2017年11月27日月曜日

デフレの怖さ 3

 小幡氏の円高を容認し政府はなにもしないことこそ成長戦略だというのは一つの見識かもしれないがデフレ礼賛は違う。
 過去の深刻なデフレの悲惨はインフレの比ではない。
 長引くデフレに対し日銀は2%の物価上昇目標を掲げデフレ対策を行ってきた。
 2013年3月以降デフレは貨幣現象という岩田副総裁の見解もあってか日銀執行部は異次元といわれる金融緩和策を継続して実施してきた。
 ところが4年を経過した今なおデフレ脱却とはいい難い。デフレという病に対し金融緩和が想定されていたような効果を発揮していない。

 データがそれを示している。

① 消費者物価指数
詳細データ(エクセルファイル)を開く
② きまって支給する給与(前年比)
   平成27年     +0.2%
   平成28年     +0.2% 
   平成29年1月~8月   +0.3%
            出典 厚生労働省 毎月勤労統計調査

 日本は敗戦後酷いインフレの経験から経済政策はいかにインフレを抑制するかが課題とされてきた。
 政府や日銀は経済成長を掲げる一方インフレを未然に防ぐことを忘れなかった。
 景気過熱と見るや拙速かつ過激な金融引き締めでたびたび景気の腰を折ってきた。
 20年にも及ぶデフレにもかかわらず的確なデフレ対策が行われてこなかったのはこのことが原因の一つになっていたかもしれない。
 これほど長い期間のデフレは戦後はじめての経験であるがこれ以外にわが国は明治以降2度デフレを経験している。松方デフレと昭和恐慌である。
 松方デフレは、1880年代に西南戦争による戦費調達で生じたインフレ解消のための行き過ぎたデフレ誘導財政策の帰結あり、昭和恐慌は1929年のアメリカの大恐慌の影響と第一次世界大戦の戦勝景気のバブル崩壊が重なり対策のために採られた金本位制の緊縮財政が裏目に出た深刻なデフレ不況であった。
 なお海外においては1873年から1896年まで長期にわたる当時の覇権国イギリスを悩ませたデフレがある。

 デフレに陥った原因とその対策に関連してわが国で最も深刻なデフレ不況であった昭和恐慌を生きた事例として現下のデフレ対策のヒントとして探ってみたい。

2017年11月20日月曜日

デフレの怖さ 2

 デフレはインフレの対語である。インフレが強者の敵とすればデフレは弱者の敵である。
 どちらも敵には違いないがハイパーインフレを除けばデフレはインフレより怖い。
 インフレは富裕層に損をさせるがデフレは物価が下がる以上に所得が下がり経済的弱者に損をさせるのでデフレのほうがより一層経済に与えるダメージが大きい。
 かかる見方が一般的であるが反対もある。

 経済政策によって円安とインフレを起こすことは百害あって一利なし。円高・デフレの成熟した社会こそ理想である。こう主張するのは経済学者の小幡績氏である。
 小幡氏は、日本経済が停滞している原因についてこう言う。

 「多くの人が陥っている誤りを正すと次のようになる。
 第一に日本経済は需要不足ではなく、供給力不足である。
 第二に、供給力不足と言っても、単純に移民や女性投入(女性活用という言葉を、輝ける女性に代えたところで、彼らの狙いは労働力の頭数を増やすことに変わりはない)などで労働力増やすことや単に設備投資をすることによっては解決できず、質の高い労働力とニーズに合った実物資本。そして、将来にわたってニーズをつかみ続けるような柔軟な研究開発能力が必要だ。
 第三に、消費を無理に増やすことは、百害あって一利なしである。需要が足りているなかでは、単なる無駄なインフレが起きるだけであり、景気の過熱はロスとなる。
 さらに、消費を増やすということは貯蓄を減らすことであり、貯蓄が減るということは、貯蓄が元になる、つまり貯蓄の裏返しである投資が減るということであり、投資が減るということは、日本経済の将来への生産力、供給力が落ちることである。
 そして、これこそ、日本経済が陥っている成長力不足をさらに深刻化させた原因である。」

