2016年5月9日月曜日

地震予知について 3

 石橋克彦氏は東京大学理学部の助手になったばかりの頃SF作家小松左京の小説 「日本沈没」 を読みいたく影響を受けた。
 このままでは日本は大変なことになる。世間はのんびりしすぎている。
 県や国を啓発せねばならないという動機から石橋氏は1977年(昭和52年)2月地震予知連絡会会報に一本の表と図解付きのレポートを発表した。

 同レポートの第1項で

「従来の『遠州灘地震』 との相違を明確にするためと、社会的影響(震災は駿河湾沿岸が最劇甚であろう)を強調するために、予想される大地震を 『駿河湾地震』 と呼んだ。
 マグニチュードは、最悪の場合 8.3 程度になるだろう。」 

と危機を煽った。”社会的影響を強調するため” とは研究者らしからぬ言葉である。
 第2項では 

 「 『駿河湾地震』 は切迫している恐れがある。正確に言うと、長期的予測の結果として、前兆現象が(あるとすれば)いつ始まっても不思議ではない状態である恐れが強い。」

(以上いづれも石橋克彦氏発表地震予知連絡会会報 『東海地方に予想される大地震の再検討 ー 駿河湾地震の可能性ー 』 から )

 これ以前にも複数の研究者から東海地震の危険性が叫ばれていたが、直接的にはこのレポートがキッカケとなり 「東海地震」 が一人歩きを始めた。
 翌年の1978年1月に発生した伊豆大島近海地震がこれに火をつけ、「大規模地震対策特別措置法」 が国会に提出された。
 法案の審議過程で気象庁の末広参事官(当時)が 「東海地震に限る大規模地震については予知できる」 の発言が決め手となり同法案は成立した。
 これに伴い地元静岡県は国から法律に基づき特別な財政支援を受け、県をあげて地震対策に取り組んだ。
 メディアも 「東海地震」 が差し迫っていると危機を煽った。かくて東海地震以外の大地震は日本人の眼中から消え去り、ひとり東海地震のみがクローズアップされた。
 SF作家の小説を読んで影響を受けた一研究者のレポートが ”大規模地震=東海地震” という固定概念を植えつけたのに違いはないが、これを社会現象にまで高めたのは別の力によるところが大きい。
 それは ”原子力村” ならぬ ”地震村” の力である。
 地震村は、研究者、政治家、地元自治体、防災関連業界などから構成され、彼らにとって東海地震は振ることによって予算を生み出す貴重な ”打ち出の小槌” となった。

 ところが来るはずの東海地震はいっこうに来ず(幸いなことに)、レポート発表から阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災そして今回の熊本地震が発生しいづれも壊滅的被害を受けた。
 これらの大震災を経験しさすがに国民は地震予知についてやや懐疑的になった。
 ところが地震予知にたずさわる学者・研究者や防災関係者は驚くことに平然としていた。

 東日本大震災後、学者や当局の事情を朝日新聞の黒沢氏はこう解説している。

 「政府が 『予知の可能性がある』 として、東海地方に特別な観測網を構築して、前兆となるであろう地殻の微妙な変化を24時間体制で監視している。
 こうした特別な体制があるのは将来起きると想定される 『東海地震』 だけで、東日本大震災が起きた日本海溝にも、阪神大震災のような活断層で起きる地震にも、予知を目指したシステムはない。
 つまり、東海地震以外の地震予知は、そもそも能力もなければ、やる意思もないのが実情である。
 例えば、『予知できなかった』 という指摘は、地震学者や防災関係者の立場に立ってみると、試験を受けていない学生が、『入学試験に合格できなかった』 と言ったり、『遭難者を救助できなかった』 と、荒天で救助に向かえなかった山岳救助隊に言ったりしているようなものなのだ。
 『合格できなかった』 『救助できなかった』 とは、誤りではないが、そもそも挑戦してもいないのだから、できるはずもないのである。」
(黒沢大陸著新潮社『地震予知の幻想』)

 来るはずの大地震が来ず、監視外の大地震が発生するに至って、国は地震予知について 「可能」から「一般的に困難」へと変更したが、学者を含めた当局と国民の間の認識は乖離したままだ。
 東海地震対策は当該地域では徹底されたが、それ以外の大地震は想定されず対策もとられてこなかった。
 当局は東海地震以外は能力もなければやる意思もなかったと言うが、東海地震を強調した罪はあまりにも大きい。
 東海地震以外の地域は大震災に対してまともな対策をとらなかったのだから。

 阪神・淡路大震災後、当時の地震予知推進本部長も兼務する科学技術庁長官の田中真紀子氏は興味ある発言をした。

 「地震から1ヶ月もたたない1995年2月15日の衆議院科学技術委員会で所見を問われた田中は、
 『大震災後に地震予知に対する認識が随分変わった。いろんな専門家の話を聞いても難しい。研究はいいかも知れませんが、口をあけて待っているのではなく、避難訓練や耐震構造物を優先する現実的な対応をするべきではないかと考えております』 
 と答えた。
 この時期、田中は、地震研究者の間で、今も引き合いに出される言葉を放った。
 『地震予知にカネを使うくらいだったら、元気のよいナマズを飼った方が良い』 
 彼女らしい物言いではあるが、核心を突いている発言だったかもしれない。」(前掲書)

 想定外の災禍は繰り返された。新潟県中越、東日本、そして熊本。

 「日本損害保険協会によると、2014年度の地震保険の世帯加入率は宮城県の50.8%に対し、熊本県は28.5%。
 震災後、被災した宮城は大きく伸びたが、地震への備えの必要性は熊本まで届かず、意識の差は歴然だ。」(5月1日付河北新報)

