2014年4月28日月曜日

社会調査 3

 我々は、見せかけに弱い。制服、肩書き,職業、収入、学歴、身なり、データ、グラフ等々。
 これらは世の中の詐欺師といわれる人種が人をだますに際し最大限に利用する手段でもある。
 なぜ、このようなものに弱いのだろうか。
 一つの答えとして、自分自身で深く考える手間をかけなくとも、それらに頼っていればまず間違いないのではないかと安易に考えることが挙げられる。
 深くではなくとも、改めて考えること自体が面倒であることには違いない。が、それらに頼るばかりの生き方には代償が伴う。
 うまくいけばよいが、そうでなければ後悔だけが残る。また、我々は見せかけで判断しようとするし、自分自身も努めてそれに頼って生きていこうとする。
 社会も阿吽の呼吸でそのことを容認しているようにも見える。
それ故、ともすると、真実は常に見せかけどうりであるとは限らないことを忘れがちだ。

 人間、外から附けた物を剥がしてしまえば、皆、貴様と同じ哀れな裸の二足獣に過ぎぬ。 脱げ、脱いでしまえ、お前の着ている借物を!               (福田恒存訳シェイクスピア『リア王』)
 世の中には怪しげな数字が氾濫している。何事にも疑いの目を向ける態度は好ましくないという人がいるかもしれない。
 が、現実の社会はそんなきれいごとがまかり通るほど甘くはない。
 社会調査の数字に限らないが、常にこの疑いの目は欠かせない。
 出てくる数字をことごとく鵜呑みにすれば数字に翻弄され判断停止・思考停止状態になる。数字の過信は厳に戒めるべきことである。

 社会調査で特に大きな影響力があるのがマスコミである。
 その影響力を考えると、これと正し向き合うことはことのほか重要である。
 マスコミに取り上げられるか否かで天と地ほどの開きがある。どんなに良いことでもマスコミに取り上げられなければ埋もれてしまうし、どんなに些細な悪事でもマスコミに取り上げられると大騒ぎとなる。
 マスコミは恣意的に世論を操作する力がある。

 「 『私はスポーツ欄の結果を除いて、新聞の数字や記事はとりあえず信用しないようにしています』 と明治大学のS・A教授が言います。
 同感です。およそまともに教育を受けた者なら、新聞もテレビも週刊誌も、マスコミというものが、いかにいいかげんなものかは感じているはず。
 ただ悲しいことに、まだ充分にまともな教育を受けていない人、受けたくてもその機会がなかった人は、少なくないのです。それらの人々は、マスコミに騙され続けているし、これからも騙され続ける可能性が高いと思います。」
(ちくまプリマー新書 谷岡一郎著『データはウソをつく』)

 同書で谷岡氏は、世論の誘導ーニュースの選択と比重、意図的な省略と曲解、表現と誘導、データの誤用と悪用、相関と因果 以上の事柄について実例を挙げマスコミがいかに事実をねじ曲げているかを縷々説いている。

 情報が溢れかえっている現代に生きている我々は、いわば激流のただ中の小舟にも等しい。
 自分を見失わないためには自分の脚で歩き、自分の手で掴み、自分の頭で考えること。
 評論家、コメンテータ、専門家等々の意見は拝聴するにしても、それは自分の判断材料の参考としてのみであって、けっして鵜呑みすべきではない。
 それがどんなに高尚で正しいと思われようと疑いの目、疑いの心を忘れるべきではない。

 プロ野球の打撃の神様といわれた川上哲治の語録に『自分で掴んだものは強い』という言葉がある。
コーチなどに教わったものと違い自分自身で掴んだものは忘れないと彼は言った。足が地に着いている。
 

