2015年6月1日月曜日

核兵器と戦争 8

 2発もの原子爆弾を投下されたわが国は核兵器の恐さが身に浸みている。だが、核戦争によってもたらされるであろう核の冬の怖さまで理解しているとは限らない。
 オーストラリア出身の女医ヘレン・カルディコットは核の冬の怖さそしてそれがいつでも起こりうることについて述べている。

 「1985年にアメリカ大統領府科学技術政策局(OSTP)から発行された、『見通し(SCOPE)』には、次のように書かれていた。
 『人間の生存を支えている農業や社会の仕組みが完全に失われてしまうと、地球上のほぼすべての人類が消滅してしまう。
 戦争に参加している国も参加していない国も同じだ。
 このような脆弱性が核戦争につきまとうということは、十分に理解されているとはいえない。
 主要な交戦国が危険にさらされるというだけでなく、事実上、すべての人類が大規模な核兵器の使用という脅威にさらされ、人質になっている・・・・・』(中略)
 では、核の冬はどの程度の核爆発で発生するのだろうか?
 1000個の100キロトン爆弾が100の都市を爆破する事態が発生するだけで十分だ。
 それはいつでも起こりうることは、現在、アメリカとロシアがもつ核攻撃能力と攻撃目標計画をみるだけで明らかだ。」
(集英社新書ヘレン・カルディコット著岡野内正/ミグリアーチ慶子訳『狂気の核武装大国アメリカ』)

 彼女は同書で、「世界の兵器庫の中には合計すると地球上のすべての人々を32回『過剰殺戮』できるだけの核爆弾がある。」と言っている。

 わが国は ”核を持たず、造らず、持ち込まず” の非核3原則を堅持してきた、そのうえ”核について語らず” の実質非核4原則がまかり通っている。
 核について議論すれば、その人は”右より” ”好戦的” などのレッテルを貼られる。
 日本人の核に対する接し方は、危機に遭遇したダチョウが頭を砂の中に突っ込み危機から目を背ける動作にも似ている。 
 ”君子危うきに近よらず” よろしく、 ”怖い核には触れぬ” の流儀で、万事ことなかれ主義が蔓延し現実逃避を決めこんでいる。

 国際社会において核についての取り決めは核不拡散条約(NPT)に規定されている。
 この条約は1970年国連の常任理事国でもある5カ国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)だけが核兵器を開発、保有してもよくその他は開発も保有も禁止ということになっている。
 現在190カ国が調印している。この条約の改定には先の5カ国の全会一致が義務づけられている。5カ国には拒否権があるのだ。
 この条約の目指すところは核軍縮である。ところが現実はアメリカもロシアも核軍縮ではなく増強に励んでいる。
 同条約に調印していながらインドとパキスタンは核兵器を開発、保有しており黙認されている。イスラエルは非加盟国の立場で核兵器を勝手に開発、保有している。
 イランについては核の平和利用、軍用にかかわらずイスラエルが強硬に反対しアメリカを始めとした西欧社会がそれに同調している。
 これが世界の現実だ。ことほどさように理不尽、不平等な条約であるが、わが国もこの条約に調印している。
 このような環境下においてわが国はいかに処すればよいか。

 まず核について議論もしないというのは論外である。人類の運命をも左右するものについて目を背けていては何の解決にもならない。まして平和を呼び込めるわけでもない。
 戦後わが国はアメリカの核の傘のもとに庇護されてきた。ために他国の脅威を未然に防げたのも事実であろう。今後もそれで安泰かというと必ずしもそうとはいえない。
 仮にわが国が他国から核攻撃を受けた場合、核の傘をさしていたアメリカがわが国に核攻撃を行った相手に直ちに核で反撃するとは考え難い。
 アメリカが核反撃すれが当然アメリカも核攻撃の対象となる。自らも核攻撃の対象となる危険を冒すことをアメリカ国民が許すであろうか。
 アメリカ政府は外交戦略として同盟国への核の傘を否定していないが、アメリカの殆んどの識者は同盟国への核の傘を否定している。
 冷戦時代にフランスがロシアの核脅威からアメリカの核の傘に頼らず独自に核開発した理由もこの疑念からであると言われている。
 アメリカの核の傘がやぶれ傘であれば日本のとるべき道は二つに一つ。
 現状のやぶれ傘のままでいくか、独自に核の傘を造るかの何れかとなる。
 世界の現実をみれば、現状でいいという結論は安全保障上問題がある。世界におけるアメリカの相対的な力の低下を考えればなおさらそうである。
 それでは独自に核の傘を造るべしということになるが、ことはそう簡単ではない。
 日本が核開発をするには障碍が多い。隣国とくに中国は日本の核武装に対しては、核不拡散条約(NPT)その他あらゆる理由をつけて武力行使も辞さずのかまえで阻止にかかるであろう。
 核についてのイランに対するイスラエルの姿勢からもこのことが言える。
 同盟国アメリカも日本の核武装には加担しないと思われる。アメリカが核不拡散条約(NPT)に反する政策に同意しないことはイラク、イランに対し制裁を行ったことでも明らかだ。
 さらになにより日本国内の世論が核武装を許さない。
 このようにとるべき道をふさがれてしまっては如何ともし難い。

 打開策の一つとして、日本が唯一の被爆国であるという立場を最大限生かした方策がある。そしてそのことを世界に発信することである。
 今でもわが国は、唯一の被爆国として ”核なき世界を” と発信しているが、日本の発信力は弱く効果を発揮しているとは言い難い。冷徹な国際社会は、日本をアメリカの庇護国に過ぎないと見ている可能性を排除できない。
 世界は力あるものに耳を傾ける。平和への訴えについても例外ではあり得ない。
 力とは何か。それは経済力であり政治力であり軍事力であろう。
 なかんずく軍事力は裸にされた真実だ。現代においては特に核兵器を伴う軍事力が重要性を増している。
 国際社会では弱小国の主張は無視される。いくら被爆国とはいえ軍事力を背景としない日本の主張も等閑に付される。 それが世界の現実だ。
 核兵器をもたなかった独裁者イラクのフセインやリビアのカダフィーはあっけなく倒された。冷酷であるがこれが現実である。
 日本が発信力は高めるには核兵器の開発・所有が手っ取り早い方策であるが前述のようにそれは簡単には行かない。
 核については国内でも様々な議論がある。単独核武装、核もちこみ、核シェアリング等々。
 だがこれらは政府ないし政党間で公に議論されていない。
 唯一の被爆国として核軍縮のリーダーシップをとるには、核を忌避するのでなく核の現実を直視すべきである。
 国連改革が遅々として進まないのは国連が拒否権をもつ5カ国の常任理事国によって壟断されているからと言われている。
 国連と同じく核不拡散条約(NPT)も同じ状況にある。矛盾に充ち理不尽・不平等なこの条約を改革するには唯一の被爆国であるわが国がもっともふさわしい立場におかれている。
 核攻撃を受けたわが国はひたすら核のない平和な世界を訴えてきたが現実を見る限り徒労に終わっている。
 被爆国の立場を有効に生かしてきたとは言い難い。
 この立場を生かすにはなによりも情報発信力がなければならない。このためにも国内で核について本格的な議論がなされることが求められる。
 核攻撃を受けたわが国が核について本格的に議論をはじめれば大きな転機となるかもしれない。
 世界の核軍縮実現という最終目的のためには単なる平和願望だけでは何事も達成されないことだけは確かである。

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