2016年7月25日月曜日

揺らぐEU 4

 次にEUの盟主ドイツについて。

 ドイツはEUの中で一人勝ちしている。ドイツがEUで支配的な地位を獲得した理由についてエマニュエル・トッドはこう述べている。

 「ドイツはグローバリゼーションに対して特殊なやり方で適応しました。
 部品製造を部分的にユーロ圏の外の東ヨーロッパへ移転して、非常に安い労働力を利用したのです。
 国内では競争的なディスインフレ政策を採り、給与総額を抑制しました。ドイツの平均給与はこの10年で4.2%低下したのですよ。
 ドイツはこうして、中国 - この国は給与水準が20倍も低く、この国との関係におけるドイツの貿易赤字はフランスのそれと同程度で、2000万ユーロ前後です - に対してではなく、社会的文化的要因ゆえに賃金抑制策など考えられないユーロ圏の他の国々に対して、競争上有利な立場を獲得しました。」
(エマニュエル・トッド著堀茂樹訳文春新書『ドイツ帝国が世界を破滅させる』)

 ドイツの政策で特徴的なのは緊縮財政と積極的な移民や難民の受け入れである。
 前者はギリシャ危機の際、そのかたくなな姿勢がきわだち、後者は昨年1年間で110万人近い移民や難民を受け入れている。
 ところがこれらドイツの政策こそがEU混乱の元となっている。

 ドイツの緊縮財政策について

 ドイツがギリシャ危機のときギリシャにたいして要求した緊縮財政政策は有無を言わさぬものであり大国が小国を力でねじ伏せた印象が拭いきれない。
 このようなドイツの強圧的な態度はEUのリーダとしての役割に疑問符がつく。
 なぜドイツはそこまで緊縮財政にこだわるのだろうか。ドイツ国民は、2度の大戦の敗戦で国家財政の破綻を経験した。
 ハイパーインフレと通貨改革で紙幣や国債が紙切れになり、多くの国民が財産を失った苦い経験をもつ。
 この経験はドイツ国民のトラウマになったであろうことは容易に推察できる。
 一方ドイツは東西ドイツ統合によって膨らんだ財政赤字を減らしてきたという自負がある。
 かってメルケル首相はリーマン・ブラザーズ破綻の際、質素な生活に戻ることを主張し ”窮状の理由を知りたければシュヴァーベン地方の主婦に聞くがいい”  と言った。(シュヴァーベン地方の主婦は質素倹約で知られている)
 ドイツの政治家や学者になぜ緊縮財政策をとるのかと問えば最も多い答えは ”法律で決まっているから” である。
 ドイツはリーマン・ショック後の09年、憲法にあたる基本法を改正し、債務ブレーキ条項を追加した。 
 自分で決めた規律は頑固に守る。基本法で決めた以上は、その条件でやっていくのがドイツ人気質だと言ってはばからない。
 ドイツは自らに債務ブレーキをかけるだけでなく、その政策をユーログループに押し付けている。
 ギリシャなどを支援する見返りに同様の債務制限を求めた。
 ドイツが音頭を取る形で、英国とチェコを除EU25カ国は財政規律を憲法などに明記する協定に合意した。
 健全財政へのこだわりは筋金入りだ。
 ドイツは、意図すると否かにかかわらず、EUをリードするのではなくむしろ支配しようとしているように見える。

 ノーベル経済学受賞ジョセフ・スティグリッツは、ドイツ主導のギリシャにたいする財政緊縮策は有毒な薬の処方という。
 共通通貨をまとめるにはメンバーが同化することが大事だがドイツだけが同調していないと断じている。
 同じくノーベル経済学受賞ポール・クルーグマンは、国家と個人の経済政策を同一視するドイツの緊縮財政策を揶揄してこういっている。

 「本当にユーロがダメになったら、その墓碑にはこう記されるべきだ。『国の負債を個人の負債になぞらえるというひどいたとえによって死去』 と。」

 ドイツの移民・難民受け入れ

 ドイツの移民・難民受け入れには両面がある。ドイツには第二次世界大戦で600万人ともいわれるユダヤ人虐殺の苦い過去がある。
 この経験によりドイツの国民感情が移民・難民に対し人道的な配慮に傾くのは極く自然のなりゆきであろう。
 方や移民・難民が安い労働力として利用されドイツ経済に貢献してきたこともまた事実である。

