2013年2月25日月曜日

領土問題 1

 日本をとりまく領土の領有問題で、竹島は、長い間、日韓で事実上凍結状態にあった、尖閣諸島も,鄧小平が、解決は次世代に譲ろうと提案し、これに日本政府は同意したわけではないが、事実上棚上げされてきた。
 両島とも無人島で経済的利害も希薄、海上交通上も要路ともみなされず、死活問題とは程遠いと思われてきた。
 いづれも双方とも領有権を主張しながらも、あからさまな実効支配を差し控えてきた。
 これに比し、北方領土はロシアが完全に実効支配してきた。軍事基地までもある。
 北方領土は、最近交渉の機運が醸成しつつある。容易に解決するとも思えないが、日ロ双方が話し合いのテーブルにつこうとしている。
 ところが、竹島と尖閣諸島は、ここ両三年、長い間の凍結状態から事態は一変し、いずれも深刻な領土紛争へと発展してしまった。
 特に尖閣諸島については、一触即発の形勢となっている。
 喫緊の課題とまでなった尖閣問題は対処の仕方によってはのっぴきならぬ事態に発展しかねない。
 否、もうその事態に到来したといえるかもしれない。
 尖閣諸島については、もともと明治政府は、1895年同諸島がいずれの国の支配下にもないことを確認し、日本の領土に編入することを閣議決定した。
 その後、日本人によって船着場や鰹節工場まで建設された。ところが、1968年国連の尖閣諸島付近海底調査で、石油や天然ガス埋蔵が確認されるや、俄然中国は領有権を主張しはじめた。
 1978年日中平和友好条約批准のため来日した鄧小平は、日本記者クラブで「この問題は、われわれと日本国との間で論争があり、釣魚島を日本は『尖閣諸島』と呼び、名前からして異なる。この問題は、しばらく置いてよいと思う。次の世代は我々より賢明で、実際的な解決法を見つけてくれるかもしれない」と一方的に発言した。
 一方、中国にとって潜在仮想敵国がロシアからアメリカになるに伴い、対米防衛線として、鄧小平の意向によって打つ出された方針といはれる中国の軍事戦略上の概念である、第一列島線および第二列島線の計画がある。

 近年、中国人民解放軍はこれを国防方針としている。第一列島線には、尖閣諸島が含まれており、中国はこれを、核心的利益と呼称し、内外に譲歩する意思のないことをたびたび宣言している。日本政府も一歩も譲っているわけでなく、両者は真向から対立したままである。賢明な後世に託すとした鄧小平の意向とは裏腹に、愚鈍な後世に託す結果となりかねない様相である。
 中国経済の発展にともない、鄧小平の時代より、海洋資源の重要性がより増したこと、および台湾有事の際、台湾を支援する潜在仮想敵国アメリカの進入を防ぐという命題が生じ、尖閣諸島は作戦海域・要路となった。
 中国政府の行動様式について、日本の識者の発言は様々だが、特に目立つのが、もともと中国国民は、尖閣諸島の問題は殆ど関心がなく、共産党政府が、国民の経済格差の不満等から目をそらして、領土問題に目をむけさせている旨の論調がある。それなら、フィリピンのコントロール下にあった南沙諸島のミスチーフ環礁に漁船団を上陸させ、上陸した漁民を保護する名目で軍艦を派遣し、ヘリポートを作って要塞化したという事実はどう説明するのか。
 これも国民の不満の目を反らすためというのだろうか。自らの希望的観測に留める分については、かまわないが、これが専門家の意見などと紹介されると国民はあらぬ錯覚を起こしかねない。
 また尖閣諸島は日米安保の適用範囲だから、中国はこれ以上強行策にでることはあるまい、という論調も目に付く。
 日中が武力衝突した場合、アメリカは、日本を守ってくれるのか。日米安保第五条は「自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動する」とあるだけで、安保適用対象だからといって、どこにも自動参戦条項などない。
 参戦するには、連邦議会の承認と大統領の許可があってはじめて参戦できる。まして相手は、共産党一党支配の独裁国家・核保有大国である。遠く離れた、他国の無人島の争奪戦に参戦し若者の血を流させる覚悟をするには、議会といえども自国民の理解なしにはできまい。
 戦後長きにわたり、自衛の意識に欠けた国民が、日米安保に頼る気運は理解できるとしても、冷徹な国際社会の常識はそんな楽観的気運のみでは動かないだろう。
 尖閣諸島をめぐる領有権問題は、日に日に緊張感を増し、鎮まることがない、どこに向かうのか、どう対処したらよいのか、わが国の喫緊の課題がここにある。次稿で検討したい。

