2018年1月29日月曜日

イエスの実像 2

 正典福音書のマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネおよび新約聖書としてまとめられたものから除外された外典福音書から浮かび上がるナザレのイエスの実像は見解が分かれていて定かでない。

 「『ナザレのイエス』について信頼できる厳然たる歴史的事実は、イエスが1世紀の初めにパレスチナではよくあったユダヤ人の社会運動の一つをリードするユダヤ人であったことと、そうした行為のために、ローマ人が彼を十字架に架けたことの二つだけである。
 この二つの事実だけでは、2000年前に生きていた一人の人物の完全な人物像を再構築することはできない。
 だが、ローマ帝国側の史的資料はふんだんに残されているおかげで、それを『ナザレのイエス』が生きた激動の時代的背景と重ね合わせて見れば、福音書に語られているイエス像よりももっと正確な歴史上の人物像が浮かび上がってくる。 
 実際、こうした歴史的営為の中から浮かび上がるイエスは、当時のユダヤ人がみなそうであったように、1世紀のパレスチナの宗教的、政治的混迷に巻き込まれずにはいられなかった一人の熱烈な革命家であって、初期キリスト教徒共同体で涵養されたような穏やかな羊飼いのイメージとは程遠い。
 さらに考慮に入れるべきは、十字架刑は、当時のローマ帝国が反政府的煽動罪にだけ適用していた処罰法だったことである」
(レーザー・アスラン著白須英子訳文藝春秋社『イエス・キリストは実在したか?』)

 イエスは『神の国は近い』と説いた。神の国では、富めるものが貧しくなり、強いものは弱くなり、権力者は無力となる。


 「ひとことで言えば、『神の国』とは革命への呼びかけである。
 いかなる革命であろうと、とりわけ神が選ばれた民のためにとっておいた土地を強奪した帝国の軍隊と戦うのであれば、暴力と流血は避けられないであろう。
 もし『神の国』が途方もない空想でないとすれば、多大な帝国駐留軍に占領されている土地に、どうやって武力を使わずにそれを樹立できるだろうか?
 預言者も、反徒も、一途な革命家たちも、イエスの時代のメシアたちもみな、そのことを知っていた。
 彼らがこの世に神の支配を樹立するために、暴力の利用をためらわなかった理由はそこにある。問題は、イエスも同じように感じていたかどうかだ。」(前掲書)

 革命の対象は、ローマ帝国とそれに加担する神殿の祭司、ユダヤ人貴族などの支配階級である。
 ナザレのイエスが、同時代の革命家たちと同じように革命を実現するために暴力を推奨したという記述はないが、平和主義者でなかったことは確かである。

・地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
(マタイによる福音書10章34節『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年)

・わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
(マタイによる福音書10章35節『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年)

・あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
(ルカによる福音書12章51節『口語 新約聖書』日本聖書協会、1954年)

 2000年前のパレスチナはローマの圧制で社会情勢は終末思想と革命の気運にあふれていた。人びとはメシアを待望した。イエスはこれに応えようとしたのだ。
 敵を愛しなさい、あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬を向けなさい。これはイエス後のユダヤ人の蜂起とローマ軍によるエルサレム破壊の反省からナショナリズムの熱気を起こさないようにとする【初期キリスト教徒共同体で涵養されたような穏やかな羊飼いのイメージ】の演出の一環であろう。そうでなければイエスの上の言葉とあまりにも矛盾する。 

2018年1月21日日曜日

イエスの実像 1

 日本人は一神教に馴染みがない。キリスト教は比較的近くに感じるもののユダヤ教となると遠い存在に思える。1日5回も聖地に向かって礼拝するイスラム教となるとさらに遠い。
 一神教間には血なまぐさい歴史がある。聖地エルサレムをめぐるユダヤ教とキリスト教およびイスラム教とキリスト教の戦いの歴史である。これら一神教の間には今なお世界各地で紛争の種となっている。

