2017年4月3日月曜日

近くて遠い国 2

 日韓交流の歴史は長い。およそ二千年にもわたる日韓交流でわが国が朝鮮半島から受けた影響は大きい。日本の正史である日本書紀で朝鮮半島関連の記述が三分の二も占めているほどである。
 下表は小平一郎氏が日本書紀の「朝鮮半島関連記事抜粋」を日本側からみて分類したものである。

  国名   友好記事 敵対記事 その他記事
  新羅    7件   14件   4件
  百済    21件   3件    13件
  高句麗   6件    3件    5件
  伽耶    8件     0    6件
(注1) 1件の記事でも、2国以上または2件以上の内容が記載されている場合は、それぞれ国別・件別に重複してカウントした。
(注2) 伽耶の友好記事8件の内5件は伽耶の一部が日本の属領であるかのような表現が用いられている記事である。

 特に百済との関係が深いことがわかる。李氏朝鮮時代も、江戸幕府は鎖国政策下にもかかわらず朝鮮通信使を受け入れてきた。長い間、日韓はもちつもたれつの関係であった。

 流れが変わったのは明治維新である。これ以後は日韓交流史の中でも異例づくめである。
 ”韓国とは付き合わないほうが国益に叶う”に代表される日本の嫌韓感情、一方、”告げ口外交(日本の悪口を外国で言いふらす)”と日本のメディアから揶揄された朴前大統領をさえ親日派として断罪した韓国の反日感情、と事態は悪い方へとエスカレートしている。
 小室博士は日韓交流史の中で今日の異様さをこう指摘している。

 「今日ほど、日本人の韓国人に対する地位の高い時代はない。経済も文化も、現在、日本から大韓民国(韓国)へほとんど一方的に流れている。その逆は、あまり見られない。
 これは、日韓交流二千年史からみて、まこと異例なことである。
 この異様さに、日本人が気づいていないこと。ここに、日本と韓国が近くて遠い国になってしまった第一の理由がある。
 日本人は、この異様さに無関心なのに、韓国人は、おおいに関心があり、日本人の無関心さにいらだつ。
 この二千年間、明治維新にいたるまでは、軍事的にいえば日本優勢、文化的にいえば、韓国優勢であって、文武あわせてトントンといったところであった。
 しかも、韓半島に立国した諸国は文化圏であり、日本は尚武の国であった。
 これが幸いして日本は、あまりコンプレックスをいだくこともなく、百済、新羅から李王朝の朝鮮にいたるまで、諸王朝から思いきって高い文化を輸入または略奪して、文化と生産力を向上させてきた。
 そして、同時に、これらの国の人びとを深く尊敬してきた。こういう経緯からか、韓半島の人びとは、日本の武力をいたく恐れたが、日本国内でどういうことが起きているか、日本文化はどうなっているか、ほとんど関心がなかった。
 日本に関しては、自分たちと直接関わりのあること以外に、何も知らなかった。
 これに対し、明治以前の日本人は韓半島の文化にあこがれ、韓半島諸国の動静に多大の関心をもち、これらについてよく知っていた。」(小室直樹著光文社『韓国の悲劇』)

 日本は百済とは特に仲がよく文化的に百済に負うところが大きい。奈良時代、政府高官は朝鮮語を通訳なしで話せたというから、朝鮮語は今日の英語のように普及していたと推測される。また百済人は帰化すれば即、政府高官になれたという。
 ところが今日、韓国の日本に対する国民感情は下の記事が示すように往事から想像もできないような複雑なものになってしまった。

 「韓国には『国民情緒法』という目に見えない最高規範があるといわれる。
 脈々と受け継がれ、四・一九革命から約半世紀後、朴槿恵前大統領を罷免に追いこんだ。憲法に映る複雑な国民情緒と同様に、対日観も単純ではない。
 釜山の日本総領事館前に設置された従軍慰安婦を象徴する少女像の撤去に国民の約8割が反対とのデータがある。
 一方、訪日した昨年の韓国人観光客は初めて500万人を突破し、『韓国人が選ぶ最も魅力的な国民』では日本がドイツに次ぐ2位(2月16日付掲載の中央日報の世論調査)。
 日本人の魅力として『配慮文化』『徹底した順法意識』を挙げている。実際、ソウルに暮らしていると過去へのこだわりと同じくらい日本から学ぼうとする謙虚な姿勢に接する機会が多い。」
(2017/4/2日本経済新聞社ソウル支局長 峯岸博)


 日本との慰安婦問題の最終的・不可逆的合意をいとも簡単に見直そうという発想は、この目にみえない最高法規である『国民情緒法』のなせる技なのか。そうであれば得心できる。
 同時にそれは韓国が国際社会から隔離された社会であることの証左でもある。


 韓国の複雑な国民感情は何に由来するのか。
 明治維新前の日韓交流に由来するとは思えない。それでは35年にわたる日本の植民地に由来するのか。
 そうでないことは他の旧宗主国と植民地との絆からすでに述べた。
 それでは何か。複雑な国民感情の淵源は韓国の独立時にあると小室博士は指摘する。

 「日本人が留意せず、韓国人も理解せず、しかも、致命的に重要であることは、戦後における韓国の『解放』は、実は、解放でもなかったことである。
 すべての韓国問題は、畢竟ここに淵源を発する。
 韓国においては、八月十五日は、解放記念日として祝われる。ここから、すべての誤りがはじまる。
 その第一の理由は、この日に、韓国・朝鮮は開放されたのではないからである。
 そして第二に、韓国における根本的不幸はこの日からはじまったからである。
 昭和二十年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾した。しかし、このことによって朝鮮が解放されたわけではなかった。
 金九、暗殺の神様といわれ、植民地時代に、独立を求める人びとの希望の星として、尊敬を一身にあつめた人物である。
 彼は、日本降伏の報に接したとき、天を仰いで長嘆息した。
 - 韓国軍は、日本軍をうち破ることは一度もなかった。わたしは、日本軍を撃滅してわが同胞を解放したかった。最後まで、日本軍に制圧されたままの解放なんて、結局、何にもなるまい。」(前掲書)

 自ら勝ち取った勝利ではなく他からもたらされたボタモチ勝利は勝利に非ず。韓国の屈折した感情はここに淵源を発している。
 この韓国人の複雑な感情を韓流時代劇を分析することにより韓国人の歴史観を垣間見ようとした学者がいる。
 日韓の間で歴史認識が問題にされる昨今、興味ある分析である。

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