2016年10月3日月曜日

人工知能 5

 シンギュラリティを喧伝するのは西欧の学者・研究者にかぎられなぜ日本人はそれから距離をおくのだろうか。
 シンギュラリティ仮説に反論する日本人研究者の一人に情報学者の西垣通氏がいる。
 西垣氏はシンギュラリティ仮説に対する西欧と日本の信念の違いは宗教文化のそれによると考えている。
 ビッグデータ型人工知能の先端技術におけるコンピュータという存在の隠された実像を見抜けば AI が人間を滅ぼすことなどありえない、そんな脅し文句に惑わされてはいけないという。
 日本の AI 戦略に熱心な松尾豊氏もシンギュラリティに否定的な発言をしている。
 日本の AI 識者の多くは AI の脅威にたいして楽観的であるようだ。
 少なくとも AI が人類を滅ぼすなどと主張する研究者の声はあまり聞かれない。

 西垣氏によれば、宗教文化の違いがシンギュラリティ仮説に対する考え方の違いとなっているがその原因の一つが西欧社会の一神教にあるという。
 ユダヤ教・キリスト教の教義によればこの世界は唯一神が造りたもうたもので人間を含め万物は神の被造物である。
 その被造物の一つにすぎない人間が人間を超えた能力をもつ AI を造ることは神への冒涜である。
 神への冒涜の結果、シンギュラリティ到達後 文明人が未開人を駆逐するごとく AI が人間を襲うかもしれないと密かに恐れているのだ。
 ユダヤ教やキリスト教の一神教の論理からすればこうなる。このことは AI を知り尽くしている科学者であっても例外ではない。
 むしろ科学者が率先して AI の脅威に警鐘を鳴らしている。未来学者レイ・カーツワイルが2045年に特異点に到達すると予想した 『2045年問題』 などその典型である。

 キリスト教ファンダメンタリストは聖書の数々の奇跡を字句どおり信じている。
 ファンダメンタリストの中には科学者もいるが彼らも例外なく聖書の奇跡を信じているという。
 奇跡と科学、この両者をともに矛盾なく受け入れているのだ。
この意味において西欧の AI 研究者がシンギュラリティ仮説を信奉することについて違和感はない。
 唯一絶対神を信奉する西欧の科学者は聖書に対しても AI に対しても絶対的観点で物事を捉えているからである。

 西垣氏は、ことシンギュラリティ仮説に関連して、機械と人間を同列に扱う西欧の絶対的観点に疑問を投げかけている。

 「人工知能とはあくまで 『人間という生物種の思考』 から生まれたという事実である。
 機械は人間がつくるのだから当たり前だ。だがそれなら、いくら頑張っても、人間の認識や知性の限界を超えることは不可能ではないか。
 お釈迦様の手のひらで踊るだけではないだろうか・・・。
 シンギュラリティ仮説は、人工知能の知的能力が人間を超えていき、人間の理解できない領域に突入すると語る。
 だが、右の議論が示すように、人間に理解できないということは、別に 『賢くなる』 のではない。
 われわれから見ると、ただメチャクチャな結果を出力する怪物機械、つまり廃品になるだけなのである。
 欧米のシンギュラリティ仮説の支持者たちは、人間が自分の思考をもとに人工知能をつくったことをカッコに入れ、人間と人工知能を同質な存在として同一次元で比較しようとする。
 まるで第三者の手によって、人間も人工知能もつくられたような感じだ。
 たぶんそこには、超越的な造物主を奉じるユダヤ=キリスト教文化という遠因があるのだろう。
 これは絶対主義にもとづく設計思想である。機械という存在を、人間の限られた能力との関連で相対的にとらえるという、最重要な観点が脱け落ちているのだ。」
(西垣通著中公新書『ビッグデータと人工知能』)

 西欧のシンギュラリティ仮説の支持者は、脳を分析すれば心を理解でき、脳を再現すれば心をつくれるという立場である。
 人間の頭骸骨のなかに約1000億個の神経細胞があり、これを客観的に外側から観察し、正確に分析すれば共通の記述結果がえられるはずという。
 このようにシンギュラリティ到来を論じる西欧の研究者は人間とコンピュータとが基本的に同質だと信じている。

 これに対し、西垣氏は異をとなえている。

 「脳研究は、実験と数理モデルを駆使し、その成果がいかにも客観的・絶対的な真理であるような印象をあたえる。
 その方法論は科学としては正しい。だが、いろいろな学説も、所詮は研究者たちがつくりあげるものであり、時代とともに変わっていく。
 近代思想の元祖デカルトは昔、人間だけが精神をもち、それ以外の動物は機械的・物質的存在にすぎないと考えた。
 今ではそんな考えは動物行動学者によって否定されている。
 20世紀初頭、ドイツの生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルは、動物の主観世界に目をむけた。
 ハチはハチ、イヌはイヌ特有の主観世界をもっている。われわれには動物の主観世界を完全に理解することはできないにせよ、そういう相対主義的観点なしには、自然の生態系を理解することはできない。
 われわれは、ホモサピエンス特有のまなざしで科学技術を研究しているだけなのだ。
 こうして、ひとたび相対主義的観点の大切さに気づけば、生物と機械を同質とみなすシンギュラリティ仮説の欠陥がはっきり分かってくる。」(前掲書)

 日本の研究者は AI がディープラーニングにより如何に意思や感情をもった人間のように結果をだそうともそれは自立の動作や情動を持っているかのように見えるだけですべて人間によってプログラムされた結果にすぎない。
 闘争心、支配欲、種の保存欲など人間が進化によって獲得したものを持っていないコンピュータが人間の知能を超えても自ら複製や改善は望めない。
 進化によって獲得した人間の脳のゲノムをシリコントランジスタと同質に扱うには無理がある。
 このように考えるのは日本の研究者だけでなく西欧の一部の AI 研究者や生物学者にもいる。
 彼らは、人間とコンピュータは異質であり、シンギュラリティの到達はないと批判している。

 シンギュラリティは人間と超人間に関する議論に発展するため一神教を奉ずる西欧の研究者と一神教でない日本の研究者との間の橋渡しを試みても、それは神学論争を重ねるだけである。

 シンギュラリティが到来するか否かに関係なく AI は技術的にも社会的にも革命的変化をもたらすであろう。
 神学論争よりこの革命的変化にどう対処するかが肝要で、それにより未来は大きく変わる。
 近い将来 ” AI は革命的変化をもたらす” 肝に銘じ、胸に刻み込むべきことばである。

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