 多神教に近い日本人は一神教間の争いがなかなか理解できない。理解できないから捨て置いてすむ問題でもない。
 世界は一神教であるキリスト教に根ざす文明に覆われている。
 近代法、民主主義、資本主義、どれをとってもキリスト教文明と無縁のもにはない。というよりキリスト教文明なしには生まれなかったであろうものばかりである。
 したがって現代文明を理解するにはキリスト教を理解する必要がある。これなしには近代法も民主主義も資本主義も真に理解したことにはならない。真に理解しなければ道を誤る。
 キリスト教を理解するにあたってまずイエスを知らなければならないが、そのためには2000年前に遡る必要がある。
 多くの不確かなことや疑問点にも拘わらず大胆にもイエスの実像にせまった人はいる。クリスチャンからムスリムに転向したアメリカ人のレーザー・アスランもその一人である。
 彼によれば、ナザレのイエスは多くのナザレ人と同じく無学で仕事は日雇いの大工職人でありかつ当時ありふれた職業の一つの祈祷師でもあったという。
 当時の祈祷師は報酬を得る職業であったがイエスはこれを無報酬でおこなった。
 イエスはローマ帝国によるユダヤ支配およびローマに加担するユダヤの支配階級・祭司に反抗する革命家の一人であった。
 イエスは自分がメシア(預言者、救世主)であることを隠しローマ軍がいる主要都市を避け地方で人びとに説教した。
 イエスが脚光を浴びたのは時至れりとエルサレムに乗り込んでからである。

 「『ナザレのイエス』の生涯について、数えきれないほど多くある戯曲、映画、絵画、日曜日の説教などで取り上げられてきた物語の中で、イエスとはどんな人物で、その存在は何を意味していたのかを言葉や行為以上に如実に垣間見させてくれるエピソードがある。
 それは、イエスの宣教活動中に起きた数少ない事件の一つで、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの正典福音書のどれにも述べられていることから、ある程度まで史的事実であったと想定される。(中略)
 イエスの短い生涯の中で、この一瞬ほど、彼の使命、彼の神学、行動の動機、ユダヤ人権威筋やユダヤ教全般との関係、ローマの占領に対する彼の姿勢を明確に示唆しているものはないであろう。
 なんと言っても、このたった一つの出来事が、ガリラヤの低地丘陵地帯出身の素朴な無学者が、既成制度に大きな脅威であると見られ、目をつけられて逮捕され、拷問を受けたあげく、処刑された理由を説明してくれるのだ。」
(レーザー・アスラン著白須英子訳文藝春秋社『イエス・キリストは実在したか?』)

 そのエピソードはイエスがエルサレムに入城してから起こった。

 「彼の弟子たちと、おそらくイエスを褒め讃えながらつき従う群衆もいっしょに、イエスは『異邦人の庭』と呼ばれる神殿の境内に入り、そこを『浄化』し始めた。
 かっとなったイエスは両替商のテーブルをひっくり返し、安い食べ物や土産物を売る露天商を追い払った。
 彼は生贄用に用意されていた羊などの家畜を放し、鳩の籠を開けて鳥たちを空に逃がした。
 『こういうものはみな、取っ払え!』と叫びながら。
 それから彼は弟子たちに手伝わせて、神殿内にこれ以上、商品を持ち込むのを禁止するために、境内への入り口を封鎖した。
 やがて、露天商、参拝人、司祭や物見高い見物人たちが大挙して、持ち主に追われて驚いて逃げ惑うパニック状態の動物のように、瓦礫や排泄物をかき分け、いくつもある神殿の門から走り出て、すでに身動きもままならないエルサレムの街路へと急ぐ間に、ローマ軍の警備隊と重装備の神殿守備隊が境内に急行して、この騒乱を起こした者を片っ端から逮捕しようと監視の目を光らせた。
 イエスはそこに超然と立ち、福音書によれば、落ち着いた様子で、辺りの喧騒をものともせず、『こう書いてある。【わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである】。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている』と叫んだ。」(前掲書)

 イエスがかっとなって振る舞ったこのエピソードが本当であれば革命児としてのイエスの実像の一端を窺い知ることができる。
 すくなくとも四つの福音書が足並みをそろえて述べているところをみると蓋然性は高い。

 このエピソードでもっとも象徴的なことはイエスが発した【わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである】であろう。 イエスの実像のみでキリスト教を理解するのは容易でないがこの言葉はキリスト教の真理を理解するための補助線となる。

2018年1月15日月曜日

北朝鮮の核

 核をめぐってアメリカに対する北朝鮮の挑発がエスカレートしている。GDPにしてアメリカのわずか0.1%にすぎない小国が大国を挑発し、大国の型破りな大統領が負けじと応酬する。この光景は異様である。
 問題はアメリカが北朝鮮に核放棄を認めさせるか否かにある。
核については理不尽なことが多い。中国は1960年代から核実験を繰り返した。国際社会の非難に対し、中国は実験のたびごとに米、ソ(連邦)2大国の核兵器をなくし最終的には核兵器全廃を目指すと反論した。
 フランスはド・ゴール大統領のもとガロア将軍の比例的抑止理論で核武装した。
 この理論を端的に表現しているのが次の一文である。

