2013年1月28日月曜日

ジャーナリズム 続

 いかに技術が発達した現代においても情報がなければ我々はまともな判断ができない。
 憲法では国民主権を保障しているが、これを具現するためには、、国民に広く、平等に、正しい情報をいきわたらせるとともに、 国民が知る権利を保障されなければならない。
 ジャーナリズムの活動は、報道および言論であり、国民に与える影響は大きい。
 日本のメディアは客観的報道と公益を標榜している。このメディアの標榜については、国民主権の立場からも実効性を検証してゆかなければならない。
 まず、客観的報道とはなにか、公益とはなにかを定義付けしておかなければならない。
 各メディアには夫々の立ち位置がある。例えば影響力の大きい大手新聞の社是をみてみよう。

 朝日新聞綱領  
不偏不党の地に立って言論の自由を貫き、民主国家の完成と世界平和の確立に寄与す。
正義人道に基いて国民の幸福に献身し、一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う。
真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す。
常に寛容の心を忘れず、品位と責任を重んじ、清新にして重厚の風をたっとぶ。


 読売信条
読売新聞は責任ある自由を追求する。個人の尊厳と基本的人権に基づく人間主義をめざす。国際主義に立ち、日本と世界の平和、繁栄に貢献する。真実を追求する公正な報道、勇気と責任ある言論により、読者の信頼にこたえる。

 毎日憲章
言論の自由独立を確保し真実敏速な報道と公正な世論の喚起を期する。
全従業員の協同運営により社会の公器としての使命を貫徹する。
社会正義に立脚し自由、人権、労働を尊重する。
民主主義に則して文化国家の建設を推進する。
国際信義に基づき世界平和の確立に寄与する。

 これら新聞社の社是からは、殆ど立ち位置がわからない。
 公正とはなにか、その基準となるものがなにも示されていない。僅かな違いは毎日新聞が”労働を尊重する”文言を入れていることくらいか。従って新聞社が標榜する客観的報道とか公益は、その都度軸足を変えて報道され言論を展開される可能性があると認識すべきだろう。
 情報の受け手である国民は、新聞社の報道および主張の軸足は一定ではないことを心に留めおかなければならない。
 次に、客観的報道と公益を標榜するメディアの検証に移ろう。
日本のメディアで特に問題とされているのは、権力との距離である。
 記者クラブの問題はかねて指摘されている問題である。
一つの例としてエール大学 浜田宏一名誉教授の著書から日銀関連の記述をみてみよう。

 「日銀記者クラブには、メディアの人間なら誰でも入ることができる、というわけではなく、それができるのは、大手の新聞やテレビの記者のみ。
 フリーのジャーナリストや雑誌メディアに属する人間は、記者会見を取材することさえゆるされない。
 このような記者クラブのシステムは、先進国では日本だけだ。日銀記者クラブの会見に総裁が出席する際には、記者たちは「起立、礼」をして総裁を迎える。
 まさに異常な光景というほかない。まるで学校のようだが、日銀総裁と記者の関係は、まさに先生と生徒のように、教えてあげる立場と教えてもらう立場となっている。
 だから生徒である記者は総裁に対して(日銀に対しても)へりくだる。記者たちは、日銀から教えてもらわないと記事を書くことさえできないのである。
 そんな関係であれば、メディアが日銀を批判することなどありえないことになる。」(アメリカは日本経済の復活を知っている)

 このような経過で取材された記事が国民に広く行きわたっていたのだ。
 結果的に20年間もデフレは放置されたままで、なすすべもなかった。国民の中には、デフレは仕方ないものとして諦めていた人もいただろう。
 メディアが、デフレの原因は少子高齢化のせいである、などと日銀のオウム返しに伝えてきたからである。
 政治家も日銀の政策に異をとなえたかもしれないが、政策を変更させるまでには至らなかった。情報が国民生活に与える影響は想像以上だ。そしていまなお下記記事が示すように改善されたとも言い難い。
http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20130125/ecn1301250710004-n1.htm

