2015年3月30日月曜日

操縦士による意図的墜落

 飛行機に乗って時速700キロのスピードで山腹に激突し瞬時に死を迎える。もし誰にも迷惑をかけずこのような自殺の方法があるとすれば自殺志願者が殺到することうけあいである。

 3月24日ジャーマンウィングスの墜落機から回収されたボイスレコーダの記録によると、アンドレアス・ルビッツ副操縦士は人為的に飛行機を墜落させ乗客乗員150人を巻添えにした可能性が強いという。

 アンドレアス・ルビッツ副操縦士は、人に迷惑をかけないどころかこれ以上の迷惑はない程の迷惑をかけたことになる。
 遺族にすれば彼をいくら恨んでも恨み足りない想いであろう。

 彼が元交際相手の女性に 「いつか全てを変えてみせる。僕の名前を誰もが知ることになる」(独大衆紙ビルド) と語ったとされる。
 彼は自分のことだけに関心があり、自分以外の他者は彼の脳裏から消え去っていたに違いない。

 英BBCは、副操縦士は数年前に墜落現場付近の上空をグライダーで飛んだ経験があると報じた。
 仏メディアによると副操縦士は子供の頃、家族とアルプスで休暇を過ごしていたとされ、現場周辺に土地勘があり、特別な思い入れを抱いていた可能性があるという。

 彼は自分の自殺の場所と自殺の方法について、咄嗟の判断なのか否かは不明だが、いずれにしても他の要素を一切考慮することなく自分本位で選択したことになる。

 人による意図的な事故ほどやりきれないものはない。被害者とその遺族の救いようのない絶望感は察するに余りある。


 だが残念ながらいかに文明が発達してもこの手の人為的、意図的事件はなくなることはないだろう。
 このことは何も飛行機事故に限らずおよそ人間がかかわり合うすべてのことにいえる。

 空恐ろしいことであるが現実は受け入れるほかない。れれわれにできることといえばそのような悲劇の芽を可能なかぎり摘むことである。

2015年3月23日月曜日

ベトナムの英雄

 先々週ベトナムを旅行しました。今回で3度目のベトナム旅行となります。
 絶好の春日和を想像していましたが、連日予想外の霧雨で肌寒い想いをしました
 相変わらず街を走るバイクの多さに圧倒されますが、訪れるたびに少しずつではあるが自動車の割合が多くなっているように思います。
 今回はベトナムの英雄といわれる人達の印象が強く残る旅でした。

 日本で最も有名なベトナム人といえばホー・チ・ミンでしょう。ホーチミン廟には故人の遺志に反し遺体が安置されています。
 遺体の直近の四方を常時衛兵が守っています。ベトナムの人々が如何にホー・チ・ミンを敬愛しているかが分かります。
 共産党指導者は権力掌握後スターリン、毛沢東、ポルポトなどのように反対派を粛清する例が多いですが彼はそんなものには無縁でした。
 彼はまた汚職とか腐敗にも無縁で高潔であったといわれています。
 彼が晩年ハノイで過ごした邸宅を見ましたが二階建ての簡素なものです。

 古都ホアルーはハノイから南へ約100kバスで2時間強のところです。
 この地は古都というには規模が小さいがベトナムの歴史には重要な位置を占めています。
 ベトナムの歴史を一言でいえば支配に抗する歴史と言ってもいいでしょう。
中国、モンゴル、フランス、アメリカと支配者は変わったが常に大国に抗する歴史でありました。
 なかでも特筆すべき出来事は10世紀半ばの中国支配からの脱却でしょう。
 中国による支配は10世紀半ばまで千年の永きにわたり続きました。
 10世紀半ば英雄ゴ・クェンは千年続いた中国支配をついに打破しベトナム最初の独立王朝を築きました。
 ゴ・クエンの死後ベトナムは群雄割拠の時代を経て12人の族長のうちの一人の部下であったディン・ポ・リンが頭角を現し不安定な国内を統一しました。彼は独立を確かなものとし首都をホアルーに定めました。
 ベトナムの王朝はいつの時代も内紛が絶えずディン・ポ・リン王朝も例外ではありません。
 皇帝ディン・ポ・リンは長子リエンを差し置いて弟のハンランを後継者にし、末弟のディントゥエを衛王にします。
 長子リエンはこれに不満をもち弟のハンランを殺害してしまいます。

