2012年9月24日月曜日

遠交近攻

 中国、韓国、ロシア 3国との領土問題が騒がしい。中国との尖閣諸島、韓国との竹島問題がヒートアップしている。
 特に中国とは開戦前夜の勢いだ。靖国神社参拝、漁船衝突事件とは違い、今回は日本製品破壊、不買等日本に対する不満、憎悪が根強く、修復は不可能にさえ見える。
 今回は中国との尖閣諸島領土問題について考えたい。中国および中国の一つの省と主張する台湾は尖閣諸島を昔から魚場として使っていた。中国の主張する大陸棚の範囲である、等々。
 これに対し日本の明治政府は1895年1月どこの国にも帰属しないことを確認して石垣市に編入した。これから1970年代まで、国連の調査で海底資源があることがわかるまでは、中国から一片の異議申し立てもなかった。
 国際法に照らしてみても疑う余地なく理は日本にある。中国に対抗するにはどうしたらいいのか。その前に、我々日本人からみれば道理にあわないことをなぜ中国は主張するのかその理由、背景をしらなければ正しい対処法にはたどりつけない。
 日本との関係で、現在の中国のおかれた立場を考える上で、40年前の日中国交回復時の中国のおかれた立場が比較検証されなければならない。
 40年まえの中国は、かれらにとって、四面楚歌ともいうべき状態であった。すくなくとも中国自身はそう感じていた。
 北は中ソ国境紛争でソ連軍はモンゴルの国境までをも含み長い国境線に配備していた。
 毛沢東政権は核攻撃まで覚悟し核のための要塞の準備までしていた。東は、日本がいつ何時台湾を取り返しにくるかとびくびくしていた。日本人には信じられないが、この時点の中国は日本にたいするトラウマがあった。
 これは国交締結時、日本の台湾の取り扱いについての見解を聞き、中国側が安堵した様子でうかがえる。
 南はアメリカが野心をいだいている。帝国主義の牙をむいて必ず領土を奪いに来る。つまり中国は、ソ連、日本、アメリカに分割されてしまいかねない、という危機感があった。
 逆に言えば、このような背景があったから、日中国交回復は国家賠償金なしで、締結できたのかもしれないと考えることができる。
 そうでなければ、まだ戦争の記憶が生々しい世代、日本軍にうらみをもつ家族およびその関係する人々が多数存命している世代に対し、政府が賠償を放棄する決定を簡単には説得できなかったであろう。もっとも賠償放棄には当時に指導者の国民に対する指導力があったからであろうが。
 翻って、現在の中国のおかれた立場はどうか。ロシアとは国連で常に歩調を合わせるほど友好的であり、日米と、経済の上で、40年まえとは比較にならないくらい相互依存している。
 何よりも中国自身が世界第二の経済大国になっている。しかし40年前と決定的に違っていることがある。
 都市と農村、経済格差である。40年前は貧しくとも平等であった。マルクス信者の毛沢東の指導のもとに平等が優先された。
 しかし今や経済優先、、軍事優先で格差は広がる一方である。
旧日本軍に対する記憶が生々しい世代の人々から、現在は教育により反日思想を叩き込まれた人が多数が占める世代に移っている。
 体験から、日本に対する憎悪と反感に充ち、機会があれば仕返しをしたいとまでかんがえる世代と、体験はないが教育により叩き込まれた反日教育世代、両者を比較した場合、普通に考えれば前者の感情がより強い筈である。
 しかし中国で発生した現実は圧倒的に後者、反日教育の影響が強い。40年前の中国指導者、毛沢東、周恩来と、現在の中国の指導者のリーダーシップの差があるにせよ、江沢民等によって幼時より叩き込まれた反日教育の思想が不満となって爆発し、エネルギーとなって解き放たれるた。
 さらに悪いことに、40年前とは異なり、中国国内での格差が広がり、体制に対する批判と重なり、不満、憎悪が拡大再生産された。
 これの解決には、反日教育をやめること、既に叩き込まれた反日思想の改造、中国国内の格差是正が必要であろう。しかしこれらは百年河清、いや千年河清を待たなければならないかもしれない。
 ああ万事休すか。しかし、押してだめなら引いてみよ、ということもある。
 一歩下がって視点をかえる。善隣友好、和を以って貴しと為す、向こう三軒両隣。これらのことばには、日本人が、長いこと、狭い島国で暮す知恵がにじんでいる。
 一方国際社会での常識はこれとは異なる。遠交近攻、敵対する隣国にたいするには,隣国ではない、離れた国とも友好を結び、これに相対する。海へと膨張政策をとる中国を牽制するには、アメリカ、東南アジア諸国、インド 等と友好を一段とすすめ、中国をけん制する。
 これは軍事だけでなく、経済においてもそうである。
行き詰った中国対策にはこれしかない。対話、外交ルートも結構だが、これに頼りすぎては、危険きわまりない。
 なぜなら相手は一党独裁国家であるから。1938年イギリスのチェンバレン首相のナチスドイツに対する宥和政策がいかなる結果をもたらしたか、結果は明らかである。
 歴史は繰り返す、振込み詐欺に、ひっかかる人も2回,3回というが、われわれはこのような愚を2度とおかしてはならない。

2012年9月17日月曜日

史実

 紀元前146年、地中海の通商国家カルタゴは、ローマによって滅ぼされた。
 戦いの結果、カルタゴ人はローマ人によって虐殺され、奴隷にされた、あまつさえ国土には塩をまかれた。塩をまかれたのは実り豊かな国土が二度と再生しないようにとの処置であった。
 このような殲滅の仕方を私は他に知らない。なぜこれほどまでに痛めつけられたのか?
 理由はともかく、この史実は特に興味をひく。塩野七生『ローマ人の物語 ハンニバル戦記』 森本哲郎『ある通商国家の興亡』 服部伸六『カルカゴ』などに詳しく述べられている。
 歴史上 残酷、非道な仕打ちは枚挙にいとまない。アフリカ部族のジェノサイド、カンボジアポルポト政権の反対派虐殺、ナチスのホロコースト等々。
 数ある歴史上の悲劇の中で、なぜカルタゴの悲劇に興味をもったか。
 それは現代日本の平和ボケともいえる現状が、当時の通商国家カルタゴにあまりにも似ているからである。
 経済的に豊かになり、すべてのものが金銭で解決されるのごとき風潮が蔓延している。平和を愛するのはいいとして、国防の意識が薄れ、できることなら国防も金銭でなんとかならないか、もっといえば他国、アメリカに守ってもらいたい。自分の国をじぶんで守ろうとする意識、気概がない。
 「天は自ら助くるものを助く」、同盟国アメリカも気概のない同盟国を助けるために、自国の青年の血を流させるだろうか。
 そのようなことはアメリカ国民がゆるさない。このような現状では敵意を持った隣国は野心を持つのは必然。このままの日本でいいと思っている国民は皆無と信じる。
 何をすればいいか、具体的な行動とは。国民のひとりとして考えていきたい。
 考える前提として、リテラシーの作法を厳守したい。
 リテラシーの作法とは、何か、たとえばいまや、ネット、メディアで情報が氾濫している、この中から正しい情報を取捨選択するのは至難の技である。
 至難であるからといって正しい情報を選択する努力をしなかったら誤った結論を信じることに直結する。正しい情報を得るには、魔法の杖はない。
 地味だが、一つ一つ検証し、かつ情報の背後にあるものを含め考慮にいれて判断する。
 判断にあたっては、すべての情報にたいし、常に疑いの精神を忘れないであい対し、なにごとにも左右されない。この原則を貫くことが大前提である。
 この精神でもって小論をすすめていきたい。