2014年6月23日月曜日

「目覚めた獅子」中国 8

 法概念については中国と日本および欧米とはまるで違う。このことは経済活動のルールの根幹が異なっていることを意味している。
 鄧小平は「儲けることはいいことだ。」といったが、これはなにも資本主義はいいからそれにしよう、と言ったわけではない。
 彼は1992年の南巡講話で、計画経済も市場経済もすべて手段であり、社会主義と資本主義の質において違いはないと言っている。
 日本や欧米のエコノミストが中国の将来は資本主義のルールを受け入れるか否かにかかっている、などと言うのは中国人にとって受け入れられるものではないし、仮に受け入れようと努力してもそれを許さない中国人の行動様式と歴史がある。
 中国の将来については興味が尽きない。壮大な社会実験を見ているかのようだ。
 近い将来アメリカを凌駕し世界の覇権を握ると言う人もいるし、経済の破綻をきっかけに体制が崩壊し社会が大混乱に陥ると言う人もいる。
 先に紹介した余華氏は近い将来、革命が起きるかまたは一歩ずつ確実に民主的な社会に進むかであるといった。
 津上俊哉氏は近い将来、中国がアメリカを凌駕し世界の覇権を握ることはない。さりとて習近平改革が失敗し瓦解しても日中両国にとっていいことは何もないといった。
 中国人と親しく付き合ったことのある人はよく 「中国人は頭がいい」 という。津上氏もそう言っている。
 丹羽宇一郎前中国大使は、先日松江市の講演で大使在任時公用車の国旗が奪われた事件に言及し、「その通りから5分も歩けば暴挙とは無縁の中国人の普段通りの生活がある。
 中国は経済成長を遂げ大国に変化してきている。(日本人は)そのことを理解しなければならない。
 また、12年の米ハーバード大への留学者を例に挙げ、日本人よりはるかに多くの中国人が進学していることを紹介。
 日本はもっと教育に力を入れなければならない。技術も追い抜かれるかもしれない。」(YOMIURI ONLINE2014年6月18日)
といった。

 これら個人的体験は中国の現状および将来像を知るうえで肌で感じた貴重な情報である。
 しかし自ら体験した範囲に限定された中国像である限り、必ずしも中国の全体像に直結するとは限らない。
 個人的体験を積み重ねても体験できない部分については類推の域をでない。自ずから限界がある。
 まして膨大な国土、民族、人口およぶ悠久の歴史ある中国については特にそうである。
 かかる場合全体を理解するには社会科学による研究が不可欠である。
 社会科学による研究は、太平洋戦争で総力戦といいながらその実、日本が殆ど活用しなかった分野でもある。

 中国を本当に理解するためには歴史に如くはないと小室博士は言う。

 「社会科学に実験はできない。自然科学とはちがって社会科学の進歩がおそい所以である。
 しかし、同型の事象が、続けてはてしなく生起してくれれば、実験をしなくても、実験をしたのときわめて類似性の高い条件が見出されるであろう。
 また、ウェーバー派の比較社会学の座標軸としても、中国史は絶好なのである。
 このように、中国史というサンプルは、歴史家を不幸にするが、科学者をこのうえなく幸福にするのである。
 『類似の事件』が『延々と繰り返し』生起するが故に、そこに法則を発見し得るからである。(中略)
 われわれは、中国史のなかに中国の本質を発見し得るのである。中国史は、如何なる調査よりも有効に、中国人の基本的行動様式を教えてくれるのである。
 このさい、中国人が歴史をどう意識するのかは関係ない。中国人の歴史知識とも関係ないのである。
 社会法則は、人間の意志や意識とは関係なく独立に動く。
 このことは英国古典派によって発見され、マルクスはこれを人間疎外と呼んだ。」(小室直樹著徳間書店『小室直樹の中国原論』)