2013年2月18日月曜日

英語公用語化について

 ひと頃、ユニクロを展開するファーストリテイリングや楽天などグローバル化を目指す日本の企業が社内の公用語を英語にしたことについての功罪が論じられた。
 閉塞感のある昨今、これら経営者の野心的なチャレンジに敬意を表する人も多い。
 英語公用語化の功罪のうち、まず功は、ビジネスのグローバル化への対応である。
 コンピュータやインターネット文明は英語とともに入ってきた。
ビジネスのグローバル社会では殆ど英語が公用語となっている。 また、英語を公用語化することにより、海外の優秀な人材を取り込めることも大きなメリットとして挙げられ、これらが主な論調である。
 次に罪のほうは、当然、功の裏返しとなるが、このほか注目すべきは、塩野七生氏の、想像力についての見解がある。
 氏によれば、人間の能力の中でもあらゆる仕事にとって最も重要と思う想像力について外国語と母国語による場合を比較して、 「想像力を自由に羽ばたかせたいと思えば、母国語にまさるものはない。なぜならば外国語は、所詮よそいきの言葉で、それゆえに人間性の自然に、多少なりとも反するものだからである。」
とのべている。
 流石、歴史作家らしい鋭い洞察である。
 よそゆきの言葉といえば、同じ日本語の比較でも、東北の人にとっては、ただ寒いというより、”しばれる” といったほうがより実感があるに違いない。
 九州出身者にとっては、びっくりしたというよりも、”たまがった”というほうがより心に響く。
 方言からみれば標準語はよそゆきの言葉である。まして、日本語と外国語は、よそゆきの度合いでは、方言と標準語の比ではない。
 ただ、たくましい想像力を要求される歴史作家とは異なり、ビジネスの社会で要求される想像力はいかほどか。
 あくまでも比較の問題である。多少なりとも人間性の自然に反しても、英語を社内公用語化するビジネスのメリットが大きければ正当化されるだろう。
 塩野氏の指摘は、一企業の問題であれば、あるいは等閑に付されるかもしれない。が、これが国家のレベルとなると事情は一変する。
 言語の問題については、過去に幾度となく、蒸し返されてきた。初代文部大臣 森有礼は、英語の公用語化を提案し、郵便制度の創設者 前島密は漢字を全廃し、ひらがなを国字とすることを主張した。
 敗戦直後はこの傾向が顕著で、作家 志賀直哉は 日本語を廃止して、世界中で一番美しい言語であるフランス語を採用せよと提案した。
 讀賣報知(現讀賣新聞)は、漢字を廃止せよとの社説を掲載した。混乱/動乱期には、原点に返って言語を見直す傾向があるようだ。
 自信喪失すると人々は、ともすると自虐史観に陥りやすい。
母国語改革の主張に共通するのは、功利性、機能性などが主流であり、先のファーストリテイリングや楽天の主張と似通っている。
 一国の文化の基礎となっている母国語を、功利性、機能性ゆえに取り替えるなどという発想は、一見合理的に見えるがこれほど非合理なものはない。
 塩野氏のいう、自由に想像力を羽ばたかせるもととなる母国語を、取り替えるということは、思考の基盤をなくすことに他ならない。そんな国民に未来はない。
 そもそも、何をもって、日本語が英語より功利性、機能性に劣るというのか、はなはだ疑問である。百歩譲って、もしそうだとして現実に母国語が取り替えられる事態に至れば、自国民が混乱するだけでなく、他国から限りない軽蔑の眼差しをむけられるだろう。 自信喪失し、アイデンティティをなくし、矜持をなくした国民を誰が尊敬するか。
 明治の思想家 岡倉天心はアメリカの社交界で人気を博し、尊敬された。彼は、アメリカ人より英語がうまく話し、アメリカ人より西洋の歴史に詳しかった。
 彼は、どんな席でも、例外なく羽織・袴で通したといはれている。 相手の懐深く入り込んで、なおかつ独自性を発揮する。浅薄に英語を公用語化せよなどと主張する輩とはおよそ縁遠い存在であった。

