2015年3月2日月曜日

苛立つイスラム 5

 「ムハンマド(マホメット)はお前たちの誰の父親でもない。もともとアッラーの使徒であり、預言者の打留であるにすぎぬ。
 まことに、アッラーは全知におわします。」
(コーラン第33章40節)

 このコーランの一節は、預言者を封印しただけでなくイスラム社会の近代化をも封印してしまった。
 預言者の打留とは、モーゼ、イエスと預言者が出現してきたがムハンマドが最後の預言者でありこれ以降預言者は出現しないということになる。
 アッラーは、啓典宗教の預言者である、モーゼ、イエスに対し啓示を与えた。そしてムハンマドに対しては先行した預言者に言い残したことを含めてすべての啓示を与えた。
 この意味でムハンマドが最後で最高の預言者ということになる。

 これがイスラム社会に与えた影響について小室直樹博士は次のように述べている。

 「ここで誰もが抱く疑問がある。なにゆえにそれほど精緻であったイスラム教が近代国家を作れず、矛盾に満ちたキリスト教が近代の覇者たりえたのか。
 これはまさに、その宗教体系ゆえに起きた。
 答えから先にいえば、近代国家を形成するにあたり、イスラム教には決定的な弱点があった。それは、マホメットが最後の預言者であったことである。
 したがって、新しい預言者がでてきて、マホメットが決めたことを改定するわけにはいかない。
 つまり、神との契約の更改・新約はありえない。未決事項の細目補充は可能だが、変更は不可能。
 このような教義から、イスラムにおいては、法は発見すべきものとなり、新しい立法という考えは出にくくなった。
 必然的に中世の特徴である伝統主義が形成され、そこを脱却できる論拠を持ちえなかった。これが、イスラムが近代を作れなかった最大の理由である。」
(小室直樹著徳間書店『日本人のための宗教言論』)

 ギリシャ、ローマ文明を受け継ぎ、経済、文化、科学、軍事において世界の覇者であったイスラム社会は近世になってその歩みを止めたにも等しいことになった。
 ルネッサンス以降の西欧キリスト教社会の歩みがそれほど速かったからである。
 イスラム社会は望んで近代化を拒み背を向けるわけではない。近代文明がもたらす豊かな生活を望むのはイスラム社会とて同じであろう。だが、イスラム法がそれを許さない。
 積極的に近代化に走れば走るほど、それはイスラムの教えに遠ざかることになる。イスラム社会の苛立ちでといってもいい。
 その反動は必ずおこる。イスラム社会がイスラムであるためにおこるべくしておこる反動である。
 1972年のイラン革命はその典型であろう。亡命先のパリから帰国したイスラム法学者ホメイニ師の凱旋は我々の記憶に新しい。
 イスラムの教えと近代化 - この矛盾についてイスラム社会はどう対峙するのか、そしてイスラム社会の行く末は。 宗教社会学が教えるところにより予測してみよう。

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