2017年3月27日月曜日

近くて遠い国 1

 韓国は今、朴大統領の罷免、サムソングループ副会長の逮捕、米軍の高高度防衛ミサイル(THAAD)の韓国配備に伴う中国の圧力などにより、米国の景気回復に伴って世界景気が回復基調にあるなか韓国だけが「一人負け」状態となっている。
 失業率は年々悪くなり若者(15~29歳)の失業率は悲惨だ。今年度は全体の失業率も5%を超えるとの予測もある。


ハンギョレ新聞社
 韓国では、非労働力人口および自営業者の割合が高いため失業率が低い数字となって表われる。大学卒業者の就職率は50%で、そのうち正規と非正規が半々とまともに就職できるのは10人中2.5人にすぎない。雇用の実態は公表数字とはかけ離れている。
 因みに最も高かったアジア通貨危機時でも全体の失業率は7%にすぎなかった。
 5月に予定されている次期大統領選挙では極左政権誕生が確実視されている。
 韓国経済は近いうち、アジア通貨危機でIMF管理下に入った1997年以来の停滞に陥るのは確実であるという識者もいる。 
 こんな中でも反日だけは健在だ。次期大統領候補は何れも反日を掲げ国民の歓心を買うのに余念がない。
 一方日本側も、釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたのを受け駐韓国日本大使を引き上げた。
 帰国後、既に2ヶ月以上経過したが復帰の目処さえたっていない。異常事態というほかない。
 日韓がいつまでも”近くて遠い国”のままでは両国にとって決して望ましくないことはたしかだ。
 インドとパキスタン、イギリスとアイルランドのように仲が悪いところもあればアメリカとカナダのように友好的なところもある。日韓の仲の悪さは隣国同士からは説明できない。
 また過去に宗主国と植民地の関係であったからその恨みがあるのだというのもあてはまらない。
 宗主国であった西欧諸国が旧植民地と文化・言語などで深い絆で結ばれこそすれ旧植民地から恨みを抱かれているとは聞いたことがない。
 なぜ日韓関係がこれほどこじれギクシャクした関係になってしまったのか。
 ”近くて遠い国”を”近くて近い国”にするにはどうしたらいいのか。
 もっとも、しばらく”近くて遠い国”のままでいいという意見もある。
 釜山の慰安婦像設置問題に関連し自民党二階俊博幹事長は発言した。
 「韓国は隣の国で、長い歴史がある。大事な国であることに違いないが、色んなことを話し合うには、なかなか面倒な国だ・・・・しばらく放っておいたらどうか。」
 二階氏のこの発言は生ぬるくてもっと手厳しいものもある。
ジャーナリストの室谷克実氏は言う。
「韓国とはあえて付き合わないのが日本の国益に叶う」

 昨秋、筆者が韓国旅行した時のエピソードを一つ。
 中年の韓国女性ガイドさんは言葉のはしばしから親日的であることがうかがえた。
 ”韓国の現状は、日本より20~30年遅れているが、常に日本をお手本・目標にしている”と解説してくれた。
 が、話が慰安婦の問題になると頑なに日本が謝らないから問題が解決しないとまくし立てた。

 韓国の反日は国是だからそれを変えさせようというのはムダな努力だという人もいる。韓国の現状をみればそういう結論になるのだろう。
 法治よりも人治。司法さえ世論に迎合し、かつそのことを公言してはばからない。民主主義国では衆愚政治は恥ずべきこととして警戒されるが、この国では司法、立法、行政そろいぶみで”ローソクデモ”に加担する。
 保守・革新問わず日韓の最終的・不可逆的取り決めである慰安婦合意を平然として見直すと主張する。
 韓国には、経済破綻と極左政権誕生というかってない混乱が待ち受けている。
 互いに他処へ引っ越すことはできない。この隣人とどう付き合ったらいいか。
 日韓交流の歴史と社会構造の違いからアプローチして見よう。

2017年3月20日月曜日

森友学園問題

 国有地の払い下げで明るみになった森友学園問題、この官有物不当廉売は”明治14年の政変”の原因の一つともなった古くて新しい問題である。
 経緯を見れば不自然であることは一目瞭然である。
① 平成27年5月近畿財務局と森友学園が10年間の定期借地契約を締結。
  (広さ8770㎡の土地を227万5千円/月)
② 平成28年4月大阪航空局は森友学園が負担した土地汚染廃棄物の除去費用を支払う。
  (支払額 1億3176万円)
③ 平成28年4月大阪航空局から近畿財務局へ地下埋設物等撤去費用等見積を提出。 
  (見積額 8億2200万円)
④ 平成28年5月不動産鑑定士評価書を提出。
  (鑑定評価額 9億5600万円)
⑤ 平成28年6月国有地を近畿財務局と森友学園が売買・所有権移転の買戻特約付随意契約を締結。
  (契約金額 1億3400万円)