 以上のように、日銀の例は典型的かもしれないが、残念ながら、これに似た当局との取材のあり方が、官と民 、中央と地方を問はず、日本の実情に近いのではないか。
 社会の木鐸を自負した過去のジャーナリストの先達たちは、泉下でジャーナリズムの現状をみたらさぞかし嘆き悲しむだろう。
 このような現状に我々はどう対処したらいいか、民主主義の根幹に係わる問題だけに、問題点を洗いざらしにし、解決の道を探さなければならない。


2013年1月21日月曜日

ジャーナリズム


 かって新聞は「社会の木鐸」といわれ、真実を伝えることにより社会に警鐘をならし、権力の暴走を監視する役割を期待され、自ら自負もしていた。
 そのような時代もあったかもしれないが昨今の新聞の論調は社会の木鐸から、およそ程遠い。
 例えば、全国紙各社は、時の政権が推し進めた財政再建の名のもとの消費税増税にこぞって賛成のキャンペーンを張ってきた。
 そして今、新聞は公器であるとの理由で、自らに対して消費税の軽減税率適用を訴えるている。
 その同じ新聞社が天下り反対を叫びながら、自らは、消費税増税を推進している財務省からの天下りを受け入れている。
 社会の木鐸たるには、少なくとも李下に冠を正さずの心構えが求められるが、大手新聞社のやっていることは、そんなことを通り越している。
 これではなりふり構わず自己保身に走っているといはれても仕方ない。
 もっとも、ジャーナリズムの事大主義は今に始まった訳ではない。
 19世紀ナポレオン一世がエルバ島脱出後の新聞記事はあまりにも有名である。
 以下は、 1815年2月 元フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが流刑地エルバ島脱出後、約1ヶ月間の新聞の見出しである

1 怪物、流刑地を脱出
2 コルシカの狼、カンヌに上陸
3 猛虎ガップに現れ、討伐軍が派遣さる
4 悲惨な冒険家、山中で最期を遂げる(デマ)
5 食人鬼、グラッスへ
6 王位簒奪者、グルノーブルを占拠
7 専制皇帝リヨンに入る。恐怖の為市民の抵抗はマヒ
8 僭主、パリより50マイルの地点に迫る
9 ボナパルト、北方へ進撃中。進撃の速度増すも、パリ入場は不可能か
10 ナポレオン、明朝を期してパリへ
11 皇帝陛下、フォンテーヌブローへ入らせらる

 フランスの新聞のこの節操の無さを、21世紀の我々は、笑っていられるだろうか。
 露骨なまでの、この事大主義は、現代のジャーナリズムにも、その伝統は生きている。
 むしろ現代では、姿形をかえ、より潜在し見え難くなっているだけにやっかいである。
 表向き権力に抗する主張をしながら、実質、権力に阿るなど手のこんだ芸当を見せている。
 意図的か否かは別にしても、これが現代のジャーナリズムの実情に近いといっても過言ではないだろう。
 ジャーナリズムの受け手である一般国民にとっては頭が混乱するばかりである。
 権力に対する諂いは19世紀のスランスの新聞社とどこが違うのか、嘲笑するなどお門違いといえる。
 我々はジャーナリズムを単に面白い読みものとして見る分については毒にも薬にもならないが、こと民主主義の観点からは無視できないものがある。否、ジャーナリズムこそ深く民主主義の根底に係わっている。
 いうまでもなく民主主義国家においては、国民が主権者である。
 いいかえれば国民が自分たちのことは自分たちで決めるという権利をもっている。自分たちのことは自分たちで決めるというが、何に基づいて決めるのだろうか。
 メディアがなければ判断の基となる知識は自分の狭い行動半径に限られ情報が無いに等しい。
 如何に技術が発達した現代であってもメディアがなければ羅針盤なしで荒海を航海するに等しい。
 正しい判断をするためにはメディアは不可欠だ。ところがマスメディアが発達した現代においては、情報が溢れ情報の洪水に溺れんばかりである。困ったことに情報は溢れるばかりでなく偏ってもいる。
 民主主義の根幹は、国民が自ら意思決定するに際し、正確な情報を国民に広く平等にいきわたらせることであろう。これなくして民主主義とは呼べない。
 現実には、どうしても権力にある側に正確な情報が集中しがちとなり、その他一般国民に対しては情報は加工され、不正確かつ偏向したものとなり易い。
 この傾向が放置され何もしなければ、民主主義は危機に瀕する。権力サイドが国民を支配し、国民主権は名のみとなる。
 このため憲法上も国民の権利として、憲法21条1項(集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する)があり、憲法前文では、高らかに国民主権がうたわれており、当然国民の知る権利も含まれていると解釈できる。
 国民の知る権利を担保するものとして、行政の情報公開とともに、ジャーナリズム活動がある。むしろジャーナリズム活動が情報の受け手にあたえる影響度としてはより重要であろう。
 ジャーナリズムを考える上で、民主主義と権力との関係は切っても切り離せない。
 次稿で考えてみたい。

