機を掴まえまたはその道筋をつけるものは誰ぞ。
 以下 AI について専門家の考察をもとに基本に立ち返り考えてみたい。

2016年8月22日月曜日

シン・ゴジラ

 今夏公開された映画シン・ゴジラは前評判が高く、実際その期待を裏切らない。
 この映画の特長の一つに危機に際して日本社会の意思決定の様子が描かれている点にある。

 後にゴジラ(Godzilla)と命名される巨大不明生物が東京湾に出現し想定外の事態が発生する。
 これに対処するに、前半部分では学者の紋切り型の論評、政治家のパーフォーマンス、官僚の縦割り行政への固執などが面白おかしく皮肉をこめて撮られている。
 ところが事態が深刻化する後半部分では政官が一致団結して巨大生物対策にあたる。
 各省庁から ”はぐれもの” 扱いされていた官僚たちが対策本部に集められ本部長から下記趣旨の訓示を受ける。

 「この未曾有の災害に全力で対処願いたい。なお本件については従来の人事考課は適用しない。」

 この訓示の効果はてきめんでセクショナリズムから解放された官僚たちはもてる能力をフルに発揮し見事ゴジラの凍結作戦に成功する。

 綿密なプランと的確な意思決定で事態が急転直下解決する。現実には起こりえないであろうことが起こる。
 意思決定システムの面白さとともにカタルシスを得られる映画である

2016年8月15日月曜日

終戦記念日

 今日は終戦記念日、例年この日に注目されるものの一つに政治家の靖国神社参拝がある。
 今年は超党派国会議員70名などが参拝したが、首相、外相、官房長官は参拝しなかった。防衛相はアフリカ出張中。
 2005年4月当時の中国の王毅駐日大使が自民党本部で首相、外相、官房長官 以上3人は日本の顔であり靖国参拝を遠慮する紳士協定ができていると発言したことが伏線となり、以来中国側は首相、外相、官房長官の靖国参拝を強く牽制してきた。
 ところが今年はこれに防衛相も加わった。中国は稲田防衛相を極端な右よりと判断して牽制したのだ。
 中国を不必要に刺激したくない現政権および中国と利害関係にある産業界、それに極東にあらぬ波風をたててもらいたくない米民主党政権は日本の対応に安堵の胸をなでおろしていることだろう。
 このような露骨な中国の内政干渉を日本政府は受け入れ同盟国のアメリカもこれを支持している。
 中国、アメリカおよび日本政府はこれでよしとするだろうが日本国民はこの政府の判断に心底から賛成しているのだろうか。

 似たようなことが尖閣諸島でもおきている。中国の漁船と海警局の公船が頻繁に領海を侵している。
 中国の真意は定かでないが尖閣諸島を領土問題化にすることがその目的の一つであるという見方がある。
 これに対し日本は尖閣諸島に領土問題は存在しないというのが一貫した立場である。
 ところがここでも中国と波風を立てたくない人がいる。親中派といわれる元外交官の孫崎氏などの尖閣諸島棚上げ論者である。 彼らも尖閣諸島は日本の固有領土であると考えるが、中国も同じように主張しているのだから棚上げしようというのだ。
 アメリカは固有の領土とか主権には関知せずと明言している。アメリカは施政権を問題にし尖閣諸島は日本の施政下にあるとの立場だ。アメリカ合衆国の成り立ちを考えれば固有の領土という概念にはなじまないのだろう。
 島国であるわが国は固有の領土という意識が強い。だが中国にしてもアメリカにしても領土をわが国ほど固定的に考えていないようだ。
 尖閣諸島を奪取するためにもまずこれを領土問題化・棚上げに成功すれば中国の思惑通りになる。棚上げで領土問題が決着するなど夢にも考えられない。
 領土問題はイギリスのチェンバレンがヒットラーに譲歩したように弥縫策が最悪の結果を招くことは歴史が証明している。
 とるにたらない小っぽけな土地をめぐる争いについてシェクスピア劇ハムレットの一幕は、領土問題が単に経済的・軍事的問題ではなく国家の尊厳にかかわると示唆している。尊厳をなくした国家に明日はないことは言うを俟たない。

