2012年12月31日月曜日

空気による呪縛 続々

 キリスト教、イスラム教など啓典宗教(神の啓示を記した書がある宗教)には教義(ドグマ)がある、啓典宗教でない仏教には、厳しい戒律がある。

 しかし、これらの宗教が日本に入ってきた途端、異質なものとなった。

 教義(ドグマ)や戒律は、日本流に変質し、有って無きが如きものになった。

 規範無き宗教の誕生である。否、規範のない宗教などありえないから、それに変わるものが要求されるのは必然。

 代替として空気が登場した。というより代替として空気に求めざるを得なかったというのが正確な表現だろう。

 徳川幕府はキリスト教を弾圧した。弾圧しなければならないほどキリスト教の影響が強かったことの証左でもある。

 キリスト教が、日本人になじみやすい宗教の一つであったことは間違いない。キリスト教は内面と外面を峻別し、信仰上、内面だけが問題であり、外面的なことは問題にされない。

 ところが日本に入ってきたキリスト教は、そうではなかった。日本のクリスチャンは、単なる被造物にすぎない踏み絵を、命にかけて踏まなかった。

 なぜそうなったか。当時の宣教師が、信仰上、内面だけが重要であり、外面的なことは問題ではないと正確に教えなかったせいもあるかもしれないが、日本人特有の物に感情を移入するという行動様式があったのではないか。

 そして、このことがただ神の存在のみを信じることによって信仰が成り立つというキリスト教本来の信仰から遠ざかった。

 イスラム教は日本になじみのない宗教のようだ。日本に入ってきた形跡もないし、現に日本人のイスラム教徒を見かけることもない。

 イスラム教は、宗教と社会あるいは国家さえ別々に捉えることはできないほど人々の中に組み込まれている。

 反イスラムの映画「イノセンス・オブ・ムスリム」がイスラム教を侮辱するものだとして、2012年9月11日のエジプトのカイロでの米国大使館の襲撃と、リビアのベンガジの米国領事館の大使館職員の車に対するロケット弾攻撃など、2012年アメリカ在外公館襲撃事件の引き金となったが、これなど宗教が個人とも社会、国家とも一体となっていることの裏返しである。

 この内外両面にわたり厳格な教義に拘束されるイスラム教ほど、教義を反古にし、戒律を反古にする日本という風土にあわないものはない。日本にイスラム教が入らないのも宣なるかな。

 最も日本になじんでいるとおもわれる仏教はどうか。仏教の戒律は、本来厳格であるというのが仏教学者の一致した見解である。

 にも拘わらず仏教が日本に入ってきた途端、次々に戒律が解かれ本来の仏教とは似ても似つかぬものになった。

 肉食、妻帯などその典型である。自らの都合のいいように宗教を解釈し、神仏はあたかも自分の御利益のために存在するかの如くである。

 神仏を並べて崇拝するなど、本来仏教徒にとってあるまじき行為を平気で行っているのも、また日本人なのである。

 このように日本社会には、厳密な意味での宗教は根付かないで、日本流に解釈された宗教になり、いはば日本教徒キリスト派、日本教徒仏教派なるものが誕生した。

 教義や戒律がなきに等しい社会、国家は、支えとなる確かなものがない。そのような社会、国家は不安定である。

 したがって、これらに替わるものが要求されるのは必然。歴史的にも、独裁的なるものになじまない国民性から、漠然としたその場の空気のようなものが入り込んできて、これが逆に、人々を拘束するようになった。

 空気は社会の連帯感を醸成し、安定をもたらす意味では宗教の役割の一端を担うことができる。反面、空気は身近な居ごごちよさ、安定を求めるあまり、これに反する分子には拒絶反応する。  そのやり方は、時として、教義や戒律を破ったものに対する懲罰にも匹敵するものになる。

 その意味では極めて宗教的といえる。山本七平氏は日本人の宗教を日本教といったが、この表現は日本人の宗教に対する行動様式を考えれば思い半ばに過ぎよう。

2012年12月24日月曜日

空気による呪縛 続

 空気による決定は、科学的、合理的判断によるものではないため、その結果は危険を孕むものであるため、できることなら空気の呪縛から逃れ、科学的、合理的に議論をすすめ、結論を得たいものである。
 空気の呪縛をなくする方法、それは水をさすことであると、山本七平は、空気の研究でのべている。
 事実を事実としていうことにより、空気の呪縛を解くことができる。事実を事実としていうことは、我々の社会、特に、社会学者が定義する”共同体”の中では、勇気のいることであり、時として、情況を加味しない裏切り行為となる。
 また、よしんば、うまく空気による呪縛を解いたとしても、当該空気とは別の違った空気が発生する。
 猪瀬直樹氏は、彼の著書、空気と戦争で、太平洋戦争開戦の是非につき、優秀な官民の若手メンバーからなる、模擬内閣が、検討した戦争シミュレーションでは、緒戦は優勢なるも次第に劣勢になり、最後はソ連の参戦を招く、という事実を先取りしたかのような検討結果を報告した。
 シミュレーションとはいえ数字に裏打ちされたものであったが、上層部は、これを机上の空論として却下した。昭和天皇は、一旦開戦と決まったが、なんとか和平の途はないものかと、東條英樹に意をつたえられ、東條は開戦回避に動いたものの、当時の空気に押し切れれてしまった、というようなことをのべている。
 事実、あるいは科学的、合理的推論も、空気という圧力にはなす術がない、ということは、空気は我々のなかに、なにものにもまして、最上位に位置する規範となっていると考えなければ説明のしようがない。
 規範は、人は判断するうえでの、すべての基礎となるものであり、規範がない社会は想像できない。
 社会学者は、日本社会における空気は、キリスト教、あるいはイスラム教の教義(ドグマ)にあたると指摘する。
 もしそうであるならば、空気の支配下にある我々は、空気というものを教義とする宗教を信じる民ということになる。
 山本流にいえば、日本教徒である。事実、社会科学者、小室直樹博士は、日本におけるすべての宗教は、日本に入った途端に異質なものに変わる。
 たとえば、我々は、キリシタン弾圧にたいし、命にかけて踏み絵を踏まなかった信者を真のキリスト教徒と考えるかもしれないが、小室博士は、そうではないという。
 真のクリスチャンであれば、単なる造作物でしかない踏み絵など、蹴飛ばすことができた筈である、と。
 このことは、山本七平が空気の研究でも指摘している。日本人は、ものに感情移入し、そのものの背後に崇拝あるいは悲惨となるものを臨在させ、その臨在感的把握を絶対化することによって、そのものに、逆に支配される。
 このような、物神化は、西洋社会にはなく、日本特有のものである。
 彼らの指摘するように、われわれ日本人は、空気というものを教義にいただく宗教を信じる民ということであれば、常に非科学的、非合理的な意思決定に動かされる民ということになる。
 それはまた宗教であるから、表面上はともかく、改宗など簡単にできるわけはない。このようなことになると、なにか暗澹たる気分になる。
 日本人は宗教に寛容であり、暗に、キリスト教とかイスラム教など一神教は非寛容であるなどと、半ば優越的に思っていたとしたら、その感情など、ズタズタに引き裂かれてしまうだろう。
 日本は宗教について寛容などでなく、世界の他とちがって異質であると認識したほうがよさそうである。
 どのように異質なのか、空気による呪縛を基点として調べてみたい。
 本日はクリスマスイブ、いつも通る散歩道のケーキ屋さんに、いつになく行列ができていた。


