2016年8月29日月曜日

人工知能 1

 いま途轍もない可能性を秘めた波が押し寄せている。だがこの波はそれをはっきりと自覚しなければ見過ごしてしまうほど静かな波だ。
 21世紀の日本にとって最初にして最後の起死回生の幸運の女神となるかもしれない人工知能 AI (Artificial Intelligence )がそれである。

 人間 対 AI の戦いの例を見てみよう。
 チェスは1997年IBMのスーパーコンピュータ 「ディープ・ブルー」 がチェスの世界チャンピオンを負かした。
 将棋は2013年にプロ棋士と将棋ソフトが対戦しプロ棋士が1勝3敗1分で将棋ソフトに負けた。
 囲碁は盤面が広いためコンピュータソフトがプロに勝つにはあと10年はかかるだろうといわれていたが今年3月グーグルのコンピュータソフト 「アルファ碁」 が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段と対戦し4勝1敗で勝ち越し世間をアッと驚かせた。
 これはほんの一例に過ぎない。AI の進歩はゲームに止まらずさまざまな分野におよびわれわれの想像を超えている。

 専門家によればいまの AI の発展段階は1995年のインターネットに相当するという。
 1995年といえばマイクロソフトのWindows 95が発売されこれにインターネット接続機器が搭載された時期である。
 この時期にはグーグルもフェイスブックもアマゾンもなかった。アップルとマイクロソフトがやっと黎明期から脱出しかかっていた時代である。それから約20年後の今日インターネットの進化は隔世の感がある。
 インターネットの進化から類推するにいまから20年後 AI がどのように進化しているのか想像さえできない。

 一方 AI はそのあまりにも革新的過ぎるゆえに様々な懸念、特に倫理面でのそれがあることも事実だ。
 人間の知能を超えるかも知れない AI に対して人間はどう対処するのか、AI の軍事利用に対してどのような対策がなされなければならないのか等々。

 AI の破壊力はそれ以前の常識をことごとく覆す力がある。その影響は政治、経済は言うにおよばず文化、人びとの働き方など生活の隅々まで及ぶであろう。

 革新的な技術には先行者利得がある。インターネット技術で先行したアメリカはマイクロソフト、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンとほぼこの世界を壟断している。
 そしていま AI でもアメリカが先行していると言われている。だがその程度はキャッチアップできないほどではないという。

 少子高齢化で経済が低迷している日本にとって AI 革命はこの苦境を一気に払拭する千載一遇のチャンスでもある。
 幸運の女神には前髪はあるが後髪はない。この機を掴まえまたはその道筋をつけるものは誰ぞ。
 以下 AI について専門家の考察をもとに基本に立ち返り考えてみたい。

2016年8月22日月曜日

シン・ゴジラ

 今夏公開された映画シン・ゴジラは前評判が高く、実際その期待を裏切らない。
 この映画の特長の一つに危機に際して日本社会の意思決定の様子が描かれている点にある。

 後にゴジラ(Godzilla)と命名される巨大不明生物が東京湾に出現し想定外の事態が発生する。
 これに対処するに、前半部分では学者の紋切り型の論評、政治家のパーフォーマンス、官僚の縦割り行政への固執などが面白おかしく皮肉をこめて撮られている。
 ところが事態が深刻化する後半部分では政官が一致団結して巨大生物対策にあたる。
 各省庁から ”はぐれもの” 扱いされていた官僚たちが対策本部に集められ本部長から下記趣旨の訓示を受ける。

 「この未曾有の災害に全力で対処願いたい。なお本件については従来の人事考課は適用しない。」

 この訓示の効果はてきめんでセクショナリズムから解放された官僚たちはもてる能力をフルに発揮し見事ゴジラの凍結作戦に成功する。

 綿密なプランと的確な意思決定で事態が急転直下解決する。現実には起こりえないであろうことが起こる。
 意思決定システムの面白さとともにカタルシスを得られる映画である

