2017年4月24日月曜日

近くて遠い国 5

 宗教と親族構造という社会構造の基本部分の違いが原因の一つにもなって日韓関係は疎遠である。
 これに輪をかけるものに韓国の「反日」がある。韓国の「反日」は韓国の初代李承晩大統領が煽って以来、増幅し続けいまや国家システムと化した。
 この「反日」システムは韓民族の「恨の文化」と相俟って韓国全土を雲のごとく覆っている。
 このゆえ日本からみれば信じられないようなことが韓国ではあたりまえのように論じられている。たとえば日本の文化はすべて、シナ→韓半島→日本、または韓半島→シナ→日本へと伝わり、日本オリジナルのものなどない等。
 日本文明を、独立した一大文明であると定義したアーノルド・トインビーや世界文明を七つに分けそのうちの一つに数えたサミュエル・ハンティントンの評価などそんなことはお構いなし。
 民族のレベルもシナと韓民族が大中華と小中華で最高に位置し、その他は夷狄(文明化しない野蛮人)、禽獣(獣に等しい存在)として蔑む。
 韓国のサッカー選手がグラウンドで猿のまねで日本を揶揄したが、上のような背景がなければありえないことである。
 韓国人は誇り高い。民族主義理論の一つに朝鮮純血主義がある。
 遺伝学的には疑問視されるも、自民族を単一の純血と信じ他民族との混血を嫌う。
 自民族であっても他民族と一たん交われば排斥される。このため在日韓国人は本国の同胞から蔑まれる。その度合いは日本人からのものより酷いことはよく知られている。
 一方、少数派ではあるが歴史の現実を直視する人がいる。これらの人は多くは酷い迫害を受けるが、なかにはこれをものともしない人もいる。大韓民国陸軍少将朴正煕である。
 彼は韓国を腐敗と停滞から救うため1961年5月軍事クーデターを起こした。

 陸軍参謀総長に送った書信でクーデター決行の趣旨を毅然と述べている。
 「どんづまりの状況におかれた国家・民族を救い、明日の繁栄を約束できる道はこれしかないという確固不動の信念と民族的使命に徹して決行敢行しました。
 もしわれわれのとったこの方法が祖国と民族に背を向ける結果になるなら、国民の前に謝罪し、全員自決する覚悟です」(金シン著 梁泰昊訳亜紀書房『ドキュメント朴正煕時代』)

 クーデターは成功し、その後、彼は韓国の第5代大統領になった。
 強権政治との批判はあるが、日本の援助(このことは韓国民には巧妙に伏せられたままであった)のもと「漢江の奇跡」とよばれる高度経済成長を実現させた。

 彼は韓国5千年の歴史を直視し嘆いた。
 「われわれが真に一大民族の中興を期すなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである。」(朴正煕著鹿島研究所出版会『朴正煕選集国家・民族・私』)

 朴正煕元大統領は、韓国5千年の歴史は「燃やして然るべき歴史」であると言う。驚くべきことである。
 これがいまなお韓国民に根強い人気がある人の歴史認識である。
 燃やして然るべき歴史として、強いものにまかれる習性(事大主義)、厳格な身分制度(両班、中人、常民、賤民)、李朝末まで続いた党争(四色党争)などを挙げている。
 独裁的と批判されたが、韓国の歴史を勇気をもって直視したという点で画期的な政治家である。
 だが彼の死以降、このような歴史認識を公言する政治指導者は、彼の娘朴槿恵前大統領を含め誰もいない。
 韓国社会の「反日」システムに飲み込まれ身動きできない状況に追い込まれているからであろう。
 韓国社会のこの閉塞感はいつ終わるのか見通しさえつかない。
 韓国社会が再び「漢江の奇跡」を実現するためには乗り越えなければならない障害は多い。
 「歴史を直視すること」はそのなかでも最大の障害となっている。これなくして韓国の再興は望めないし、日韓友好もありえない。
 事実を事実として認めずこれを歪曲することは虚構の世界に生きるに等しい。
 個人であれ国家であれ事実を事実として受けとめること。これがすべての出発点であり、これなくしてその後の展開は拓けない。

 宗教が違う、親族構造が違う、主義主張が違う、これらは確かに日韓関係を遠ざけている。だが事実の歪曲・曲解は、日韓を近づけること絶望的で、前者の比ではない。
 ゆえに日本がとり得る道は、韓国が史実を直視するのを待つ、これに尽きる。