 ところが最近になって移民・難民の負の側面がクローズアップされ事態は急速に変化しつつある。
 負の側面の一つは移民・難民によってドイツ国民の職が奪われたり賃金が低下したりすることであり、もう一つは治安の悪化、特に移民・難民にまぎれこんだイスラム教過激派のテロの脅威である。
 この移民・難民の負の側面は今やEU共通の問題となっている。

 EUの盟主ドイツが直面している問題はそのままEUの問題でもある。

2016年7月11日月曜日

揺らぐEU 3

 次にドイツとともにEUの中核であるフランス社会の現状分析について。
 フランスはEU創設の中心メンバーでありこの国の動向がEUの未来に与える影響は大きい。
 近年ヨーロッパ社会でわれわれの耳目をひきつけるものに ”移民に起因する経済格差の拡大” と ”イスラム過激派テロの脅威” がある。

 移民に端を発する経済格差の拡大は深刻である。その証左にEU内で反移民を主張する反体制派勢力の著しい台頭がある。
 それらの勢力には、スウェーデン民主党、オランダ自由党、オーストリア自由党、ドイツAID、フランス国民戦線、スペインPodemos およびイタリア五つ星運動などがある。
 
 ここでは最も影響力が大きいと思われるフランス国民戦線をとりあげてみよう。

 フランス国民戦線の党首マリーヌ・ルペンは、2014年の欧州議会選挙戦で移民問題について演説している。

 「そうです!フランス人はここ何年かの間にたくさんのことを理解しました。
 まず、明白になってきているEUと移民の関係です。みんな今日フランスを侵略している大量の移民を嘆いています。
 シェンゲン協定 - フランスのもっとも欧州派の党、すなわち右派連合と社会党、そしてその衛星党が賛成投票したこの凶悪な協定のために、私たちは国境のコントロールができなくなりました。
 あらゆるEUの出身者、つまりルーマニア人やブルガリア人が自由に合法的にフランス中を動き回っています。
 国境と税関が復活することを心配するボボ(鼻持ちならないエリート連中)はいつでもいます。
 しかし、国境を廃止さえしなければ、私たちはこれほどの不法移民、いや合法的とされた移民の猛威を知らなくてすんだのです!」
(広岡裕児著新潮社『EU騒乱』)

 次いで彼女の演説は 『経済、雇用、人々の生活の問題』 へと移っていった。

 「EUのせいで、わが国の脱工業化が進み、何十万という大変な失業を生んだ。
 EUのせいで、我々は産業を保護することができない。不正競争をしている国からの輸入禁止もできない - そんな主張をしながら、力強くこう言い放った。
 『EUの馬鹿げた規則によって、もっとも乱暴で貪欲な多国籍企業に得点が与えられる。
 彼らが最も競争力があるから入札で受注を勝ち取る。
 奴隷を働かせれば働かすほど、虐待すればするほど、賃金を少なくすればするほど、消費者の安全をないがしろにすればするほど、地球を破壊すればするほど、金持ちになるチャンスがあるのです!』
(前掲書) 」

 EUこそフランス人の生活を脅かしているという彼女の主張はおおよそ欧州の反EU勢力の考えを集約している。
 ルペン家の三女マリーヌ・ルペンは2011年に党首の座を父親のジャン=マリー・ルペンからゆずり受けた。
 すんなりとゆずり受けたわけでなく、当初は長女が党首を継ぐはずであったが、長女が夫とともに父親に反旗を翻したためその結果三女のマリーヌが党首の座を継いだのだ。
 三女もまた父親との折り合いがいいとは言えず未だに訴訟合戦の泥仕合を繰り返している。
 わが国の大手家具販売会社顔負けの父娘喧嘩である。これくらい元気がないと反体制派党首はつとまらないということか。
 支持者たちにとって、彼女は現代のジャンヌ・ダルクである。
来年2017年5月にはフランス大統領選挙が予定されており彼女はそれに立候補し当選したらEU離脱を問う国民投票を実施すると公言している。
 最新の世論調査によれば彼女の第1回投票における支持率は28%で決戦投票進出が有力と報じている。