2014年4月21日月曜日

社会調査 2

 様々なチャンネルから入ってくる情報に対して、選別・識別することをしなかったらどうなるか。
 それらの情報についてすべて正しいと受け入れたとしたらどうなるか。
 見解が真逆の情報もあるだろうし戸惑うばかりで、我々は判断停止状態に陥るだろう。
 古代ギリシャ アテネの陶片追放は独裁者の出現を防ぐのが当初の目的ではあったものの、自ら思考し判断することを放棄し専ら不人気投票が幅をきかせ衆愚政治へと堕落していった。
 このことは、遠い昔のギリシャのこととも思えない。
 現代のわが国の選挙は、人気投票という点で、古代ギリシャ の陶片追放という不人気投票といかほどの違いがあるのか。

 「情報機器やシステムの進んだ現代では、他人より、より多くの情報を集めることを競っても意味がない。
 情報など、集めようと思えばいくらでも集められるからである。  むしろ今後、必要となるのは、あふれるデータの中から真に必要なものをかぎ分ける能力、いわゆる【セレンディピティ(serendipity)】と呼ばれる能力であろう。
 このセレンディピティを訓練するにあたっては、まずゴミを仕分けることが効果的である。つまりデータをどう【捨てる】かである。 データや社会調査の情報はだいたい三つに分類される。
 役に立つ有益なものと、目下のところは役に立たないが将来的に必要になりそうなもの、そして【ゴミ】の三つである。
 数量的にはこの最後の【ゴミ】が圧倒的に多いが、この【ゴミ】をすぐに捨てることのできる人は、そうでない人より、かなり有利なポジションを占めることになるだろう。
 この能力がリサーチ・リテラシーのある人とない人の差となる。  もう一度、繰り返すが、今後は情報を得る能力よりも捨てる能力の方が、はるかに重要な素養となってくる。」(文春新書 谷岡一郎著『社会調査のウソ』)

 つい最近まで、豊富な情報、豊富な知識は、それだけで社会的に尊敬を集め、有利と思われてきた。
 学校の入試など、かなりの部分が知識の有無を問う試験でもあった。
 谷岡氏の言うように、情報を【捨てる】能力が素養の判断基準とすれば、判断基準の【コペルニクス的転換】である。
 なぜこのように捨てなければならない情報が溢れているのだろうか。
 有力な理由の一つとして社会科学特有の社会科学的事実がある。社会科学は自然科学と異なり様々な要因が複雑に絡まる複雑系の権化のような科学である。
 それゆえ検証実験が不可能ではないにしても自然科学とは比較にならないほど困難である。
 今話題の渦中にあるSTAP細胞でさえ追試とか反証可能性が問題となっているが、これが社会科学ともなれば、時間、空間、民族、文化等々の要因が入り検証は困難を極める。
 このような社会科学の曖昧さゆえに、これを利用・悪用する者が現れ、結果として社会にゴミが溢れかえる。
 ゴミのジャングルから抜け出し正しい判断を行うには、谷川氏が言うようにまずゴミの情報を捨てることは、必要条件ではある。  が、これだけでは十分とはいえない。情報を咀嚼し自分のものとしててはじめて正しい知識たり得る。
 が、情報を咀嚼し自分のものとするには、それなりの心構えと努力が求められる。
 情報を単に受けるだけの習慣から抜け出さなければならない。
自らの脚で立ち、情報を発信するまでにいたらないと真の知識とはいえないかもしれない。
 なぜなら【人は教えることによって最もよく学ぶ】(セネカ)から。

2014年4月14日月曜日

社会調査 1

 抽象的な発言はやめて、具体的に話してほしい、できれば数字で! 具体的に、それも数字とかグラフで説明されるとなんだか安心する。我々はとかく目に見えるものに弱い。
 ところがこの数字とかグラフが曲者だ。特に社会調査となると、専門家によればゴミの山であふれ返っているという。