 「あの兵士たちを見ろ。あの兵力、厖大な費用。それを率いる王子の水ぎわだった若々しさ。
 穢れのない野望に胸をふくらませ、歯を食いしばって未知の世界に飛び込んで行き、頼りない命を、みずから死と危険にさらす。 それも、卵の殻ほどのくだらぬことに・・・いや、立派な行為というものには、もちろん、それだけの立派な名文がなければならぬはずだが、一身の面目にかかわるとなれば、たとえ藁しべ一本のためにも、あえて武器をとって立ってこそ、真に立派と言えよう。
 そういうおれはどうだ? 父を殺され、母をけがされ、理性も感情も堪えがたい苦悩を強いられ、しかもそれをそっと眠らせてしまおうというのか? 
 恥を知れ、あれが見えないのか。二万のつわものが、幻同然の名誉のために、、まるで自分のねぐらにでも急ぐように、墓場に向って行進をつづけている。その、やつらのねらう小っぽけな土地は、あれだけの大軍を動かす余地もあるまい。戦死者を埋める墓地にもなるまい。」
(シェイクスピア 福田恒存訳『ハムレット』)

 
 終戦記念日が来るたびに靖国と尖閣、この二つの問題について考えさせられる。事態は年々悪化の一途を辿っているように思える。

2016年8月8日月曜日

揺らぐEU 6

 ギリシャ危機、英国の離脱、移民問題などで動揺が拡がり、イスラム過激派のテロや勢力を増している反EU派の台頭を見るにつけ、EU解体が絵空事ではなく現実味をおびてきている。
 この背景にはひとりEUにとどまらず世界的なグローバリズムがもたらした弊害にたいする中・下流階級のエリート層への反乱がある。
 もともとEUは第二次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないという崇高な目的のために結集されたものでありそれ自体人類の英知の所産である。
 統一通貨ユーロも人々の賛同を得、一時は準備通貨として米ドルをもしのぐ勢いであった。
 ところが世界経済が順調に成長過程にあるうちはよかったものの停滞過程にはいると内なる矛盾が一気に噴出した。
 2008年のリーマンショックを機に世界が不況に突入すると、EUという限られた世界での矛盾はより鮮明に浮き彫りにされた。
 ヒト・カネ・モノ・サービスが自由に移動するEU域内では勝者と敗者がはっきりする。一人勝ちのドイツと敗者のギリシャなどの南欧諸国という構図である。
 EUは統一通貨であるため勝者はその利点をフルに享受できるが敗者は立ち直る機会まで奪われてしまう。為替安の恩恵にあずかれないからである。
 EUの中で不満の矛先はともするとドイツにむけられがちである。
 ドイツはもちろんEUを揺さぶろうなどと考えているわけではなく、むしろドイツはEUの団結をどの国よりも望んでいると思われる。ドイツがEUシステムからの恩恵をどの国よりも享受しているからである。下図はそれを雄弁に物語っている。

            ユーロ圏主要4カ国の相手国・地域別貿易収支の推移

第1-2-2-15図 ユーロ圏主要4か国の相手国・地域別貿易収支の推移

 このようなドイツの一人がち状態は必ずしもドイツにいい影響をあたえなかった。
 ドイツは意識すると否とにかかわらず他のEU諸国を支配したがるようになった。
 EU25カ国に対してドイツ主導で財政規律を各国の憲法に明記する協定に合意したが、これなど他のEU諸国をリードするというより自らのやり方に従わせることにほかならない。

 ドイツを歴史的・人類学的に観察してきたエマニュエル・トッドはドイツの危うさを指摘している。

 「ドイツの権威主義的文化は、ドイツの指導者たちが支配的立場に立つとき、彼らに固有の精神的不安定性を生み出す。
 これは第二次大戦以来、起こっていなかったことだ。歴史的に確認できるとおり、支配的状況にあるとき、彼らはしばしば、みんなにとって平和でリーゾナブルな未来を構想することができなくなる。
 この傾向が今日、輸出への偏執として再浮上してきている。(中略)
 毎週のようにドイツの態度のラディカル化が確認されるのが現状だ。
 イギリス人に対する、またアメリカ人に対する軽蔑、メルケルが臆面もなくキエフを訪れたこと(14年/8月)・・・。
 ドイツがヨーロッパ全体をコントロールするためにフランスの自主的隷属がきわめて重要であるだけに、フランスとの関係のあり方が現実を露見させていくだろう。
 しかし、すでにわれわれは知っている。強襲揚陸艦ミストラルのフランスからロシアへの売却をめぐる事件で分かったのは、ドイツの指導者たちが、今ではフランスに対して、フランスの軍事産業で今日残っているものを処分してしまうように求めているということだ。
 ドイツの社会文化は不平等的で、平等を受け入れることを困難にする性質がある。
 自分たちがいちばん強いと感じるときには、ドイツ人たちは、より弱い者による服従の拒否を受け入れることが非常に不得意だ。 そういう服従拒否を自然でない、常軌を逸していると感じるのである。」
(エマニュエル・トッド著堀茂樹訳文春新書『ドイツ帝国が世界を破滅させる』)