 もう一つ話題を集めているものにイスラム過激派のテロの脅威がある。これには根深い問題が潜んでいる。
 頻発するイスラム過激派のテロでも特に目を引くのがフランス パリの風刺雑誌 『シャルリ・エブド』 襲撃事件であろう。
 2015年1月7日のパリの風刺雑誌 『シャルリ・エブド』 がイスラム過激派の武装集団に襲撃された事件が発生した。
 衝撃的な事件であったがそれ以上に驚いたのは事件4日後の1月11日に実施されたパリにおける大規模デモとその顔ぶれである。
 オランド仏大統領、メルケル独首相、キャメロン英首相、イダルゴ パリ市長、ユンケルEU委員長、サルコジ仏前大統領、トゥスクEU大統領、ラブロフ露外相、アッバース パレスチナ大統領、ナタニヤフ イスラエル大統領、ソマルーガ スイス大統領、ポロシェンコ ウクライナ大統領などなど、これら要人が腕を組みデモの先頭にたって行進したのだ。異様としかいいようがない。同日これに呼応するようにフランス全土でデモが行われた。

 フランスの歴史学者エマニュエル・トッドはそれを発表したことで侮辱を受けたという彼自身の著作の中で、デモの参加者を詳細に分析しその結果につきこう述べている。

 「1月11日に自己表現した社会的勢力は、マーストリヒト条約(欧州連合条約)を受け入れさせた勢力である。
 殺害事件から生まれた情動が1月11日に蘇らせたのは、共和国ではなく、ヨーロッパの新秩序の中でむしろ共和国を溶解させてしまうことに投票した連合体だ。
 デモ隊の構成をよく見ると、国立統計経済研究所(INSEE)が分類する社会職能一覧の内の『中間』カテゴリーが、2005年の社会騒動のときにはその連合体から離れていたのが、2015年には、フランス社会においてイデオロギー的に支配的な集合体の中に立ち帰ったのだと推察できる。
 『中間』層がそちらへ靡いたからこそ、満場一致の空気が発生したのである。
 問題のデモはフランス社会の階層構造の上半分と、ポスト・カトリシズムに特徴づけられる周縁部分を主な土台としていた。
 そのことから見て、国民レベルの満場一致というよりも、ひとつの集合体ないし連合体のヘゲモニーということを語らざるを得ない。民衆は沈黙に追い込まれた。」
(エマニュエル・トッド著堀茂樹訳文春新書『シャルリとは誰か?』)

 デモ参加者を地域別に分析した結果、2005年10月パリ郊外で北アフリカ出身の若者が警察に追われ変電所で感電死したことをキッカケに若者達がフランス全土で起こした暴動時は、中間層は反体制的であったが、1月11日のデモでは体制派に組み込まれてしまったと結論づけている。
 なぜそうなったか。経済格差の拡大による中間層の不満がイスラム恐怖症にとって変わられたから、より正確にはエスタブリッシュメントによってそのように誘導されたから。
 その結果どうなったか。

 「1月7日のおぞましい事件がもたらした感情的ショックは、フランスを支配しているイデオロギー、すなわち自由貿易、福祉国家、ヨーロッパ主義、緊縮財政などを改めて念押しする機会を提供した。
 だが、それだけではなく、新しい現象、冗談ではなく心配になるような現象が発生している。
 『イスラム教』が固定観念と化し、熱狂的に『ライシテ(世俗性)』を唱える言説が社会のピラミッドの上半分に拡がっていく現象だ。 
 突きつめていえば、国民戦線への投票が民衆層に定着することよりも、このほうが遥かに危なっかしい。
 革命的な地殻変動は、左翼のものであれ、右翼のものであれ、常に中産階級の内部での意見の変動の結果として起こる。
 民衆の内部からそんな影響が及んだ例はない。民衆は『操作される大衆』にしかならない。」(前掲書)

 大衆は理性よりも感情により敏感に反応する。それも予め操作された方法で。
 エマニュエル・トッドはフランスの行く末をこのように懸念している。
 不幸にも2015年11月13日パリで死者130人にも及ぶ大規模テロが発生したが、この事件ははからずも彼がフランス社会の危機について分析した結果が正しいことを証明した。
 フランスは揺らぐEUのシンボル的存在といって言い。