2012年12月17日月曜日

台湾雑感

 台湾ツアーに参加した。ほんの駆け足で台湾を一周した。南国台湾は陽気で親切、端々に親日的な表情がよみとれる。
 もちろん陽気なばかりではないだろう。台湾の人の陽気な表情の影にはかなしみもあるだろう。
 それをよみとるとすれば、台湾の歴史に遡らなければならない。歴史的には大陸中国は、長らく台湾を中華文明の及ばない「化外の地」として領有に関心を示さなかった。
 それが日本の敗戦を機に突如、外省人(大陸中国人)として、台湾に乗り込んできた。
 「犬去りて、豚来たる」と評されたように、日本の絶対君主制が終わったら、国民党による一党独裁が始まった。
 本省人(台湾人)は、外省人による汚職、差別などに悩まされるあまり、日本統治時代を懐かしんだ。
 また台湾人が、「アメリカは日本に原爆を落としただけだが、台湾には蒋介石を落とした」というように、独裁がもたらす災厄に強い警戒心をもっている。
 現地のガイドさんはいう 「我々は民主主義国だ、日本と同じ、中華人民共和国とは違う、彼らは僅か7人で政治を行う」 と。
 中国本土との経済的な結びつきが益々強くなり、いずれ統合もと考えられるかもしれないが、この台湾人の民主主義を求める精神は、経済的な絆だけでそう簡単に妥協するとは考え難い。
 日清戦争に勝利した日本は、1895年4月下関講和条約によって清国より台湾の割譲を受けた。この割譲について第三代台湾総督の乃木希典は言った 「貧乏人が馬をもらったようなものだ」 と。
 この乃木の言葉から、当時の日本の国力では台湾を統治すのは容易ではなかったことがうかがえる。しかし日本は領土獲得後、日本国内と同じように扱うという内地延長主義をとり、インフラ整備、教育の普及、産業育成、アヘン撲滅等、西洋列強の搾取する植民地政策とは異なる政策で台湾人の支持を得た。
 一方的に搾取する西洋式植民地政策ではなく、開化して統治する内地延長主義が、台湾人の心を惹きつける原因の一つとなったことは間違いなかろう。
 台湾近代化の父と呼ばれる後藤新平は、アヘン対策で、アヘンを専売制にし常習者のみ販売するが、新たに吸引するものは厳罰に処した。
 「ヒラメの目を鯛の目に付け替えることはできない」の喩えで、悪習といえども他民族の習慣を尊重しながら、時間をかけ無理なく目的を達するという目覚しい手腕を発揮した。
 その他後藤は数々の台湾近代化の基礎を築いた。台湾南部に烏山頭ダムを建設し治水と灌漑に貢献した八田興一、日月漂の水力発電事業を完成させた明石元次郎などはいまだに台湾人から深い敬意をもって評価されている。
 海外、特に中国、朝鮮半島における日本人の所業のマイナス面ばかりが取りざたされる昨今だが、この地、台湾での先人の業績は、救いとなり、我々に希望と勇気を与えてくれる。
 かって、尾張からやってきて肥後藩主となった加藤清正は、道路、治水の整備など土木建設で領内の基盤を築いた。他の殆どの大名とちがって、単に統治しただけでなく、農業、土木技術で功績をあげた。人々は、彼を清正公(せいしょこ)さんと呼び今なお人気が高い。
 良いものを良いとして素直に受け入れる柔軟な心のありよう。
 この心は台湾と日本に共通しているようだ。これが親日台湾の基礎になっているとすれば、我々の励みにもなり、将来への自信へと繋がる。
 もっとも台湾との関係は、順風満帆ばかりではなかった。1972年9月日中共同声明第三項
中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」
 この声明に田中角栄首相と周恩来首相が署名した。日中国交回復のために、台湾との日華平和条約を終了させた。世界で最も親日的な台湾を、日本政府は切り捨てたのである。
 この非情な仕打ちに台湾は、当然ながら怒ったが、大事に至らなかった。長い日台関係の歴史に救われたともいえる。
 現地のガイドさんの説明はつづく 「いま台湾は26ヶ国と国交を結んでいます。グアテマラ、パラグアイ、ハイチ、ドミニカ、・・・・・・・・」 日本とは国交がありませんとは言はないし、まして1972年に国交断絶しましたなどとは言わない。
 それに触れないだけに、より一層、後ろめたい気分になる。

2012年12月3日月曜日

空気による呪縛

 空気の束縛という原因不明の捉えどころの無いものが、猛威をふるっている。
 日本社会では、空気による呪縛が山本七平によって指摘されて久しい。
 ネット社会になって空気による呪縛がますます勢いを増している。ネットの世界で、異端と思われる発言があれば集中砲火をあび炎上といはれる現象になる。ネットの世界では顔がみえないだけに炎上の度合いが、加減を弁えずに極端になりがちである。
 また日常の会話では、場の空気を読めない人を指す、KYという俗語まで誕生した。
 山本七平は、彼の著書、空気の研究で、近代の日本社会は、空気によって支配されており、重要な決定は、論理的に積み上げられた結論によってではなく、その場の空気によって決定される、と自らの経験および先の大戦時の戦艦大和の出撃決定の経緯等、数々の例証を挙げながら論じている。
 また、日本人が宗教的に寛容だという人に対し疑問を投げかけている。
 空気という呪縛は、ある一点に触れた場合には、おそるべき不寛容を示し、その人の人権も、法的・基本的権利も、一切無視して当然だとする。
 また空気の呪縛は、法律以上の力をもち、感情移入を絶対化した臨在感を醸成し、人々を狂乱状態に陥れ、その対象とされた人間からあらゆる法の保護を剥奪する。
 空気の呪縛に逆らった行為は、時として、宗教裁判よろしく異端として、抗空気罪の厳罰に処せられるのだ。
 我々の日常生活を見回してみても、空気という呪縛は、至る所に充満している。
 例えば、かしこまった席では、物事の建前ばかりがまかり通る。 空気の束縛で誰しも本音が言えないのだ。たまに本音を言う人がいれば、その人は、場を弁えない非常識な人という烙印を押されてしまう。
 また非日常的な事態に遭遇した時、空気による呪縛は、その姿を暴力的に現わすときがある。
 昭和天皇の病状が一進一退していたときの自粛ムードがその典型であろう。
 このときの自粛の空気は、眼に見えない強制力があり、国民全体を不自然なまでに縛り付けた。
 公的なすべてのお祭りやイベントが中止になるだけでなく、個々人の慶賀、イベントも自粛という名のもとに中止となった。
 この空気に抗して強行する人は殆どいなかった。
 国民の間に慶賀やイベントを許す空気など全くなかったのである。このため、関連する仕事に従事する人は、商売あがったりで悲鳴をあげた。
 この自粛は、昭和天皇の病状を心配するというよりも、自粛という概念が、恰も全体主義のスローガンの如く一人歩きした社会現象であった。
 そこには内面的なものは一切なく、外面的なものだけであり、暗黙の了解事項となった。
 内面性が全く無視され道徳的にも退廃を来たした。人々はただひたすら、自粛という空気の呪縛になすがまま、自粛のための自粛に突き進んだ。
 昭和天皇の病状を気遣うための自粛が、全く違った別のものになってしまった。
 この出来事は遠い昔のことでなく、ほんの四半世紀前のことである。大戦を境に日本人の精神構造が生まれ変わったと考えるのは幻想にすぎないようだ。肝心の根元の部分では何も変わっていないといはざるを得ない。
 この時の自粛現象は、太平洋戦争に突入した当時の軍国全体主義に重なるところがある。
 両者に共通するのは、だれが始めたのか、だれが命令を下したのかはっきりわからない、責任の所在のなさである。
 誰かの命令一下によって、なされたのではなく、原因不明のまま、ずるずると空気の力により、なんとなく突入したのである。
 空気の力によって突入したのであるから、論理的に説明できないし、責任の所在もわからない。
 この四半世紀前の出来事が、近い将来、姿を変え、再びおきないという保証はどこにもない。
 山本七平が論証したように、空気の呪縛により導かれた結論は、科学的・論理的に導かれた結論などではなく、なんの根拠もない、その場の空気によって導かれたものであり説明不可の結論である。
 それ故、その結論は時として危険極まりないものにもなりうる。
 将来日本の運命を決しかねない事態に直面して、その決断が空気の支配によってなされたら、過去と同じような悲惨な結果がもたらされる可能性を否定できない。
 日本人は、はたしてこの残酷な空気による呪縛から逃れられるのだろうか、またこの空気による呪縛は日本だけの特有の現象なのだろうか。引き続き考察したい。