 上記②~⑤から森友学園は9億5600万円の国有地を実質224万円で購入したことになる。タダ同然と言っていい。
 国会でこの経緯を糾されて政治家も官僚も違法性はなかったと堂々と述べている。
 しかも情報公開法に反することなく交渉経過の資料は廃棄したという。
 だれも不正は働いていないのに国有財産がタダ同然で売却された事実だけが残った。(もっとも森友学園側の小学校設立申請取り消しで土地は返還される予定だが)
 この取引で利益を得たかもしれない当事者は森友学園だけである。
 政治家も官僚も目に見える利益を得ていない。が、目に見える利益がないからといって利益がないわけではない。
 否、それ以上の利益があるからこそ官僚機構をあげて森友学園を応援した結果があの土地売買契約であると考えるのが自然だ。
 この取引は森友学園の働きかけにより政治家と官僚が阿吽の呼吸で森友学園を優遇した。これ以外には考えられない。 だがいくら追求してもその証拠・事実は突き止められないかもしれない。事実を突き止めるには障壁が多すぎ明らかな官僚の法令違反も見当たらないからである。まして誰が指示したかなど分かる筈もない。
 一昔前の学生寮の悪しき伝統。灯りを消した暗い部屋で、理由もなく生意気だからといって新入寮生をなぐった上級生たちのうち誰が犯人かを突き止めるのと同じように難しい。
 本件は財務省の裁量が際立つ。9億5600万円の国有財産を224万円で売却するなどという裁量行政は異常だ。
 国民をなめてかかっているといわれても弁解の余地もあるまい。官僚が国民をなめているのは日本と同じく一昔前のドイツでも同じであったらしい。

 1904年アメリカを旅行したドイツの社会学者マックス・ヴェーバーはアメリカの労働者に質問した。

 「自分たちであんなに公然と軽蔑している政治家たちに、どうしてあなた方は統治されているのか。
 アメリカの労働者にこう尋ねると、15年前(1904年)までは、次のような答えが返ってきた。
 『あんた方のお国のように、こっちをなめてかかったお偉い官員さまよりも、こっちでなめてかかれる連中を役人衆にしとく方がこっちも気が楽なのさ』
 これがかってのアメリカ『民主主義』の立場であった。」
(マックス・ヴェーバー著脇圭平訳岩波文庫『職業としての政治』)

 マックス・ヴェーバーは税金や国有財産をあたかも私有財産のごとく扱う官僚を家産官僚と名付けた。
 家産官僚は前近代社会の産物であるともいっている。
 森友学園問題では、曖昧な行政上の指導・示唆、法的な根拠のない口頭での指示・示唆など法治ではなく人治の限りが尽くされた結果であり、そうでなければあのような非常識な売買が成立する筈がない。
 関係者はさぞかし当局官僚の一顰一笑に右往左往したことだろう。
 森友学園問題は日本社会が未だ前近代社会の一面を持ち合わせていることの証左であり、そのことを暴いて見せた。

2017年3月13日月曜日

皇位継承について 10

 19世紀フランスの社会学者デュルケームは、制度、慣習など個人の外に存在し、個人に対して強制力をもつもの、これを社会的事実と呼んだ。
 伝統主義社会下の幕末日本は社会的事実が人々の行動を制していた。
 明治政府はこの社会的事実を打ち壊した。廃刀令、断髪令、旧暦から新暦へ、廃仏毀釈、廃藩置県等々、因習・禁断を明治政府は情け容赦なく断行した。しかも大した混乱もなく。
 伝統主義の呪縛を解き放つのはいかに困難か。いまなお発展途上国で伝統の呪縛にあえぎ苦しみ近代化に取り残された国々を見れば思い半ばにすぎよう。
 機軸がない社会は脆い、近代化された体制、枠組みなどを取り入れてもすぐに独裁者が現われたり、無政府状態になったりする。
 アジアで日本のみが伝統主義のクビキを脱したが、それは皇室を機軸としたからであると先にのべた。
 ではなぜ皇室を機軸にしたから伝統主義の拘束から逃れられたのだろうか。
 それは天皇を前にしては国民すべてが平等の考えを抱くことを可能にしたからである。
 天皇を現人神として仰いだからである。神を前にすれば、国民の間の不平等など無視できるほど小さい。
 故にわずか一片の詔勅で武士の特権を剥奪するなど信じられないようなことがつぎつぎと断行された。
 一方機軸である皇室の皇位が男系男子限定と譲位不可と規定されたのは明治維新後であり、それ以前とは異なる。
 万世一系といわれはじめたのも明治維新後である。

 「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。」 この今上陛下の ”お気持ち表明” は皇室も時代とともに歩むと示唆されている。
 男系維持派は女系天皇容認・譲位可にすれば皇室の尊厳が損なわれるというが、その論拠は説得力に乏しいことは既に述べた。
 数学者の藤原氏は自著『国家の品格』で江戸時代の会津藩の藩校『日新館』の教えに「ならぬことはならぬものです」が重要な教えであると言っている。
 また伝統にはひれ伏さなければならないとも言っている。丸山真男がいう”作為の契機の不在”を地でいくような発言である。
 このように皇室について国論が二分されている現下の日本で急激な変革は混乱を招くこと必至だ。天皇が現人神であった時代とは明らかに違うからである。
 だが皇室についての人々の尊崇の念は一つも変わっていない。昭和天皇のご容態悪化時の国民の反応はその証左である。