2013年2月11日月曜日

噂について

 軽々と噂を信じるな、人の口には戸を立てられぬ、人の噂も75日、など、噂という言葉は、けしていい意味では使われていない。

噂、これよりも速い害悪は他にない/動きが加わるや勢いづき、進むにつれて力を身に帯びる。                                     ウェルギリウス 
 噂は侮れないどころか、人々にとんでもない行動をおこさせる。この古代ローマの詩人の歌を地でいくような事件が時としておこる。
 有名なものに昭和恐慌の引き金となった事件と愛知県豊川市の豊川信用金庫の預金の取り付け騒ぎがある。
 前者は、時の大蔵大臣・片岡直温が東京渡邊銀行がとうとう破綻しました、と失言し間違った情報を発信してしまったために、たちまち噂が広がり、全国各地の銀行の取り付け騒ぎがおこり昭和金融恐慌へとつながった。
 後者は、電車の中で三人の女子高生のおしゃべりで、たまたまそのうちの一人が豊川信用金庫に就職が内定していたが、仲間の一人が「信用金庫なんてあぶないよ」と冷やかすように言ったのが発端で、様々な経路を辿り、ついには豊川信用金庫の総預金量360億のうち約20億が僅か3営業日で引き出されてしまった。 豊川信用金庫の財務状況は全く健全であったにも拘わらず。
 この事件は噂の発生源から経路まで特定された稀有の例としてしばしば取り上げられる。
 噂の研究者によると、噂の流通量には、次の3点が強く関係するらしい。
 噂はまず、人々が不安に感ずることが最も効果がある。
 次に、物事が曖昧でなければならない。曖昧さがなくなれば噂もなくなる。
 最後に、噂にはある程度、信憑性がなければならない。奇想天外なものは噂になり難い。
 ここでいう噂の流通量とは、聞いた噂を人に伝える可能性のことを指している。聞いた噂を、さらに人に伝える可能性があるかどうかが問題なのである。
 一見 無関係にも思えるマスメディアでさえもこの点の如何で伝播の力が左右される、マスメディアが力を発揮するのはパーソナルメディアの力があってこそである、人々の知りたいことではなく、人々が伝えたいことがニュースである、と噂の研究者 成城大学の川上善郎教授は断言する。
 噂の送り手は個々人であることを考えれば、川上教授の主張には説得力がある。
 ネットの普及が一段とすすみ、情報が瞬時に伝わるようになった現代において、噂が伝わる手段もツイッター、ブログなどが加わり多彩になった。
 が、噂の伝播の本質は、送り手が個々人である以上変わることもないだろう。
 どうしても人に伝えたいという欲求をみたす情報が、ニュースとなるならば、逆にいえば、噂こそニュースの根幹を構成する要素といえる。
 先にあげた二つの事例は、発信者の意図せざる不幸な結果になった。
 意図的せざる噂があるならば、当然のことながら、意図した噂もありうる。
 日本は、少子高齢化でこの先衰退するばかりだ。消費税増税しなければ借金のツケを子孫に残すことになる。
 日本は世界最大の借金国で間もなく破綻する。
 などなど、国民を不安に陥らせる。はっきりしたデータを示さないで曖昧のままにする。一見もっともらしく聞こえる。
 など、噂となる要素をすべて備えた情報が公然とマスメディアに流れている。情報の発信源は、多くは、当局の意を汲んだ学者、エコノミストであり、いろいろな審議会のメンバーに名を連ねている人たちである。
 彼らの発言が浸透していくか否かは、受け取る側の国民一人ひとりが、それを人に伝えたい欲求にかられるか否かにかかっている。
 メディアリテラシーの重要性はいや増すばかりである。