2016年8月15日月曜日

終戦記念日

 今日は終戦記念日、例年この日に注目されるものの一つに政治家の靖国神社参拝がある。
 今年は超党派国会議員70名などが参拝したが、首相、外相、官房長官は参拝しなかった。防衛相はアフリカ出張中。
 2005年4月当時の中国の王毅駐日大使が自民党本部で首相、外相、官房長官 以上3人は日本の顔であり靖国参拝を遠慮する紳士協定ができていると発言したことが伏線となり、以来中国側は首相、外相、官房長官の靖国参拝を強く牽制してきた。
 ところが今年はこれに防衛相も加わった。中国は稲田防衛相を極端な右よりと判断して牽制したのだ。
 中国を不必要に刺激したくない現政権および中国と利害関係にある産業界、それに極東にあらぬ波風をたててもらいたくない米民主党政権は日本の対応に安堵の胸をなでおろしていることだろう。
 このような露骨な中国の内政干渉を日本政府は受け入れ同盟国のアメリカもこれを支持している。
 中国、アメリカおよび日本政府はこれでよしとするだろうが日本国民はこの政府の判断に心底から賛成しているのだろうか。

 似たようなことが尖閣諸島でもおきている。中国の漁船と海警局の公船が頻繁に領海を侵している。
 中国の真意は定かでないが尖閣諸島を領土問題化にすることがその目的の一つであるという見方がある。
 これに対し日本は尖閣諸島に領土問題は存在しないというのが一貫した立場である。
 ところがここでも中国と波風を立てたくない人がいる。親中派といわれる元外交官の孫崎氏などの尖閣諸島棚上げ論者である。 彼らも尖閣諸島は日本の固有領土であると考えるが、中国も同じように主張しているのだから棚上げしようというのだ。
 アメリカは固有の領土とか主権には関知せずと明言している。アメリカは施政権を問題にし尖閣諸島は日本の施政下にあるとの立場だ。アメリカ合衆国の成り立ちを考えれば固有の領土という概念にはなじまないのだろう。
 島国であるわが国は固有の領土という意識が強い。だが中国にしてもアメリカにしても領土をわが国ほど固定的に考えていないようだ。
 尖閣諸島を奪取するためにもまずこれを領土問題化・棚上げに成功すれば中国の思惑通りになる。棚上げで領土問題が決着するなど夢にも考えられない。
 領土問題はイギリスのチェンバレンがヒットラーに譲歩したように弥縫策が最悪の結果を招くことは歴史が証明している。
 とるにたらない小っぽけな土地をめぐる争いについてシェクスピア劇ハムレットの一幕は、領土問題が単に経済的・軍事的問題ではなく国家の尊厳にかかわると示唆している。尊厳をなくした国家に明日はないことは言うを俟たない。

 「あの兵士たちを見ろ。あの兵力、厖大な費用。それを率いる王子の水ぎわだった若々しさ。
 穢れのない野望に胸をふくらませ、歯を食いしばって未知の世界に飛び込んで行き、頼りない命を、みずから死と危険にさらす。 それも、卵の殻ほどのくだらぬことに・・・いや、立派な行為というものには、もちろん、それだけの立派な名文がなければならぬはずだが、一身の面目にかかわるとなれば、たとえ藁しべ一本のためにも、あえて武器をとって立ってこそ、真に立派と言えよう。
 そういうおれはどうだ? 父を殺され、母をけがされ、理性も感情も堪えがたい苦悩を強いられ、しかもそれをそっと眠らせてしまおうというのか? 
 恥を知れ、あれが見えないのか。二万のつわものが、幻同然の名誉のために、、まるで自分のねぐらにでも急ぐように、墓場に向って行進をつづけている。その、やつらのねらう小っぽけな土地は、あれだけの大軍を動かす余地もあるまい。戦死者を埋める墓地にもなるまい。」
(シェイクスピア 福田恒存訳『ハムレット』)