 エマニェエル・トッドの見方から類推すればドイツこそ揺らぐEU、反乱するEUの元凶ということになる。
 が、そのドイツにも最近翳りが見え始めてきた。
 ドイツ銀行のLIBOR不正(銀行間取引金利の不正操作)とフォルクスワーゲンの排ガス不正は一人勝ちしてきたドイツ経済に暗雲をもたらしている。
 健全そのもののドイツ政府の財政は、民間最大のドイツ銀行にその不健全さを肩代わりさせているのではないかという指摘さえある。
 ドイツ主導の緊縮財政がゆきずまりいつの日か転向を迎える日がくるであろうか。
 もしその可能性ありとせば来年9月のドイツの議会選挙後であろう。
 英国のEU離脱決定翌日に実施されたスペインの再選挙で反EU派のポデモスが伸び悩んだことでもわかるように統一通貨圏から離脱することがいかに難しいことかが明らかになった。
 EUの未来は、ドイツが頑なに守ってきた緊縮財政を今後もつづけるか否か、この一点にかかっている。
 もしこの緊縮財政を妥協余地のない政策として固執すれば、『EUは遠からず瓦解する』かもしれない。
 だが、EUというシステムを最も享受しているドイツがそのようなEU瓦解につながる危険を冒してまで緊縮財政策をつづけるであろうか。常識的にはそのような政策を続けるとは思えない。
 だが名にしおう緊縮財政こそ国家繁栄の基礎であると信じて止まない指導者を擁する国民である。
 また首相自ら率先して家計と国家財政を同一視して政策を推進するお国柄である。
 このようなドイツの政策について異をとなえ変更を促すには当初からのパートナーメンバーであるフランスが適任であるが、歴代フランスの指導者はその任を果たさず、むしろドイツの従属的立場に甘んじている。
 政策の大胆な転換は現政権では望み薄だろう。可能性は2017年9月のドイツ議会選挙以降ということになる。

 EU諸国は大部分の主権をEU政府に返上し奪われた状態にある。行政上の細部はブリュッセルのEU官僚が壟断し、箸のアゲサゲの細部に至るまで各構成国に指示し、各国はこれに従わざるを得ない。
 このことが英国のEU離脱の原因の一つに挙げられている。
だが、ユーロを導入しているその他諸国はこのような原因ではEU離脱など決心できない。
 さきのスペイン再選挙で反EU派のポデモスの伸び悩みがそれを証明している。独自通貨に帰ることの恐怖にくらべれば不満はあるにしろまだEUに止まるほうが安心だということだろう。
 EUは高邁な理想のもと設立されたが今やドイツの一人勝ちでその他諸国はこれに従属する構図となっている。
 その他諸国はドイツに不満はあるがEU離脱はできないし、ドイツもまた離脱されると共倒れになるためこれに反対する。ギリシャ救済はドイツのためでもある(ドイツ銀行のギリシャに対する貸付など)。
 われわれは美名に惑わされないようにしなければならない。国連は戦後70年経過しても常任理事国はいまだに第二次世界大戦の戦勝国に壟断されている。
 EUは事実上ドイツ支配下にあるとハッキリ認識すべきだろう。そしてその未来もまたドイツの手に握られている、と。

2016年8月1日月曜日

揺らぐEU 5

 EUはドイツ、フランス、イギリス、イタリアなど主要国の強い影響下にあるが、EUという巨大組織を実務上動かしているのはEU官僚である。
 実務上の権限を有する官僚の行動パターンは洋の東西を問わず共通するものがあるようだ。
 28ヵ国、約5億人のEU官僚は短期契約を含めると約3万人にのぼる。
 EU官僚もご多分にもれず権限の集中や厚遇が職員のエリート意識をはぐくみ実態とはかけ離れた規制を作り続けている。

 EU職員の厚遇ぶりを伝えている記事がある。

 「年金などを差し引いた平均月給は約6500ユーロ(約75万円)で、最高級の局長クラスになれば約1万6500ユーロ(約190万円)に達する。
 さらに、子ども1人につき月額約376ユーロ(約4万3千円)など様々な手当が上乗せされ所得税も免除される。
 退職後は、最高で最終給与の7割の年金をもらえる。」
(2016年6月25日朝日新聞)