2017年4月17日月曜日

近くて遠い国 4

 日本と韓国は隣国同士で互いに似ている。顔だけからはほとんど見分けがつかないし、態度、所作なども似ている。
 おそらく外国のなかで一番身近い存在であろう。日本でも韓流ドラマが人気があるのも頷ける。
 ところが一歩踏み入んでコミュニケーションしようとすると違いが鮮明になる。
 韓国にとって相手が日本だと他の国と違って異常な反応を示す。これは個人や国家レベル問わずそうである。
 だが歴史的にみればこのような異常な関係は最近のことである。鎖国下の江戸幕府に朝鮮通信史は訪れていたし、百済とは特に親密であったことは既に述べた。
 なぜこうなるのか。その原因は社会構造、中でも宗教と親族構造の違いにある。
 韓国は宗教国家であり、中国伝来の儒教と儒教の反動としてのキリスト教がしっかり根付いている。
 これに比し明治の伊藤博文や井上毅が指摘したように日本国民の宗教は微弱である。
 儒教の教えは公よりも父母優先、日本は公優先。例えば、自分の親が罪を犯したとしてもあくまで親をかばうのが儒教の教えであるが、日本ではそうは教えない。
 公優先だから。親が病気で倒れたとしても公の約束を優先する。
 スポーツ選手や芸能人が親が危篤にもかかわらず仲間や観客を優先して仕事するなどよく聞く話である。

 小室博士は日韓の社会構造の違いを俯瞰して言う。
 「儒教が韓国において宗教として人びとの生活に定着した最大の理由は、親族構造が中国と同型であるからである。
 儒教は、中国の社会構造(とくに親族構造)を前提としての宗教である。
 この点、ユダヤ教やヒンズー教と同様であり、仏教、キリスト教、イスラム教とは異なる。
 それゆえ、日本のように、中国とはまったく社会構造を異にする国へ、宗教として伝えられることは不可能である。
 これに対し、親族構造が同型であるがゆえに、韓国へ、儒教は宗教として伝えられ、人びとの生活を規定している。
 韓国の親族構造は、部外婚を有する父系集団を基礎におく。中国、インド、古代ローマの親族構造と同型である。
 父系集団とは、父から子という血縁関係を基にして形成された集団である。父系集団が形成される社会を、父系社会という。
 中国、インド、古代ローマ、イスラエル、アラブ諸国は父系社会である。ヨーロッパ諸国は、父系社会ではないが、きわめて父系社会に近い社会である。
 日本は父系社会ではない。かといって母系社会でもない。また、父系母系いずれに近い社会でもない。この意味で日本に『血縁』はないといえる。」
(小室直樹著光文社『韓国の悲劇』)

 韓国には血縁はあるが血縁カリスマはない。日本に血縁はないが血縁カリスマがあるという。
 源氏、平家、徳川など家系の威力の凄さはいまさら説明不要。ところが日本ではこの家系図は売買の対象であった。
 世が世なら、若や姫と呼ばれる家系であっても先祖が夜店ならぬ家系図屋から買ったものであったとしたら・・・。
 だが日本人はそんなことは気にしない。血縁社会でないからだ。
 ブランド品の偽物づくりは韓国の得意技かもしれないが、こと家系図については韓国が本物、日本は偽物である。
 血縁関係を基にした父系集団とはどんな社会か。中国でいえば宗族であり韓国では本貫である。
 血縁関係は血縁共同体をつくる。会社でいえばコチコチの同族会社であり、同族以外の人が中枢になることはない。
 能力があろうがなかろうが、大企業であろうが中小企業であろうが関係ない。
 このことが守られてはじめて血縁共同体といえる。日本の同族会社は優秀であれば社長が婿養子や娘の婿を後継者とする。このようなことは血縁共同体ではありえない。日本が血縁共同体ではないゆえんである。
 本貫は厳格な父系集団である。女性は結婚しても夫の本貫には入れない。結婚して何年たとうが関係ない。姓も別々のままである。
 本貫同士は結婚できないし、他の本貫から養子をとることもできない。いとこ同士で結婚したり他人を養子にする日本とは全く異なる。
 血縁共同体の韓国と血縁共同体ではなく戦前の村落共同体から会社共同体となった日本。
 血縁共同体を基に儒教が根付いている韓国と宗教が微弱な日本。
 これらの違いは社会の基本構造の違いに外ならず相互理解は容易でない。
 日韓の歴史認識にズレがあるのは、のような宗教と親族構造の違いがあり、これが原因の一つとして挙げられる。
 社会構造は人びとの行動様式について外面だけでなく内面にまで係わり、これを規定するからである。