 
 終戦記念日が来るたびに靖国と尖閣、この二つの問題について考えさせられる。事態は年々悪化の一途を辿っているように思える。

2016年8月8日月曜日

揺らぐEU 6

 ギリシャ危機、英国の離脱、移民問題などで動揺が拡がり、イスラム過激派のテロや勢力を増している反EU派の台頭を見るにつけ、EU解体が絵空事ではなく現実味をおびてきている。
 この背景にはひとりEUにとどまらず世界的なグローバリズムがもたらした弊害にたいする中・下流階級のエリート層への反乱がある。
 もともとEUは第二次世界大戦の惨禍を二度と繰り返さないという崇高な目的のために結集されたものでありそれ自体人類の英知の所産である。
 統一通貨ユーロも人々の賛同を得、一時は準備通貨として米ドルをもしのぐ勢いであった。
 ところが世界経済が順調に成長過程にあるうちはよかったものの停滞過程にはいると内なる矛盾が一気に噴出した。
 2008年のリーマンショックを機に世界が不況に突入すると、EUという限られた世界での矛盾はより鮮明に浮き彫りにされた。
 ヒト・カネ・モノ・サービスが自由に移動するEU域内では勝者と敗者がはっきりする。一人勝ちのドイツと敗者のギリシャなどの南欧諸国という構図である。
 EUは統一通貨であるため勝者はその利点をフルに享受できるが敗者は立ち直る機会まで奪われてしまう。為替安の恩恵にあずかれないからである。
 EUの中で不満の矛先はともするとドイツにむけられがちである。
 ドイツはもちろんEUを揺さぶろうなどと考えているわけではなく、むしろドイツはEUの団結をどの国よりも望んでいると思われる。ドイツがEUシステムからの恩恵をどの国よりも享受しているからである。下図はそれを雄弁に物語っている。

            ユーロ圏主要4カ国の相手国・地域別貿易収支の推移

第1-2-2-15図 ユーロ圏主要4か国の相手国・地域別貿易収支の推移

 このようなドイツの一人がち状態は必ずしもドイツにいい影響をあたえなかった。
 ドイツは意識すると否とにかかわらず他のEU諸国を支配したがるようになった。
 EU25カ国に対してドイツ主導で財政規律を各国の憲法に明記する協定に合意したが、これなど他のEU諸国をリードするというより自らのやり方に従わせることにほかならない。

 ドイツを歴史的・人類学的に観察してきたエマニュエル・トッドはドイツの危うさを指摘している。

 「ドイツの権威主義的文化は、ドイツの指導者たちが支配的立場に立つとき、彼らに固有の精神的不安定性を生み出す。
 これは第二次大戦以来、起こっていなかったことだ。歴史的に確認できるとおり、支配的状況にあるとき、彼らはしばしば、みんなにとって平和でリーゾナブルな未来を構想することができなくなる。
 この傾向が今日、輸出への偏執として再浮上してきている。(中略)
 毎週のようにドイツの態度のラディカル化が確認されるのが現状だ。
 イギリス人に対する、またアメリカ人に対する軽蔑、メルケルが臆面もなくキエフを訪れたこと(14年/8月)・・・。
 ドイツがヨーロッパ全体をコントロールするためにフランスの自主的隷属がきわめて重要であるだけに、フランスとの関係のあり方が現実を露見させていくだろう。
 しかし、すでにわれわれは知っている。強襲揚陸艦ミストラルのフランスからロシアへの売却をめぐる事件で分かったのは、ドイツの指導者たちが、今ではフランスに対して、フランスの軍事産業で今日残っているものを処分してしまうように求めているということだ。
 ドイツの社会文化は不平等的で、平等を受け入れることを困難にする性質がある。
 自分たちがいちばん強いと感じるときには、ドイツ人たちは、より弱い者による服従の拒否を受け入れることが非常に不得意だ。 そういう服従拒否を自然でない、常軌を逸していると感じるのである。」
(エマニュエル・トッド著堀茂樹訳文春新書『ドイツ帝国が世界を破滅させる』)