 日本がアジアで初めて近代化を成し遂げたがそれは日本人の生得の能力によると考えるのは自惚れにすぎる。
 敗戦直前の昭和20年8月10日の混乱は日本がいかに自己統制できないかを示した。
 昭和天皇の聖断によってはじめて事態は収拾した。聖断なければ民族存続の危機に至ったであろう。
 昭和20年8月10日の混乱と現下の皇位継承の議論とどこが違うのかというほど似通っている。議論が二分して相交わらない。
 男系天皇維持の理論は既に破綻しているがそれがただちに女系天皇容認にならない。そうすれば混乱必死だからだ。
 近代化に成功したとはいえ我々は未だ成熟した市民といえるのか疑問なしとしない。
  残念ながら皇位継承問題は鄧小平のひそみに倣い言おう ”より知恵の多い次世代に任せよう” と。

2017年3月5日日曜日

皇位継承について 9

 明治維新後の近代日本の方針である「我国に在て機軸とすべきは独り皇室にあるのみ」の重要性はいくら強調してもしきれない。
 伊藤博文が大日本帝国憲法草案の大意説明で述べたこのフレーズはその後の日本の運命を決定した。
 幕末の京都は志士たちによる尊王攘夷の大合唱で熱気を帯びていた。伊藤博文はこの空気を捉え、西欧の機軸であるキリスト教にかわるものとして、仏教や神道は宗教として微弱であり機軸とはなり得ないので尊王思想を明治政府の宗教・機軸とした。
 この方針があったがため、他のアジア諸国が近代化にことごとく失敗したにもかかわらず、ひとり日本だけがデモクラシー化・資本主義化して近代化に成功した。
 井上毅は、伊藤博文の命を受け近代日本の大枠を作り上げた。大日本帝国憲法・旧皇室典範を起草し、教育勅語も実質的に起草した。
 このうち旧皇室典範の草案作成の過程で皇位継承に関連して、”女系天皇”と”譲位”について伊藤博文と井上毅の間に必ずしも考えが一致しなかった。特に譲位については両者の意見が対立した。
 明治20年3月伊藤博文は高輪会議と呼ばれる会議を開き、草案の検討作業を行い、皇室典範草案としてまとめた。
 その記録は「皇室典範・皇族令草案談話要録」として残されている。
 出席者は、伊藤博文、井上毅、柳原前光、伊東巳代治。草案は翌明治21年3月に修正作業が終了した。

 女系天皇については、伊藤博文は必ずしも否定的ではなかったが、最終的に井上案の庶子容認を前提に男系男子に限るに与し、女系天皇を否定した。

 譲位については
 「天皇は終身大位に当る但し精神又は身体に於て不治の重患ある時は元老院に諮詢し皇位継承の順序に依り其位を譲ることを得」

 譲位を容認するこの井上案に伊藤博文は反対しその理由をこう述べた。
 「天皇の終身大位に当るは勿論なり。また一たび践祚し玉ひたる以上は随意に其位をのがれ玉ふの理なし。
 そもそも継承の義務は法律 の定むる所に由る。精神又は身体に不治の重患あるも尚ほ其君を位より去らしめず。摂政を置きて百政を摂行するにあらずや。
 昔時譲位の例なきにあらずと雖も是れ仏教の流弊より来由するものなり。
 余は将に天子の犯冒すべからずと均しく天子は位を避くべからずと云はんとす。前上の理由に依り寧ろ本条は削除すべし」

 天皇に対する恣意的な力を排除し安定的な存在として守り抜く姿勢がうかがえる。
 井上毅が天皇に絶対君主としての役割を期待しているのとは明らかに違う。
 井上毅が天皇がその役割を担うことが出来なくなった場合は譲位やむなしとしたのに対し、伊藤博文は譲位を認めず、いざとなれば摂政を置けばよしとした。
 井上毅は、当時彼が傾倒したプロイセンのウィルヘルム1世のような君主像を天皇に期待していたのかもしれない。
 質素倹約で質実剛健、軍隊をこよなく愛したウィルヘルム1世。そういう君主像であればたしかに女系天皇とは相容れない。
 新生日本のグランドデザイナーとまで言われた彼は、女性を政治から徹底排除した。
 その理由は依然として謎であるが、理由の一端を彼のプロイセン傾倒に垣間見ることができる。
 かかる経緯で成立した明治皇室典範の”男系男子限定”および”譲位不可”は現皇室典範に引き継がれている。
 今上陛下の”お気持ち表明”は国民へのメーセージであり皇室典範とは無関係ではあり得ない。