2013年1月14日月曜日

経済学の法則 続

 長期低迷の原因は、日本独自の理由によるところが大きい。それを克服するためには、経済学が教える正しい処方箋に従わなければならないが、現状はうまく機能しているとは言い難い。
 バブル崩壊後、20年も低迷が続いている現状は、どうみても、通常経済時ではなく、恐慌経済時に当て嵌まる。経済学が教える恐慌経済時の不況克服策は、財政出動し、公共事業で需要を喚起することは前稿で述べた。
 リーマン・ショック以降、これに加え、日本独自の要因として為替の問題が発生した。


 図のようにリーマン・ショック以降アメリカはすざましいい勢いでマネーを供給したが、日本は伸びていない。
 これがひどい円高を招き、製造業を痛めつけ、産業の空洞化を招いた。
 円高は、日銀が説明する少子高齢化などではなく、相手通貨との量的比較であり、データ的にも論破されている。
 為替を、少なくともリーマン・ショック以前の1ドル 90~100円までにしなければならないと、少数の心ある経済学者は主張している。
 この深刻な長期にわたるデフレ不況に正しい処方箋は、財政出動による需要の喚起と金融緩和による円安誘導であることは、海外のポール・クルーグマンなど著名など経済学者も賛同している。
 これらの意見が少数であることが日本の異常な現状を表わしている。何故少数であるかについては後述するとして、幸い、この少数の意見を掲げ、過日の選挙を勝ち抜いた安部政権が誕生し、事態は好転の兆しがある。
 経済の体温・株価が上昇しはじめ、為替が円安に振れだした。この新政権の施策が、順調に実施されれば、日本は復活し、国民の生活は安定し、国際社会からも信頼を取り戻すに違いない。
 これこそが、正しい政治主導であるが、過去幾たびとなく、期待を裏切られた国民からすれば、砂漠にオアシスを発見した想いとともに、それが、蜃気楼ではないかとの疑念を完全に払拭するまでには至っていないというのが正直な感想だろう。
 新政権が、目指す施策をかかげただけで、斯くも国民のマインドが好転した一事を以ってしても、少数の経済学者の意見が正しかったことの証左となろう。
 裏返していえば、長い間、これらデフレ不況の正しい処方箋は、無視され、封じ込められていたともいえる。
 何故、このようなことが起きるのか。そこには日本独特の構造が浮かび上がってくる。
 我々は、権力・地位や金銭をまえにどれだけの抵抗力をもっているだろうか。もっとはっきり言えば、個人にたいする権力や金銭的利益が、公的な目的と相反するとき、公的利益を優先すると勇気をもって断言できる人がどれだけいるか。
 結論的にいえば、この個人的な権力や金銭の誘惑に負け、国家・国民の利益を犠牲にした結果、少数の正しい、経済学の法則は無視され、封じ込められてきたのが日本の現状であるといえる。
 具体例に移ろう。
 まず、財政出動。財務省は、自らの論理、省益のため利益と権限拡大のため、財政出動するよりも、消費税増税を推進してきた。
 役所の審議会のメンバーになることは学者にとってステータスの一つになるらしいが、この審議会に呼ばれるのは、財務省の意向を汲んだ学者、悪くいえば御用学者である。
 したがって、審議会のメンバーになるためには、自説を曲げても財務省の意向に沿うような発言をする。
 いくらデフレ不況時には、財政出動し需要を喚起するのが正しいとおもっていても、直接に、あるいはマスコミ等を通じ間接に、財務省によって説得、懐柔されてしまう。
 そうでもしなければそもそも審議会のメンバーなどになれない。自らが財務官僚であった、嘉悦大学の高橋洋一教授が至るところで発言している事実である。
 次に、為替政策。日銀はDNAとして、インフレは極度に恐れるが、デフレはそうでもないようだ。
 産業の空洞化を招き、実質の失業者が増大し、経済的困窮から年間3万人もの自殺者をだしてきたデフレ。この元凶は、極度の円高が主要な原因の一つである。
 それにもかかわらず、何故、日銀は円安誘導してこなかったのだろうか。
 白川日銀総裁は、円を増刷すれば、円安誘導ができることを十二分に知っている。日銀総裁になる以前、シカゴ大学で学んだ頃、通貨政策が為替の変動に効果がある旨の論文まで発表しているのだから、円安対策を知らない筈はない。
 しかし日銀総裁になった後の発言は、この論文とはことなる発言に終始し、円の増刷には、消極的だ。
 デフレは少子高齢化が原因であるなどと発言している。それ以前に、そうでも発言しなければ、そもそも日銀総裁になることもできなかったのだろう。
 日本国民がデフレ不況にあえごうが、不況で自殺者がでようが、日銀における自らの立場を最優先にしているといわれてもしかたない。白川氏本人は、案外、ドイツの文豪ゲーテの作品ファウストの主人公、悪魔に魂を売ったファウスト博士の心境かもしれない。
 このように全うな政策がきかない原因は、自らの立ち位置を守る組織の論理があらゆるものに優先しているからである。
 これを組織の内部から変革することは組織の論理上不可能だ。国民の声を代弁する政治に期待するほかない。昨今その曙光がほのかにみえるような気がする。期待して止まない。

