2016年10月17日月曜日

人工知能 7

 シンギュラリティが到来すれば AI が人類を滅ぼすなど AI 脅威論を説くアメリカのテスラモーターズのイーロン・マスクやマイクロソフトのビル・ゲイツは巨額の資金を AI に投資している。
 AI の脅威を煽りながら AI から巨大な利益を得ようとしている。このことになんら矛盾を感じていないようだ。
 また AI の軍事利用は現実的な脅威である。
 欧米の街には戦勝記念のモニュメンがいたるところにあり観光スポットになっている。日本では見かけない風景だ。AI の軍事利用が進められていることは想像に難くない。
 欧米諸国では経済的・軍事的な AI 利用の言行不一致は意に介さない素地があるのだろう。これも日本ではありえないことである。
 これらを踏まえてわが国の AI 対策を練らなければならないだろう。

 明治維新の担い手はそれまでの支配層ではなく下級武士であり、中心的役割を演じたのは薩長土肥の一握りの志士である。
 彼らは政治的にも軍事的にも危ない橋をわたりながらも欧米列強から国を守ろうという気概によって維新を成し遂げた。

 今わが国は少子高齢化と生産年齢人口の減少で経済は低迷しデフレに苦しみ相対的国力は衰退の一途を辿っている。
 現状はかろうじて過去の遺産でそれなりの国力を維持しているが、将来はこの国力を維持できるか否か保障の限りでない。
 激動の時代の現状維持は、後退を意味する。
 平和が長く続いたせいか現状維持・ほどほどの国力・ほどほどの経済であればいいなどの声も聞かれるが、そのようなスタンスでは現状維持など望めず後退あるのみだろう。
 AI 革命は生産性を指数関数的に引き上げる。少子高齢化はAI 革命を受け入れる絶好の環境である。
 このことを理解しないで外国人労働者受け入れ策を実行しようとしているがそれは AI 対策とは真逆の政策である。
 AI を開発するためにいま求められるのは数学とコンピュータの素養ある AI 技術者であるが、ような人材は極めて少ないため育てるほかないという
 こうなるとすぐわが国の当局は理科・情報教育重視を喧伝し、文科系の削減をいいだす。この近視眼的思考は官僚の抜け難い習性なのだろう。
 選択と集中は企業経営上は有力な武器であるが、こと人材育成のようなセンシティブな問題にはこの手法は必ずしも当て嵌まらない。
 いわゆるひも付き資金は研究者の自由な発想を妨げ目的達成への障害となりやすい。
  育てるにはそれなりの支援が必要であるが、その支援は研究者の自由な発想を拘束しない、いわゆるパトロン的支援が有効であろう。
 これに関連して武田邦彦氏はこう述べている。

 「もともと学問というのは、研究を始めるとき、それが将来の社会に『役に立つか、立たないか』は誰も判定できない。
 現在の社会は過去の学問で成り立っているのだから、『新しい世界を開く知』が未来の社会に役立つことを他人に説得することは論理的にはあり得ない。
 現在、日本では『役に立つ研究』にしか潤沢な研究資金が出ない。
 しかも、その審査はノーベル賞を取れないような社交的な東大教授を中心として行われている。
 その結果、日本の研究資金の配分は極端に東大に偏ってしまった。」(2016年10月16日 産経ニュース)

 東京大学の松尾准教授は、日本のトップ研究者を50人集めれば世界と戦えるといいそのための予算は150億あればいいと言い、PEZYグループの斉藤元章代表は超知能開発のため必要な100京コンピュータを開発するには最大500億あればいいと言うがその要求はみたされていない。
 国家の運命をも左右しかねないプロジェクトの一環としてはなんというつましい要求か。
 役に立つことがはっきりしない AI などに研究資金など出せないということなのだろうか。

 この点アメリカはどうか。アメリカはグーグル、フェイスブック、マイクロソフト、IBMなどの私企業がトータルで年間1兆円相当の資金を毎年 AI 開発に充当しているという。
 この資金面の格差はあまりにも大きい。この原因は AI に対する認識の差異からくるものであろう。
 政治家をはじめとした指導層の役割が望まれる。
 繰り返して言おう、明治維新は封建制度の因習が残る環境下で薩摩や長州など雄藩の志士たちによって成し遂げられた。 
 AI 革命もまた現代の志士によって成し遂げられることを期待したい。
 現代の志士は必ずしも AI 研究の中心にいる人から出るとは限らず、むしろ AI の専門外・素人から出るかもしれない。たとえば斉藤元章氏のような専門外の人から。
 すべての革命がそうであるように AI 革命もまた慣習や伝統に捉われていては成功はおぼつかない。
 AI 革命前夜、出でよ 狂瀾を既倒に廻らす平成の志士!