 「もし、1956年11月ハンガリー政府がソ連に打ち込める三発のヒロシマ型原爆を保有していれば、この報復の核脅威の故に、モスクワはブタペストと交渉せざるを得ず、この二国間には新たな暫定合意が生まれたであろう」

 この理論こそ北朝鮮をはじめとした中小国の核武装の理論的支柱になっているといわれている。
 中国もフランスも核を保有するや1970年に米、露、英、仏、中以外核兵器を認めないという核兵器の不拡散に関する条約(NPT)に署名した。
 電車に先に乗った乗客が後から乗ろうとする乗客を締め出すような理不尽な条約である。

 北朝鮮は中国やフランスと異なり小国である。大国の論理が優先する国連決議によって孤立している。
 北朝鮮が核を放棄しなければ米朝戦争は避けられない。そしてその時期は諸条件を考慮すれば今年4月の確率が高い。多くの専門家はこのように予想している。

 ここで戦争について考えてみよう。
 戦争は極めて人工的現象である。動物の世界には本能的な争いはあるがこれは戦争とは言えない。オルテガ・イ・ガセは戦争を定義して言う。
 「戦争は本能的なものでなく、人間の考え出したもの、学問や統治とまったく同様、疑いもなく人間的制度である」 「戦争とはある種の利害衝突を解決すべく人間が考案した手段」であり、
 「戦争の放棄は、世の中からこれら利害の衝突を取り除くわけではない」
 戦争を放棄すれば利害の葛藤はそれまで以上にもつれ
 「利害の葛藤がなんとしても解決を求めてくる」
したがって
 「他の良き手段が見出されぬかぎり、戦争は平和主義者のみが住まうこの想像上の地球のうえに容赦なく甦ってくる」

 このオルテガの戦争の定義にしたがえば北朝鮮が核放棄するかアメリカが核放棄の要求を断念するかしないかぎり戦争は避けられない。
 妥協なくこのまま時間が経過すれば事態はますます悪化する。
 独裁者の宥和策ほどあてにならないものはない。第二次世界大戦前のミュンヘン会談がそれを証明している。

 しからばどうすればいいか。過去に北朝鮮との交渉当事者であったペリー米元国防長官の助言がある。

 「我々がこうあってほしいと思うようにではなく、いまあるがままの北朝鮮に対処する必要がある」(2018.1.12現代ビジネス)

 戦争するにしてもしないにしても北朝鮮が核兵器を保有している現実を肝に銘じてことにあたれということだろう。
 北朝鮮が2003年に核兵器の不拡散に関する条約(NPT)を脱退してから今日まで北朝鮮に核放棄を迫る交渉が続けられてきた。

 時の経過とともに事態は悪化している。いずれ「利害の葛藤がなんとしても解決を求めてくる」のであれば、これ以上の先延ばしは米朝だけでなく関連諸国にとってもより良い結果をもたらすとは思えない

2018年1月8日月曜日

政治家と建前

 「政策の実行、実行、そして実行あるのみであります。我が国が直面する困難な課題に、真正面から立ち向かい、共に、日本の未来を切り拓いていこうではありませんか」
 昨年11月国会演説で安倍首相はこう締めくくった。立派な演説に違いないが感動するものがない。抽象的で人間味に欠けるからであろうか。
 仮にこのフレーズの後に
 「私は三本の矢を政策に掲げこれが実行に全力を傾けてまいりました。その結果、第一の矢は成功裡に放つことができました。
 が、第二、第三の矢は、野党や族議員ならびに省益を守りたい財務官僚諸君の激しい抵抗にあい未だ実行できずにいます。またそのメドもたっていません。
 総理大臣の権限は皆さんが思っているほど強大ではありません。抵抗勢力を動かすには皆さんの支援が不可欠であります。
 三本の矢をすべて成功裡に放ち、共に、輝かしい日本の未来を取り戻そうではありませんか」
 こう続けたら聴衆から喝采を浴びるだろう。だが首相自ら自分の実行力のなさを認めたとしてやがて辞任に追い込まれるだろう。