 高給なうえに所得税まで免除されるとは。さすが日本の官僚もびっくり仰天うらやましく思うことしきりだろう。
 できれば生まれ変わってブリュッセルの官僚になりたいと、そこまで思うかどうかはわからないが・・・。
 そのEU官僚たちは厚遇にまもられ毎日毎日細部規則作成に余念がない。
 作成した書類の多さは膨大で英国のEU離脱派によるとEUの規制を網羅した書類を重ねると50メートルにも及びロンドンのトラファルガー広場のネルソン提督像を超すという。

 ことほど左様にEU官僚による細部規制が徹底しているので英国のビジネスは縛られ競争力をそがれているとEU離脱派は訴えた。

 フランスでも同じようにEU官僚に対する不満がある。

「現在のFN(フランス国民戦線)の政策綱領にはこんな一節がある。

 《こんにち我が国の民主主義の機能は、我々の法律を非民主的な欧州の当局に委ねることによって、しばしば民主主義の絶対的条件を満たしていない機関とその行為によって、私益のために公益を守らない民主主義の赤字を強化している権力行使の逸脱によって、大きく阻害されている。》

 この見方は、FNだけのものではない。フランスの政治家や学者、評論家もまた、『80%以上の法規がEUで決められて、国内で独自に決められることはほとんどない』としばしば口にする。
 EU法はそのままEUの加盟国に直接適用され、EU指令は、それに沿って各国で法律を制定あるいは改正しなければならない。 
 指令は国の法律に移し替えるため、その審議の過程で各国の国会が関与するとはいえ、すでに要点はEUで決まっており、変えるわけにはいかない。
 また、かっては欧州全体で共通の政策をおこなうのは、農業ぐらいのものであったが、マーストリヒト条約によって大幅に分野が増えた。
 法律以外にもさまざまな規格や衛生基準などもある。」
(広岡裕児著新潮社『EU騒乱』)


 民主主義の赤字とは、端的にいえば行き過ぎた官僚支配であり、政治支配の欠如に他ならない。
 EU加盟国は立法権の一部を欧州議会に委ねているが欧州議会の権限はきわめて限られている。
 実質的に立法権を有するのは閣僚理事会である。
 加盟国代表1名からなる欧州委員会はEUの行政機関・EU政府でありここに3万人におよぶ官僚機構を擁している。
 欧州市民が選べるのは欧州議会の議員だけであり、その欧州議会の権限は閣僚理事会や欧州委員会のサポート的立場にすぎず各国国会よりもはるかに制限されている。
 この結果欧州市民の声はEUの政策に殆んど反映されない仕組みになっている。
 そこでは市民の関与もなく政策の透明性もない。一部の行政官と官僚が殆んどの政策を決定するため民主主義の欠乏→民主主義の赤字といわれるゆえんである。

 EUのヒト・カネ・モノ・サービスの自由な移動ができる単一市場という高邁な理想はここにきて曲がり角にさしかかっている。
 元々歴史・文化・人種・宗教など異なった巨大なEU共同体をまとめるには政治的・経済的エリートに頼るほかなく彼らはこれを計画的に実行した。
 巨大組織をまとめるには中国共産党にも見られるように一部のエリートに頼らざるを得ないのであろうか。

 元フランス大統領シャルル・ド・ゴールは巨大組織をまとめることに関連しEUと米国の違いについて回顧録で述べている。

 「いったいどれだけ深い幻想や思い込みがあれば、それぞれに地理歴史言語をもち、何世紀にもわたって数知れぬ努力や苦労によって鍛え上げられてきた欧州諸国が、自分自身であることをやめて、たった一つのものになるなどと信じられるだろうか。
 どれだけ大雑把に見れば、よくナイーブにもちだされる欧州と米国の比較ができるのだろうか?
 米国は、何もないところに、新天地に、根なしの入植者の連続によってできたものだ。」
(シャルッル・ド・ゴール『希望の回顧録』前掲書から)