2016年10月10日月曜日

人工知能 6

 これまでのわが国の AI 開発の実績を簡単に振り返ってみよう。
 わが国の AI 開発は高度経済成長期からの研究実績があるもののアメリカの開発スピードには遠く及ばない。
 特に画像・音声認識などの情報処理系はグーグル、フェイスブック、マイクロソフト、IBMなど米企業が先行し、この分野の大半を壟断している。
 物造りのロボット分野はどうか。

 「ロボット市場は、大きく『産業用ロボット市場』と『サービスロボット市場』に分けられる。
 現在、日本の産業用ロボットの稼働台数は約30万台で、2位のアメリカに10万台以上の差をつけて堂々のトップ。その市場シェアは50%前後と圧倒的だ。
 しかし注目したいのは急成長が見込まれるサービスロボットの分野だ。
 特許庁の予測値では、2015年の産業用ロボット市場規模は約5000億円。
 リーマンショック後の2009年に2000億まで落ち込んだが、先進国の持ち直しと新興国の需要拡大を受けて回復傾向にある。 一方サービスロボット市場の成長率は産業用の比ではなく、2012年の5000億円からわずか2年で2倍になる1兆円を突破(予測値)。
 2020年には4兆円に達すると見られ、今後のロボット産業の主流になると考えられている。」
(開発者著PHP研究所『人工知能の今と未来の話』)

 産業用ロボットとは製造業の工場で稼動するロボットであるがサービスロボットは生活に身近なサービスで2014年の日本のシェアは10%未満に過ぎない。
 サービスロボットは、医療・介護・清掃・警備・案内・消防・農業など今後 AI が活躍すると予想される領域である。

 このように情報処理系のみならず、物造りのロボット分野でも必ずしも楽観できないのがわが国の現状といえよう。

 だが、日本の AI 開発が欧米に遅れているとはいえ、AI 開発は未だ端緒にすぎず十分キャッチアップ可能というのが識者の見方である。
 AI 技術のブレークスルーといわれるディープラーニングは2012年に開発されたばかりであり真の競争は今後にかかっている。
 AI 革命はかってない革命である。
 脳のニューロン(神経細胞)とニューロンどうしが情報を伝達するシナプス結合を数学的にモデル化したニューラル・ネットワークをベースに進化したディープラーニングが現在の主流になっている。
 だが、AI 開発手法はこの他にも大脳皮質をエミュレートする有力な生物学的手法がある。
 この分野で近い将来超知能を日本発で開発できるかもしれないと大胆にも予測している学者がいる。

 「日本が人工知能開発における現状の遅れを挽回し、世界に先駆けて超知能を開発し、人工知能開発の勝者になるためには、すなわち21世紀の先進国になるためにはどうすればいいのでしょうか。
 その起死回生の切り札となるのが、3章(注:トップランナーは誰か)でふれ、7章(注:ものづくり大国・日本だからできる)の対談でもご登場いただくペジーコンピューティングの斉藤元章さんが開発に挑んでいるニューロ・シナプティック・プロセッシング・ユニット(NSPU)だと、私はおもいます。
 人間の脳と同等のニューロンとシナプス結合をもったコンピュータを、今から10年以内に実現するという。
 斉藤さんの野心的な計画が本当に実現すれば、間違いなく世界最先端の技術になります。
 少なくともハートウエアの面では、現在、人工知能開発ではるか先を行くアメリカを、一挙に追い抜ける可能性もあるのです。
 しかし、問題はあります。たとえ世界最先端のハードウエアができたとしても、その上で動くソフトウエアがなければ、役に立ちません。
 NSPUが2025年までに完成すると想定して、今から、その上で動く人工知能アルゴリズムを開発し、世界に先駆けて完成させること。
 これが、日本にとって起死回生のラストチャンスです。
 人工知能開発で先行する海外諸国に圧倒的に差をつけられている現状を ”ちゃぶ台返し” するためには、斉藤さんが開発しようとしているNSPUに賭けるしかないと私は思います。」
(松田卓也著宥廣済堂新書『人類を超えるAIは日本から生まれる』)