2012年11月26日月曜日

ヒメの散歩

 犬の散歩を、毎日の日課としている。名前はヒメ、ウェルシュ・コーギーで6歳になる雌犬である。
 コーギーは脚が短いせいか、成犬でも、一目子犬にみえる。そのためかどうか、時々、散歩の途中で、子供、特に女の子が、かわいいと声をかけてくる。
 たまに学年を訊くと、たいてい、小学校低学年である。
 先週、いつものとおり、散歩の途中、近くの公園で一休みしていたら、例によって、小さい女の子が二人、ヒメに近づいてきた。
 しばらく、すぐ近くでじっとヒメを見ていた。犬に興味ありありの様子だったので、触ってもいいよ、咬まないからといったら、おそるおそる触りだした。
 頭をなでてやって、といったら、素直に頭を撫でだした。頭を撫でられて、ヒメはいつものように、気持ちよさそうにうっとりした表情をみせた。
 どうやら、後でわかったのだが、女の子二人は姉妹で、姉のほうが一つ二つ年上のようだった。
 「名前は?」と訊いたので、「ヒメ、女の子だからお姫さまだよ」と答えたが、これにはなんの反応も示さず、ただヒメを触り続けている。
 ヒメの相手をしている合間、なにやら姉の方が妹にたいし、お姉ちゃんらしく諌めるようなことばとそぶりをみせる。
 10分もたったろうか、そろそろ帰るべく腰をあげた。ところが妹のほうが、のこのこついてきた、いつものとおり公園の前の道路を横切り小川の堤の緑道に沿って家路に向かったが、その子はなおついてくる。
 「何歳」ときいたら、「4歳」とこたえた。さっきの子はお姉ちゃん」と訊いたら、「うん、うちは3人兄弟なの」と答えた。
 訊いたわけではないが「家では、トカゲとウサギはいるけど、犬はいない」という。
 「何で帽子をかぶっているの」と訊いてきたので、「寒いから」とこたえた。
 その間「家はどこ、こっちの方」と方角を指差しながら何度か訊いたが、なぜかこの質問には何の返事もしない。
 「迷子になるから早く家に帰ったほうがいいよ」というと、「大丈夫、道はわかるから」と返事する。
 「道はわかってるから迷子にはならないよ」と間をおいて強調する。
 ヒメの先を歩いたり、後に廻わったりしながら、ポツリと一言「犬の散歩は楽しい」といった。
 緑道も通り過ぎ、ゆるやかな坂を上りかけたころ、見知らぬ女の人から「ヒメちゃんね、あら!このお子さんお嬢さんの」と声をかけられたので、「いえ、知らない子です」とこたえたら、その人はきょとんとしていた。
 やがて坂道ものぼりつめ、いよいよ我が家に近づいた。4歳の子にしては公園からここまでは結構な距離になり、てっきりこの子の家は方角的にこちらの方だろうと、その時点までは思っていた。
 そして、「家はどっち」と再度訊ね、「おじちゃんの家はすぐそこだから」といったら、一瞬まよったそぶりのあと、「それじゃバイバイ」といって、今まできた道と方角は同じだが、別の車道を一目散に駆け出していった。
 それも道路の真ん中を走っていった。幸い車が少ない道路ではあったが、姿が見えなくなるまで走り続けていた。
 曲がり角までせいぜい200メートル程度であるが、小さい子で、しかも夕暮れ時でもあり、最後は点になって見えた。
 その姿を見送った後、迂闊にも、あの子の家が我が家の方角ではないことを知った。そして、迂闊にも、あの子が、何度訊いても、自分の家を教えなかった意味がわかった。
 あの子は自分の家を教えたら、すぐに犬との散歩ができないとおそれていたのだ。
 なぜか清々しい晩秋の一日であった。

官僚システム 続々

 官僚の腐敗は、長い年月を経た官僚システムの制度疲労に由来するもので、単にスローガンだけで官僚の腐敗をなくせるほど生易しいものではない。
 2000年の長きにわたる官僚組織の歴史をもつ中国の盛衰はよい参考となる。
 中国の歴代王朝の衰退の根底には、官僚の腐敗があったと言われてきたが、現代においてもその伝統は脈々と生きている。(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/600833/
“腐敗官僚”になりたい!中国、7割が副収入に魅力
2012/10/23 16:11
 公務員になりたいとの回答者は、広東省など東部よりも陝西省や四川省など中西部の方が多く、開発が遅れている内陸ほど役人になることへの執着心が強いことが明らかになった。(共同)
 中国共産党機関紙、人民日報系の雑誌「人民論壇」がこのほど実施した官僚に関する意識調査で、回答者の70%近くが「党や政府機関の公務員になりたい」との回答を選択した。
 官僚になる魅力として70%以上が、給与以外の所得を指す「グレーな収入」が多いことを挙げた。
 約55%が「官僚の力は法律よりも勝る」と指摘。共産党は来月の党大会を控え、官僚腐敗への綱紀粛正を図る姿勢をアピールしているが、国民の間では官僚の権力や社会的地位に憧れを抱く意識が依然として強いことが浮き彫りになった。
 調査は10~15日にインターネットやアンケートを通じて実施。2823件の有効回答を得た。)
 躍進中国を妨げるものがあるとすれば、歴史的には、中国自身の内部からであろう。
 中国の歴史は、また、官僚腐敗に対する戦いの歴史でもある。腐敗官僚に対し、中国歴代王朝は知恵を絞り、さまざまな対策を立てた。
 官僚に自浄作用を求めるのは、木に縁りて魚を求む類いとし、初めから、官僚の自浄作用など期待していなかった。
 官僚システムを悪として捉え対策を練った。そしてとった対策は、官僚システムに対抗する組織をつくり、この組織にに官僚を監察する役割を与えた。
 王朝により、制度は異なれどこの姿勢は一貫していたようだ。
 しかし、これらの努力にもかかわらず中国の歴代王朝はすべて滅んだ。日本においても、官僚に自浄作用を求めるのは無理であることは、前論でのべた。中国歴代王朝のように官僚システムに組織的なチェック機能をもたせても、最終的には、すべての王朝は、腐敗し、滅んでしまった。
 官僚の腐敗がすべての原因ではなかったにせよ、根底に官僚の腐敗があったと言われている。
 げに恐ろしきは官僚の腐敗構造である。
 それでは、官僚システムをいっそなくせば解決するのか。いくらなんでも、それは暴論である。
 複雑に絡んだ近代国家は、官僚システムなしでは、運営できる筈がない。
 これと真正面から取り組む他ない。官僚が、その本来の役割に徹しできるような環境づくりが本務ではないか。
 官僚が法体系に従い、機械のように機能する環境づくりである。
 そのためには、政治家主導で官僚をうまく使いこなすことに尽きる。
 しかし、これは、言うは易く行うは難しである。日本の現状は、真逆で、官僚が主導して政治家をうまく使いこなしている。
 これが、混迷する日本の元凶である。然るに、そのような、政治家を選んだのはだれか、結局ここに帰着する。
 当の政治家は一体だれによって選ばれたのか、他ならぬ日本国民自身の自由意思によって選ばれたのである。
 現状は、日本国民が自ら蒔いた種によってもたらされたものであり、自業自得といはざるを得ない。
 苦境にあって、これを打開するには、現状を嘆くばかりでなく、まず事実を直視することから始めなければなるまい。危機に直面した駝鳥のように砂の中に頭を突っ込んでいては何の解決にもならない。
 マックス・ウエーバは、資本主義社会が成り立つためには、労働の最終目的が、成果物を得ることではなく、労働そのものであり、労働が使命となることであると定義している。また前提として厳しい倫理観が求められるとしている。
 日本の官僚システムの創設者である大久保利通は、清廉であった。あれほど権勢を誇っていたのに死後、多くの借金があることが判明した。
 夏目漱石の小説に登場する人物は、金銭にたいして厳格で、少しでもやましいお金にたいしては拒絶した、喉から手が出るほど欲しいにも拘わらず。
 もっと遡って、江戸時代では、自分の技術に自信をもち、金銭などのために筋を曲げたり、安易に妥協しない職人気質が尊重された。
 このように日本人の精神構造は、金儲けが、ほんの手段に過ぎず、けして最終目的ではなかったことがわかる。
 この貴重な日本人の精神構造こそが、短期間で近代化をなしとげ、奇跡といはれる経済成長を達成した原動力の一つとなったことは間違いない。
 近代化のための素地は備わっていたのだ。日本はこのように、近代化を成し遂げた。
 しかしながら、それは、けして民衆から澎湃として湧き上がって成し遂げられたものではなかった。
 マックス・ウエーバがいう真の意味で、資本主義社会の実現ではなかった。むしろ社会主義社会よろしく官主導の色彩が極めて濃いものであった。
 社会学者のなかには、日本は唯一成功した社会主義国であると定義する学者もいる。近代日本の歩みをみれば、形式上はともかく、実態としては社会主義そのものだ。日本がこのまま社会主義的な官主導国家のままであったら、衰退は目に見えている。
 バブル崩壊後の現状がなによりもそれを証明している。昨今の日本は、ある意味、第一次大戦後のドイツのワイマール共和国の状況に酷似している。非常に危険な状態といえる。
 日本は、衆愚政治が蔓延り、官僚システムが腐蝕し、もう一度どん底に落ちるところまで落ちねば復活する途はないのかもしれない。
 そのような事態になるのだけは避けなければならないが、日本の現状は、楽観できない。
 日本に真の意味で資本主義を根付かせるためには、母体となる土壌を根気強く耕し、諦めずに、これを求め続ける以外にない。
 実現性の如何は、国民一人一人にかかってるといっても過言ではない。
 なぜなら ”国民のレベル以上の政治家は持てない” のだから。

