2017年7月31日月曜日

君子豹変

 自説や持論を変えないことは一貫性があり信頼に足ると概して評価される。
 だがそれが個人の信念や生き方であれば問題ないが政策や学説となれば話は別だ。
 与える影響が前者は当の本人にかぎられるのに対し後者はそれに止まらない。

 ”君子は豹変す”という故事は否定的にもとられることがあるが本来の意味ではない。
 過ちを犯さない人などいない。学者とて例外であるはずがない。
 学者が自説の過ちに気づきその説を変えることはごく自然なことである。
 ましてそのことによって非難されるいわれもない。非難さるべきは過ちに気づきながら自説を変えないことであろう。 
 経済学者の中谷巌氏や浜田宏一氏は自説を変えた勇気ある代表的な学者として記憶に残る。

 中谷巌氏は自身が提言してきた政策について転向したことを雑誌で公表している。
  ①労働市場の流動化、
  ②民営化・自由化による小さな政府
  ③グローバル経済への対応
 以上三点について「日本経済再生への戦略」として提言したが問題点を自己批判的に分析し、結論として
 「私はこの十年、日本社会の劣化を招いた最大の元凶は経済グローバリズムの跋扈にあったと考える。そしてそれを是認し、後押しした責任は、小泉改革に代表される一連の『改革』にある」
と断言し自己批判している。
(2009年3月『文藝春秋3月特別号【竹中平蔵君、僕は間違えた】』から)
 そしてアングロサクソン流の新自由主義、市場原理主義、グローバル資本主義の旗印のもと小泉内閣の聖域なき構造改革が格差社会を助長したと批判している。
(因みに、中谷氏に雑誌の論文で呼びかけられた竹中平蔵氏は、今や「労働市場の流動化」の最先端、人材派遣会社パソナグループの会長である。)

 浜田宏一氏はデフレは貨幣現象であると主張し内閣官房参与の立場でそれを政府に進言してきたがあることをキッカケにあっさりそれを撤回した。
2016/11/15日本経済新聞社のインタビューに答えて曰く。

 「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない」
 「(著名投資家の)ジョージ・ソロス氏の番頭格の人からクリストファー・シムズ米プリンストン大教授が8月のジャクソンホール会議で発表した論文を紹介され、目からウロコが落ちた。
 金利がゼロに近くては量的緩和は効かなくなるし、マイナス金利を深掘りすると金融機関のバランスシートを損ねる。 今後は減税も含めた財政の拡大が必要だ。もちろん、ただ歳出を増やすのではなく何に使うかは考えないといけない」

 学者らしいスッキリした話だ。間違っていたと自覚してもそれを認めない、悪しき官僚の「無謬性の原則」を地でいくような学者に比べれば浜田教授の勇気ある発言は一服の清涼剤である。

 過ちては改むるにはばかることなかれ。間違っても正さなければそれは不作為の罪である以上に失策である。

2017年7月24日月曜日

通貨発行益 3

 量的金融緩和の縮小(テーパリング)の行く先には、日銀の債務超過が待っている。
 金融緩和の出口政策では国債など保有資産のキャピタル・ロスが発生する。さらに中央銀行預金のうち法的に義務付けられた法定準備預金額を超える部分が超過準備であり、それに対して中央銀行が支払う利子が付利と呼ばれ、これがテーパリング時には高くなり、結果として付利が国債の利子(通貨発行益)を上回わる。
 これらの要因により日銀の剰余金がマイナスになり債務超過に陥るというのである。
 債務超過になっても中央銀行である日銀は自ら債務を創造できるため資金繰りに支障を来たす訳ではないが通貨の番人に対する信認が問われることになる。
 日銀がテーパリングによる保有資産のキャピタル・ロスと付利上昇などで債務超過に陥ったとしてもそれは一時的となる可能性が高い。
 インフレ率が日銀が目指す2%を安定的に超える状況では日銀が保有する資産から得られる収益は、日銀の負債である当座預金の付利を必ず上回るからである。
 しかも日銀の負債のうち付利は当座預金に対してのみで銀行券にはつかない。
 当座預金対応の日銀資産は貸出され利子を得ている。金利は、中央銀行当座預金 → 短期市場金利 → 中央銀行貸出金利と順に高くなっている。
 このように中央銀行当座預金の付利は下限であるから金利収支上日銀が恒常的にマイナスになることはない。
 テーパリング時のキャピタル・ロスや付利上昇などによる一時的な債務超過であれば放置してもかまわないだろうが政府による増資も考えられる。 親会社の関係にある政府が増資すれば日銀のバランスシートは健全となる。
 問題になるとすれば政府の増資で日銀のバランスシートが拡大(国債や債権など保有資産増)し、市場や国民の信認が損なわれはしないかということである。
 急激な長期金利の上昇、インフレ、円安を招かないかということである。
 出口政策については、通貨安、高インフレなどの懸念があり今となっては量的緩和解除は早ければ早いほどよいという。これに関連しては過去の出口政策の結果が参考となる。