 超知能の開発に成功すれば次元の違う世界が拡がる。

 「超知能を開発した国は、間違いなく世界でもっとも力をもつモンスター国家になります。
 たとえば、現在使われている暗号を解読することなど簡単です。通信を盗聴して機密情報を盗み出すことも、核爆弾や無人攻撃機、その他の破壊兵器を制御するコンピュータに侵入することも、お茶の子さいさいです。
 武器だけでなく、交通・管制システムや電力網、水処理装置といった社会インフラも自由にコントロールできるでしょう。
 しかし、超知能の技術を公開すれば、こうした圧倒的な優位性は失われます。
 そんな国があろうはずもありません。この意味でも、平和主義国家である日本が、世界に先駆けて超知能を開発するのが望ましいのです。(中略)
 超知能開発競争は、最初に開発した者のみが勝者で、2位以下はすべて敗者になるという、 『勝者総取り』 の過酷な競争です。ここでは、1位をめざすしか選択肢がないのです。」(前掲書)

 AI はわれわれが想像する以上に未来を支配するようだ。最後にこのことを踏まえて AI について考えてみたい。

2016年10月3日月曜日

人工知能 5

 シンギュラリティを喧伝するのは西欧の学者・研究者にかぎられなぜ日本人はそれから距離をおくのだろうか。
 シンギュラリティ仮説に反論する日本人研究者の一人に情報学者の西垣通氏がいる。
 西垣氏はシンギュラリティ仮説に対する西欧と日本の信念の違いは宗教文化のそれによると考えている。
 ビッグデータ型人工知能の先端技術におけるコンピュータという存在の隠された実像を見抜けば AI が人間を滅ぼすことなどありえない、そんな脅し文句に惑わされてはいけないという。
 日本の AI 戦略に熱心な松尾豊氏もシンギュラリティに否定的な発言をしている。
 日本の AI 識者の多くは AI の脅威にたいして楽観的であるようだ。
 少なくとも AI が人類を滅ぼすなどと主張する研究者の声はあまり聞かれない。

 西垣氏によれば、宗教文化の違いがシンギュラリティ仮説に対する考え方の違いとなっているがその原因の一つが西欧社会の一神教にあるという。
 ユダヤ教・キリスト教の教義によればこの世界は唯一神が造りたもうたもので人間を含め万物は神の被造物である。
 その被造物の一つにすぎない人間が人間を超えた能力をもつ AI を造ることは神への冒涜である。
 神への冒涜の結果、シンギュラリティ到達後 文明人が未開人を駆逐するごとく AI が人間を襲うかもしれないと密かに恐れているのだ。
 ユダヤ教やキリスト教の一神教の論理からすればこうなる。このことは AI を知り尽くしている科学者であっても例外ではない。
 むしろ科学者が率先して AI の脅威に警鐘を鳴らしている。未来学者レイ・カーツワイルが2045年に特異点に到達すると予想した 『2045年問題』 などその典型である。

 キリスト教ファンダメンタリストは聖書の数々の奇跡を字句どおり信じている。
 ファンダメンタリストの中には科学者もいるが彼らも例外なく聖書の奇跡を信じているという。
 奇跡と科学、この両者をともに矛盾なく受け入れているのだ。
この意味において西欧の AI 研究者がシンギュラリティ仮説を信奉することについて違和感はない。
 唯一絶対神を信奉する西欧の科学者は聖書に対しても AI に対しても絶対的観点で物事を捉えているからである。

 西垣氏は、ことシンギュラリティ仮説に関連して、機械と人間を同列に扱う西欧の絶対的観点に疑問を投げかけている。

 「人工知能とはあくまで 『人間という生物種の思考』 から生まれたという事実である。
 機械は人間がつくるのだから当たり前だ。だがそれなら、いくら頑張っても、人間の認識や知性の限界を超えることは不可能ではないか。
 お釈迦様の手のひらで踊るだけではないだろうか・・・。
 シンギュラリティ仮説は、人工知能の知的能力が人間を超えていき、人間の理解できない領域に突入すると語る。
 だが、右の議論が示すように、人間に理解できないということは、別に 『賢くなる』 のではない。
 われわれから見ると、ただメチャクチャな結果を出力する怪物機械、つまり廃品になるだけなのである。
 欧米のシンギュラリティ仮説の支持者たちは、人間が自分の思考をもとに人工知能をつくったことをカッコに入れ、人間と人工知能を同質な存在として同一次元で比較しようとする。
 まるで第三者の手によって、人間も人工知能もつくられたような感じだ。
 たぶんそこには、超越的な造物主を奉じるユダヤ=キリスト教文化という遠因があるのだろう。
 これは絶対主義にもとづく設計思想である。機械という存在を、人間の限られた能力との関連で相対的にとらえるという、最重要な観点が脱け落ちているのだ。」
(西垣通著中公新書『ビッグデータと人工知能』)

