2013年2月4日月曜日

ジャーナリズム 続々

 日本のジャーナリズムは何が問題なのか、問題点を浮き彫りにするには、アメリカの現職大統領を辞任にまで追い込んだウオーターゲート事件が参考になろう。
 ウオーターゲート事件は、1972年6月ワシントンDCのウオーターゲートホテルの米民主党選挙本部に進入し盗聴の疑いで5人が逮捕されたのが事件の発端。最初に告発したのは、ワシントンポストの一若手記者。はじめのころは相手にする人も少なかった。
 ホワイトハウスの報道官ロナルド・ジーグラーは、3流のコソ泥事件にすぎないとコメントした。その後大統領再選を目的とした盗聴疑惑であることが次第に明るみになってきた。
ワシントンポストの2人の記者ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインは、内部告発者の情報を受けながらホワイトハウスの関与を追求し、記事にし続けた。
 この間、ニクソン政権は、関係者の罷免を繰り返すなど様々な手段で捜査を妨害した。ワシントンポストは株の暴落や系列テレビ局の免許更新妨害を受けた。
 司法長官ロバート・ミースは、記事を掲載し続けたワシントンポストの女性社主 キャサリン・グラハムのおっぱいをねじ切ってやるなどと発言した。
 しかし彼女は一歩もひるまず疑惑を追及し続けた。そのうち、有力マスコミが反ニクソンキャンペーンに加入してきた。同調する議員の数も増え、追いつめられていったニクソン大統領はついに弾劾、罷免を回避できないと悟り、1974年8月辞任を表明した。
 ワシントンポストの2人の記者は、情報源は本人が死去するまで公表できないとして約束を守り、情報秘匿の原則を貫いた。情報源は、当時のFBI 副長官マーク・フェルトであることが、本人の告白ではじめて判明した。
 以上が簡単な事件の経緯であるが、ここにはジャーナリズムの理念が貫き通されている。

  権力からの独立 
  経営と暴力からの自由
  
 いづれもジャーナリズムの理念が凝縮されている。
日本のジャーナリズムの問題点も、この視点から俎上にのせみてみよう。

 まず、権力からの独立。

この問題は、日本独特の記者クラブ抜きには考えられない。
 日本新聞協会編集委員会は、2002年に記者クラブに関する公式見解として、
日本の報道界は、情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた歴史があります。
 記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が一世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の「知る権利」と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません。」
と述べている。前稿で典型的な例として紹介した、日銀記者クラブの実情と、この新聞協会の見解の差になんと大きな開きがあることか。記者クラブの活動は、程度の差こそあれ、国民の知る権利を充たす、というより、むしろ公的機関の広報の役割を担っているといったほうが実状に近い。

 次に、経営と暴力からの自由。
 日本のマスメディアは、NHKを除き、経営の基盤を主に広告に頼っている。
 消費税の軽減税率適用申請にみられるように、必要とあらば権力にもすり寄る。この原因は、メディアが最後に残されたドメスティック産業といはれるように、日本語という厚い障壁に囲まれて、競争に晒されなかった結果の産物であろう。
また、久しく言はれているが、記者のサラリーマン化だろう。自らの身分、収入を犠牲にしてまでジャーナリズムの理念に殉ずる記者がどれほどいるか。
 現役のジャーナリストにこれをもとめるのは、木に魚を求めるようなものだ。ジャーナリズムの理念を貫き通すには、身分も収入も犠牲にするくらいの覚悟がなければ到底無理だ。そのような仕組みになっている。

 このように、日本のジャーナリズムは、記者クラブといいメディアの経営環境といい、建前だけの権力からの独立であり、経営からの自由に過ぎない。
 これをまともなジャーナリズムの理念に引き戻すには、メディアのサイドだけに求めても実現性は殆ど期待できない。民主主義の根幹に係わる問題が小手先で解決するとも思えないからである。
 時代はすすみ、メディアのチャンネルも多くなった。僅かな望みとして、メディア間でより一層競争原理がはたらき、かつ国民の間にメディアリテラシーが浸透することを期待しよう。
 その暁には、メディアが広く国民の支持を得、ひいては日本のジャーナリズムが正しく機能する日がくるかもしれない。
 明治維新を成し遂げた国民の末裔にそれくらいのことを期待しても期待し過ぎではなかろう。


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