2016年7月4日月曜日

揺らぐEU 2

 二十世紀末の大規模な第一次と第二次世界大戦で、欧州はいずれも主戦場となり悲惨な戦禍をもたらしたこのため欧州諸国、中でも独仏の融和が戦後長い間の悲願であった。
 一方疲弊した欧州を復活させるべく一致団結することによって経済の効率を図ろうという動きが活発となった。
 EU(欧州連合)の原点はこの二つに集約される。
 EUは当初のEEC(欧州経済共同体)からEC(欧州共同体)と段階をへて今日に至っている。
 その歩みは 経済的統合 → 社会的統合 → 政治的統合へと進んでいる。
 だがその過程でフランスとオランダが国民投票によって欧州憲法制定条約を否決した。
 これをキッカケに以後の批准手続きはすべて中止され欧州憲法制定条約は葬り去られた。
 このため政治的統合はなされないまま、1998年に設立されたECB(欧州中央銀行)により、金融はEU、財政は加盟国単位というチグハグな政策となっている。
 ギリシャをはじめとした南欧諸国とドイツなどとの経済危機への対策がEU内で対立しているのはこのチグハグな政策に起因している。

 人種、文化、経済規模などが異なるEUの行く末を予測するには、EUの実態を正しく認識することが必要不可欠である。
 不確実な未来について予測することは困難であるが、EUに至るまでの経緯および現状を正しく分析すれば一歩でもそれに近づくことができよう。

 事実上EUの盟主であるドイツの影響力、ドイツと歩調を合わせているフランスとイタリアの動向およびイギリス離脱後の影響などを分析すればおおよそのEUの実態とその傾向がわかるであろう。
 無視できないものとして事実上EUという巨大組織を実務上動かしているEU官僚の影響力がある。


 まずイギリスのEU離脱選択がEUに及ぼす影響から。
 この度のイギリス国民のEU離脱の意思にはそれなりの背景がある。
 イギリスは1973年EECに加盟したがそれも躊躇しながらの加盟であった。
 加盟2年後の1975年にその是非について国民投票を実施しているのがその証左である。
 イギリスは議会制民主主義発祥の国でありながら、この種国民投票を法律上の義務もないのにいとも安易に実施している。
 立法府より国民が優位に立つといえば聞こえはいいが、このことは議会制民主主義の原理に対する侮辱にほかならない。
 直接民主主義と間接民主主義を混同し、代議制議会を圧殺しかねない民主主義への挑戦である。
 国民投票が政治家の権力闘争の手段として使われたのであれば、それはイギリス政治の歴史的汚点として残るであろう。

 イギリスは1899年から参戦した第二次ボーア戦争の苦戦により覇権国として翳りが見え始めて以降この衰退の流れは止まらずついに1941年12月 日英開戦2日目にマレー沖海戦で戦艦プリス・オブ・ウエールズとレパルスを失ったことで覇権国からの転落が決定的となった。
 先月の国民投票は凋落イギリスを象徴する出来事の一つである。
 今やイギリスが世界に占めるGDPの割合は2.4%に過ぎない。

 EUとの関連でいえば、イギリスは二度にわたり国民投票を実施したり、EUの統一通貨ユーロを採用しなかったり、シェンゲン協定に入らず国境検査を実施するなど常にEUに対し半身の構えであった。
 そればかりか拠出金や幾つかの分野でのEU決定事項の免除などの特別待遇にもあずかっている。

 このような理由によりEUにとって、イギリスの離脱は痛手ではあるがそれ以上のものとはなりえない。
 イギリスが統一通貨ユーロを採用していないことが、イギリスにとってもEU諸国にとっても離脱の衝撃を和らげる要素となっている。
 イギリスの離脱にともない離脱のドミノ現象を懸念する声がある。その候補としてイギリスと同じくユーロ未導入のデンマーク、スウエーデンなどが挙げられる。
 が、これら諸国が仮にEU離脱するにしてもイギリス離脱が契機となるということにはならないだろう。
 EUと希薄な関係にあったイギリスの影響力には限りがある。