 西欧のシンギュラリティ仮説の支持者は、脳を分析すれば心を理解でき、脳を再現すれば心をつくれるという立場である。
 人間の頭骸骨のなかに約1000億個の神経細胞があり、これを客観的に外側から観察し、正確に分析すれば共通の記述結果がえられるはずという。
 このようにシンギュラリティ到来を論じる西欧の研究者は人間とコンピュータとが基本的に同質だと信じている。

 これに対し、西垣氏は異をとなえている。

 「脳研究は、実験と数理モデルを駆使し、その成果がいかにも客観的・絶対的な真理であるような印象をあたえる。
 その方法論は科学としては正しい。だが、いろいろな学説も、所詮は研究者たちがつくりあげるものであり、時代とともに変わっていく。
 近代思想の元祖デカルトは昔、人間だけが精神をもち、それ以外の動物は機械的・物質的存在にすぎないと考えた。
 今ではそんな考えは動物行動学者によって否定されている。
 20世紀初頭、ドイツの生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルは、動物の主観世界に目をむけた。
 ハチはハチ、イヌはイヌ特有の主観世界をもっている。われわれには動物の主観世界を完全に理解することはできないにせよ、そういう相対主義的観点なしには、自然の生態系を理解することはできない。
 われわれは、ホモサピエンス特有のまなざしで科学技術を研究しているだけなのだ。
 こうして、ひとたび相対主義的観点の大切さに気づけば、生物と機械を同質とみなすシンギュラリティ仮説の欠陥がはっきり分かってくる。」(前掲書)

 日本の研究者は AI がディープラーニングにより如何に意思や感情をもった人間のように結果をだそうともそれは自立の動作や情動を持っているかのように見えるだけですべて人間によってプログラムされた結果にすぎない。
 闘争心、支配欲、種の保存欲など人間が進化によって獲得したものを持っていないコンピュータが人間の知能を超えても自ら複製や改善は望めない。
 進化によって獲得した人間の脳のゲノムをシリコントランジスタと同質に扱うには無理がある。
 このように考えるのは日本の研究者だけでなく西欧の一部の AI 研究者や生物学者にもいる。
 彼らは、人間とコンピュータは異質であり、シンギュラリティの到達はないと批判している。

 シンギュラリティは人間と超人間に関する議論に発展するため一神教を奉ずる西欧の研究者と一神教でない日本の研究者との間の橋渡しを試みても、それは神学論争を重ねるだけである。

 シンギュラリティが到来するか否かに関係なく AI は技術的にも社会的にも革命的変化をもたらすであろう。
 神学論争よりこの革命的変化にどう対処するかが肝要で、それにより未来は大きく変わる。
 近い将来 ” AI は革命的変化をもたらす” 肝に銘じ、胸に刻み込むべきことばである。

2016年9月26日月曜日

人工知能 4

 AI が全人類の知能を超え シンギュラリティ(技術的特異点)に到達すれば、人類は AI にとって邪魔者になり AI によって滅ぼされるいう見方とそういうことにはならないという見方がある。
 今の時点では一見荒唐無稽に思われるかもしれないがこれは科学者の間でも真剣に議論されている問題である。

 まず前者 AI によって人類が滅ぼされるという見方について

 英国の高名な理論物理学者スティーヴン・ウイリアム・ホーキングはいう。

 「今後100年のどこかの時点で AI は人間の能力を超えていきます。そしてこの人工知能の目的は我々人間を”余所者”にすることだと気づく必要があるのです。」
 「コンピュータは我々の知性と違い、18ヶ月ごとに能力を2倍にする。そのため、コンピュータが知能を発達させて世界を乗っ取るという危険はすでに現実のものだ。」
(マルチョ名言集他)

