2016年7月4日月曜日

揺らぐEU 2

 二十世紀末の大規模な第一次と第二次世界大戦で、欧州はいずれも主戦場となり悲惨な戦禍をもたらしたこのため欧州諸国、中でも独仏の融和が戦後長い間の悲願であった。
 一方疲弊した欧州を復活させるべく一致団結することによって経済の効率を図ろうという動きが活発となった。
 EU(欧州連合)の原点はこの二つに集約される。
 EUは当初のEEC(欧州経済共同体)からEC(欧州共同体)と段階をへて今日に至っている。
 その歩みは 経済的統合 → 社会的統合 → 政治的統合へと進んでいる。
 だがその過程でフランスとオランダが国民投票によって欧州憲法制定条約を否決した。
 これをキッカケに以後の批准手続きはすべて中止され欧州憲法制定条約は葬り去られた。
 このため政治的統合はなされないまま、1998年に設立されたECB(欧州中央銀行)により、金融はEU、財政は加盟国単位というチグハグな政策となっている。
 ギリシャをはじめとした南欧諸国とドイツなどとの経済危機への対策がEU内で対立しているのはこのチグハグな政策に起因している。

 人種、文化、経済規模などが異なるEUの行く末を予測するには、EUの実態を正しく認識することが必要不可欠である。
 不確実な未来について予測することは困難であるが、EUに至るまでの経緯および現状を正しく分析すれば一歩でもそれに近づくことができよう。

 事実上EUの盟主であるドイツの影響力、ドイツと歩調を合わせているフランスとイタリアの動向およびイギリス離脱後の影響などを分析すればおおよそのEUの実態とその傾向がわかるであろう。
 無視できないものとして事実上EUという巨大組織を実務上動かしているEU官僚の影響力がある。


 まずイギリスのEU離脱選択がEUに及ぼす影響から。
 この度のイギリス国民のEU離脱の意思にはそれなりの背景がある。
 イギリスは1973年EECに加盟したがそれも躊躇しながらの加盟であった。
 加盟2年後の1975年にその是非について国民投票を実施しているのがその証左である。
 イギリスは議会制民主主義発祥の国でありながら、この種国民投票を法律上の義務もないのにいとも安易に実施している。
 立法府より国民が優位に立つといえば聞こえはいいが、このことは議会制民主主義の原理に対する侮辱にほかならない。
 直接民主主義と間接民主主義を混同し、代議制議会を圧殺しかねない民主主義への挑戦である。
 国民投票が政治家の権力闘争の手段として使われたのであれば、それはイギリス政治の歴史的汚点として残るであろう。

 イギリスは1899年から参戦した第二次ボーア戦争の苦戦により覇権国として翳りが見え始めて以降この衰退の流れは止まらずついに1941年12月 日英開戦2日目にマレー沖海戦で戦艦プリス・オブ・ウエールズとレパルスを失ったことで覇権国からの転落が決定的となった。
 先月の国民投票は凋落イギリスを象徴する出来事の一つである。
 今やイギリスが世界に占めるGDPの割合は2.4%に過ぎない。

 EUとの関連でいえば、イギリスは二度にわたり国民投票を実施したり、EUの統一通貨ユーロを採用しなかったり、シェンゲン協定に入らず国境検査を実施するなど常にEUに対し半身の構えであった。
 そればかりか拠出金や幾つかの分野でのEU決定事項の免除などの特別待遇にもあずかっている。

 このような理由によりEUにとって、イギリスの離脱は痛手ではあるがそれ以上のものとはなりえない。
 イギリスが統一通貨ユーロを採用していないことが、イギリスにとってもEU諸国にとっても離脱の衝撃を和らげる要素となっている。
 イギリスの離脱にともない離脱のドミノ現象を懸念する声がある。その候補としてイギリスと同じくユーロ未導入のデンマーク、スウエーデンなどが挙げられる。
 が、これら諸国が仮にEU離脱するにしてもイギリス離脱が契機となるということにはならないだろう。
 EUと希薄な関係にあったイギリスの影響力には限りがある。

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