 そして、フロイトの精神分析は本来民族単位の分析が本流であるとし、フロイトの理論を展開して次のように結論づけている。

 「各個人に無意識があるごとく、民族などの集団にも無意識がある。
 ゆえに、個人において幼児体験が決定的な意味をもつがごとく、民族においても、太古における『幼児体験』が決定的な意味をもつ。
 幼児体験は、強力な複合体となって無意識の底に盤踞していて、人間行動を規定する。民族行動もまた同じ。
 このように考えれば、歴史を貫徹している社会法則は、滅多なことでは変わるものではない。
 ウェーバーも、人間の基本的行動様式は、滅多なことでは変わるものではないことを強調している。
 人民革命や文化大革命にもかかわらず、毛沢東の教育にもかかわらず、中国史を貫く社会法則は不変である。」(同上)

 中国は太古から幾度となく王朝がかわった。革命が起き天子が変わっても姓は変わるがその他は変わらなかった。易姓革命といわれた所以である。
 社会法則に従えば、この伝統は将来とも変わることがないと考えるのが妥当だ。
 現代は毛沢東による革命を経て、改革解放政策による社会主義市場経済を掲げる共産党王朝の時代といえる。
 この王朝は幇と宗族という人間関係を背景に社会規範がなりたち、法家の思想によって統治されている。
 日本や欧米の政治家・エコノミストは中国は国際社会のルールを受け入れるようにと働きかける。
 国際社会のルールとは、その実、資本主義のルールに他ならない。中国にとってとても受け入れられるものではない。
 ここに中国の将来は運命づけられている。
 今日の近代社会は、資本主義とリベラル・デモクラシーと近代法が三位一体となって成り立っている。三位一体とはどれが欠けても成り立たないことは言わずもがな。
 中国はこのどれにも該当しないことは既に述べた。
 鄧小平は社会主義も資本主義も手段であって質において変わりはないといったが、これほど資本主義の理解から程遠いものはない。
 余華氏は計画経済でも高度成長は可能であり、中国はそれを証明したといった。
 確かに中国は高度成長を遂げ大量の外貨も稼いだ。
 が、計画経済はソ連邦の崩壊で既に実証されているように、合理的な経営形態でないため組織が高度化すれば分業が困難になって成長が壁に突き当たる。
 中国の場合は、行動様式が目的合理的精神よりも人間関係が重要視されるなど、おおよそ資本主義の精神と対蹠的であるためさらにひどいことになる。
 さりとて理財商品や不動産バブルの崩壊も心配されているが共産党のコントロール下で日本や欧米流の急激な崩壊はあり得ないだろう。
 人口13億5千万のうち共産党員8千5百万人(2012年末現在)による中国人民に対する実質支配。
 共産党を宗主とする植民地的支配は経済の好調さで辛うじて社会の安定が保たれてきた。
 が、経済の綻びを糊塗するにも限界がある。経済の停滞とともに共産党体制も茨の道を辿るであろう。
 対外的には、近隣諸国との領土紛争、人権問題 国内的には、格差拡大、環境汚染、一人っ子政策のツケ、言論統制、少数民族問題など成長を阻害する要因には事欠かない。
 人間関係優先の行動様式は深く中国社会に根付いており、高度な経済の発展に寄与する目的合理的精神を寄せ付けない。
 成長の限界が訪れ、中国の歴史が証明するように王朝はいずれ代わる。変わったとしても社会規範は以前と同じ。この繰り返し。
 習近平主席は「中華民族の偉大な復興を成し遂げる」という夢を語るが、そのハードルはあまりにも高い。
 昨今の派手な経済的、軍事的プレゼンスにも拘わらず、中国は近い将来アメリカを凌駕することなく、むしろ経済の停滞とともに社会的混乱に陥ると見るべきだろう。

 共産党が崩壊すれば、津上俊哉氏が言うように

 「世界第2位の経済大国にして、複数核弾頭を搭載した大陸間弾道弾(MIRV)を擁する国がアンコントロールになる。」(文春新書 津上俊哉著『中国停滞の核心』)

 この意味において、「中国が目覚めると世界を震撼させるだろう」 と言ったナポレオンの予言は不幸にも的中することになる。

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