 進化の度合いが高いものが低いものを駆逐するという論理からすれば必然的にこうなる。


 米国のジャーナリストで AI による脅威についてさまざまな識者にインタービューしたジェイムス・バッラットは自著でこう述べている。
 
 「すでに知能マシンはつくられているが、それでも人類は絶滅していないのだから、もしかしたら AI を擬人的にとらえても結構なのかもしれない。
 しかし、AGI(汎用人工知能)誕生の瀬戸際にあるいまや、それは危険な考え方である。オックスフォード大学の倫理学者ニック・ボストロムは、つぎのように言っている。
 『超知能に関して意味のある議論をするうえで前提条件となるのが、超知能は単なるテクノロジーの一種でもなければ、人間の能力を徐々に高める一種の道具でもないという点を認識することである。
 超知能は根本的に別物だ。超知能を擬人化することがもっとも多くの誤解を生んでいるので、この点はとくに強調しておきたい。』
 ボストロムいわく、超知能が技術的な面で根本的に別物であるのは、超知能が実現すると進歩のルールが変わってしまうからだ。
 つまり、超知能自体が発明を生み出して、技術進歩のペースを決めることになる。
 もはや人類が変化を推し進めることはなくなり、後戻りすることもできなくなる。
 さらに、高度な機械知能も根本的に別物だ。人間によって発明された身でありながら、自己決定権と人間からの自由を欲する。 
 そして人間のような魂がないため、人間に似た動機も持たないだろう。
 したがって、機械を擬人的にとらえると誤った考えにつながり、危険な機械をどのようにして安全に作るかを見誤ると大惨事につながる。」

 「いまやAGI の懐疑的な危険性は、尊敬を集める熟達した多くの研究者が認めるところだ。
 カーツワイルがシンギュラリティの恩恵と考えている、血液のナノ浄化、より優れた高速な脳、不死などと比べても、その危険性はより十分に立証されている。
 シンギュラリティに関して唯一確実なのは、LORAのパワーによって我々の生活や身体のあらゆる側面に高速で賢いコンピュータが、組み込まれるということだけだ。
 そうなったら、異質な機械知能は我々の自然の知能に挑んでくるかもしれない。
 我々がそれを望むかどうかは関係ないだろう。」

 「著名なIT起業家で科学者、アップル社のスティーヴ・ジョブズの同僚であるスティーヴ・ジャーヴェソンは、”設計された”システムと”進化した”システムをどのように統合するかを考えた。そして、その計り知れないパラドックスをうまく表現する方法を思いついた。
 『もし複雑なシステムを進化させたら、それはインターフェースによって特徴づけられるブラックボックスとなる。
 その内部のしくみを改良するうえで、我々の設計上の直感を当てはめることは容易ではない。・・・ もし賢い AI を人工的に進化させたら、それは感覚インターフェースによって特徴づけられる異質な知能となり、その内部のしくみを理解するには、人間の脳を説明するために現在費やされているのと同程度の努力が必要かもしれない。
 コンピュータコードが生物の増殖率よりもずっと速く進化できると仮定したうえで、我々が知識でできることはあまりにも少ないのだから。
 その中間段階をリバースエンジニアリングする時間が取れるとは思えない。進化のプロセスは、そのまま続いていくことになるだろう。』
 注目すべきことに、”進化したシステムやそのサブシステムはどの程度複雑になるか”という疑問に対して、ジャーヴェソンは次のように答えている。
 『そのしくみを事細かく因果的に理解するには、人間の脳のリバースエンジニアリングに匹敵する技術的偉業が必要になる、その程度にだ』
 ということは、進化したシステムやサブシステムが知能を持ったら、人間に似た超知能、すなわち ASI(超人工知能) が実現するのではなく、我々の脳と同程度に理解困難な"脳”を持った異質な知能が生まれるのだ。
 そしてその異質な脳は、生物的でなくコンピュータ的なスピードで進化して自己成長していくだろう、」
(以上 ジェイムス・バッラット著水谷淳訳ダイヤモンド社『人工知能 人類最悪にして最後の発明』 から)

 一言でいえば、ジェイムス・バラッドは、識者へのインタビューを通じシンギュラリティに到達すれば AI が強力になりすぎ人間がコントロールできなくなることを懸念している。

 このように AI によって人類が滅ぼされるかもしれないという懸念は西欧社会にのみ見られることである。日本ではこのようなことを心配する声は聞かれない。
 日本の識者は AI をどうみているのだろうか?

2016年9月12日月曜日

人工知能 3

 AI が活用される分野は、画像認識、音声認識、ビッグ・データ、自動運転、創薬、文字認識、自然言語、セキュリティ、ロボットなどがある。
 その成果は日常生活、仕事、産業の広範囲に及ぶ。
AI でもアメリカは一歩先んじている。グーグル、フェイスブック、アップル、マイクロソフト、アマゾン、IBMなどその豊富な資金力で目ぼしい国内外のAI ベンチャーを買収して AI の技術開発で先行している。
 この顔ぶれには製造業はなく IT 企業のみである。
IT 企業がAI の技術開発に力を入れるのはそこに巨大なビジネスチャンスを見出しているからであろう。
 日本はどうか。日本はトヨタ、ホンダ、日立、パナソニックなど主に製造業がベンチャー企業と提携して AI の技術開発に取り組んでいる。