2012年11月19日月曜日

官僚システム 続

 野田首相の決断で衆議院が解散になった。政治主導を掲げ、華々しく登場した民主党政権ではあったが、結果は、政治主導どころではなく、以前にもまし官僚主導となった。
 民主党については、マニフェスト違反が致命的となった。当然であろう。
 単なる約束違反という罪にとどまらず、日本に民主主義が育つ土壌を破壊したという意味で、万死に値する。
 政権奪取時の公約が、履行されなければ、その時点で直ちに政権を返還するのが民主主義のルールである。
 政権奪取後、公約を守らなくて好き勝手にしていいということになったら、それは民主主義ではなく、独裁政治となる。
 もっとも、公約はいかなる場合も変更不可ではない。環境の激変があった場合、厳格な説明責任を条件に、公約の変更は容認されよう。
 しかし、民主党の場合、マニフェスト違反に必然性もなく説明責任も果たさなかった。
 混迷した民主党にかわり、官僚は、わが世の春を謳歌した。かかる事態をみてか、第三極の日本維新の党が消費増税、原発、TPP等重要な案件の矛盾を抱えたまま、官僚主導の打破を旗印に大同団結するという。
 片や、賢明な識者のなかには、今は、デフレの脱却、福島の復興、防災、防振対策が喫緊の課題であって、官僚主導の打破ではないと主張する。
 どちらに、理があるか。結論を急ぐまえに、なぜ、この3年間で官僚が一段とその権勢を増したかを検証する必要がある。
 民主党は3年前、結党以来初めて政権の座についた。そして政治主導を掲げ華々しく走り出したが、ことごとく壁にぶつかり跳ね返された。
 高速道路無料化、子供手当て、八ッ場ダム中止、天下り廃止等々。
 また、官僚の壁に跳ね返されただけでなく、強烈なカウンター攻撃を受けた。
 不景気の中、財政再建の名目で消費増税を洗脳され、条件付きとはいえ増税を決定した。
 不景気の中での消費増税は税収減となり、財政再建はむしろ遠のくのは、橋本内閣の消費増税で経験済みの筈である。
 シロアリ退治を叫んだ本人が、シロアリの本丸に飛び込み、自らシロアリとなる。”ミイラ取りがミイラになる” しょせん日本の政治家とは、斯くの如きかと諦めたくもなる。
 悲しいかな、民主党は、経験不足、準備不足、知識不足の、ないないづくしであった。
 どの組織であれ、経験もなければ、専門的知識もない人が突然上司としてやってきて、スローガンだけで、おれのいうことを聞けといはれて、すんなりうけいれられるかどうか、自問してみればわかるだろう。
 残念ながら、これが日本の政治家と官僚の関係であるが、民主党の場合、これがあからさまに表面に現れた。知識と経験のない大臣は、官僚に指示するどころか、国会答弁にあたっては、官僚に頼らなければ何一つ答えられない光景がしばしばみられた。
 立法府たる国会で、国会議員が自ら作成した議員立法がでれば、お化けがでたかと紛うほど少ない。
 殆どが官僚が作成している。これでは国民は頼れるのは官僚であって政治家ではないと判断してしまうだろう。
 かかる事態になった淵源は、敗戦直後の混迷の時期に求めることができる。敗戦直後、マッカーサは戦争責任の一環として公職追放令を発した。
 このため保守政界では人材は払底した。吉田茂は官僚の中から優秀な人材を次々政界に引っ張り込んだ。
 「小説吉田学校」の誕生である。優秀な官僚が続々政界に進出し、ついには池田勇人、佐藤栄作などが首相にのぼりつめ中央政界を支配しただけでなく、地方では知事の大半が官僚出身者で占められるまでに至った。
 時あたかも朝鮮戦争特需をへて高度経済成長に向かい、国際社会から奇跡の経済成長ともてはやされた。
 小説「官僚たちの夏」に描かれた官僚は国士意識にあふれ、まばゆいばかりに輝いていた。景気は良くなるし、国民の給料は増える、良いことずくめである。
 主人公の風越信吾は言う「おれたちは、国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ」。
 この言葉に国民は何の違和感も感じなかったし、優秀な官僚に任せておけば万事うまくいく、安心だと思った。
 「最良の官僚は最悪の政治家である」などと、言おうものなら、お前は何だ、国賊か! と罵倒されただろう。
 それほどまでに、官僚に対する、国民の信頼は厚かった。
 遡って、明治維新を経た、新生日本ではどうだったか。
 横井小楠が提唱した国是三論をもとに、明治新政府がおしすすめた「富国強兵」の旗印のもと、官僚システムを総動員し、一躍列強の一角を占めるまでに立ち至り、遂には、日清、日露戦争に勝利した。
 ここでも官僚システムは遺憾なく発揮され、国民の信頼を勝ち得ている。
 日本は神国であり、「お上」が我々を勝利に導いたのであると。かくして、日本人の「お上」のスタッフたる「官僚」に対する、揺るぎない信頼の原型がこの時代に確立されたとみても差し支えないだろう。
 このように、官僚に対する信頼は、日本人のDNAに深く刷り込まれている。
 明治の新生日本から、奇跡といはれた高度成長期に至るまでの、輝かしい成功体験により、日本人の官僚に対する信頼は、生得観念と紛うほど強固になった。
 ここでのキーワードは”成功体験”である。成功体験ほど人を勇気づけるものはないが、同時に、成功体験ほど罠が用意されているものはない。
 しばしば失敗例としてあげられる大艦巨砲の戦艦大和は、後者の例の典型である。
 日露戦争の日本海海戦で、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊は、大艦巨砲と艦隊決戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破した。
 この戦闘での成功体験が対米戦争でも引き継がれ大艦巨砲主義が廃れることはなかった。
 第2次世界大戦では、すでに航空機が主役を演じているにも拘わらずにだ。結果は周知の通りである。
 成功体験により培われた国民の官僚システムに対する信頼は、相次ぐ官僚の不祥事で、昨今、その信頼が揺らいでいる。
 この傾向はバブル崩壊後顕著になり、底知れずデフレが進行し、リーマンショック、東日本大震災を経て、事態は加速度的に悪化した。
 いままで経験したことのない事態に対して、官僚が全く無能であることを図らずも証明した。
 しかし、官僚システムは自己増殖機能をもつ。国民の信頼の有無にかかわらず、肥大を続ける。利権と権限を求め、果てしなく増大する。
 これはどこかで止めなければならない。さもないと、国家が消滅してしまう。中国の歴代王朝の歴史はその繰り返しであったことが雄弁に物語っている。
 先に述べた、デフレの脱却、福島の復興、防災、防振対策は喫緊の課題であるが、これを完遂するためには、政策が”有効に”実施されなければならない。
 これを担保するのは、官僚システムの”有効な機能”である。
 したがって、この二つは切り離して議論すべき問題ではない。今度の選挙で、第三極は日本の官僚システムを立て直すことを大同団結の旗印にしている。
 日本の官僚システムの成り立ち・経緯を知る限り、これを立て直すのは容易なことではない。
 第三極を、風車に向かって突撃するドンキホーテ、といっては言い過ぎだが。