 エマニェエル・トッドの見方から類推すればドイツこそ揺らぐEU、反乱するEUの元凶ということになる。
 が、そのドイツにも最近翳りが見え始めてきた。
 ドイツ銀行のLIBOR不正(銀行間取引金利の不正操作)とフォルクスワーゲンの排ガス不正は一人勝ちしてきたドイツ経済に暗雲をもたらしている。
 健全そのもののドイツ政府の財政は、民間最大のドイツ銀行にその不健全さを肩代わりさせているのではないかという指摘さえある。
 ドイツ主導の緊縮財政がゆきずまりいつの日か転向を迎える日がくるであろうか。
 もしその可能性ありとせば来年9月のドイツの議会選挙後であろう。
 英国のEU離脱決定翌日に実施されたスペインの再選挙で反EU派のポデモスが伸び悩んだことでもわかるように統一通貨圏から離脱することがいかに難しいことかが明らかになった。
 EUの未来は、ドイツが頑なに守ってきた緊縮財政を今後もつづけるか否か、この一点にかかっている。
 もしこの緊縮財政を妥協余地のない政策として固執すれば、『EUは遠からず瓦解する』かもしれない。
 だが、EUというシステムを最も享受しているドイツがそのようなEU瓦解につながる危険を冒してまで緊縮財政策をつづけるであろうか。常識的にはそのような政策を続けるとは思えない。
 だが名にしおう緊縮財政こそ国家繁栄の基礎であると信じて止まない指導者を擁する国民である。
 また首相自ら率先して家計と国家財政を同一視して政策を推進するお国柄である。
 このようなドイツの政策について異をとなえ変更を促すには当初からのパートナーメンバーであるフランスが適任であるが、歴代フランスの指導者はその任を果たさず、むしろドイツの従属的立場に甘んじている。
 政策の大胆な転換は現政権では望み薄だろう。可能性は2017年9月のドイツ議会選挙以降ということになる。

 EU諸国は大部分の主権をEU政府に返上し奪われた状態にある。行政上の細部はブリュッセルのEU官僚が壟断し、箸のアゲサゲの細部に至るまで各構成国に指示し、各国はこれに従わざるを得ない。
 このことが英国のEU離脱の原因の一つに挙げられている。
だが、ユーロを導入しているその他諸国はこのような原因ではEU離脱など決心できない。
 さきのスペイン再選挙で反EU派のポデモスの伸び悩みがそれを証明している。独自通貨に帰ることの恐怖にくらべれば不満はあるにしろまだEUに止まるほうが安心だということだろう。
 EUは高邁な理想のもと設立されたが今やドイツの一人勝ちでその他諸国はこれに従属する構図となっている。
 その他諸国はドイツに不満はあるがEU離脱はできないし、ドイツもまた離脱されると共倒れになるためこれに反対する。ギリシャ救済はドイツのためでもある(ドイツ銀行のギリシャに対する貸付など)。
 われわれは美名に惑わされないようにしなければならない。国連は戦後70年経過しても常任理事国はいまだに第二次世界大戦の戦勝国に壟断されている。
 EUは事実上ドイツ支配下にあるとハッキリ認識すべきだろう。そしてその未来もまたドイツの手に握られている、と。

2016年8月1日月曜日

揺らぐEU 5

 EUはドイツ、フランス、イギリス、イタリアなど主要国の強い影響下にあるが、EUという巨大組織を実務上動かしているのはEU官僚である。
 実務上の権限を有する官僚の行動パターンは洋の東西を問わず共通するものがあるようだ。
 28ヵ国、約5億人のEU官僚は短期契約を含めると約3万人にのぼる。
 EU官僚もご多分にもれず権限の集中や厚遇が職員のエリート意識をはぐくみ実態とはかけ離れた規制を作り続けている。

 EU職員の厚遇ぶりを伝えている記事がある。

 「年金などを差し引いた平均月給は約6500ユーロ(約75万円)で、最高級の局長クラスになれば約1万6500ユーロ(約190万円)に達する。
 さらに、子ども1人につき月額約376ユーロ(約4万3千円)など様々な手当が上乗せされ所得税も免除される。
 退職後は、最高で最終給与の7割の年金をもらえる。」
(2016年6月25日朝日新聞)