 ここからガイドさんの説明になりますが、廷臣で侍衛のド・ティエックは、ある日自分がベトナムの皇帝になるという ”星のお告げ” を受け早速これを実行に移します。
 皇帝ディン・ポ・リンと長子リエンが泥酔している時をみはからって二人とも殺害してしまいます。

 このガイドさんの説明を聞いてシェークスピアのマクベスを連想しました。ただ暗殺者ド・ティエックは早くも三日後に殺されてしまいます。

 ベトナムの王朝にはドラマになる素材が豊富なようで、いつの日かこれを採り上げる作家が現れ名作が生まれるかもしれません。

2015年3月16日月曜日

苛立つイスラム 7

 我々はおおにして目の前のことに心を奪われこの現実がずっと以前からそうであり、また将来とも永続するかのごとく錯覚に陥ってしまう。
 中世の社会を支配したのはイスラム社会であり当時西欧キリスト教社会はほんの辺境の蛮族に過ぎず経済、文化、軍事などすべてにわたりイスラム社会が圧倒していたなどといっても俄かに信じがたい。
 だがそれが事実であることは歴史が証明するところである。
 イスラム教は唯一絶対なる神アッラーのもとに人間はすべて平等でありアッラーの教えを守れば楽園に入れる、そうでなければ地獄行きというように分かり易く魅力に満ちた宗教である。
 それ故強制しなくても瞬く間に世界に拡散した。
 イスラム教がムスリムに求めている六信のうちの一つ『定命』はこの世のことはすべてアッラーの思し召し次第で人間の自由意志はない。すべてアッラーが決め給う。キリスト教の予定説と全く同じ。
 ところが、コーランではいたるところに善行を積め、さもなくば地獄へ行くぞ、と諭している。善行を積めば楽園へいけるとも。
 すべてアッラーが決め給うといいながら、片や善行を積めと。矛盾しているように見えるが現世と来世を区分すればこの矛盾は解ける。
 現世ではなにをしようとアッラーが決め給う運命から逃れられないが、来世では現世でアッラーの教えを守れば楽園へいけるし、守らなければ地獄行きとなる。仏教の因果応報と全く同じ。
 このようにキリスト教の予定説のみとは異なりイスラム教は、現世は予定説、来世は因果律という二面で構成されている。
 さらにイスラム教がキリスト教と決定的に異なるのは外面と内面である。
 キリスト教は内面のみを重視するのに対しイスラム教は内面も外面も重視する。
 外面にとらわれないキリスト教徒は近代化を成し遂げたが、内面外面一体化のイスラム教徒は近代化から取り残された。
 その結果が今日の事態を招いている。
 イスラム教徒が近代化から取り残されるのはその教義からして宿命的なものである。
 イスラム教は近代化を悪とは見ていないまでもそれを積極的に取り入れることはしない。取り入れればそれは教義に悖ることになるからである。
 イスラム社会が近代化を成し遂げるにはイスラム法が障碍となる。イスラム法より近代法を優先すればイスラム社会を否定することになる。イスラム社会は内面のみというわけにはいかない。
 従ってイスラム社会の近代化はイスラム法という枠の範囲内での近代化ということになる。それでは西欧社会の近代化に並ぶことはできない。
 かってギリシャ、ローマ文明を継承して中世の覇者となり、その文明を西欧キリスト教社会に伝承したイスラム社会がいまやその立場が逆転してしまった。
 文明の逆転に止まらず異教徒の禁断の地メッカを擁するサウジアラビアにアメリカ軍が駐留するにいたってイスラム教徒の苛立ちは極点に達し、9・11同時多発テロの悲劇へとつながった。
 次のコーランの一節はイスラム社会と西欧社会の和解が容易でないことを示している。