2012年11月12日月曜日

官僚システム

 戦後の日本は、マッカーサによって、軍部と財閥は解体させられた。
 しかし、官僚システムは無傷のまま存続した。時をおって官僚システムは肥大しつづけ、おきまりの制度疲労をおこした。
 汚職、腐敗が拡がり、ついには厚生省、防衛省の事務次官の逮捕にまで及んだ。
 また賄賂で摘発された官僚が「なんで自分だけが」という不満に代弁されるように官僚の腐敗は、その組織を蝕んでいる。
 表面に現れた不祥事は氷山の一角と考えるのが妥当な推論だろう。
 今や、日本を食いつぶさんばかりの勢いである。なぜ、こうなってしまったのか。
 ここは、社会学者、ドイツのマックス・ウエーバの官僚制についての洞察をもとに解明したい。
 ウエーバは官僚制を家産官僚制(Patrimonial bureaucracy)と依法官僚制(Legal bureaucracy)に分け定義した。
 家産官僚制とは、主君と家臣の関係で、主君の公権と公金を家臣(官僚)が管理する。
 官僚は公権も公金も恣にし、公私の区別はない。家臣は主君のために、働くのであって、臣民に対しては、奉仕するのではなく、施す立場である。施す立場であるので、賄賂は当然の報酬であって、罪悪感などない。
 これと対立概念にあるのが依法官僚制である。官僚は法律によって国家と国民のために奉仕すると定義づけられている。
 そこでは、裁量の余地はなく、法に従い機械のように働くことで公平さが担保される。
 官僚は、国家、国民のために、施すのではなく、奉仕する。奉仕する立場であれば、賄賂など罪悪感なしには受け取れない。
 主君と家臣の立場の関係が、殆ど昇華したと思われる事例がある。
 司馬遼太郎が戦前の参謀本部について述べた事例を思い出す。
 参謀本部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)の参謀が、我々は、天皇陛下の軍隊であり、天皇から統帥権を拝命している。軍隊の、意思、行動は、すべて、この統帥権に基づいているとし、政府、議会を超越して独断的に振舞った。そこには、国家、国民は不在である。当時の軍内部には、統帥権という、なにか、どす黒い、得体の知れないものが、権力を恣にして、蠢いている、と作家一流の表現でのべている。
 翻って、現代はどうか、先にのべたように、わが国の官僚制度は、敗戦にも拘わらず無傷で生き延びた、生き延びただけでなくさらに強化された。
 「権力は腐敗する、絶対権力は絶対的に腐敗する」(ジョン・アクトン)という政治の定理がある。
 実質的に、これほど長きにわたり、権力の座にあれば、腐敗しないほうがむしろ奇跡かもしれない。
 こういうと、かならず反論がある、現代の官僚は、国家、国民に奉仕する立場であり、役人は公僕にすぎないと。
 また、何れの国、組織をみて、賄賂等が一切ないところがあるか、あったらむしろ教えてもらいたい、日本にも、たしかに賄賂があるかもしれないが、他国とくらべれば、まだましな部類ではないかと。
 たしかに、公務員は、行政組織の構成要員であり、予め決められた自らの職務を遂行する立場にすぎない。
 しかし、現代の行政機構は、複雑に絡み合い、一般国民には、分かりにくい組織になっている。
 また、霞ヶ関文学と揶揄されるように、官僚の裁量の余地を、最大限にするための、抜け道を、法律の条文に潜りこませる手法は、官僚の常套手段で、自らの権限と利益を確保しようとする。
 このように、現代の日本の官僚制度は、先に述べた、依法官僚制とは程遠い、限りなく家産官僚制に近いシステムである。
 国家、国民のために奉仕するのではなく、自らの権限と利権のために汗を流す。官僚組織の避けられない一面である。
 権力が権力を求め自己増殖を繰り返す。恰もガンの如しである。
 汚職のない国家は皆無、といってはいいすぎかもしれないが、そのような国家はむしろ稀有だろう。
 ガンによって人は死ぬ場合もあれば、うまく生還できる場合もある。
 国家も官僚の腐敗によって、滅亡する国家もあれば、再生する国家もある。
 その判定基準はなにか。ずばりそれは、自浄能力の有無であろう。
 国家が汚職に対して自浄機能を発揮すれば、どんなに汚職が蔓延したとしても安全である。
 はたして日本の官僚システムはどうか。自浄機能が有効に働いているのか。
 身近な例から一つ検証してみよう。東京電力の福島第一原子力発電所の耐震安全性の問題をピックアップしてみたい。
 福島第一原発は、プルトニウムを使った発電「プルサーマル」を実施した。福島県は、その実施に先立ち、耐震安全性を検証するよう求めていた。
 原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「プルサーマルと耐震は関係せず」として、福島県の要求を一蹴した。
 結果は周知の通りである。もしこの福島県の要求を受け入れ耐震対策を検討していれば、あのような惨事は避けられたかもしれないし、すくなくとも被害をより抑えられた可能性がある。
 また、事故当時の経済産業省松永和夫事務次官は、おなじく原子力安全・保安院長であった当事、原発の耐震設計の見直しを主導し、津波被害の影響を軽視した指針を策定し(このため、福島原発の津波の想定が低めに設定された)、結果的に、福島原発の惨事を招いた。
 その後両名とも退職したが、退職時の退職金は減額されるどころか増額された。
 注目すべきはこのような大惨事にもかかわらず、官内部から、自らの責任を問い正すことはなかった。自浄作用など全く機能していない。
 驚くべきことに、大多数の国民は、このことに、さして違和感を感じていないようだ。福島第一原発事故は、恰も、隕石が落下した事故であるかの如くである。
 日本は官僚主導により、奇跡といはれる高度成長を遂げた、同時に官僚主導により、バブルを破裂(ハードランディング)させ、護送船団方式で銀行を誘導、支配下におき、金融危機を招いただけでなく、先進国では、はじめて酷いデフレに陥り、いまだにその責め苦から逃れ出ることができないでいる。
 いくらまともな経済政策があったとしても、その遂行をことごとく官僚システムが阻害している、いや、阻害するだけでなく、逆行させている。
 不景気の中の消費増税など言を俟たない。
 「最良の官僚は最悪の政治家となる」というマックス・ウエーバの政治の大定理がある。官僚は、前例や既存の法律に長けても、新しい事態には無力である。
 官僚に、政治をやらせることは、無免許の若者に、大型バスを運転させるようで、危険きわまりない。
 さりとて、官僚に政治を教えることは、サルにバスの運転をさせるよりも難しい。
 幕末の動乱のさ中、身を挺して国を救う気概をみせ、志士の鑑となり、武蔵野の露と消えた吉田松陰。リーダーシップとはなんのことか、官僚には解らないのだ。
 なぜ日本は、マックス・ウエーバの定理を地でいくようなことになってしまったのか、日本人には、どうしても、このことが理解できない。
 官僚支配がこの国に根付いてしまっていて、生得観念になってしまっている。
 その原因を探りあてようにも、自らの立ち位置がわからないため、手がかりさえ掴めないでいる。
 日本人の魂に深く潜り込んでいるからである。これを分析しない限り展望は開けない。
 それは至難の技だ、至難の技だが解明する他ない。

2012年11月5日月曜日

インドの旅

 先月インドを旅した。喧騒と熱気、どこかでみたような風景でありながら、どことも違う、文字通り異国に来た実感がインドにはある。
 インドのほんの一部をみただけの印象であるが、タイやベトナムなどとも違うし、敗戦直後の日本の風景とも違う。それは、気の遠くなるような長い歴史に培われた風習が、現実の生活にむき出しになっていると表現していいかもしれない。
 アーグラでは、ヒンズー教徒ではない、ムスリムのムガール帝国の王が寵姫のために建設した霊廟タージ・マハルを見学した。 タージ・マハルは2万人の職人と22年の歳月をかけ完成された。
 そのロマンもけた外れなら、建設後、みずからは、息子(三男)に幽閉されるという、ギリシャ悲劇にも登場しかねない物語性が人をひきつける。
 ジャイプールでは、マーケットを見学した。インドの女性は、肌身をさらす部分がすくない、そのぶん、衣装に精一杯の力そそそぐようだ。
 マーケットのサリー売り場にひしめく女性の活気、まなざしは、バーゲンに集う日本の女性のまなざしの比ではない。
 狭いところにうずたかく積まれたサリーを漁る女性の姿はまるで戦場だ。
 ベンガル虎を見てみたいとランタンポール国立公園にいった。  キャンターで、でこぼこ道を何時間も走りまわり、運よく親子の虎をみることができた。
 しかし、いざ虎と出くわしたときには虎よりも一緒にキャンターに乗っている人々の興奮した表情に、つい注意がいってしまって、肝心の虎はあっというまに過ぎ去ってしまった。
 インドは、たしかにアメリカの証券会社のエコノミストがレポートした”BRICS”の一角を占めるほど活気に満ちている。
 同時に、五千年にもおよぶカースト制度が、いまなお続いていることは、インドの運命を決定づけかねない。
 カーストはヒンズー教にもとずく身分制度だけに、その根は深い。
 カーストにより職種は決定される。カーストにない新しい職種、たとえばIT関連などに、優秀な人がカーストの身分を問はず流れ、インドがIT大国になったのはそれが原因ともいわれている。  門閥を問はず人材を集めた幕末長州の奇兵隊を連想させる。
 我々がカーストを批判するのはやさしい、しかしカーストはインドの人々の日常生活、世界観に深く根ざしていて、これによって社会の調和がたもたれているようにみえる。
 マハトマ・ガンジーの非暴力抵抗運動が国民に広く浸透しているためだろうか、インドの人はどこかやさしい。
 来世でのカーストのランクアップのためには、何事にも耐え、ひたすら善行につとめているのだろうか。
 ふと疑念が脳裏をよぎった、我々が考える経済発展など、インドの人にとっては”俗物の考え”にすぎないのではないか、と。