2013年1月7日月曜日

経済学の法則

 株や為替について、その道の専門家が予想を外すのを、我々は日常茶飯事としてみている。また、競輪、競馬の予想にいたっては、的中するのがまれであることを知っている。
 これらのことに関しては、我々には、予想とその結果にたいする耐性ができている。
 しかし、こと経済、それも国民生活にかかわる経済政策については、学者やエコノミストの説にたいし、我々に充分な耐性が備わっているとは言い難い。
 第一に経済政策の効果があらわれるまでのタイムラグが長いこと、また経済政策には高度な財政、金融の知識が不可欠だからであろう。
 このため経済政策の適否に関係なく、権威ある学者やエコニミストが専門用語で理路整然と自説を展開されると、得心した気分になってしまう。
 バブル崩壊後、日本は失われた20年を閲した。リーマンショック以降、一時的に他国も同じように経済が低迷したが落ち込みは少ない。日本だけが長期低迷のままである。。日本の少子高齢化を原因に挙げる説もあるが、ドイツなど少子高齢化はおなじである。
 グラフのとおり、GDPがアメリカ、ヨーロッパに比し、日本だけが長期低迷し、給料も増えていないのが一目瞭然。

各国名目GDPの推移

賃金推移(1990=100)


賃金推移

 長期低迷の原因は、日本独自の理由によるところが大きい。
 日本独自の原因とし二つが考えられる。直接的な原因は政治と行政であろう。つぎに、国の経済政策のバックボーンとなるものが適切でなかったことが考えられる。
 いいかえれば経済学の法則が正しく運用されなかったことによる失敗である。ここでは、経済学の法則について考えてみたい。
 その前に、誤解を恐れず、二人の学者の経済政策とその結果をみてみよう。
 まずプリンストン大学教授でノーベル経済学賞受賞者 ポール・クルーグマン。
 彼は、小泉内閣成立直後、小泉純一郎首相の緊縮財政と改革なくして成長なしという経済政策をみて、日本は残念ながら、企業が借金返済に走り、だれも投資しなくなるというような、ひどい流動性の罠に陥ることを予言した。
 当時は不況下であり、小泉内閣の政策が、真逆であることを指摘し、結果は不幸にも的中した。
 そして彼は、いまなお、日本を含め世界の景気は不況下にあり、増税とか支出削減をやるべきではないと論陣をはっている。
 次に慶応大学教授 竹中平蔵氏 歴代の内閣の経済ブレーンであり、戦後の国務大臣の連続最長在任者である。加藤寛元慶大教授が、竹中氏を、「彼の話し言葉は、そのまま書きことばになるほど理路整然としている」と評したほど、頭脳明晰の持ち主である。
 政治家が、このような人に、日本経済を任せておけば間違いないと考えたとしても不思議ではない。
 特に小泉内閣では経済については全権一任に近かった。
 結果は不況脱出どころか、デフレが一段と進み、国民はいまなお塗炭の苦しみを味わっている。
 彼は構造改革が趣味です、といってはばからなかった。彼の趣味で日本経済がデフレのドン底に沈んだといっては言いすぎかもしれないが、少なくとも、不況下の構造改革がなにをもたらすか、結果をみれば明らかである。
