イギリスは国民投票でEU離脱を選択した。
イギリス国民の判断は、拡大をつづけてきたEUが初めて逆方向にベクトルをかえた歴史的瞬間であるとともに大方の予想外の結果であった。為替・株価の動きがそれを物語っている。
わが国には遠く離れた欧州の政治情勢については拭い難い判断ミスの事例がある。
1939年8月予想だにしない独ソ不可侵条約が締結されて当時の首相 平沼騏一郎は ”欧州の天地は複雑怪奇なり” と今だに語り草となっているセリフを残して内閣総辞職した。
今回 大方の見方が外れたのはイギリス庶民の怒りを過小評価したせいとも言われている。
イギリスのEU離脱についてユンケル欧州委員長は 「友好的な離婚ではないが、そもそも親密な恋愛関係にあったことも決してなかった」と冷静に語っている。
これからEUとイギリス両者にとって、長い複雑な離婚協議となるだろうが、いつはじまるのかを含め未確定なことがあまりにも多い。
投票直後から英下院に対し再投票を求める請願があり署名が既に300万人を超えている。
イギリス国民投票は、理性と感情の戦いといわれた。政治的経済的なメリットを理性にうったえる残留派と移民を制限しEUから主権を取り戻すという感情にうったえる離脱派の戦いである。
感情にうったえる作戦が奏功した結果になったが、勝った離脱派は報道で知るかぎりイギリスの未来について確たる展望を描いているとも思えない。
今回の歴史的判断に関連して、EUの未来についてはさまざまな意見が飛び交っている。
イギリス国民の判断はオランダ、ドイツ、フランスの反EU勢力が勢いを増し、EU崩壊の糸口になるという論調の一方で、EUはこれをキッカケにますます結束がかたくなり磐石となる。イギリスこそスコットランドや北アイルランドはたまた首都ロンドンまでが独立志向し瓦解の危機に瀕するのではと述べ立てている。
様々な文化、宗教、人種の集合体からなりたっているEUの未来を予測するのは至難の業である。
が、風車に突撃するドン・キホーテにならいあえてこれを予測してみよう。
2016年6月27日月曜日
2016年6月20日月曜日
都知事辞任劇
東京都の舛添要一知事が6月21日付けで辞任することになった。
同知事は資金の使途が公私混同による政治資金規正法違反にあたるとして刑事告発されていた。
検察幹部によれば資金の使途は明らかで違法性を問うのは難しいという。
違法性がないにも拘らず辞任に追い込まれた発端は高額な出張旅費や公用車での別荘通いなど庶民感覚からズレた点を週刊誌に指摘されたことであった。
舛添氏はメディアの追及を強弁で切り抜けようとしたが、これがかえって都民の反発をまねき、ひいては都議会をも動かした。
都議会の追及は、都知事としての政策や職務遂行能力とは関係なく、もっぱら週刊誌が指摘した公金の使途などに終始した。
評論家の伊藤敦夫氏によれば、当時の大学受験生が受ける旺文社の全国大学入試模擬テストで彼は常に2~3番の成績であったという。
この手の秀才には落ちいりやすい陥穽がある。自らの地位は自らの努力でかちとったものであり他の誰のお世話にもなっていないという自負である。
どう振舞おうととやかく言われる筋合いはない。自ら勝ちとった権利を自らのために行使して何が悪い。
戦後日本のトップエリートにしばしば見られる自負意識である。
トップエリートの多くはこのような自負を表立ってあらわすことはないが、舛添氏の場合はそのような態度が素直に言動としてあらわれ非常にわかりやすい。ナイーブな人であるのだろう。
エリートも時代とともに変わる。戦前までのエリートはどうであったか。
村落に成績優秀な少年がいれば家族・親族はいうに及ばず篤志家もこれら少年を応援したという。
応援してもらった少年は出世の暁にはこれに報いるべく ”私” をすて ”公” のため粉骨砕身努力した。
現代では望むべくもないトップエリートのあるべき姿である。
この度の辞任劇ではメディアは異常といえるほど報道した。憧れ、嫉妬、憎悪、優越などさまざまな庶民感情をかきたてるわかりやすい事件のせいであったからであろう。
これで石原、猪瀬、舛添と三代つづいて東京都知事が任期中途で辞任した。このうち後二人は不祥事が原因で辞任したが、そのような知事を選出した有権者の選出責任を問う声は殆んど聞こえてこない。
それどころか醜聞がおきれば知事を選出した有権者も一緒になってそれを追いまわす。
このような醜聞を面白がる風潮は今にはじまったことではないようだ。
遠く大正期に芥川龍之介は ”醜聞” と題し皮肉をこめてこう評している。
「公衆は醜聞を愛するものである。
白蓮事件、有島事件、武者小路事件 - 公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。
ではなぜ公衆は醜聞を - 殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう?