 日本における AI の熱心な推進者である東京大学の松尾豊准教授は、一口に AI というが、これは二つに分けて考えた方がいいという。
 情報路線(大人の人工知能)と、運動路線(子どもの人工知能)である。
 そしてこの二つの路線は AI 産業競技のいわば予選リーグで、予選リーグを勝ち進んだ企業が決勝に進み、最終的には高度に知能・機械がモジュール化し組み込まれた社会において、人工知能が組み込まれた日常生活ロボット・機械を担う企業が勝者となるという。
 日本が目指すべきは運動路線である子どもの人工知能をターゲットにすべきであると主張している。

 「以前にもお話ししましたが、僕は人工知能を 『大人の人工知能』 と 『子どもの人工知能』 に区別しています。
 これまで、コンピュータにやらせるのは子どものできることほど難しいという時期が何十年も続いてきたのですが、今は変わりつつあります。
 子どもができるような認識や運動の習熟、言葉の意味理解などができるようになりつつあるということで、こちらを 『子どもの人工知能』 と呼んでいます。
 一方でビッグデータ全般や IoT に代表されるように、今までデータが取れなかった領域でデータが取れるようになってきました。 
 ここに旧来からある人工知能の技術を使うと、いろいろなことができます。
 こちらを 『大人の人工知能』 といっています。
 今の動きの中で、僕が一つ非常に気を付けるべきだと思っているのは、 『人工知能』 という言葉が独り歩きしていて、いろいろな技術を人工知能と呼んでいる点です。
 大人の人工知能の世界は 『データを活用していきましょう』 ということなので、これは当たり前のことです。
 昔からデータの重要性はありましたし、活用した方がもちろん良かったのです。
 これはもう10年も20年も前からそうです。日本はそこのところの理解がなかなか進んでおらず、むしろ遅れているので、今頃になってようやく 『データを活用した方がいい』 『情報技術を活用した方がいい』 と多くの人が思うようになってきたということです。
 ですから、これは当然やった方がいいのですが、既に10~20年も遅れをとっています。
 一方で子どもの人工知能、すなわちディープラーニングをベースにする技術は、技術的なブレークスルーの時期に当たり、ここ2~3年で、急激にできるようになってきたのです。
 これをどのように産業競争力につなげていくか。そこに日本の戦略的なチャンスがあると思います。
 ですから、この二つは分けて考えた方がいいと、僕は思っています。
 プレイヤーについても、大人の人工知能をやろうとしている人の方が今は多いのです。
 大手の電機メーカーもそうだし、研究者にも大人の人工知能系、つまり情報(データ)を使おうとか、先端の情報技術を使おうという技術を研究している人が多いのです。
 ですから、今はこちら(大人の人工知能)の方が声が大きく、『国レベルで 人工知能をやりましょう』 といったときに、大半が 『大人の人工知能』 系の話になってしまうのです。
 ここ(大人の人工知能)も大事ですが、今あえて投資する必要があるかといえば、それほどありません。
 今、日本が戦略的に投資するべきは 『子どもの人工知能』 で、その技術的なブレークスルーに賭けるべきだと、僕は思っています。
 ただ、こちら(子どもの人工知能)はプレイヤーが少ないので、なかなか苦しいのです。
 しかし、グローバルな産業競争力につながるのはきっと 『子どもの人工知能』 の方に違いないと、僕は思っています。
(10MTV 日本のAI戦略)

 なぜ日本は、情報技術・データの活用が10~20年も遅れをとったのだろうか。 
 今年7月松尾准教授はフォーリン・プレスセンターの講演で情報路線はあきらめ運動路線にターゲットを絞るべきと述べた。
 なぜそうなのか理由を質問した記者にこう答えている。

 ”日本には1990年代既に検索エンジンがあり、2000年代に入ってすぐソーシャルネットワークもあった。
 だがユーザが日本人に限られるため大きくならなかった。
10倍人通りが多いところで店を開くのと10倍少ないところで店を開く違いである。
 日本語でやっている限り大きくならない。情報路線にはこの制約があるが運動路線にはこれがない。”