 このように、不況時の経済政策について、二人の著名な学者は、真逆であった。
 なぜこのようなことがおきてしまうのか。経済政策は、国民生活に深くかかわるものだけに、単なる間違いですませるものではない。再び同じ過ちを犯さないためにも、ここは充分な検証が必要であろう。
 経済の法則について、通常経済時と恐慌経済時に分け、それぞれに異なった経済政策をとるべきだと主張する学者がいる。(「経済学はなぜ間違え続けるのか」名城大学教授 木下栄蔵氏著)
 木下教授はいう、「経済学には大きく分けて通常経済学と恐慌経済学の二つの局面がある。通常経済学の局面では、企業は設備投資を積極的に行ってマックス・ウエーバーのいう利潤の最大化に邁進し、アダム・スミスのいう神の見えざる手が経済を拡大する方向へ導く。
 ところがバブルが崩壊したあとは、経済は恐慌経済学の局面に入る。この局面では、バブル期に借金で購入した資産の価値が下がり、負債だけが残った企業にとって、投資効率は市場利子率より悪くなる。その結果、設備投資を行わなくなり、利潤の最大化から債務の最小化に向かい、経済が縮小する。」
 この恐慌経済学の局面の、最も有名なものは、アメリカの1929年の大恐慌とそれに続く不況だろう。この時採られた経済政策では、フーバー大統領とメロン財務長官のコンビの緊縮財政と、その後のルーズベルト大統領のニューディール政策はあまりにも有名である。
 前者が失敗、後者が成功の典型的な例であることはいうまでもない。恐慌経済の局面では、財政出動し、公共事業で需要を喚起することが正しい政策であり、現実に成功している。
 木下教授の主張していることは、極々あたりまえで、的を得た主張であり、歴史的にも証明されている。
 これにもかかわらず、バブル崩壊後20年間、緊縮財政、規制緩和、構造改革、増税などデフレを促進する間違った経済政策が採られた背景には、それを阻害するものがあったに違いない。
 官僚システムの弊害についてはすでにのべたが、官僚システムに劣らず学会とかマスコミの影響力は無視できないものがある。 特に経済学の法則については、諸説紛々、唱えている本人も確信もてないでいるのではと思わせるものがある。
 室町時代初期の吉田兼好が書き記したことばは現代でも充分通用するものがある。
 曰く
「世に語り伝ふる事、まことあいなきにや、多くは皆虚言なり、あるにも過ぎて人は物を言ひなすに、年月過ぎ、境も隔りぬれば、言たきままに語りなして、筆にも書き止めぬれば、やがて定まりぬ。(世間に伝わることは、本当のことをいっても面白くないので、その多くは嘘である、実際にあったことをオーバーに話す、年月が過ぎ、他所の出来事ともなれば、いいたいように作り話をして、それが筆に書き留められようものならそれが事実となってしまう)」
 何と、情報リテラシーの必要性は、既に室町時代から説かれていた!
 経済学の法則の正しい採用を阻害する要因について、引き続き考えてみたい。

