わが国の医学は7世紀に中国から伝来した「漢方」と17世紀に長崎・出島のオランダ商館医を介して伝わった「蘭方」が礎である。
これが今日の東洋医学と西洋医学のそれぞれの起源である。
明治政府は1875年に医師免許を西洋医学の試験の合格者に限定した。これ以降西洋医学を習得しない限り医師となる道は閉ざされた。
漢方は正式な医学として認められず漢方医も西洋医学の試験に合格しない限り医師免許を与えられなかった。ただし医師免許を取得した者が漢方治療を施すことは禁じられなかった。
この制度は西洋医学を重視するもので東洋医学は補助的な位置づけである。
このようにわが国においては明治以降西洋医学優位の政策が採られそれは今日に至っても変っていない。
西洋医学の発展は目覚ましく半世紀前までには想像さえできなかった再生医療や臓器移植が行われるようになった。
一方、西洋医学の限界を指摘する医療関係者がいることも事実だ。
彼らは西洋医学と東洋医学はそれぞれの長所を生かし欠点を補う相互補完的であるべきだと主張する。
例えば、西洋医学はアトピー、花粉症、膠原病、うつ病など病因がはっきりしない病気に対応できていないという。
多くは自立神経系、免疫機構、内分泌系の疾患である。病因が未だ解明されていない「がん」もその内に入るかもしれない。
こういう疾患に対しては西洋医学だけでなく東洋医学もあわせて対応するべきであるという。こう主張する人は漢方医や免疫学者など医学界の少数派である。
これだけ医学が進歩しても原因がはっきりしない病気が多いこと自体驚きであるがそれだけ人体が複雑で神秘に充ちている証であろう。
腸についてもその働きのほんの一部しか知られていない。 腸について深く研究した解剖学者の藤田恒夫博士は腸はすべての臓器の土台であるという。
「動物の進化とともに目、鼻、耳などの感覚器が発達して、感覚性パラニューロンも、形と機能の両面で多様化する。
また血管系の発達によって、内分泌性パラニューロンも多彩になっていく。
このように私たちのからだの中にある、特殊な形や働きのニューロン、パラニューロンは、脳や感覚器や内分泌系が発達する過程で新しくつくられた。いわば『建て増し』された細胞である。
私たちのからだの、『ニューロン・パラニューロン・ビル』をこわして、建て増し部分を取り去っていくと、最後にこのビルの創業当時の部分が現れてくる。これが腸である。」
(藤田恒夫著岩波新書『腸は考える』)
つまり脳、心臓、肺、肝、手、脚その他すべては腸から発達したものである。
そして驚くべきことに腸は脳とは関係なく独自に判断し指令するという。
発達過程からいえば指令の大本は脳ではなく腸にあるかもしれない。
「この腸を顕微鏡でのぞいてみれば、上皮の中にはピラミッド状の基底顆粒細胞が、上皮の下には星形のニューロンが、いずれもヒドラの時代とたいして変わらない姿で働いているのだ。
彼らが信号物質として使っているペプチドも、長い進化の歴史のなかで、多少は種類がふえているほかは、ほとんど変わりばえがしない。
これらの細胞と信号物質は、ヒドラから五億年の生物進化の時間をこえて、私たちに伝えられてきた遺産である。」(前掲書)
脳の伝達手段はニューロン(神経細胞)だけであるが腸にはニューロンだけでなくホルモンペプチドもあることが分かった。
しかもあくまで仮説ではあるが指令のおおもとは脳ではなく腸であるという。
たとえば外部からの情報を腸や腸から派生した心臓がいち早くとらえこれをホルモンで脳に伝える。この情報を受け取った脳があらためて指令を出す。
仮にこの一連の情報指令の順序と手段がその通りであればこれまで考えられてきた脳と他臓器との関係が180度変わるコペルニクス的転回である。
ひどく立腹したとき、「頭にきた」などというが、昔の人は「はらわたが煮えくり返る」とか「腹に据えかねる」といった。「腹黒い」や「腹の中が読めない」などの言い回しは「脳」ではなく「腸」が主役である。
医学の最先端に諸説があるように病気治療にも諸説がある。情報があふれていてわれわれは何を信じ何を信じてはいけないのか迷うばかりである。
仮にこの迷路から抜け出す方法があるとすればそれはわれわれ自身が自分の頭もしくは自分の腹で決断できるよう熟慮を重ねるほかないのかもしれない。
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