2017年4月10日月曜日

近くて遠い国 3

 韓国は何かと日本の歴史認識を問題にする。戦後50周年当時の村山首相は、いわゆる『村山談話』で先の大戦について『痛切な反省の意と心からのお詫びの気持ち』を表明し、その後の歴代内閣はこれを踏襲しているにも拘らず反省がたりないと繰り返し非難する。
 かく非難する韓国自身の歴史認識とはいかなるものか。
 東洋史学者の宮脇淳子氏は古代朝鮮から李氏朝鮮までを題材とした韓流時代劇7本を検証しその内容と史実の違いを指摘し、これに基づいた韓国の歴史観を述べている。

 ① 朝鮮史は史料が乏しいため韓流時代劇の多くは脚本家の創作であり史実とは異なる。
 だが韓流時代劇は人気があり韓国人はこれを史実と勘違いしてしまう。史実と大きく離れていない日本の歴史ドラマとは比較にもならない。
 ② 韓国は今も昔もシナを仰ぎ見る事大主義と小中華主義で一貫している。
 このため自らをシナに次ぐNo2と位置づけ日本をはじめ他の周辺国を下位と見る。
 ③ 韓国はシナの儒教を体現している。
 儒教思想は手足を使う仕事を蔑み頭を使うことのみが尊ばれる。
 このため武よりは文、技術よりは朱子学等の理論の学問優先。特権階級の両班でも武班は文班より下位に位置する。
 かかる理由で兵士や技術者が尊ばれないため戦争になれば敗北につぐ敗北、産業もいつまでも育たない。
 ④ 韓国人の歴史認識は上の①~③をベースとする。
 このベースから外れるものは、真実がどうであれ認められない。歴史の真実よりも自らの都合と利益が優先され、この目的のためには史実は当然のごとく歪曲される。

 宮脇氏は韓流時代劇から得た教訓を諦めの気持ちで総括して言う。

 「いい加減に日本は、中国や韓国に対する過剰な気兼ねは捨て去るべきです。
 『日中友好』や『日韓友好』といったお題目も結構ですが、ハッキリ言って、こちらが譲歩すれば中国や韓国と友好が築けると思うのは大きな勘違いです。
 特に歴史問題で妥協してきたことが最悪の結果を招いています。
 中国人や韓国人にとっての『歴史』は、『今の自分たちに都合がいいように書き換え可能の過去』という意味しか持たないので、日本人がいくら真実を追究し証拠を出しても、それを取り入れる気持ちなど全くありません。
 日本人から見てウソとしか思えなくても、彼らが考える歴史というのはそういうものなので、彼らと団結できるわけがないのです。
 無理にそれを進めようとすれば、明治の福澤諭吉の時代に逆戻りです。
 つまり、相手のことを慮って一所懸命尽くした挙句に愛想尽かして、『もういいよ。脱亜だ』ということになったわけでしょう。」
(宮脇淳子著扶桑社『韓流時代劇と朝鮮史の真実』)

 これでは日韓の歴史認識に歩み寄り妥協する余地などない。なぜこうなるのか。その背景がある筈だ。

2017年4月3日月曜日

近くて遠い国 2

 日韓交流の歴史は長い。およそ二千年にもわたる日韓交流でわが国が朝鮮半島から受けた影響は大きい。日本の正史である日本書紀で朝鮮半島関連の記述が三分の二も占めているほどである。
 下表は小平一郎氏が日本書紀の「朝鮮半島関連記事抜粋」を日本側からみて分類したものである。

  国名   友好記事 敵対記事 その他記事
  新羅    7件   14件   4件
  百済    21件   3件    13件
  高句麗   6件    3件    5件
  伽耶    8件     0    6件
(注1) 1件の記事でも、2国以上または2件以上の内容が記載されている場合は、それぞれ国別・件別に重複してカウントした。
(注2) 伽耶の友好記事8件の内5件は伽耶の一部が日本の属領であるかのような表現が用いられている記事である。

 特に百済との関係が深いことがわかる。李氏朝鮮時代も、江戸幕府は鎖国政策下にもかかわらず朝鮮通信使を受け入れてきた。長い間、日韓はもちつもたれつの関係であった。

 流れが変わったのは明治維新である。これ以後は日韓交流史の中でも異例づくめである。
 ”韓国とは付き合わないほうが国益に叶う”に代表される日本の嫌韓感情、一方、”告げ口外交(日本の悪口を外国で言いふらす)”と日本のメディアから揶揄された朴前大統領をさえ親日派として断罪した韓国の反日感情、と事態は悪い方へとエスカレートしている。
 小室博士は日韓交流史の中で今日の異様さをこう指摘している。