2012年10月19日金曜日

財政再建 続

 財政再建には、なにより景気をよくし、税収を増やさなければならない。
 日本には、景気を良くする為の客観的条件は、充分整っている。しかし、景気はよくならない。景気を良くする為の、正しい、施策が打たれれば、景気はよくなるだろう。
 何故に、正しい施策だ打たれないのか。これを、阻害する要因があるのだろう。景気対策は、政府が立案し、行政が具現化する。官僚は、法律の忠実な履行者であるが、立案段階から、深くかかわっている。
 このシステムが正しく機能していれば、失われた20年などあり得ない、失われた10年、いや5年ですんだかもしれない。
 デフレ期の景気回復には、財政政策と金融政策のあわせ技が要求される。学者、エコノミスト等、これについて異を唱える識者はすくない。
 まず、財政政策。景気回復のための財政政策として、民間の需要が望めない今、官主導で、思い切った予算を組み成案化しなければならない。
 ところが、その財源はどこにあるのか、借金まみれの、日本のどこに財源があるのか、”付け”を子孫にのこしていいのか、と、必ず、こういう反論がかえってくる。
 しかし、それは国の財政をよく知らない人を説得するには有効でも、正鵠を射ていない。長期の建設国債発行等手段はある。
 景気を良くすれば、税収は増え、子孫に借金を残すこともない、子孫には、建設国債によって実施されたインフラがプレゼントされる。
 ところが、このような説明も、馬耳東風、先刻承知で自説をまげるなどとんでもない。
 そんなことして、景気でも良くなったらどうする、増税の大儀名文、必然性がなくなる、とばかり反対の論陣を張る。
 判断基準は、利権と権限の拡充であり、これに悖れば、政治家、財界、マスコミを説得し、自らの意向に、副うようにするのは、得意中の得意。
 財政再建には、消費税増税は不可欠でまったなし、はたまた、復興税創設も喫緊の課題だ、と。
 消費税増税には、軽減税率の裁量権拡大はじめ、権限と利権拡大が盛りだくさんである。
 財務省が、組織をあげ、消費税増税に突き進んだのは周知の事実である。またこれと酷似の述懐が夙にメディアで流布された。
 「蛇の道は蛇」、自らの体験に基づく財務省のエトス(行動様式)についての見解は、少なくとも一面の真実を語っているだろう。
 つぎに、金融政策。円高により、日本企業が、国外に工場を移し、どれだけの雇用が失われたか、国外に移せるほどの体力のない零細企業は円高で苦しみ、事業を畳まざるを得なくなった。このような惨状にも、かかわらず、日銀は、円高対策を怠ってきた。 リーマンショック以降、アメリカとEUは、景気回復と雇用確保のため、ベースマネーを増やした。すさまじいペースでドルとユーロを増刷してきた。
 なお且つ、景気と雇用が目標に達するまで、期限をつけず金融緩和するとまでいっている。
 日銀はというと、欧米に引きずられるようにして、小出しの金融緩和を実施してきた。敗軍の将の常套作戦 ”兵力の逐次投入” である。
 ドルとユーロに比べれば、殆ど円を増刷してないに等しい。円高が止まらないのも、むべなるかなである。
 行き過ぎた金融緩和は、インフレを招き、国債価格が下落し、これを大量に保有している、邦銀が損失を蒙り、ひいては、国民経済に影響するとの理由である。
 邦銀は、国債価格が下落するのををみて、なにもしないで、ただ手を拱いているだけというのだろうか、銀行は無能と言わんばかりである。
 国民が、デフレであえぎ苦しんでいる時に、インフレの心配をするとは! 食うものも食えず、栄養失調に、なっている人間が、飽食し糖尿病の心配をするようなものではないか。
 どこにそんな人間がいるか。インフレを心配するより、自らの、無能さ、を心配したほうがいいとさえ言いたくなる。
 歴代の日銀総裁は、ことあらば、金融引き締めに舵をきり、そのつど、景気の足をひっぱってきた。日銀の金融緩和は悪という、”伝統主義の呪縛” があるのだろうと疑いたくもなる。 財政政策にしろ、金融政策にしろ、景気をよくするための消費と投資を促す政策が、どうやら、あたりまえにできないようだ。
 また、それらの政策には、日本の官僚システムが深くかかわっているようだ。
 官僚システムは、本来、役割分担がはっきりしていて、それを忠実に履行してこそ機能する。官僚システムの機能不全は、国家の土台を揺るがしかねない。
 日本の官僚システムが何故、充分機能しないのか、稿を改め、考察したい。

2012年10月15日月曜日

財政再建

 日本、際立つ借金体質! IMFが10/9各国の財政に関するレポートで日本については、消費税が10%でも財政再建には不十分だと指摘した。
 12年度の債務残高が対GDP比236.6%、財政赤字依存度が10%、これが13年度では、それぞれ245%、9.1%と予想している。
 これがどれくらいひどいかは、ギリシャの12年度の債務残高170.7%、財政赤字7.5%、13年度がそれぞれ181.8%、4.7%をみれば歴然である。
 消費税率引き上げの是非が議論されだしてから、この類の情報が、メディアを通じ、頻繁に、我々の耳目にとびこんできた。
 日本はひどい事になっている、あのギリシャよりひどいじゃないか、と。
 消費税を上げて、国家財政が健全になるのであれば、我々もそのくらいの痛みには耐えよう、と健気にも賛意を示す街頭でのインタビュー光景も、時として、放映された。
 消費税率を上げなければ、財政が破綻すると政府は説得し、メディアもこれに同調した。
 消費税率上げの効果はどうか、1997年消費税3%から1998年同5%になって、税収は、期待に反して、46.67兆円から37.87兆円に減収になり、その後も回復しないままである。
 今回の消費税率引き上げについては、国論は分れ、結果的に、緩やかな条件付で、8%から10%へと、段階的に引き上げられることになった。はたして、これで、財政再建の糸口となるのか。
 個人の場合、家計に大きな負債があれば、消費を我慢し、ひたすら節約に努め、借金の返済を最優先するだろう。
 これを国家のレベルで行えば、流動性の罠に陥り、GDP縮小→税収減で、ますます負債が膨らむ。
 個人としては正しい行動でも、全体としては間違った行動、合成の誤謬となる。
 国家のレベルでの、財政再建とは、節約ではなく、GDP、それも名目GDPの拡大である。
 日本のGDPの構成要素は、官民の消費と投資である(純輸出はごくわずか)。財政再権のためには、消費と投資を拡大することが、必要不可欠である。
 ところが、人々はいっこうに消費しようとしない、物が売れない、売れないから、設備投資をして、事業を拡大しようなどと思わない。
 これは、ほんの一例で、日本は、この悪循環に陥っている。先進諸国の中で、日本だけが、GDPが伸びていない。
 なぜ、こんなことになってしまったのか。重い英国病にでもなったのか。各国から、失われた20年の日本のようにはなるなと、揶揄される体たらくである。
 金がないかといえば、そんなことはない、バブルを経て、日本には、有り余るほど、金がある、家計金融資産は1515兆円(2012年6月末日銀資金循環統計)このうち現預金が55.7%を占める。 これに対しアメリカは51.9兆ドルあるが、このうち現預金は14.7%にすぎない。対外純資産は253兆1000億円(2011年末)で、21年連続世界一の債権国である。驚くべき数字である。
 また、景気回復に必要な、生産力、技術力はどうか、街には、物があふれている。しかし、物は売れない。需要さえあれば、いくらでも生産できるだろう。物が売れないから、生産しようにも、生産できない。
 技術力にいたっては、計らずも、先の東日本大震災で明らかになったように、日本の技術がなければ、欧米の自動車製造工場の一部が、生産停止に追い込まれたほどである。
 資金、生産、技術、どれをとっても、申し分ないのに、消費と投資は低迷したまま、GDPは縮小し、税収は、減る一方、政府の収支は、年々赤字を重ねている。
 一体全体、日本はどうなっているのか。構造改革だ、行政改革だ、などと、声高に叫ばれても、空虚に響くだけである。
 論より証拠、ここは、先例に学ぶしかない。現在の日本の景気は、需要不足、供給過多のデフレギャップ、明らかな、平成のデフレ不況である。
 そして、経済学者、エコノミストをはじめ、このことに異を唱える人は殆どいない。そうであるならば、デフレ不況の処方箋を、過去に遡り、紐解くにしくはない。
 昭和恐慌は、デフレに起因する大不況であったが、時の、高橋是清蔵相は、金融緩和政策と財政政策を通じて、有効需要を創出した。リフレーション政策を断行して、ハイパーインフレなど起こさず、需要を喚起した。
 この政策により、不況からの脱出に成功した。デフレ不況の見事な成功事例がここにある。
 日本には、資金もあり、生産力もあり、技術力もある。かつ、デフレ不況対策の、はっきりした成功事例もある。
ああ、それにも拘わらず、何故、未だに不況の底から這い上がれないのか。皆、不思議に思うだけで、なすすべを失っている。
 人々は消費もしないし、投資もしない。どうしていいか分からない。右往左往するばかりである。
 この原因を、次回、根本から分析してみたい。