2012年12月31日月曜日

空気による呪縛 続々

 キリスト教、イスラム教など啓典宗教(神の啓示を記した書がある宗教)には教義(ドグマ)がある、啓典宗教でない仏教には、厳しい戒律がある。

 しかし、これらの宗教が日本に入ってきた途端、異質なものとなった。

 教義(ドグマ)や戒律は、日本流に変質し、有って無きが如きものになった。

 規範無き宗教の誕生である。否、規範のない宗教などありえないから、それに変わるものが要求されるのは必然。

 代替として空気が登場した。というより代替として空気に求めざるを得なかったというのが正確な表現だろう。

 徳川幕府はキリスト教を弾圧した。弾圧しなければならないほどキリスト教の影響が強かったことの証左でもある。

 キリスト教が、日本人になじみやすい宗教の一つであったことは間違いない。キリスト教は内面と外面を峻別し、信仰上、内面だけが問題であり、外面的なことは問題にされない。

 ところが日本に入ってきたキリスト教は、そうではなかった。日本のクリスチャンは、単なる被造物にすぎない踏み絵を、命にかけて踏まなかった。

 なぜそうなったか。当時の宣教師が、信仰上、内面だけが重要であり、外面的なことは問題ではないと正確に教えなかったせいもあるかもしれないが、日本人特有の物に感情を移入するという行動様式があったのではないか。

 そして、このことがただ神の存在のみを信じることによって信仰が成り立つというキリスト教本来の信仰から遠ざかった。

 イスラム教は日本になじみのない宗教のようだ。日本に入ってきた形跡もないし、現に日本人のイスラム教徒を見かけることもない。

 イスラム教は、宗教と社会あるいは国家さえ別々に捉えることはできないほど人々の中に組み込まれている。

 反イスラムの映画「イノセンス・オブ・ムスリム」がイスラム教を侮辱するものだとして、2012年9月11日のエジプトのカイロでの米国大使館の襲撃と、リビアのベンガジの米国領事館の大使館職員の車に対するロケット弾攻撃など、2012年アメリカ在外公館襲撃事件の引き金となったが、これなど宗教が個人とも社会、国家とも一体となっていることの裏返しである。

 この内外両面にわたり厳格な教義に拘束されるイスラム教ほど、教義を反古にし、戒律を反古にする日本という風土にあわないものはない。日本にイスラム教が入らないのも宣なるかな。

 最も日本になじんでいるとおもわれる仏教はどうか。仏教の戒律は、本来厳格であるというのが仏教学者の一致した見解である。

 にも拘わらず仏教が日本に入ってきた途端、次々に戒律が解かれ本来の仏教とは似ても似つかぬものになった。

 肉食、妻帯などその典型である。自らの都合のいいように宗教を解釈し、神仏はあたかも自分の御利益のために存在するかの如くである。

 神仏を並べて崇拝するなど、本来仏教徒にとってあるまじき行為を平気で行っているのも、また日本人なのである。

 このように日本社会には、厳密な意味での宗教は根付かないで、日本流に解釈された宗教になり、いはば日本教徒キリスト派、日本教徒仏教派なるものが誕生した。

 教義や戒律がなきに等しい社会、国家は、支えとなる確かなものがない。そのような社会、国家は不安定である。

 したがって、これらに替わるものが要求されるのは必然。歴史的にも、独裁的なるものになじまない国民性から、漠然としたその場の空気のようなものが入り込んできて、これが逆に、人々を拘束するようになった。

 空気は社会の連帯感を醸成し、安定をもたらす意味では宗教の役割の一端を担うことができる。反面、空気は身近な居ごごちよさ、安定を求めるあまり、これに反する分子には拒絶反応する。  そのやり方は、時として、教義や戒律を破ったものに対する懲罰にも匹敵するものになる。