2013年2月4日月曜日

ジャーナリズム 続々

 日本のジャーナリズムは何が問題なのか、問題点を浮き彫りにするには、アメリカの現職大統領を辞任にまで追い込んだウオーターゲート事件が参考になろう。
 ウオーターゲート事件は、1972年6月ワシントンDCのウオーターゲートホテルの米民主党選挙本部に進入し盗聴の疑いで5人が逮捕されたのが事件の発端。最初に告発したのは、ワシントンポストの一若手記者。はじめのころは相手にする人も少なかった。
 ホワイトハウスの報道官ロナルド・ジーグラーは、3流のコソ泥事件にすぎないとコメントした。その後大統領再選を目的とした盗聴疑惑であることが次第に明るみになってきた。
ワシントンポストの2人の記者ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインは、内部告発者の情報を受けながらホワイトハウスの関与を追求し、記事にし続けた。
 この間、ニクソン政権は、関係者の罷免を繰り返すなど様々な手段で捜査を妨害した。ワシントンポストは株の暴落や系列テレビ局の免許更新妨害を受けた。
 司法長官ロバート・ミースは、記事を掲載し続けたワシントンポストの女性社主 キャサリン・グラハムのおっぱいをねじ切ってやるなどと発言した。
 しかし彼女は一歩もひるまず疑惑を追及し続けた。そのうち、有力マスコミが反ニクソンキャンペーンに加入してきた。同調する議員の数も増え、追いつめられていったニクソン大統領はついに弾劾、罷免を回避できないと悟り、1974年8月辞任を表明した。
 ワシントンポストの2人の記者は、情報源は本人が死去するまで公表できないとして約束を守り、情報秘匿の原則を貫いた。情報源は、当時のFBI 副長官マーク・フェルトであることが、本人の告白ではじめて判明した。
 以上が簡単な事件の経緯であるが、ここにはジャーナリズムの理念が貫き通されている。

  権力からの独立 
  経営と暴力からの自由
  
 いづれもジャーナリズムの理念が凝縮されている。
日本のジャーナリズムの問題点も、この視点から俎上にのせみてみよう。

 まず、権力からの独立。

この問題は、日本独特の記者クラブ抜きには考えられない。
 日本新聞協会編集委員会は、2002年に記者クラブに関する公式見解として、
日本の報道界は、情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた歴史があります。
 記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が一世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の「知る権利」と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません。」
と述べている。前稿で典型的な例として紹介した、日銀記者クラブの実情と、この新聞協会の見解の差になんと大きな開きがあることか。記者クラブの活動は、程度の差こそあれ、国民の知る権利を充たす、というより、むしろ公的機関の広報の役割を担っているといったほうが実状に近い。

 次に、経営と暴力からの自由。
 日本のマスメディアは、NHKを除き、経営の基盤を主に広告に頼っている。
 消費税の軽減税率適用申請にみられるように、必要とあらば権力にもすり寄る。この原因は、メディアが最後に残されたドメスティック産業といはれるように、日本語という厚い障壁に囲まれて、競争に晒されなかった結果の産物であろう。
また、久しく言はれているが、記者のサラリーマン化だろう。自らの身分、収入を犠牲にしてまでジャーナリズムの理念に殉ずる記者がどれほどいるか。
 現役のジャーナリストにこれをもとめるのは、木に魚を求めるようなものだ。ジャーナリズムの理念を貫き通すには、身分も収入も犠牲にするくらいの覚悟がなければ到底無理だ。そのような仕組みになっている。

 このように、日本のジャーナリズムは、記者クラブといいメディアの経営環境といい、建前だけの権力からの独立であり、経営からの自由に過ぎない。
 これをまともなジャーナリズムの理念に引き戻すには、メディアのサイドだけに求めても実現性は殆ど期待できない。民主主義の根幹に係わる問題が小手先で解決するとも思えないからである。
 時代はすすみ、メディアのチャンネルも多くなった。僅かな望みとして、メディア間でより一層競争原理がはたらき、かつ国民の間にメディアリテラシーが浸透することを期待しよう。
 その暁には、メディアが広く国民の支持を得、ひいては日本のジャーナリズムが正しく機能する日がくるかもしれない。
 明治維新を成し遂げた国民の末裔にそれくらいのことを期待しても期待し過ぎではなかろう。