 2016年7月15日公開された2006年1~6月金融政策決定会合議事録によれば、政府は「緩やかなデフレが続いている」(安倍晋三官房長官)とけん制したが、福井日銀総裁は動じず5年間継続した量的緩和政策の解除を強行した。
 結果的にはその後日本経済が長期のデフレに沈む原因となったように、その後の推移から時期尚早な量的緩和解除であったことが明らかで政策の失敗であった。
 福井総裁の量的緩和の巻き返しは短期的かつ急激であったにもかかわらず、テーパリングは円滑に実施され金融市場は平静を保たれ実務的に問題が発生したという記録はない。

 この事例をみる限り出口政策についての混乱を強調する議論に与することはできない。
 こと金融・財政政策については自分の出身母体に拘束されたかのような発言が多い。その姿は自分の信念を曲げ権力におもねる御用学者のようにも映る。
 しかも結果が出ても詳細に検証されることがない。消費税率アップの議論などその典型である。国民のリテラシーが特に望まれる分野である。
 通貨の信認とは何か。それは通貨価値が維持されることであり通貨供給の調整は中央銀行の主たる任務の一つである。
 通貨が適切に管理・維持されるために中央銀行のバランスシートが制約を受けることはない。
 金融政策の本来の目的は物価や雇用といったマクロ経済の安定化であって、中央銀行の財務の健全化ではないはずである。

2017年7月17日月曜日

通貨発行益 2

 通貨発行益に関連する政策を考えるにあたり、まず通貨発行益の源泉となる貨幣発行の規模を把握しておかなければならない。
 平成28年の紙幣製造は14.87兆円(財務大臣が定めた平成28年日銀券の製造枚数による)、硬貨製造は0.16兆円(平成28年造幣局の年銘別貨幣製造枚数データによる)である。
 紙幣が貨幣全体の99%を占めているのに対し硬貨は全体の1%にすぎない。
 硬貨はたとえ製造原価との差額がただちに通貨発行益になるとしても全体に与える影響は限られる。したがって通貨発行益に関しては主に紙幣がその対象となる。
 通貨発行益に関連して、特に日銀による市中からの国債買いオペレーションについては最近特に否定的な論調が目立つ。通貨発行益そのものに懐疑的な見方をしている
 野口悠紀雄氏は、通貨発行益があるのだから貨幣は増発すればするほど政府の利益になるはずとの意見に真っ向から反論している。

 「日銀は、実際には、当座預金を増やすことによって国債を購入している。そして、超過準備に対しては、これまで金利がつけられてきた(日銀当座預金の残高は、17年4月末現在で約356兆円だが、法定準備預金は約19兆円だ。残りの337兆円が超過準備だ)。
 したがって、国債利子収入をうるためのコストはゼロではない。このコストを差し引いたものをシニョリッジと考えるべきだろう。
 ただし、これまでは付利するといっても0・1%であったので、国債の利回りよりも低かった。しかも、当座預金残高もさほど大きくなかった。
 このため、利払い費の総額はわずかだった。12年度においては、315億円だった。
 しかし、異次元緩和によって当座預金残高が増えたので、それに伴い、利払いも、13年度836億円、14年度1513億円、15年度2216億円と増えた。
 マイナス金利政策で減ったが、16年度で1873億円と、まだ大きい。
 ところが、金融緩和政策から脱却すると、先に述べたように、プラスの付利を復活させる必要がある。
 2%という日銀のインフレ目標が達成されたとすると、付利と国債利回りは逆ザヤになり、シニョリッジはマイナスになってしまうのだ。
 予想される損失は、日銀の自己資本(=引当金勘定+資本金+準備金)約7・6兆円をはるかに上回っている。したがって、日銀は、数十兆円の規模の債務超過に陥る。
 そうなると、日銀は政府への納付金を停止する。日銀納付金は税と同じようなものだから、これがゼロになるというのは、国民負担の増大だ。それにとどまらず、資本注入が必要になるかもしれない。
 しかし、これには強い反対があるだろう。また、中央銀行が債務超過になった事例はないので、どうしたらよいのかの目安もない。」(現代ビジネス2017.6.28野口悠紀雄氏寄稿『異次元緩和の先に、日銀が【巨額債務超過】に陥る可能性』から)