 「『社会調査』という名のゴミが氾濫している。そのゴミは新たなゴミを生み出し、大きなうねりとなって腐臭を発し、社会を、民衆を、惑わし続けている。
 社会調査を研究してきた者として言わせてもらえば、社会調査の過半数は『ゴミ』である。
 それらのゴミは、様々な理由から生み出される。
 自分の立場を補強したり弁護するため、政治的な立場を強めるため、センセーショナルな発見をしたように見せかけるため、単に何もしなかったことを隠すため、次期の研究費や予算を獲得するため等々の理由である。
 そして、それを無知蒙昧なマスメディアが世の中に広めてゆく。
 社会調査方法論(research methods)の世界には『GIGO』という言葉がある。
 これは(Garbage In,Garbage Out)という用語の頭文字を並べたものであるが、要するに『集めたデータがゴミならば、それをどんなに立派に分析したところで、出てくる結論はゴミでしかありえない』といことである。」
(文春新書 谷岡一郎著『社会調査のウソ』)

 たしかに、新聞やテレビの調査発表には漠然とした違和感を感ずる時がある。
 同じ社会調査でも革新系のメディアは政権批判を誘導するような質問をするし、保守系メディアは政権寄りに誘導するような質問をする。
 結果についてのコメントもそれぞれの主張に沿うようなものとなる。
 谷岡氏は例題として1991年11月6日付け朝日新聞の記事を紹介している。

 「 『一番人気はカーター氏/歴代大統領/米紙が調査』
<ロサンゼルス4日=共同>四人の前、元米大統領のうち一番人気があるのはカーター氏で、在職中に高人気を維持し続けたレーガン前大統領は”並”に転落---。
 米紙ロサンゼルス・タイムズが四日発表した世論調査でこんな結果が出た。/九月下旬、全米で千六百人を対象に行ったこの調査では、健在の前、元大統領のうちだれを支持するか、という質問に対し、
 35%がカーター氏、22%がレーガン氏、20%がニクソン氏、
10%がフォード氏と答えた。
 /この結果について『カーター氏は人道的な政策が評価できる』『レーガン氏は貧しい人のためには何もせず、多くのホームレス(浮浪者)を生む原因となった』といった回答者の見方を紹介している。
 どこがおかしいか、わかりますか。
 ヒント。これは1991年(ブッシュ大統領時代)の時点で生存していた過去四人の大統領(ニクソン、フォード、カーター、レーガン)の人気投票を行った結果です。
 解答。四人の前・元大統領のうち、カーターだけが民主党で、残りの三人は共和党である。
 仮に大衆の四割が共和党、四割が民主党、二割が無党派(その他)であったとすると、共和党支持者の票は割れるが、民主党支持者にはカーターしか選択肢が存在しない。
 カーターがこの調査で一位になることは、最初から明らかだった。
 このような特定の選択肢が上位にくるような恣意的な質問の作り方を、専門用語でforced choice(強制的選択)と呼んでいる。
 こうした『ゴミ』は一回だけで終われば、さして問題はない。ところが迷惑なことに、ゴミは次々と引用されることで、他のゴミを生み出すことがある。」(前掲書)

 現に、この記事は雑誌『文藝春秋』で『日本が選ぶ歴代米大統領ベスト5』と題された座談会で識者が引用し得々と論じている。 座談会に呼ばれるほどの専門家が、このような欠陥調査に気付かないとすれば情けないし、知ったうえでの発言であれば相当タチが悪いと谷岡氏は断じている。

 我々は、街角調査、聞き取り調査などの身近な調査結果にはそれなりに判別・評価できるが、学者・専門家など権威ある人の調査結果は素直に受け止めがちで批判の耐性が十分とはいえない。
 いわば日本人の権威にたいする本能的といってもいい信頼がここにもある。
 が、こと社会調査については、彼らはゴミを撒き散らしている。  撒き散らす理由は、ゴミを受け入れる需要があり、そのことにより得るものがあるからである。
 しかも権威があればあるほどその度合いは増す。日常の何気ない調査にゴミがいっぱい入っているとすれば、我々知らず知らずのうちに、それを吸い込んでいることになる。
 ここに社会調査のゴミから身を守り、判断を誤まらないための、リサーチ・リテラシーの必要性がある