 別の講演では運動路線に特化すべき理由を列挙している。

① 少子高齢化でかつ幸いにも移民を受け入れていないため、AI を活用した機械化・ロボット化の効用が大きい。

② 人工知能研究者数に恵まれている。2015年現在人工知能学界 日本人は 3500人、 日本以外では全世界でも 6000人である。

③ 日本は第1~2次ブームからの研究者を擁していて、指導者層にAI にたいする理解がある。インターネットのときにはなかったことである。

④ インターネットのときにはニーズを見つけるというビジネスセンスが求められたが、今回は防犯は防犯、建設は建設とニーズは変わらず性能向上の要求であり、製造業にも求められる賢さと真面目さが重要となり日本人向きである。

⑤ インターネットは日本語が障壁となり早くから検索エンジン、ソーシャルネットワークがありながら日本からグーグルもフェイスブックも生まれなかった。
 AI は言葉は関係がない。アルゴリズムを製品にのせるから日本語のハンデがない。

 このように松尾准教授は日本は運動路線に特化すべきと力説している。

 AI は今アメリカが先行しているが この技術は2012年にブレークスルーしたばかりである。真の競争は今後にかかっている。

 わが国における AI の今後の展望に先立ちシンギュラリティについて考えてみたい。
 AI が全人類の知能を越えるときがくればどのようなことになるのか。その日は2045年ともいわれている。

2016年9月5日月曜日

人工知能 2

 AI は過去2回ブームがあり現在3回目のブームにさしかかっている。
第3次AIブームのビッグウェーブ出典:松尾 豊著KADOKAWA『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』

 過去のブームの衰退を簡単にいえば、第1次ブームは特定の問題は解けても複雑な現実の問題は解けないこと、第2次ブームはコンピュータに大量の知識をいれ管理するには限界があり費用と時間がかかりすぎかつ汎用性に乏しいことであった。

 現在は AI 技術のブレークスルー(飛躍的進歩)といわれるディープラーニングで3度目のブームにさしかかっている。
 囲碁の対戦でAI が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段に勝利したのはこの技術によるものであった。
 今回はこれにシンギュラリティ(技術的特異点)の問題が加わり AI が人間の知能を越え人類の脅威となるなどとブームに拍車がかかっている。

 東京大学の松尾准教授は AI を飛躍的に進化させたディープラーニングについてこう述べている。


 「人間は特徴量をつかむことに長けている。何か同じ対象を見ていると、自然にそこに内在する特徴に気づき、より簡単に理解することができる。

 ある道の先人が、驚くほどシンプルにものごとを語るのを聞いたことがあるかもしれない。特徴をつかみさえすれば、複雑に見える事象も整理され、簡単に理解することができる。
 同じことを人間は視覚情報でもやっている。
 たとえば、ある動物がゾウかキリンかシマウマかネコかをみわけるのは人間にはとても簡単だが、画像情報からこれらの動物を判定するのに必要な特徴を見つけ出すのは、コンピュータにはきわめて難しかった。 
 機械学習させようにも、この特徴を適切に出すことができなければ、うまく学習できないのである。(中略)
 ディープラーニングは、データをもとに、コンピュータが自ら特徴量をつくり出す。
 人間が特徴量を設計するのではなく、コンピュータが自ら高次の特徴量を獲得し、それをもとに画像を分類できるようになる。(注:もちろん、画像特有の知識ー事前知識 をいくつか用いているので、完全に自動的につくり出せるわけではない。)
 ディープラーニングによって、これまで人間が介在しなければならなかった領域に、ついに人工知能が一歩踏み込んだのだ。 
 私はディープラーニングを 『人工知能研究における50年来のブレークスルー』 と言っている。」
(松尾 豊著KADOKAWA『人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの』)

 AI の歴史はわずか60年であるから、ディープラーニングが50年来のブレークスルーとすればこれがいかに画期的な技術であるかが想像できよう。


 ディープラーニングの凄さについて小林雅一氏は分かり易く解説している。

 「ディープラーニングは人間という教師の手助けがなくても、自分で勝手に大量のデータから何かを学び、ある問題を解く上で、何か本質的に重要なポイント(変数)であるかを、システム自身が探し出してくるのです。

