2012年9月17日月曜日

史実

 紀元前146年、地中海の通商国家カルタゴは、ローマによって滅ぼされた。
 戦いの結果、カルタゴ人はローマ人によって虐殺され、奴隷にされた、あまつさえ国土には塩をまかれた。塩をまかれたのは実り豊かな国土が二度と再生しないようにとの処置であった。
 このような殲滅の仕方を私は他に知らない。なぜこれほどまでに痛めつけられたのか?
 理由はともかく、この史実は特に興味をひく。塩野七生『ローマ人の物語 ハンニバル戦記』 森本哲郎『ある通商国家の興亡』 服部伸六『カルカゴ』などに詳しく述べられている。
 歴史上 残酷、非道な仕打ちは枚挙にいとまない。アフリカ部族のジェノサイド、カンボジアポルポト政権の反対派虐殺、ナチスのホロコースト等々。
 数ある歴史上の悲劇の中で、なぜカルタゴの悲劇に興味をもったか。
 それは現代日本の平和ボケともいえる現状が、当時の通商国家カルタゴにあまりにも似ているからである。
 経済的に豊かになり、すべてのものが金銭で解決されるのごとき風潮が蔓延している。平和を愛するのはいいとして、国防の意識が薄れ、できることなら国防も金銭でなんとかならないか、もっといえば他国、アメリカに守ってもらいたい。自分の国をじぶんで守ろうとする意識、気概がない。
 「天は自ら助くるものを助く」、同盟国アメリカも気概のない同盟国を助けるために、自国の青年の血を流させるだろうか。
 そのようなことはアメリカ国民がゆるさない。このような現状では敵意を持った隣国は野心を持つのは必然。このままの日本でいいと思っている国民は皆無と信じる。
 何をすればいいか、具体的な行動とは。国民のひとりとして考えていきたい。
 考える前提として、リテラシーの作法を厳守したい。
 リテラシーの作法とは、何か、たとえばいまや、ネット、メディアで情報が氾濫している、この中から正しい情報を取捨選択するのは至難の技である。
 至難であるからといって正しい情報を選択する努力をしなかったら誤った結論を信じることに直結する。正しい情報を得るには、魔法の杖はない。
 地味だが、一つ一つ検証し、かつ情報の背後にあるものを含め考慮にいれて判断する。
 判断にあたっては、すべての情報にたいし、常に疑いの精神を忘れないであい対し、なにごとにも左右されない。この原則を貫くことが大前提である。
 この精神でもって小論をすすめていきたい。

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