 「今日ほど、日本人の韓国人に対する地位の高い時代はない。経済も文化も、現在、日本から大韓民国(韓国)へほとんど一方的に流れている。その逆は、あまり見られない。
 これは、日韓交流二千年史からみて、まこと異例なことである。
 この異様さに、日本人が気づいていないこと。ここに、日本と韓国が近くて遠い国になってしまった第一の理由がある。
 日本人は、この異様さに無関心なのに、韓国人は、おおいに関心があり、日本人の無関心さにいらだつ。
 この二千年間、明治維新にいたるまでは、軍事的にいえば日本優勢、文化的にいえば、韓国優勢であって、文武あわせてトントンといったところであった。
 しかも、韓半島に立国した諸国は文化圏であり、日本は尚武の国であった。
 これが幸いして日本は、あまりコンプレックスをいだくこともなく、百済、新羅から李王朝の朝鮮にいたるまで、諸王朝から思いきって高い文化を輸入または略奪して、文化と生産力を向上させてきた。
 そして、同時に、これらの国の人びとを深く尊敬してきた。こういう経緯からか、韓半島の人びとは、日本の武力をいたく恐れたが、日本国内でどういうことが起きているか、日本文化はどうなっているか、ほとんど関心がなかった。
 日本に関しては、自分たちと直接関わりのあること以外に、何も知らなかった。
 これに対し、明治以前の日本人は韓半島の文化にあこがれ、韓半島諸国の動静に多大の関心をもち、これらについてよく知っていた。」(小室直樹著光文社『韓国の悲劇』)

 日本は百済とは特に仲がよく文化的に百済に負うところが大きい。奈良時代、政府高官は朝鮮語を通訳なしで話せたというから、朝鮮語は今日の英語のように普及していたと推測される。また百済人は帰化すれば即、政府高官になれたという。
 ところが今日、韓国の日本に対する国民感情は下の記事が示すように往事から想像もできないような複雑なものになってしまった。

 「韓国には『国民情緒法』という目に見えない最高規範があるといわれる。
 脈々と受け継がれ、四・一九革命から約半世紀後、朴槿恵前大統領を罷免に追いこんだ。憲法に映る複雑な国民情緒と同様に、対日観も単純ではない。
 釜山の日本総領事館前に設置された従軍慰安婦を象徴する少女像の撤去に国民の約8割が反対とのデータがある。
 一方、訪日した昨年の韓国人観光客は初めて500万人を突破し、『韓国人が選ぶ最も魅力的な国民』では日本がドイツに次ぐ2位(2月16日付掲載の中央日報の世論調査)。
 日本人の魅力として『配慮文化』『徹底した順法意識』を挙げている。実際、ソウルに暮らしていると過去へのこだわりと同じくらい日本から学ぼうとする謙虚な姿勢に接する機会が多い。」
(2017/4/2日本経済新聞社ソウル支局長 峯岸博)


 日本との慰安婦問題の最終的・不可逆的合意をいとも簡単に見直そうという発想は、この目にみえない最高法規である『国民情緒法』のなせる技なのか。そうであれば得心できる。
 同時にそれは韓国が国際社会から隔離された社会であることの証左でもある。


 韓国の複雑な国民感情は何に由来するのか。
 明治維新前の日韓交流に由来するとは思えない。それでは35年にわたる日本の植民地に由来するのか。
 そうでないことは他の旧宗主国と植民地との絆からすでに述べた。
 それでは何か。複雑な国民感情の淵源は韓国の独立時にあると小室博士は指摘する。

 「日本人が留意せず、韓国人も理解せず、しかも、致命的に重要であることは、戦後における韓国の『解放』は、実は、解放でもなかったことである。
 すべての韓国問題は、畢竟ここに淵源を発する。
 韓国においては、八月十五日は、解放記念日として祝われる。ここから、すべての誤りがはじまる。
 その第一の理由は、この日に、韓国・朝鮮は開放されたのではないからである。
 そして第二に、韓国における根本的不幸はこの日からはじまったからである。
 昭和二十年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾した。しかし、このことによって朝鮮が解放されたわけではなかった。
 金九、暗殺の神様といわれ、植民地時代に、独立を求める人びとの希望の星として、尊敬を一身にあつめた人物である。
 彼は、日本降伏の報に接したとき、天を仰いで長嘆息した。
 - 韓国軍は、日本軍をうち破ることは一度もなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった。最後まで、日本軍に制圧されたままの解放なんて、結局、何にもなるまい。」(前掲書)

 自ら勝ち取った勝利ではなく他からもたらされたボタモチ勝利は勝利に非ず。韓国の屈折した感情はここに淵源を発している。
 この韓国人の複雑な感情を韓流時代劇を分析することにより韓国人の歴史観を垣間見ようとした学者がいる。
 日韓の間で歴史認識が問題にされる昨今、興味ある分析である。