 野口氏はいますぐ金融緩和から脱却しなければ日銀が政府への納付金を納められず、あまつさえ債務超過になり資本注入が必要になるかもしれないと言っている。
 日銀法では、日銀が債務超過に陥った場合の規定がない。債務超過が想定されていない。

 この問題の論点は二つ。
政府と日銀の関係および日銀の債務超過。
 政府と日銀の関係は、親会社・子会社の関係にあることは既に述べた。親会社・子会社の関係であればバランスシートも一体となる。
 日銀の独立性は金融政策の独立性であって財務的に独立性があるわけではない。現に硬貨の発行益や国債の利子収入は政府へ上納されている。
 これとは逆に、仮に日銀が【巨額債務超過】に陥り資本注入が必要となれば政府による救済が考えられる。
 具体的には政府が増資して日銀の債務超過を解消する。親会社・子会社の関係で債務超過を補填する。
 政府による中央銀行の債務超過補填については見解が分かれる。これを問題視する意見と何ら問題ではないという見方である。
 通貨発行益に関連する政策は日銀債務超過問題に見られるように最終的には政府の財政と関係している。

2017年7月10日月曜日

通貨発行益 1

 政府と日銀は貨幣を発行する権限を有している。政府は硬貨という貨幣を、日銀は紙幣という貨幣を発行する権限である。
 発行するための製造原価は国民の貨幣に対する信任の維持および偽造を助長する恐れがあるため公表されていない。次表は貨幣の製造原価の推定値である。
 紙幣は財務省印刷局から日銀への引渡し価格(平成12年度特別会計ベース)、硬貨はキャッシング・クレジット情報局の「お金の原価」から。
1円玉→       3円      1,000円札→ 14.5円
5円玉→       7円      2,000円札→ 16.2円
10円玉→   10円        5,000円札→ 20.7円
50円玉→   20円       10,000円札→ 22.2円
100円玉→ 25円
500円玉→ 30円

 貨幣は低額の硬貨を除けば安い原価で製造されていることが分かる。
 このように硬貨も紙幣も発行額と原価に差額があるがバランスシート上両者の取り扱い方は異なる。
 まず硬貨は政府の要請により造幣局で製造される。製造された硬貨はただちに日銀に交付され貨幣として流通する。
 この交付により政府のバランスシートには硬貨の交付額が政府預金として資産に計上されるが負債には計上されない。
 相対する日銀のバランスシートには同額の硬貨が資産に計上され、負債には政府預金として計上される。
 政府のバランスシートには資産にのみ計上されるため製造原価と発行額の差額が通貨発行益(シニョリッジ)となる。 この通貨発行益は一般会計に繰り入れられる。
 次に紙幣にも通貨発行益はあるが、その意味は硬貨のそれとは異なる。
 紙幣は日銀の要請により印刷局で印刷される。印刷された時点では単なる紙片にすぎない。この紙片は日銀が市中銀行から国債などを購入してはじめて貨幣となり流通する。
 国債購入の結果は、日銀バランスシートには国債が資産に、日銀当座預金が負債にそれぞれ計上される。
 相対する市中銀行のバランスシートには売却した国債にかわり日銀当座預金が資産に計上される。
 具体的には市中銀行に紙幣が振り込まれるのではなく日銀当座預金に売却した国債の額に対応した数字が追加されるだけである。数字が追加されればいつでも市中銀行は日銀当座預金から引き出すことができる。
 それゆえこの数字が追加された時点で単なる紙切れが紙幣として流通することになる。
 日銀のバランスシートの資産勘定の国債には付利されるが、負債勘定の日銀当座預金には付利されない。
 この国債に付利されるという意味において紙幣発行にも通貨発行益があるということになる。
 紙幣は原価がいくら安くともバランスシートの資産と負債に同額が計上されるのでそのままでは通貨発行益とはならないが、硬貨は交付されれば日銀の資産に計上されるだけで負債には計上されないので発行価格と製造原価の差額がそのまま通貨発行益となる。

