2018年5月7日月曜日

健全財政の罠 2

 「物価が持続的に下落する状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがないこと」これが2006年3月小泉政権時の政府によるデフレ脱却の定義である。
 現状はデフレ脱却の兆しがあるとはいえ政府は未だデフレ脱却を宣言していない。
 デフレ時には物が売れない、物を買わない、投資を控える、貯蓄する、このため物価も上がらない。この結果経済活動が停滞しGDPが低迷する。
 したがってデフレ下では景気を刺激しなければならない。デフレ脱却には金融緩和だけでは限界がある。それはここ数年の異次元金融緩和にもかかわらず2%の物価目標に遠くおよばないことで明らかになった。そして財政支援が欠かせないことが徐々に識者の間で認識されるようになってきた。

 ところが現実にはこれに反する政策がとられている。財政健全化の名目で消費税増税と緊縮財政というデフレ対策と真逆のインフレ対策である。
 これは確実に景気を冷やす政策である。1997年以降の実績がそのことを示している。
 なぜこうなっているか、その原因は1980年代後半のバブル崩壊時にまで遡らなければならない。

 戦後の金融・財政政策は良くも悪くも官僚主導であった。バブル崩壊でそれまでの成功体験が根本から崩れ当局は経験したことがないデフレという事態に直面した。なにしろデフレが起きたのは大恐慌の時代以来のことであるから官僚にとっても未知の事態である。
 決められた法律の枠内で忠実に業務を遂行する官僚にとってこの経験したことがない事態の対処方法は最も不得意の分野である。

 そのことがまもなく証明された。バブル崩壊で自信を失くした日本はワシントン・コンセンサスを受け入れた。
 ワシントン・コンセンサスとは1980年代にブラジル・メキシコ・フィリピンなど途上国の累積債務問題の処方箋である。
 ワシントンに本拠を置くIMFなど国際機関の間には一定の合意がありその政策の骨子は市場原理・新自由主義的インフレ対策である。
 折りしも英米ではサッチャーとレーガンがこの政策で一定の成功を収めていた。
 このため渡りに船と思ったのだろうか日本は対外純資産国であるにもかかわらず累積債務問題を抱えた国と同じ処方箋を採用した。
 そして一旦これを採用したら変更不可。官僚の無謬性の原則がそれを許さない。
 先輩が決めた政策を変更すること、それは先輩に弓を引くことになる。そんなことなどできない、できっこない。
 いくらデフレ対策に悖ろうがそんなことはお構いなし。知ったことではない。外部からの意見には聞く耳を持たない。

 共同体の内の規範(内部規範)と外の規範(外部規範)は異なる。内部規範は絶対的であり外部規範は相対的である。ゆえに内部規範が常に外部規範に優先する。
 このことは官僚組織という共同体のみならず組織一般に共通する。マックス・ウエーバーが発見した社会学の法則がここにも生きている。

 財務省が推し進める消費税増税およびプライマリーバランス黒字化に象徴される緊縮財政策は政界、財界、言論界など日本国内に広くかつ深く浸透している。
 一強といわれる安倍内閣もこれを止めることができない。太平洋戦争前の陸軍の暴走を誰も止められなかったように。

 もしこの政策が今後も継続すれば経済格差拡大と貧困化がすすみ最悪の場合かってのアルゼンチンのように先進国から途上国へと逆戻りすることもあり得る。
 アニメ「母をたずねて三千里」は、一人の少年がイタリアからアルゼンチンへ出稼ぎにいった母を訪ねるストーリーである。現代の両国の関係を考えれば隔世の感がある。日本とていつまでも先進国であり続ける保障はない。
 現状ではデフレ下のインフレ対策という狂った政策の軌道修正は望めそうもない。
 このまま日本はズルズルと経済的に弱小国になり安全保障面でも外国の脅威に怯えるだけの国になるのだろうか。
 狂瀾を既倒に廻らす、起死回生の方法があるのだろうか。あるとせばそれは何か。

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