 ド・ゴールの懸念はいまや現実のものになっている。

2016年7月25日月曜日

揺らぐEU 4

 次にEUの盟主ドイツについて。

 ドイツはEUの中で一人勝ちしている。ドイツがEUで支配的な地位を獲得した理由についてエマニュエル・トッドはこう述べている。

 「ドイツはグローバリゼーションに対して特殊なやり方で適応しました。
 部品製造を部分的にユーロ圏の外の東ヨーロッパへ移転して、非常に安い労働力を利用したのです。
 国内では競争的なディスインフレ政策を採り、給与総額を抑制しました。ドイツの平均給与はこの10年で4.2%低下したのですよ。
 ドイツはこうして、中国 - この国は給与水準が20倍も低く、この国との関係におけるドイツの貿易赤字はフランスのそれと同程度で、2000万ユーロ前後です - に対してではなく、社会的文化的要因ゆえに賃金抑制策など考えられないユーロ圏の他の国々に対して、競争上有利な立場を獲得しました。」
(エマニュエル・トッド著堀茂樹訳文春新書『ドイツ帝国が世界を破滅させる』)

 ドイツの政策で特徴的なのは緊縮財政と積極的な移民や難民の受け入れである。
 前者はギリシャ危機の際、そのかたくなな姿勢がきわだち、後者は昨年1年間で110万人近い移民や難民を受け入れている。
 ところがこれらドイツの政策こそがEU混乱の元となっている。

 ドイツの緊縮財政策について

 ドイツがギリシャ危機のときギリシャにたいして要求した緊縮財政政策は有無を言わさぬものであり大国が小国を力でねじ伏せた印象が拭いきれない。
 このようなドイツの強圧的な態度はEUのリーダとしての役割に疑問符がつく。
 なぜドイツはそこまで緊縮財政にこだわるのだろうか。ドイツ国民は、2度の大戦の敗戦で国家財政の破綻を経験した。
 ハイパーインフレと通貨改革で紙幣や国債が紙切れになり、多くの国民が財産を失った苦い経験をもつ。
 この経験はドイツ国民のトラウマになったであろうことは容易に推察できる。
 一方ドイツは東西ドイツ統合によって膨らんだ財政赤字を減らしてきたという自負がある。
 かってメルケル首相はリーマン・ブラザーズ破綻の際、質素な生活に戻ることを主張し ”窮状の理由を知りたければシュヴァーベン地方の主婦に聞くがいい”  と言った。(シュヴァーベン地方の主婦は質素倹約で知られている)
 ドイツの政治家や学者になぜ緊縮財政策をとるのかと問えば最も多い答えは ”法律で決まっているから” である。
 ドイツはリーマン・ショック後の09年、憲法にあたる基本法を改正し、債務ブレーキ条項を追加した。 
 自分で決めた規律は頑固に守る。基本法で決めた以上は、その条件でやっていくのがドイツ人気質だと言ってはばからない。
 ドイツは自らに債務ブレーキをかけるだけでなく、その政策をユーログループに押し付けている。
 ギリシャなどを支援する見返りに同様の債務制限を求めた。
 ドイツが音頭を取る形で、英国とチェコを除EU25カ国は財政規律を憲法などに明記する協定に合意した。
 健全財政へのこだわりは筋金入りだ。
 ドイツは、意図すると否かにかかわらず、EUをリードするのではなくむしろ支配しようとしているように見える。

 ノーベル経済学受賞ジョセフ・スティグリッツは、ドイツ主導のギリシャにたいする財政緊縮策は有毒な薬の処方という。
 共通通貨をまとめるにはメンバーが同化することが大事だがドイツだけが同調していないと断じている。
 同じくノーベル経済学受賞ポール・クルーグマンは、国家と個人の経済政策を同一視するドイツの緊縮財政策を揶揄してこういっている。

 「本当にユーロがダメになったら、その墓碑にはこう記されるべきだ。『国の負債を個人の負債になぞらえるというひどいたとえによって死去』 と。」

 ドイツの移民・難民受け入れ

 ドイツの移民・難民受け入れには両面がある。ドイツには第二次世界大戦で600万人ともいわれるユダヤ人虐殺の苦い過去がある。
 この経験によりドイツの国民感情が移民・難民に対し人道的な配慮に傾くのは極く自然のなりゆきであろう。
 方や移民・難民が安い労働力として利用されドイツ経済に貢献してきたこともまた事実である。

 ところが最近になって移民・難民の負の側面がクローズアップされ事態は急速に変化しつつある。
 負の側面の一つは移民・難民によってドイツ国民の職が奪われたり賃金が低下したりすることであり、もう一つは治安の悪化、特に移民・難民にまぎれこんだイスラム教過激派のテロの脅威である。
 この移民・難民の負の側面は今やEU共通の問題となっている。

 EUの盟主ドイツが直面している問題はそのままEUの問題でもある。