 この誤りを正すにはどうしたらいいか。

 「まず、景気対策を止める。公共事業はもちろん止める。歳出削減をさらに進める。社会保障も削減する。
 その代わり、現状の社会保障を維持するなら30%以上とも言われている消費税率の引き上げを15%までに抑える。歳出を削減し、歳入もそれに見合ったものにする。
 小さな政府というよりは、『効率的な政府』を目指す。これが、最大の成長戦略であり、日本の成長力は上がる。
 なぜ成長力が上がるのか? 国債市場を縮小することになるからである。これが成長には重要だ。つまり、過去15年の政府債務の急増によって、民間にあふれる資金が政府部門という成長を生み出さないところに吸収されてしまい、いわばブラックホールに吸い込まれたように、資金が成長にまったく貢献しなくなっていたことが、成長率が低下していた根本原因だからである。
 政府は成長戦略ができない。これは現政権だけでなく、今まで誰もできなかった。政府にはできないのである。だから、資金を民間セクターに取り戻す。これが最大の成長戦略だ」(小幡績著ディスカヴァー携書『円高・デフレが日本を救う』)

 小幡氏はまた、円安は日本経済にマイナスの影響をもたらすという。
 「大企業が輸出で儲け、富裕層が株で儲け、低所得者がガソリン、食料の必需品の値上がりで苦しみ、中小企業の大半が内需企業で、原材料費や光熱費などにおいて円安による輸入品コスト上昇で苦しくなった。しかし、この格差が問題なのではなく、経済全体トータルで損をしていることが問題なのである。」
 そして円高の利点については
 「円の価値を維持し、高める。これにより、世界の資産、財を安く手に入れる。円高を背景に、世界中の企業を賢く買収し、世界に生産拠点、開発拠点、さらには研究拠点のポートフォリオを確立し、それを有機的に統合する。
 すでに大企業ではこれを行っているが、中堅企業を含めて、この大きなグローバルポートフォリオに参加する。」(前掲書)

 デフレを礼賛し、円高を歓迎する。
 日本経済の低迷は、需要不足ではなく供給不足である。かりに需要不足に陥れば市場を世界に求めればいい。そのためには価格競争力がなくてはならない。
 円安はそれにもとる。円安は経済格差が問題ではなく競争力を阻害するから問題なのである。
 小幡氏のこのような主張はグローバル市場経済で生き残りを図る多国籍企業やヘッジファンドのそれと重なる。
 政府の干渉を極力少なくするという新自由主義者のそれに限りなく近い。
 彼の目指す成熟社会はもちろん日本国を意味しているのだろう。だがその成熟社会なるものは意図に反して一部のグローバル企業家を利する社会となろう。
 彼は政府に歳出削減と増税をすすめ成長戦略は民間に任せるという。
 3%から5%、5%から8%へと消費税増税のたびに消費が極端に落ち込んだがこれをさらに15%に増税すればどういうことになるか。
 また国民が消費をひかえ貯蓄すればそれが将来投資として生きその投資が成長を促進する。経済は、個人の総和であるから国民一人ひとりの節約が将来の投資になり経済成長へとつながるという。
 マクロ経済学が教える「合成の誤謬」を地でいくような言葉である。支離滅裂としか言いようがない。
 彼の主張を実行すれば大多数の日本国民は貧困化し塗炭の苦しみを味わうこと請け合いである。

2017年11月13日月曜日

デフレの怖さ 1

 デフレになれば貨幣価値が上がるので人びとは消費から貯蓄へと貨幣選好になる。
 インフレ時は物価が上がるので欲しいものがあればすぐ買いたいと思うが、デフレ時にはその逆で欲しいものがあってもいずれ安く買えるという心理が働く。
 デフレ時には企業は投資しなくなる。投資の原資はたいてい借り入れによっているが1990年代初めのバブル崩壊後企業は借金の返済に苦しんだので安易に借金をしようとしない。
 儲からなければ借金して投資などしないし、儲けるものがなければ借金を返済し設備投資を減らし事業を縮小する。資金に余裕があれば将来に備えてひたすら剰余金を積み増す。企業として極めて合理的な行動である。

 個人は消費しない、企業は投資しない、政府も税収減で緊縮財政政策を採用する。このように個人も企業も政府もデフレから身を守る。
 その結果どういうことになったか。1929年アメリカは大恐慌に襲われた。その影響は日本にもおよび翌年から翌々年にかけて第一次世界大戦による好景気のバブル崩壊と重なり深刻なデフレ不況に陥った。