 高給なうえに所得税まで免除されるとは。さすが日本の官僚もびっくり仰天うらやましく思うことしきりだろう。
 できれば生まれ変わってブリュッセルの官僚になりたいと、そこまで思うかどうかはわからないが・・・。
 そのEU官僚たちは厚遇にまもられ毎日毎日細部規則作成に余念がない。
 作成した書類の多さは膨大で英国のEU離脱派によるとEUの規制を網羅した書類を重ねると50メートルにも及びロンドンのトラファルガー広場のネルソン提督像を超すという。

 ことほど左様にEU官僚による細部規制が徹底しているので英国のビジネスは縛られ競争力をそがれているとEU離脱派は訴えた。

 フランスでも同じようにEU官僚に対する不満がある。

「現在のFN(フランス国民戦線)の政策綱領にはこんな一節がある。

 《こんにち我が国の民主主義の機能は、我々の法律を非民主的な欧州の当局に委ねることによって、しばしば民主主義の絶対的条件を満たしていない機関とその行為によって、私益のために公益を守らない民主主義の赤字を強化している権力行使の逸脱によって、大きく阻害されている。》

 この見方は、FNだけのものではない。フランスの政治家や学者、評論家もまた、『80%以上の法規がEUで決められて、国内で独自に決められることはほとんどない』としばしば口にする。
 EU法はそのままEUの加盟国に直接適用され、EU指令は、それに沿って各国で法律を制定あるいは改正しなければならない。 
 指令は国の法律に移し替えるため、その審議の過程で各国の国会が関与するとはいえ、すでに要点はEUで決まっており、変えるわけにはいかない。
 また、かっては欧州全体で共通の政策をおこなうのは、農業ぐらいのものであったが、マーストリヒト条約によって大幅に分野が増えた。
 法律以外にもさまざまな規格や衛生基準などもある。」
(広岡裕児著新潮社『EU騒乱』)


 民主主義の赤字とは、端的にいえば行き過ぎた官僚支配であり、政治支配の欠如に他ならない。
 EU加盟国は立法権の一部を欧州議会に委ねているが欧州議会の権限はきわめて限られている。
 実質的に立法権を有するのは閣僚理事会である。
 加盟国代表1名からなる欧州委員会はEUの行政機関・EU政府でありここに3万人におよぶ官僚機構を擁している。
 欧州市民が選べるのは欧州議会の議員だけであり、その欧州議会の権限は閣僚理事会や欧州委員会のサポート的立場にすぎず各国国会よりもはるかに制限されている。
 この結果欧州市民の声はEUの政策に殆んど反映されない仕組みになっている。
 そこでは市民の関与もなく政策の透明性もない。一部の行政官と官僚が殆んどの政策を決定するため民主主義の欠乏→民主主義の赤字といわれるゆえんである。

 EUのヒト・カネ・モノ・サービスの自由な移動ができる単一市場という高邁な理想はここにきて曲がり角にさしかかっている。
 元々歴史・文化・人種・宗教など異なった巨大なEU共同体をまとめるには政治的・経済的エリートに頼るほかなく彼らはこれを計画的に実行した。
 巨大組織をまとめるには中国共産党にも見られるように一部のエリートに頼らざるを得ないのであろうか。

 元フランス大統領シャルル・ド・ゴールは巨大組織をまとめることに関連しEUと米国の違いについて回顧録で述べている。

 「いったいどれだけ深い幻想や思い込みがあれば、それぞれに地理歴史言語をもち、何世紀にもわたって数知れぬ努力や苦労によって鍛え上げられてきた欧州諸国が、自分自身であることをやめて、たった一つのものになるなどと信じられるだろうか。
 どれだけ大雑把に見れば、よくナイーブにもちだされる欧州と米国の比較ができるのだろうか?
 米国は、何もないところに、新天地に、根なしの入植者の連続によってできたものだ。」
(シャルッル・ド・ゴール『希望の回顧録』前掲書から)

 ド・ゴールの懸念はいまや現実のものになっている。