 そして、ここにも再び謎が登場します。つまりディープラーニングがなぜ、それらの変数(特徴量)を選び出してきたのか? 
 そこに至るシステムの思考経路を、それを開発した技術者(つまり人間)は理解できないのです。
 しかしディープラーニングは、難問を解決する上で、必ずといっていいほど正しい変数を選んできます。
 だから音声・画像認識など、これまで停滞していたパターン認識の分野で大幅な性能向上が見られたのです。
 多くのAI 専門家は口を揃えて、この点を絶賛しています。
 彼らの見方によれば、問題を解決するために必要な 『何かに気付く』 という能力こそ、これまでのAI に欠如していたものです。
 この限界を突破したことで、ディープラーニングは AI における永遠の難問とされてきた 『フレーム問題』 さえ解決する、との見方も出てきました。
 第1章でも紹介したように、フレーム問題とは、
『所詮は限られた情報処理能力しかないロボットや AI には、現実世界で起こり得る問題の全てには対処できない』 ということでした。
 それは特に、ケース・バイ・ケースの判断ルールをコンピュータなどに移植していく 『ルール・ベースの AI 』 にとって致命的な問題でした。
 しかしディープラーニングのように、人間がロボットやコンピュータに何らかのルールや変数などを教えなくても、彼ら自身が問題を解く上で本質的に重要なことに気付いてくれるなら、フレーム問題は解決できる可能性があります。
 そして、ここでも興味深いことは、ディープラーニングが人間の脳の仕組みを参考にしていることです。
 つまりディープラーニングがフレーム問題を解決できるとすれば、それは私たち人間が普段何らかの形でフレーム問題を処理している、あるいは少なくとも何とか切り抜けている証になるということです。(もちろん、ときにはジタバタしたり失敗することもありますが。)
 いづれにせよディープラーニングは単なる機械学習の手段という枠組みを越え、人間のような汎用的知性を持つ最初の AI になる可能性があるとの期待が高まってきました。
 その進化のスピードは今後、一層加速すると見られています。 それは脳科学(神経科学)と AI 研究が連携することで相乗効果が期待されるからです。」
(小林雅一著講談社現代新書 『 AI の衝撃』 )

 此度のAI ブームは過去2回と異なりすぐに衰退しそうにない、それどころか AI の開発は指数関数的に増加する可能性さえある。
 このような革新的な技術について各国はどう取り組んでいるか先行している日米を中心に見てみよう。

2016年8月29日月曜日

人工知能 1

 いま途轍もない可能性を秘めた波が押し寄せている。だがこの波はそれをはっきりと自覚しなければ見過ごしてしまうほど静かな波だ。
 21世紀の日本にとって最初にして最後の起死回生の幸運の女神となるかもしれない人工知能 AI (Artificial Intelligence )がそれである。

 人間 対 AI の戦いの例を見てみよう。
 チェスは1997年IBMのスーパーコンピュータ 「ディープ・ブルー」 がチェスの世界チャンピオンを負かした。
 将棋は2013年にプロ棋士と将棋ソフトが対戦しプロ棋士が1勝3敗1分で将棋ソフトに負けた。
 囲碁は盤面が広いためコンピュータソフトがプロに勝つにはあと10年はかかるだろうといわれていたが今年3月グーグルのコンピュータソフト 「アルファ碁」 が現役最強棋士といわれる韓国の李世九段と対戦し4勝1敗で勝ち越し世間をアッと驚かせた。
 これはほんの一例に過ぎない。AI の進歩はゲームに止まらずさまざまな分野におよびわれわれの想像を超えている。

 専門家によればいまの AI の発展段階は1995年のインターネットに相当するという。
 1995年といえばマイクロソフトのWindows 95が発売されこれにインターネット接続機器が搭載された時期である。
 この時期にはグーグルもフェイスブックもアマゾンもなかった。アップルとマイクロソフトがやっと黎明期から脱出しかかっていた時代である。それから約20年後の今日インターネットの進化は隔世の感がある。
 インターネットの進化から類推するにいまから20年後 AI がどのように進化しているのか想像さえできない。

 一方 AI はそのあまりにも革新的過ぎるゆえに様々な懸念、特に倫理面でのそれがあることも事実だ。
 人間の知能を超えるかも知れない AI に対して人間はどう対処するのか、AI の軍事利用に対してどのような対策がなされなければならないのか等々。

 AI の破壊力はそれ以前の常識をことごとく覆す力がある。その影響は政治、経済は言うにおよばず文化、人びとの働き方など生活の隅々まで及ぶであろう。

 革新的な技術には先行者利得がある。インターネット技術で先行したアメリカはマイクロソフト、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンとほぼこの世界を壟断している。
 そしていま AI でもアメリカが先行していると言われている。だがその程度はキャッチアップできないほどではないという。

 少子高齢化で経済が低迷している日本にとって AI 革命はこの苦境を一気に払拭する千載一遇のチャンスでもある。
 幸運の女神には前髪はあるが後髪はない。この機を掴まえまたはその道筋をつけるものは誰ぞ。
 以下 AI について専門家の考察をもとに基本に立ち返り考えてみたい。