 ところがデフレになれば物が安く買えるので歓迎だなどという見方もある。デフレが日本を救うという見方さえある。 驚くことにデフレ時にこそ緊縮財政政策でがんばらなければならないと信念をもって主張する人もいる。しかもそれが国内だけではない。
 EUの盟主ドイツのメルケル首相は筋金入りの緊縮財政派であるようだ。
 リーマン・ブラザーズ破綻時に倹約に戻ることをすすめ
 「なぜ窮状になったか理由を知りたければシュヴァーベン地方の主婦(質素倹約で知られる)に聞くがいい」
といった。
 インフレ時にはシェアリングや助け合い精神が生まれるようにデフレ時にも緊縮財政で人心を引き締めるチャンスの効用があるということか。

 デフレ対策は諸説入り乱れ議論が二分している。なにが正しくなにが正しくないのか。賛否それぞれの論拠・妥当性について考えてみたい。

2017年11月6日月曜日

多勢に無勢

 われわれは、はっきりと確信がもてることについては人に何と言われようと平気だが、確信が持てないことについて反対されると動揺する。
 古代ギリシャの哲学者エピクテトスは問うている。

 「われわれは人に頭が痛いでしょうと言われても怒らないのに、われわれが推理を誤っているとか、選択を誤っていると言われると怒るのは、なぜだろうか」 

 これに対するパスカルの答え。

 「われわれは、頭が痛くはないということや、びっこでないということは確信しているが、われわれが真なるものを選んでいるということについては、それと同じ程度の確信は持てない。
 したがって、そのことについての確信は、われわれがそれをわれわれの全力で見ているという以外に根拠がないのであるから、他の人がその全力で正反対のことを見るならば、われわれは宙に迷わされ、困惑させられる。
 まして千人もの人たちがわれわれの選択をあざける場合は、なおさらのことである。
 なぜなら、こうなるとわれわれは、われわれの理性の光のほうを、かくも多くの人たちの光よりも優先しなければならないことになるが、それは大胆で困難なことであるからである。
 びっこに関する感覚については、このような矛盾が決してない。」
(中央公論社『パスカル』パンセ前田陽一/由木康訳)

 政治や経済政策の実証は容易ではない。政策が妥当であったかどうかは結果を見なければ分からずそれには一定の年月を要する。

 結果が出るまではいずれの政策も仮説である。いかに信念に基づく政策であっても反対が多ければそれを説得するのは ”大胆で困難な” ことである。

 いまわが国では消費税増税と緊縮財政が重要案件で国論が二分している。
 メディアによればこれら政策を推進する勢力が多数派であり、これに異をとなえるのは少数派である。ここでいう多数とか少数は人数ではなく力関係である。
 推進派の中心とみられているのは実質的に国の徴税と予算配分の権利を壟断している財務省である。
 平成26年5月に発足した内閣人事局に審議官級以上の人事が一元化されたがいまのところ財務省の権力構図にそれ以前と特段変わった様子はない。
 一方反対派の中心は一部国内のエコノミストとコロンビア大学のノーベル経済学賞受賞者スティグリッツ教授などである。
 反対派は、平成9年の橋本内閣による消費税増税以降失われた20年はこの消費税増税と緊縮財政が主原因であると主張する。
 現に消費税が増税される度に(平成9年3%→5%、平成26年5%→8%税収トータルが落ち込み、持続的な緊縮財政により日銀の異次元金融緩和にもかかわらずデフレの進行に歯止めがかかっていないという。
 だがこの声は多勢に無勢でかき消されてしまっている。

 実証困難とはいえここ20数年の結果から判断すれば反対派の主張に理がある。
 にもかかわらず彼らの主張が通らず政策に反映されていない。このままでは消費税増税と緊縮財政政策により日本経済は縮小均衡化の途を辿るだろう。近い将来事態が深刻化し一時的な巻き戻しがあるにしても遅きに失すればわが国は先進国から脱落するという誰も想像しないようなことが起こるかもしれない。デフレとはそれほど重篤な病である。

「OECD  GDP推移 過去20年」の画像検索結果
                  出典:OECD

 このグラフは過去20年間のわが国とG7のGDP推移である。
 平成26年 日本はG7の6位、OECD諸国35カ国中20位、世界では27位である。
 この傾向が今後も続くと想像すれば誰しも慄然とするだろう。