 その意味では極めて宗教的といえる。山本七平氏は日本人の宗教を日本教といったが、この表現は日本人の宗教に対する行動様式を考えれば思い半ばに過ぎよう。

2012年12月24日月曜日

空気による呪縛 続

 空気による決定は、科学的、合理的判断によるものではないため、その結果は危険を孕むものであるため、できることなら空気の呪縛から逃れ、科学的、合理的に議論をすすめ、結論を得たいものである。
 空気の呪縛をなくする方法、それは水をさすことであると、山本七平は、空気の研究でのべている。
 事実を事実としていうことにより、空気の呪縛を解くことができる。事実を事実としていうことは、我々の社会、特に、社会学者が定義する”共同体”の中では、勇気のいることであり、時として、情況を加味しない裏切り行為となる。
 また、よしんば、うまく空気による呪縛を解いたとしても、当該空気とは別の違った空気が発生する。
 猪瀬直樹氏は、彼の著書、空気と戦争で、太平洋戦争開戦の是非につき、優秀な官民の若手メンバーからなる、模擬内閣が、検討した戦争シミュレーションでは、緒戦は優勢なるも次第に劣勢になり、最後はソ連の参戦を招く、という事実を先取りしたかのような検討結果を報告した。
 シミュレーションとはいえ数字に裏打ちされたものであったが、上層部は、これを机上の空論として却下した。昭和天皇は、一旦開戦と決まったが、なんとか和平の途はないものかと、東條英樹に意をつたえられ、東條は開戦回避に動いたものの、当時の空気に押し切れれてしまった、というようなことをのべている。
 事実、あるいは科学的、合理的推論も、空気という圧力にはなす術がない、ということは、空気は我々のなかに、なにものにもまして、最上位に位置する規範となっていると考えなければ説明のしようがない。
 規範は、人は判断するうえでの、すべての基礎となるものであり、規範がない社会は想像できない。
 社会学者は、日本社会における空気は、キリスト教、あるいはイスラム教の教義(ドグマ)にあたると指摘する。
 もしそうであるならば、空気の支配下にある我々は、空気というものを教義とする宗教を信じる民ということになる。
 山本流にいえば、日本教徒である。事実、社会科学者、小室直樹博士は、日本におけるすべての宗教は、日本に入った途端に異質なものに変わる。
 たとえば、我々は、キリシタン弾圧にたいし、命にかけて踏み絵を踏まなかった信者を真のキリスト教徒と考えるかもしれないが、小室博士は、そうではないという。
 真のクリスチャンであれば、単なる造作物でしかない踏み絵など、蹴飛ばすことができた筈である、と。
 このことは、山本七平が空気の研究でも指摘している。日本人は、ものに感情移入し、そのものの背後に崇拝あるいは悲惨となるものを臨在させ、その臨在感的把握を絶対化することによって、そのものに、逆に支配される。
 このような、物神化は、西洋社会にはなく、日本特有のものである。
 彼らの指摘するように、われわれ日本人は、空気というものを教義にいただく宗教を信じる民ということであれば、常に非科学的、非合理的な意思決定に動かされる民ということになる。
 それはまた宗教であるから、表面上はともかく、改宗など簡単にできるわけはない。このようなことになると、なにか暗澹たる気分になる。
 日本人は宗教に寛容であり、暗に、キリスト教とかイスラム教など一神教は非寛容であるなどと、半ば優越的に思っていたとしたら、その感情など、ズタズタに引き裂かれてしまうだろう。
 日本は宗教について寛容などでなく、世界の他とちがって異質であると認識したほうがよさそうである。
 どのように異質なのか、空気による呪縛を基点として調べてみたい。
 本日はクリスマスイブ、いつも通る散歩道のケーキ屋さんに、いつになく行列ができていた。