 東海地震の幻が熊本を呪縛しつづけてきたなによりの証である。
 地中深くで起こる地震のメカニズムについては解明されていないことが多い。まして一般の国民はこの分野で全くの門外漢だ。
 学者や研究者の言葉は思いのほか人びとに影響をあたえる。地震は国民の生命と財産に直結するからである。
 繰り返して言おう。東海地震をクローズアップさせ結果的にその他地域を油断させた罪はあまりにも大きい。


(当ブログへご訪問いただきありがとうございます。次稿は都合により約1ヶ月後の6月中旬の予定です)

2016年5月2日月曜日

地震予知について 2

 地震予知は可能だとする学者でもどれほどの確信があるのか。地震予知連絡会の会長であり地震防災対策強化地域判定会の会長でもあった茂木氏は、 ”岩石に力を加えると、大きく壊れる前に小さな破壊が起きる。この小さな破壊が前兆となって地震予知につながる。” という考えだ。
 だがこの前兆は必ずしもはっきりと観測できるとは限らない。それゆえ重い責任を伴う予知の判断を迫られても白黒の判断のしようがない。
 茂木氏は中間の灰色を主張したがこれが国土庁に受け入れられず自ら地震防災対策強化地域判定会の会長職を辞した。
 地震学者の中でも最初から予知など不可能だとする少数派の学者がいる。島村英紀、ロバート・ゲラーの両氏はその代表であろう。
 アメリカ出身のロバート・ゲラー東京大学教授は、地震予知についてこう述べている。

 「鉛筆を曲げる様子を想像してみよう。両手で鉛筆を握り、少しずつゆっくり曲げてゆく。ゆっくりゆっくり曲げていくと、ある時点で鉛筆はボキッと折れるだろう。
 鉛筆を曲げていけば、いつか必ず破壊現象が起きることは誰でもわかる。
 だが、鉛筆がいつ折れるのかを正確に予測することはできない。
 なぜなら、各鉛筆の詳細な構造や曲げ方の速度、外部環境など多くの要因が複雑に関わるからだ。(中略)
 またサイコロの例を想起してみてほしい。サイコロを投げたときに、どの数字が出るのか。確率過程を調べるためにどんなに大量のデータを記録したとしても、次にどの数字が出るか正確に予測できない。
 サイコロを投げるときに、手にどれほどの強さがかかっているのか。ひねりをどの程度加えたのか。転がる場所の材質はどうなっているのか。初期条件にほんのわずかな変更を与えただけで、結果は異なってくる。
 サイコロがフェルトの壁にぶつかれば、フェルトが一部のエネルギーを吸収する。壁にぶつかれば、転がり方だって変わってくる。 サイコロの出目を決定論的に予測することは、どうやっても不可能だ。
 初期条件に非常に敏感な依存性をもつ物理過程を、物理学の世界では 『カオス』 と呼ぶ。カイス理論を紹介した 『複雑系』(ミッチェル・ワールドロップ著)という本をご存知の読者もいるだろう。
 微小地震の発生とその後の断層面における滑りの広がり方も、カオス的な過程だ。
 サイコロの出目を予測できないと同様、正確な地震予知などできないのだ。」
(ロバート・ゲラー著双葉社『日本人は知らない地震予知の正体』)

 サイコロの出目を例にあげるのが適当か否かはともかく破壊現象の予測困難は地震予知に否定的な学者が一様に指摘するところである。
 ロバート・ゲラー氏のカリフォルニア工科大学時代の師であり地震研究の第一人者といわれる金森博雄氏は、東日本大震災後の2012年秋被災地を訪れ地震予知についてこう語っている、

 「不可能と証明できないが、現在も非常に難しく、今のところ将来も相当難しい」
と。
 人びとは阪神淡路大震災、東日本大震災を経験し地震予知について懐疑的になり、地震学者の自信もゆらぎはじめた。  そしてついに国の見解が示された。

 「気象庁が唯一 『可能性がある』 としてきた東海地震の予知が 『困難』 だと、国が初めて一線の専門家を集めて検討していた結果が2013年5月に公表された。
 南海トラフの対策を検討していた中央防災会議の 『南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ』 の最終報告で、下部組織である 『南海トラフ沿いの大規模地震の予測可能性に関する調査部会』 が報告書にまとめたもので、 『現在の科学的知見からは(地震直前の)確度の高い予測(=予知)は難しい』 を引く形で、予知の限界を認めたのである。(中略)
 こうしてまとめられた報告書では、核心の地震予知については、こう書かれた。

 『地震の規模や発生時期の予測は不確実性を伴い、直前の前駆すべりを捉え、地震の発生を予測するという手法により、地震の発生時期等を確度高く予測することは、一般的に困難である。』
 『予知は困難』 とは書かれていないが、内容の意味するところは、東海地震を含む南海トラフでの地震の予知が難しいことを示している」
(黒沢大陸著新潮社『地震予知の幻想』)

 このように国によって地震予知は 「可能」 から 「一般的に困難」 へと変更された。

 日本における地震予知は、正式には東海地震から発展した南海トラフ巨大地震のみである。
 これ以外に予知の対象となっているものがない。それ故わが国の地震予知は、東海地震抜きには語れない。まだ起きてもいない(幸いながら)のに命名されたこの東海地震は、地震予知に関連してわが国に混乱と災禍をもたらしてきた。
 だがこの事実が国民に十分認識されているとは云えない。