 ところで貨幣は製造されただけでは単なる金属片や紙切れにすぎないが、主に政府が発行した国債などを日銀が市中銀行から購入した結果日銀のバランスシートの負債勘定に日銀当座預金として日銀券が計上されてはじめて貨幣となる。ここで改めて政府と日銀の関係を確認しておこう。
 まず日銀法第八条で資本金は1億円とし、このうち政府の出資額は5千5百万円を下回ってはならないと規定されている。
 次に同法二十三条の役員の任命については、総裁、副総裁、審議委員、監事は内閣が、理事及び参与は財務大臣がそれぞれ予め決められた手続きに基づき任命すると規定されている。
 さらに同法五十一条の経費の予算については、事業年度開始前に、財務大臣に提出して認可を受けなければならないと定められている。
 このように資本の過半と人事権および予算認可権が政府にあり、政府と日銀の関係は親会社・子会社の関係といえる。
 貨幣発行・通貨発行益につながる国債発行および日銀による国債やETFの市中買い入れには賛否両論がありしばしば議論の対象となる。
 通貨発行益に関連する政策はデフレーションやインフレーションに係わり景気にも影響するので当然といえば当然である。

 硬貨と紙幣の概念および政府と日銀の関係をしっかり腑に落とし込み、通貨発行益に関連する政策について考えてみたい。

2017年7月3日月曜日

選挙のお国柄

 イギリスの選挙の予想は難しい。古くは第二次世界大戦で対ドイツ戦で勝利したイギリスのウインストン・チャーチルが1945年7月の選挙で敗れ野党に転落した。
 戦争の英雄は平和時には不要であると冷徹に審判したイギリス人ならではの感覚であろう。
 最近は先月、EUとの離脱交渉に備えて政権基盤の強化を狙って2020年予定の下院選挙を前倒し実施して大勝するかと思われたメイ首相率いる保守党が敗北した。片や労働党議員の一部から求心力不足だと指摘されていたコービン党首が活躍した。
 メイ首相率いる保守党の財政緊縮策に対しコービン党首率いる労働党は緊縮財政策の撤廃を要求していた。
 イギリス国民は保守党が提案した国民投票でブレクジットを選択したが、同じ保守党が公約に掲げた財政緊縮策を拒否した。
 日本流にいえば是々非々だ。いかにもイギリス人らしい。

 一方、日本の選挙では時ならぬ風が吹き荒れることが多い。
 この風によって小泉チルドレン、小沢ガールズ、そして昨日の小池チルドレンなど大量の新人議員を輩出してきた。
 日本では有権者が風に流されやすいことを熟知している政治家が勝利してきた。
 郵政民営化を問う選挙ではたとえ殺されてもいいと開き直ったり、都政のため自ら身を切る改革が必要と宣言して給与を半減するなどパーフォーマンスに長けた政治家が選挙で圧勝した。いつも見慣れた光景である。

 英国の選挙を政策優先の優等生の選挙にたとえれば、日本の選挙はアイドルの総選挙といったところか。
 日本の選挙は候補者が声を張り上げ連呼する。中身はスローガン、スキャンダルの暴き合い、中傷合戦など。品のよさではアイドルの選挙がはるかに上をいっている。
 イギリス流の政策中心の選挙は議会制民主主義の発祥の国にふさわしく仰ぎ見るものがある。だが万事イギリス流がいいというわけでもない。
 こじんまりまとまり汚職を排し、利権を排した優等生選挙。優等生であるがゆえに無駄なく効率的ではあるがそこには政治でもっとも要求される活力に乏しい。
 日本の選挙を見ていると喧騒と軋轢と無駄、建設と破壊が同時進行する大都会のダイナミズムがある。そこから何かが生まれるかもしれないという期待感がある。
 政治家に要求されるのは政策とその実行力。有権者は清廉潔白であることだけを求めていない。
 ただしそこに政治に要求される公私、是非の調整機能が欠けていては混乱は混乱でしかなくそこから何も生まれない。