2012年12月17日月曜日

台湾雑感

 台湾ツアーに参加した。ほんの駆け足で台湾を一周した。南国台湾は陽気で親切、端々に親日的な表情がよみとれる。
 もちろん陽気なばかりではないだろう。台湾の人の陽気な表情の影にはかなしみもあるだろう。
 それをよみとるとすれば、台湾の歴史に遡らなければならない。歴史的には大陸中国は、長らく台湾を中華文明の及ばない「化外の地」として領有に関心を示さなかった。
 それが日本の敗戦を機に突如、外省人(大陸中国人)として、台湾に乗り込んできた。
 「犬去りて、豚来たる」と評されたように、日本の絶対君主制が終わったら、国民党による一党独裁が始まった。
 本省人(台湾人)は、外省人による汚職、差別などに悩まされるあまり、日本統治時代を懐かしんだ。
 また台湾人が、「アメリカは日本に原爆を落としただけだが、台湾には蒋介石を落とした」というように、独裁がもたらす災厄に強い警戒心をもっている。
 現地のガイドさんはいう 「我々は民主主義国だ、日本と同じ、中華人民共和国とは違う、彼らは僅か7人で政治を行う」 と。
 中国本土との経済的な結びつきが益々強くなり、いずれ統合もと考えられるかもしれないが、この台湾人の民主主義を求める精神は、経済的な絆だけでそう簡単に妥協するとは考え難い。
 日清戦争に勝利した日本は、1895年4月下関講和条約によって清国より台湾の割譲を受けた。この割譲について第三代台湾総督の乃木希典は言った 「貧乏人が馬をもらったようなものだ」 と。
 この乃木の言葉から、当時の日本の国力では台湾を統治すのは容易ではなかったことがうかがえる。しかし日本は領土獲得後、日本国内と同じように扱うという内地延長主義をとり、インフラ整備、教育の普及、産業育成、アヘン撲滅等、西洋列強の搾取する植民地政策とは異なる政策で台湾人の支持を得た。
 一方的に搾取する西洋式植民地政策ではなく、開化して統治する内地延長主義が、台湾人の心を惹きつける原因の一つとなったことは間違いなかろう。
 台湾近代化の父と呼ばれる後藤新平は、アヘン対策で、アヘンを専売制にし常習者のみ販売するが、新たに吸引するものは厳罰に処した。
 「ヒラメの目を鯛の目に付け替えることはできない」の喩えで、悪習といえども他民族の習慣を尊重しながら、時間をかけ無理なく目的を達するという目覚しい手腕を発揮した。
 その他後藤は数々の台湾近代化の基礎を築いた。台湾南部に烏山頭ダムを建設し治水と灌漑に貢献した八田興一、日月漂の水力発電事業を完成させた明石元次郎などはいまだに台湾人から深い敬意をもって評価されている。
 海外、特に中国、朝鮮半島における日本人の所業のマイナス面ばかりが取りざたされる昨今だが、この地、台湾での先人の業績は、救いとなり、我々に希望と勇気を与えてくれる。
 かって、尾張からやってきて肥後藩主となった加藤清正は、道路、治水の整備など土木建設で領内の基盤を築いた。他の殆どの大名とちがって、単に統治しただけでなく、農業、土木技術で功績をあげた。人々は、彼を清正公(せいしょこ)さんと呼び今なお人気が高い。
 良いものを良いとして素直に受け入れる柔軟な心のありよう。
 この心は台湾と日本に共通しているようだ。これが親日台湾の基礎になっているとすれば、我々の励みにもなり、将来への自信へと繋がる。
 もっとも台湾との関係は、順風満帆ばかりではなかった。1972年9月日中共同声明第三項
中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」
 この声明に田中角栄首相と周恩来首相が署名した。日中国交回復のために、台湾との日華平和条約を終了させた。世界で最も親日的な台湾を、日本政府は切り捨てたのである。
 この非情な仕打ちに台湾は、当然ながら怒ったが、大事に至らなかった。長い日台関係の歴史に救われたともいえる。
 現地のガイドさんの説明はつづく 「いま台湾は26ヶ国と国交を結んでいます。グアテマラ、パラグアイ、ハイチ、ドミニカ、・・・・・・・・」 日本とは国交がありませんとは言はないし、まして1972年に国交断絶しましたなどとは言わない。
 それに触れないだけに、より一層、後ろめたい気分になる。