2014年4月7日月曜日

「反日」韓国 6

 「反日」韓国について、小室直樹博士の社会科学的分析と崔碩栄氏の反日システムの構造を紹介したが、いずれも自国に対して厳しい見方をしている点で、一般のマスコミの論調とは大いに異なる。
 また偏狭なナショナリズムに捉われず客観的に日韓関係を分析している点で、一部の「嫌韓」論調とも異なる。
 「反日」韓国の分析は、両者の分析に尽きるが、あえて敷衍、追加すればつぎのことがらであろうか。

 まず、韓国のおかれた現状である。
 韓国は、日本と同じく、開かれた民主主義国で、市場経済の働く資本主義国であると一般的には考えられているが、この認識はそのまま鵜呑みには出来ない。

 一つには、韓国社会は事実上言論を封殺されている。
 特定の国、特定の言葉について擁護すれば、直ちに社会的制裁が下る社会はとても言論の自由がある社会とはいえない。
 「親日」発言など、韓国では自殺行為に等しい。そして言論の自由がない民主主義国などありえない。

 二つ目には、韓国の市場経済は事実上麻痺している。
 1997年にIMFの管理下になったのを、キッカケに韓国経済はグローバル資本に席巻された。
 グローバル資本に席巻されたサムソンはじめ少数の財閥企業および銀行が、韓国経済を壟断している。
 このような経済構造は健全な資本主義経済とはいえない。
 むしろグローバル資本を宗主とする、植民地経済といったほうがより実態を表わしている。
 1997年タイを発端としたアジア通貨危機はついに韓国にもおよび輸出主導、多額の外貨借り入れに頼っていた韓国経済は、グローバル資本の格好の目標にされ、韓国の財閥、銀行が軒並みグローバル資本家の手に落ちた。
 アジア通貨危機後、韓国は必死の努力で、サムソンなど韓国製品を世界の市場に溢れさせアジアの優等生と称された。
 だが利益はグローバル資本家に還元され韓国国民に還元されることはなかった。
 現代の韓国の貧富の格差、経済的悲劇の淵源は1997年にはじまったといっていい。
 格差の拡大ほど国民の不満を助長するものはない。この不満は、韓国の場合、政府の誘導もこれあり、より一層「反日」へと向かったのは自然のなりゆきでもあった。

 三つ目は、韓国の伝統的な事大主義である。
 韓国は歴史的に中国の属国的立場に甘んじてきた。
 それが近年、事大主義の相手にアメリカが加わりより複雑になった。
 日本に対しては、伝統的に、中国および韓国の高度な文化は韓国経由で日本にゆき、その逆などありえないと考えていた韓国人は、文化の逆流に戸惑い、複雑な対日感情を抱き、植民地化を経て「反日感情」へと姿をかえた。

 次に、韓国のおかれた現状、なかんずく狂的な「反日感情」の行く末はどうなるか。
 燃え盛った憎悪、反日感情が反転するにはピークを待つしかない。そのピークが何時なのかなど誰にも分からない。韓国の現状は反日感情の沈静化など許さない。
 韓国は、重篤な「駝鳥症候群」に陥っているのかもしれない。
 アメリカの心理学者ワイナーが、危機に直面した駝鳥が砂の中に頭を突っ込み、危険を直視しないことを「駝鳥症候群」と喩えたように、韓国社会は事実を事実として受け止める風潮にない。
 偏狭なナショナリズムとか憎悪の感情は、事実から目をそらし、問題解決からますます遠ざけてしまう。
 これは韓国に対してのみならずわが国に向けても常に自戒の念をこめて言うべきことであろう。

 事実を事実として受け止める。
 これは国家のレベルのみならず、個人にとっても重要で、問題解決の出発点であることは、日本の高名な数学者 広中平祐博士もかってこのようなことを言った。

 高度な文化を持ち、民族的にも有能な才能に恵まれながら、憎悪と嫉妬と反感の害毒に苛まされている韓国国民は、事実に背を向け、問題解決の糸口を自ら取り払い、七転八倒している。
 かかる事態を憂い、狂瀾を既倒に廻らす勇者が韓国に現れるのはいつのことか。