2012年10月8日月曜日

日本破綻論

 日本の財政は借金だらけでGDPの200%を超え、まもなく破綻すると、いう人がいるかとおもえば、日本の借金は国民に対しての借金だから何も問題なく財政は破綻しないという人がいる。
 この議論はバブルが弾けてから議論され、特に、最近は消費税導入に絡めて話題になってきた。
 考察の前提として、財政の破綻とは何か、この定義づけが必要である。破綻するとは、個人のばあい、借金が多く、これを返せなくなり破産すること、国のレベルでいえば、国債を償還できなくなること、ロシア、アルゼンチンが実際、償還できなくて、破綻した。 最近では、ギリシャ等南欧諸国が、危ないといわれている。
 この定義づけに従えば、日本は絶対に破産することなどありえない。
 日本国債は、100%円建てであり、かつ91%が国内で消化されているからである(2012/9末)。
 償還に困るようなことになれば、日本政府は子会社の日銀に命じ、円を増刷すればよい。
 コストは円の印刷費ですむ。法律上できなければ、改正するだけである。
 破綻するくらいなら、国民は法律改正を選ぶだろう。北海道の夕張は財政破綻した。大阪の和泉佐野市は破綻寸前に追い込まれ自らの市名を売りに出すほど困った。
 いずれも通貨発行権がないからである。
 日本政府には通貨発行権という伝家の宝刀があるため、日本国は債務不履行にはけして陥らないのである。
 しかし、伝家の宝刀は、普段は使わず、ここ一番の起死回生に使うのが昔からの習い。
 この慣例に従わず、現下の情勢のもと、日銀が際限もなく、国債を引き受けたらどうなるか。現下の情勢、、毎年の国の収支、プライマリーバランスがマイナスで、かつ、デフレーションがいつまでも脱却できない情勢での大量の国債を引き受ければ、国債の価格が暴落し、長期金利がはねあがる。
 今、EUで長期金利が問題になっているのは7%であり、これを超えると、危険水域といわれている。
 いくら、日本国債が、円建てで、国内向けが大半とはいえ、収支赤字とデフレ継続のままでの、日銀による大量の国債引き受けは、長期金利が7%にせまり、国債価格は暴落する。国際価格が暴落すれば、これを大量に保有している、ゆう貯、メガバンク、年金基金、損保、生保等金融機関の経営がおかしくなる。
 金融機関の経営がおかしくなれば、いつか来た道で、失われた20年の再来となる。
 こうなっても、前述の定義に従えば、日本政府は財政破綻しないが、国民生活は破壊される。
 政府は生き延びても、国民生活が破壊されれば意味がない、これは破綻というしかいいようがない。
 したがって、EUの例にならい、長期金利7%超えを、財政破綻と定義づけすれば、条件さえととのえば、日本の財政は破綻する。 現状、プライマリーバランスはいっこうに改善せず、マイナスインフレで、名目GDPは成長しない状態のまま、日銀による大量の国債引き受けを一気に行えば、長期金利は、高い確率で7%を超えるだろう。
 日本の財政が、現状のままでいいという人は殆どいない。何とかしなければならないと皆が皆思っている。財政再建は、与野党を問はず、声高に叫ばれて久しい。どうすればいいのか。専門の学者の知恵でもかりれば解決するのか。
 これも、あてにできない。彼らの知恵に頼って解決するのであれば、とっくに解決している筈である。
 次回、財政再建につき、考察したい。

2012年10月1日月曜日

民意

 新しい第25代自民党の総裁に元首相の安部心晋三氏が選出された。
 党員投票の意向に逆らうかたちで選出された。ワシントンポストは日本は右傾化けしつつあると論評した。安部氏の選出には何点か懸念があげられている。
 安部氏は3世議員である(他の候補もすべて2世以上の世襲議員である)。5年前に病気を理由に首相の座をほうり投げた。中国、韓国との微妙な時期にあまりにもタカ派すぎてあやうい。民意に反し古い自民党の論理で選ばれた、等々。
 特に懸念されるのが、民意に反し、自民党の論理で選出されたのでは、という点である。早速、自民党秋田県連では、「石破氏が圧倒的に党員の支持を集めたにもかかわらず、国会議員の決選投票にはそうした民意が全く反映されていない」として、役員4人の辞任騒ぎとなっている。秋田県のみでなく、その他の県連、メディアでも民意が反映されていないとの論調が目立つ。
 日本は議院内閣制である。総理大臣は議員の投票でえらばれる。党首を選任するのは各党の自由であるが、今回の自民党総裁選挙は次期総理大臣の有力候補となる。民意に反するからとの理由で、これを受け入れなければ、議院内閣制の否定につながりかねない。
 民意とはなにか、日本の政治体制である議院内閣制をも揺るがしかねない民意とはなにかを改めて考えてみたい。
 自民党総裁選挙は、党員投票300ポイントと議員票199ポイントで争われた。ここで民意とは、年額4千円の会費を支払っている自民党員の民意のみならず、有権者から選任された議員の意思は間接的に民意である。
 今回問題となったのは党員の民意であり、これが十分反映されなかったことである。自民党員の意思は、一般大衆の意思に近く、これを無視するとはなにごとか、というのが彼らの主張である。
 しかしそうだからといって一般大衆の意思が間接的にしかつたわらない議員の意思は軽視していいわけではない。
 そんなことをすれば議院内閣制の根幹にかかわることである。民主主義は、少数者でも自由に意見をのべ、反対、棄権もできる一方、規則は遵守し、多数決には従う義務がある。この相矛盾したシステムにより成り立っている。
 そこに議論の余地があり、反対意見、少数意見であっても、耳を傾ける謙虚さが求められる。その根底をなすのが、多数であれ、少数であれ、それぞれの意思決定に至った過程をもう一度ふりかえってみるということであろう。
 もう一度振り返ってみるというが、なにを振り返ってみればいいのか、当然の疑問である。
 一般の有権者、自民党員、自民党議員のそれぞれの意思決定に至った根拠を探り当てること、それがその答えとなる。
 ここでのキーワードは「民意」である。物事が多数決によって決定される民主主義社会では、民意は金科玉条であり、神聖冒さざるもべきのである。
 何人もこれに逆らうことはできない。しかし、である。ドイツのヒットラーは、この民意によって合法的に政権を奪取した。なにも武力によって政権を奪取したのではない。
 この事実を、我々は肝に銘じなければならない。
 民意とは、特に、民主主義社会では、誤解されやすいが、一般大衆から、自然発生的に澎湃として湧き起った国民の意思であり、神聖冒さざるべきものであると。この妄信こそ、恐るべきものであり、過去に、幾多の過ちを犯した原因であった。
 民主主義社会で、民意が自然発生的とおもわれるのは、自由に意見をのべ、自由に意思表示できるからある。もし、意思決定に至る過程で操作、誘導があれば、純粋に自然発生的などといえるものではない。
 この、操作、誘導は今に始まったわけでなく昔からあった。情報リテラシーが進んでいる現代は、操作、誘導等情報にたいし、ある程度抵抗力がついているが、情報が不足していた時代は、現代ほど抵抗力があったとは思えない。
 為政者、官僚、御用学者、マスコミ、経済界等々の民意ジェネレイターには事欠かない。機会があるごと、これらの民意ジェネレイターは、国民に対し情報を発信している。
 心しておきたい。古来より、国民のためでなく、自己の利益のためである、などといった人を、私は誰一人知らない。