 「汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道において(『聖戦』すなわち宗教のための戦いの道において)堂々とこれを迎え撃つがよい。
 だがこちらから不義をし掛けてはならぬぞ。アッラーは不義なす者どもをお好きにならぬ。
 そのような者と出くわしたらどこでも戦え。そして彼らが汝らを追い出した場所から(今度は)こちらで向こうを追い出してしまえ。
 もともと(彼らの引き起こした信仰上の)騒擾は殺人よりもっと悪質であったのだ。
 だが(メッカの)聖殿の近くでは、向こうからそこで戦いをし掛けてこないかぎり決してこちらから戦いかけてはならぬ。向うからお前たちにしかけて来た時は、構わんから殺してしまえ。信仰なき者どもにはそれが相応の報いというもの。
 しかし向うが止めたら(汝らも手を引け)。まことにアッラーは寛大で情深くおわします。
 騒擾がすっかりなくなる時まで、宗教が全くアッラーの(宗教)ただ一条になる時まで、彼らを相手に戦い抜け。しかしもし向うが止めたなら、(汝らも)害意を棄てねばならぬぞ、悪心抜きがたき者どもだけは別として。」
(コーラン第2章186~189節)

 イスラム社会が近代化するためにはイスラム教を棄てる他ないがそれは自らを否定することになる。近代化の遅れからかっての蛮族西欧キリスト教社会によって植民地化され虐げられた。
 イスラム社会はこの矛盾、苛立ちに悩まされている。
 キリスト教はマルチン・ルターが現れ宗教改革を成し遂げたがイスラム教はその教義から改革者の出現を望むべくもない。
 イスラムがかっての栄光をこの地上で取り戻すのはいつの日か。

2015年3月8日日曜日

苛立つイスラム 6

 日本人は宗教に無関心の人が多い。どの宗教であれ熱心な信者を見ると一種哀れみの目線でみる。決して好意的ではない。
 宗教を信じていますかと聞けば、たいていの日本人は ”私は無宗教です” と誇らしげに答える。
 ところが中東ではイスラム教徒にしろ、キリスト教徒にしろ、ユダヤ教徒にしろ神の律法を受けることによりはじめて人間となると考える。
 彼らにとって無宗教とは人間ではないと宣言するに等しい。この隔たりは想像を絶する。
 また日本人の宗教意識とは裏腹に近代化のために宗教が果たした役割は大きい。宗教なくして近代化は達成されなかったといっても過言ではない。
 マックス・ウェーバーは彼の論文『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でそのことを論証した。
 同一のルーツでありながらキリスト教とイスラム教は全く違った道を辿った。マックス・ウェーバーが晩年に著わした『社会学の根本概念』によってその違いを知ることが出来る。その著作で彼は人々の行為の動機を分析している。

 「すべての行為と同じように、社会的行為も、次の四つの種類に区別することが出来る。

① 目的合理的行為。 
 これは、外界の事物の行動および他の人間の行動について或る予想を持ち、この予想を、結果として合理的に追求され考慮される自分の目的のために条件や手段として利用するような行為である。

② 価値合理的行為。
  これは、或る行動の独自の絶対的価値 - 倫理的、美的、宗教的、その他の - そのものへの、結果を度外視した、意識的な信仰による行為である。

③ 感情的、特にエモーショナルな行為。
  これは直接の感情や気分による行為である。

④ 伝統的行為。 
 身に着いた習慣による行為である。」
(マックス・ウエーバー著清水幾太郎訳岩波文庫『社会学の根本概念』)

 目的合理的行為は近代化に不可欠である。キリスト教ピューリタンは神に救済されるという確証を得んがため隣人愛を実践した。よりよい隣人愛を実践するために目的合理的に行為した。
 それではイスラム教の教えは上記社会的行為のどれにあたるか。
 コーランではムスリムに六信五行を義務づけている。外面的にも内面的にも宗教戒律に拘束される。
 そこには目的合理的行為を採りいれる余地はない。
 たとえばラマダンの期間には陽が沈むまで水さえ飲むことができない。これでは日中の活動に支障を来たす。