 本音の言葉は人間味があり人の心を打つ。建前の言葉はどこか白々しい。 
 だが、政治家は公の席では本音を語らない。支援者の集まりなど私的な会合でつい本音を漏らしそれが公になり弁明に追われる政治家は多い。
 権力を維持するためには権謀術数を弄し、本音を隠し建前に終始しなければならないこともあるだろう。
 だがそれだけでは誠実さに欠ける。国民は率直で正直な政治を望んでいる。政治家の弱点や悩みは時として共感を呼ぶ。
 権力を維持するために建前に終始しなければならないとすれば、それは健全な政治とはいい難い。わが国の本当の危機は案外この辺にあるのかもしれない。

2018年1月1日月曜日

デフレの怖さ 8

 明治以降の日本は官僚制を創設し富国強兵、殖産興業の旗印で欧米に追いつけ追い越せと近代化を図った。
 明治元年(1868年)から約70年間官僚制は十二分に機能し日本は近代化に成功した。
 ところが大東亜戦争を境にそれまで国家を支えた官僚制が機能しなくなり国家破滅寸前まで追い込まれた。
 営々と築いてきた先代の事業を放蕩息子が一代でなくすかのように。
 敗戦後は奇跡といわれるほどの経済発展を遂げた日本だが約70年経過した今ふたたび官僚制機能に暗雲が漂っている。
 政治家が正しいと思っている政策を実行できずにいる。官僚が阻害しているからである。これが日本の現状である。
 本来あるべき政と官の立場が事実上逆転している。これを解消すべく中央省庁の審議官以上の人事を内閣官房に移管したがそれもこの逆転現象を解消できていない。それほど官僚の力が強い。
 なぜそうなったか。ここは官僚制が極度に腐敗し機能不全に陥った大東亜戦争時の事例が参考になる。

 大東亜戦争は圧倒的な物量にまさる米英に挑んだ無謀な戦争というのが定説となっている。
 だが研究がすすみこの定説に疑問をなげかける研究者がいる。そのなかの一人佐治芳彦氏は大東亜戦争は物量で負けたのではなく官僚制の機能不全が原因で負けたという。陸海軍のシステムが破綻していたからであるという。
 それが証左にいくつかの戦闘で戦力が優位にあったにもかかわらず日本軍は敗北している。
 大東亜戦争の転機となったミッドウエー海戦は戦力的には3対1で圧倒的に日本軍が優位であった。アメリカはこの戦いを ”ミッドウエーの奇跡” と呼んでいる。
 戦局挽回のチャンスがあった南太平洋海戦でも2対1で日本軍優位の戦力であったにもかかわらず戦機を逃した。
 なぜこのようなことになったのか。一言でいえば戦争遂行にあたって将軍や提督はじめ指揮官の人事が目的合理的ではなく陸軍や海軍の掟によってなされたからである。
 ことを為すにあたってそれにもっともふさわしい人ではなく、組織の掟が優先されたのである。これでは勝つ戦も勝てなくなる。

 「とにかく太平洋戦争を戦った将軍や提督の思想と行動とをトレースしてゆけば、もっとマジメにやれなかったのかと憤慨し、あるいはあきれる若い人(世代)も多いはずである。
 敗戦後、日本に革命がおこって、人民の名で敗戦責任者を裁いたとすれば、絞首刑まちがいなしという将軍や提督があまりにも多すぎるからだ。
 だが有為な人材の登用を怠り(アイゼンハウアーは退役寸前の大佐だった)、兵学校や士官学校のハンモック・ナンバー的人事に終始した組織のおそろしさを私は痛感する。」
(佐治芳彦著日本文芸社『太平洋戦争 封印された真実』)

 マジメにやらなかった将軍たち。
 たとえば(前掲書から抜粋・加筆)
 ・出撃する若き特攻の戦士たちに『君らだけを行かせやしない。最後の一機で私も突っ込む。・・・諸君はいまや神である』とまで激励したが、いざとなったら特攻隊を置き去りにして逃亡、温泉で静養した富永恭次第4航空軍司令官

 ・数万の兵士が全滅あるいは空腹でフラフラしながらフィリピン山中でアメリカ軍と戦っているさなか、愛人を東京赤坂から陸軍軍属として輸送機で自分の総司令部の官舎に連れ込んだ寺内寿一南方軍総司令官

 ・「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」 多くの日本兵はこの戦術訓を律儀に守り捕虜になることを拒み自決した。
 だがゲリラの捕虜となり、最高機密の作戦計画書を破棄もせずこれを奪われながら、責任を感じて切腹もせず、のめのめと終戦をむかえた福留繁連合艦隊参謀長