2012年9月24日月曜日

遠交近攻

 中国、韓国、ロシア 3国との領土問題が騒がしい。中国との尖閣諸島、韓国との竹島問題がヒートアップしている。
 特に中国とは開戦前夜の勢いだ。靖国神社参拝、漁船衝突事件とは違い、今回は日本製品破壊、不買等日本に対する不満、憎悪が根強く、修復は不可能にさえ見える。
 今回は中国との尖閣諸島領土問題について考えたい。中国および中国の一つの省と主張する台湾は尖閣諸島を昔から魚場として使っていた。中国の主張する大陸棚の範囲である、等々。
 これに対し日本の明治政府は1895年1月どこの国にも帰属しないことを確認して石垣市に編入した。これから1970年代まで、国連の調査で海底資源があることがわかるまでは、中国から一片の異議申し立てもなかった。
 国際法に照らしてみても疑う余地なく理は日本にある。中国に対抗するにはどうしたらいいのか。その前に、我々日本人からみれば道理にあわないことをなぜ中国は主張するのかその理由、背景をしらなければ正しい対処法にはたどりつけない。
 日本との関係で、現在の中国のおかれた立場を考える上で、40年前の日中国交回復時の中国のおかれた立場が比較検証されなければならない。
 40年まえの中国は、かれらにとって、四面楚歌ともいうべき状態であった。すくなくとも中国自身はそう感じていた。
 北は中ソ国境紛争でソ連軍はモンゴルの国境までをも含み長い国境線に配備していた。
 毛沢東政権は核攻撃まで覚悟し核のための要塞の準備までしていた。東は、日本がいつ何時台湾を取り返しにくるかとびくびくしていた。日本人には信じられないが、この時点の中国は日本にたいするトラウマがあった。
 これは国交締結時、日本の台湾の取り扱いについての見解を聞き、中国側が安堵した様子でうかがえる。
 南はアメリカが野心をいだいている。帝国主義の牙をむいて必ず領土を奪いに来る。つまり中国は、ソ連、日本、アメリカに分割されてしまいかねない、という危機感があった。
 逆に言えば、このような背景があったから、日中国交回復は国家賠償金なしで、締結できたのかもしれないと考えることができる。
 そうでなければ、まだ戦争の記憶が生々しい世代、日本軍にうらみをもつ家族およびその関係する人々が多数存命している世代に対し、政府が賠償を放棄する決定を簡単には説得できなかったであろう。もっとも賠償放棄には当時に指導者の国民に対する指導力があったからであろうが。
 翻って、現在の中国のおかれた立場はどうか。ロシアとは国連で常に歩調を合わせるほど友好的であり、日米と、経済の上で、40年まえとは比較にならないくらい相互依存している。
 何よりも中国自身が世界第二の経済大国になっている。しかし40年前と決定的に違っていることがある。
 都市と農村、経済格差である。40年前は貧しくとも平等であった。マルクス信者の毛沢東の指導のもとに平等が優先された。
 しかし今や経済優先、、軍事優先で格差は広がる一方である。
旧日本軍に対する記憶が生々しい世代の人々から、現在は教育により反日思想を叩き込まれた人が多数が占める世代に移っている。
 体験から、日本に対する憎悪と反感に充ち、機会があれば仕返しをしたいとまでかんがえる世代と、体験はないが教育により叩き込まれた反日教育世代、両者を比較した場合、普通に考えれば前者の感情がより強い筈である。
 しかし中国で発生した現実は圧倒的に後者、反日教育の影響が強い。40年前の中国指導者、毛沢東、周恩来と、現在の中国の指導者のリーダーシップの差があるにせよ、江沢民等によって幼時より叩き込まれた反日教育の思想が不満となって爆発し、エネルギーとなって解き放たれるた。
 さらに悪いことに、40年前とは異なり、中国国内での格差が広がり、体制に対する批判と重なり、不満、憎悪が拡大再生産された。
 これの解決には、反日教育をやめること、既に叩き込まれた反日思想の改造、中国国内の格差是正が必要であろう。しかしこれらは百年河清、いや千年河清を待たなければならないかもしれない。
 ああ万事休すか。しかし、押してだめなら引いてみよ、ということもある。
 一歩下がって視点をかえる。善隣友好、和を以って貴しと為す、向こう三軒両隣。これらのことばには、日本人が、長いこと、狭い島国で暮す知恵がにじんでいる。
 一方国際社会での常識はこれとは異なる。遠交近攻、敵対する隣国にたいするには,隣国ではない、離れた国とも友好を結び、これに相対する。海へと膨張政策をとる中国を牽制するには、アメリカ、東南アジア諸国、インド 等と友好を一段とすすめ、中国をけん制する。
 これは軍事だけでなく、経済においてもそうである。
行き詰った中国対策にはこれしかない。対話、外交ルートも結構だが、これに頼りすぎては、危険きわまりない。
 なぜなら相手は一党独裁国家であるから。1938年イギリスのチェンバレン首相のナチスドイツに対する宥和政策がいかなる結果をもたらしたか、結果は明らかである。
 歴史は繰り返す、振込み詐欺に、ひっかかる人も2回,3回というが、われわれはこのような愚を2度とおかしてはならない。

2012年9月17日月曜日

史実

 紀元前146年、地中海の通商国家カルタゴは、ローマによって滅ぼされた。
 戦いの結果、カルタゴ人はローマ人によって虐殺され、奴隷にされた、あまつさえ国土には塩をまかれた。塩をまかれたのは実り豊かな国土が二度と再生しないようにとの処置であった。
 このような殲滅の仕方を私は他に知らない。なぜこれほどまでに痛めつけられたのか?
 理由はともかく、この史実は特に興味をひく。塩野七生『ローマ人の物語 ハンニバル戦記』 森本哲郎『ある通商国家の興亡』 服部伸六『カルカゴ』などに詳しく述べられている。
 歴史上 残酷、非道な仕打ちは枚挙にいとまない。アフリカ部族のジェノサイド、カンボジアポルポト政権の反対派虐殺、ナチスのホロコースト等々。
 数ある歴史上の悲劇の中で、なぜカルタゴの悲劇に興味をもったか。
 それは現代日本の平和ボケともいえる現状が、当時の通商国家カルタゴにあまりにも似ているからである。
 経済的に豊かになり、すべてのものが金銭で解決されるのごとき風潮が蔓延している。平和を愛するのはいいとして、国防の意識が薄れ、できることなら国防も金銭でなんとかならないか、もっといえば他国、アメリカに守ってもらいたい。自分の国をじぶんで守ろうとする意識、気概がない。
 「天は自ら助くるものを助く」、同盟国アメリカも気概のない同盟国を助けるために、自国の青年の血を流させるだろうか。
 そのようなことはアメリカ国民がゆるさない。このような現状では敵意を持った隣国は野心を持つのは必然。このままの日本でいいと思っている国民は皆無と信じる。
 何をすればいいか、具体的な行動とは。国民のひとりとして考えていきたい。
 考える前提として、リテラシーの作法を厳守したい。
 リテラシーの作法とは、何か、たとえばいまや、ネット、メディアで情報が氾濫している、この中から正しい情報を取捨選択するのは至難の技である。
 至難であるからといって正しい情報を選択する努力をしなかったら誤った結論を信じることに直結する。正しい情報を得るには、魔法の杖はない。
 地味だが、一つ一つ検証し、かつ情報の背後にあるものを含め考慮にいれて判断する。
 判断にあたっては、すべての情報にたいし、常に疑いの精神を忘れないであい対し、なにごとにも左右されない。この原則を貫くことが大前提である。
 この精神でもって小論をすすめていきたい。