 「純粋価値合理的に行為する人間というのは、予想される結果を無視し、義務、体面、美、教義、信頼、何によらず、自分に命ぜられているものの意義を信じるがために行為する人間である。」
(前掲書)

 イスラム教の教えは明らかにこの価値合理的行為に分類される。
 近代化のためには目的合理的行為が求められるのであるから、イスラム教の教えは近代化に悖ることになる。
 中世を制したイスラム社会が近代化に遅れをとったのは必然の結果であった。
 だが近代化に背をむけるイスラム教の教えを背負ったイスラム社会にとって、近代化は来世の救いには何ら関係するところがない。
 現世での近代化の遅れなど宿命でありアッラーの思し召しである。

 「現世の生命、ほんの遊びごと。ただ束の間のたわむれにすぎぬ。
 終の住処(来世)の方が、神を懼れる人々にとっては、どれほど有難いことか。これ、汝ら、これくらいのことがわからないのか。」
(コーラン第6章32節)

 宗教恐るべし。 近代化を成し遂げたキリスト教社会、近代化を拒むイスラム社会。この隔たりも想像を絶する。
 近代化を拒むイスラム社会に対し、その他の世界はどう対峙するのか、またイスラム社会はこれにどう応えるのか。

2015年3月2日月曜日

苛立つイスラム 5

 「ムハンマド(マホメット)はお前たちの誰の父親でもない。もともとアッラーの使徒であり、預言者の打留であるにすぎぬ。
 まことに、アッラーは全知におわします。」
(コーラン第33章40節)

 このコーランの一節は、預言者を封印しただけでなくイスラム社会の近代化をも封印してしまった。
 預言者の打留とは、モーゼ、イエスと預言者が出現してきたがムハンマドが最後の預言者でありこれ以降預言者は出現しないということになる。
 アッラーは、啓典宗教の預言者である、モーゼ、イエスに対し啓示を与えた。そしてムハンマドに対しては先行した預言者に言い残したことを含めてすべての啓示を与えた。
 この意味でムハンマドが最後で最高の預言者ということになる。

 これがイスラム社会に与えた影響について小室直樹博士は次のように述べている。

 「ここで誰もが抱く疑問がある。なにゆえにそれほど精緻であったイスラム教が近代国家を作れず、矛盾に満ちたキリスト教が近代の覇者たりえたのか。
 これはまさに、その宗教体系ゆえに起きた。
 答えから先にいえば、近代国家を形成するにあたり、イスラム教には決定的な弱点があった。それは、マホメットが最後の預言者であったことである。
 したがって、新しい預言者がでてきて、マホメットが決めたことを改定するわけにはいかない。
 つまり、神との契約の更改・新約はありえない。未決事項の細目補充は可能だが、変更は不可能。
 このような教義から、イスラムにおいては、法は発見すべきものとなり、新しい立法という考えは出にくくなった。
 必然的に中世の特徴である伝統主義が形成され、そこを脱却できる論拠を持ちえなかった。これが、イスラムが近代を作れなかった最大の理由である。」
(小室直樹著徳間書店『日本人のための宗教言論』)

 ギリシャ、ローマ文明を受け継ぎ、経済、文化、科学、軍事において世界の覇者であったイスラム社会は近世になってその歩みを止めたにも等しいことになった。
 ルネッサンス以降の西欧キリスト教社会の歩みがそれほど速かったからである。
 イスラム社会は望んで近代化を拒み背を向けるわけではない。近代文明がもたらす豊かな生活を望むのはイスラム社会とて同じであろう。だが、イスラム法がそれを許さない。
 積極的に近代化に走れば走るほど、それはイスラムの教えに遠ざかることになる。イスラム社会の苛立ちでといってもいい。
 その反動は必ずおこる。イスラム社会がイスラムであるためにおこるべくしておこる反動である。
 1972年のイラン革命はその典型であろう。亡命先のパリから帰国したイスラム法学者ホメイニ師の凱旋は我々の記憶に新しい。
 イスラムの教えと近代化 - この矛盾についてイスラム社会はどう対峙するのか、そしてイスラム社会の行く末は。 宗教社会学が教えるところにより予測してみよう。