 汚職とか女性スキャンダルはどの組織にもみられるが上の事例は常軌を逸している。

 さらに深刻かつ致命的であったのは組織が機能不全に陥ったことである。
 目的合理的に運営すべき組織の人事が士官学校や兵学校の卒業時の序列で割り当てられたり、同期あるいはかっての上司・部下関係など人間関係がハバをきかせた。
 機能集団であるべき軍隊組織が共同体化してしまったのだ。
 たとえば(前掲書から抜粋・加筆)
 ・機動部隊の司令長官 南雲忠一中将は水雷屋であり航空専門ではなかった。
 彼はハワイ真珠湾の第二撃を中止しみすみすチャンスを逃した。
 ミッドウエー海戦では敵艦隊と接触しない新たな形の海戦に適応できず躊躇と無能ぶりを示した。
 無能ぶりは南太平洋の機動部隊同士の海戦でも同じであった。
 卒業時序列で決定されるハンモック・ナンバー的人事の悪例がここにある
 彼をよく知る第十一航空艦隊司令長官塚原二四三は言う。「南雲はその背景、教育訓練、経験および関心などの、どの面からみても、日本海軍航空部門の重要な役職につけるにはまったく不適格であった」
 このような人物が大東亜戦争でもっとも重要な機動部隊の司令官であったことをおもえば背筋が寒くなる。

 ・陸軍の作戦で最も悪名高いインパール作戦は当初の大本営の意に反して決定された。
 この作戦を推進・強行したのは第15軍司令官牟田口廉也中将である。彼はインパール作戦を上司のビルマ方面軍司令官の河辺正三中将(日中戦争勃発時のかっての上司)に上申した。
 河辺中将は他ならぬ盧溝橋事件以来の部下からの上申とあって陸軍大学同期の東條英機首相を説得しこの作戦を承認させた。
 人間関係がハバをきかせた典型的な例である。阿鼻叫喚の地獄となった無謀なインパール作戦はこのような情実で決定された。

 日本は官僚国家である。官僚組織が機能不全になれば国家として機能不全になってしまう。これが大東亜戦争が残した教訓である。
 ひるがえって現代日本、官僚組織は健全といえるか。
大東亜戦争時の陸海軍の組織と今の官僚組織とどう違うのか。
 当時の軍部は政治を壟断した。現代の官僚、代表的な財務官僚は緊縮財政を主導し財政政策を壟断している。実質上政治を壟断しているという意味では当時も今も同じ。
 陸士、海兵卒と、かって大蔵一家を呼ばれた財務官僚の結束の固さも同じ。

 日本は空気が支配する社会である。「公債残高は税収の約15年分に相当、将来世代の大きな負担に」「ムダ使いするな」「節約だ」「緊縮だ」
 ひとたびこれら官製のプロパガンダがゆきわたればこれが人びとを束縛する。
 いくら経済学者やエコノミストが理詰めでその間違いを指摘しても効果なし。
 そうなれば政治家のデフレ脱却スローガンも人びとには空虚にしか聞こえない。

 国民が選んだ政治家の主張が官僚に阻まれ頓挫する現状はどうみても正常ではない。
 最高権力者である首相が掲げた三本の矢のうち第一の大胆な金融緩和はまともに放たれたが、第二の機動的な財政政策は緊縮財政となり、第三の民間投資を喚起する成長戦略は、企業がひたすら内部留保を積み増す結果だけに終わった。
 第二と第三は首相の意図に反しデフレ脱却へのベクトルが逆である。これではデフレ脱却は覚束ない。
 これは前述のごとく政治家がデフレ脱却の政策を知らないからではなく実行できないからである。

 さればどう対策すればよいのか。組織の構成員は官僚組織に限らず上を向いて仕事をする。下を向いて仕事せよといってもそれは無理なこと。
 機能集団であるべき組織が共同体化しているのは官僚組織にかぎらずひろく民間組織にもゆきわたっている。
 官僚の機能不全を声高に叫んだところで仕方がない。問題とすべきは不正、腐敗をチェックする機能である。
 19世紀イギリスの思想家ジョン・アクトンは「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」といった。絶対的権力にはチェック機能がない。
 官僚組織が機能不全になるのは、官僚に対するチェック機能が働かないからである。
 現代日本でそれができるのは政治である。デフレ脱却は政治が正常に機能すること、これ以外に解決の途はない。
 ヒットラーはインフレ下で決起に失敗したがデフレ下で合法的に政権奪取に成功した。ジンバブエのムガベ前大統領はハイパーインフレ時にはその地位が揺らぐことはなかったがデフレになったとたんその座を追われた。
 いずれもデフレを甘くみた結果であった。