グルモンはこれに答えている。
『隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。』
グルモンの答えは中っている。が、必ずしもそればかりではない。
醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼らの怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。
同時にまた実際には存しない彼らの優越を樹立する。好個の台石を見出すのである。
『わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。』
『わたしは有馬氏ほど才子ではない。しかし有馬氏よりも世間を知っている』
『わたしは武者小路氏ほど・・・・・』 - 公衆は如何にこういった後、豚のように幸福に熟睡したであろう。」
(芥川龍之介著岩波文庫『侏儒の言葉』から)
今日の大衆もまた、テレビやネットで都知事辞任劇を見たあと 「わたしは舛添さんほど秀才ではない、しかし舛添さんよりも常識をわきまえている。」
といってその夜グッスリと眠りについたのだろうか。
同知事は資金の使途が公私混同による政治資金規正法違反にあたるとして刑事告発されていた。
検察幹部によれば資金の使途は明らかで違法性を問うのは難しいという。
違法性がないにも拘らず辞任に追い込まれた発端は高額な出張旅費や公用車での別荘通いなど庶民感覚からズレた点を週刊誌に指摘されたことであった。
舛添氏はメディアの追及を強弁で切り抜けようとしたが、これがかえって都民の反発をまねき、ひいては都議会をも動かした。
都議会の追及は、都知事としての政策や職務遂行能力とは関係なく、もっぱら週刊誌が指摘した公金の使途などに終始した。
舛添氏はメディアや都議会の追求を小理屈で切り抜けようとしたが、納得させるに至らずそこに彼の限界を垣間見る思いがする。
舛添氏は秀才中の秀才といっていい。評論家の伊藤敦夫氏によれば、当時の大学受験生が受ける旺文社の全国大学入試模擬テストで彼は常に2~3番の成績であったという。
この手の秀才には落ちいりやすい陥穽がある。自らの地位は自らの努力でかちとったものであり他の誰のお世話にもなっていないという自負である。
どう振舞おうととやかく言われる筋合いはない。自ら勝ちとった権利を自らのために行使して何が悪い。
戦後日本のトップエリートにしばしば見られる自負意識である。
トップエリートの多くはこのような自負を表立ってあらわすことはないが、舛添氏の場合はそのような態度が素直に言動としてあらわれ非常にわかりやすい。ナイーブな人であるのだろう。
エリートも時代とともに変わる。戦前までのエリートはどうであったか。
村落に成績優秀な少年がいれば家族・親族はいうに及ばず篤志家もこれら少年を応援したという。
応援してもらった少年は出世の暁にはこれに報いるべく ”私” をすて ”公” のため粉骨砕身努力した。
現代では望むべくもないトップエリートのあるべき姿である。
この度の辞任劇ではメディアは異常といえるほど報道した。憧れ、嫉妬、憎悪、優越などさまざまな庶民感情をかきたてるわかりやすい事件のせいであったからであろう。
これで石原、猪瀬、舛添と三代つづいて東京都知事が任期中途で辞任した。このうち後二人は不祥事が原因で辞任したが、そのような知事を選出した有権者の選出責任を問う声は殆んど聞こえてこない。
それどころか醜聞がおきれば知事を選出した有権者も一緒になってそれを追いまわす。
このような醜聞を面白がる風潮は今にはじまったことではないようだ。
遠く大正期に芥川龍之介は ”醜聞” と題し皮肉をこめてこう評している。
「公衆は醜聞を愛するものである。
白蓮事件、有島事件、武者小路事件 - 公衆は如何にこれらの事件に無上の満足を見出したであろう。
ではなぜ公衆は醜聞を - 殊に世間に名を知られた他人の醜聞を愛するのであろう?
グルモンはこれに答えている。
『隠れたる自己の醜聞も当り前のように見せてくれるから。』
グルモンの答えは中っている。が、必ずしもそればかりではない。
醜聞さえ起し得ない俗人たちはあらゆる名士の醜聞の中に彼らの怯懦を弁解する好個の武器を見出すのである。
同時にまた実際には存しない彼らの優越を樹立する。好個の台石を見出すのである。
『わたしは白蓮女史ほど美人ではない。しかし白蓮女史よりも貞淑である。』
『わたしは有馬氏ほど才子ではない。しかし有馬氏よりも世間を知っている』
『わたしは武者小路氏ほど・・・・・』 - 公衆は如何にこういった後、豚のように幸福に熟睡したであろう。」
(芥川龍之介著岩波文庫『侏儒の言葉』から)
今日の大衆もまた、テレビやネットで都知事辞任劇を見たあと 「わたしは舛添さんほど秀才ではない、しかし舛添さんよりも常識をわきまえている。」
といってその夜グッスリと眠りについたのだろうか。
2016年6月13日月曜日
米大統領選挙予測
米大統領選挙はヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの対決となり5ヶ月後には次期大統領が決定する。
1992年から2012年まで過去6回の米大統領選挙では、民主党4勝に対し共和党2勝であった。
選挙結果の内容をみると興味深い数字が浮かび上ってくる。米大統領選挙は州別の勝者総取り方式で選挙人総数538人である。
過半数の270人を集めれば大統領になれるが、過去6回に限っては民主党候補が取った州が選挙人242人、共和党は102人と州ごとに固定されていて圧倒的に民主党に有利である。
勝敗を決したのは選挙ごとにぶれるスイング州といわれる残りの19州の選挙人194人である。
スイング州の中でも大票田であるフロリダ29人とオハイオ18人は選挙の行方を左右した。
共和党不利のハンデを跳ね返し1999年の選挙で共和党候補から大統領に当選したジョージ・W・ブッシュはフロリダとオハイオのスイング2州で勝利している。
この選挙においてフロリダ州の選挙集計をめぐるトラブルは記憶に新しい。
因みにこの選挙はジョージ・W・ブッシュがアル・ゴアに一般投票で負けて選挙人投票で勝つという異例の結果でもあった。
さて今回はどうか。現時点で各種世論調査はクリントン候補有利と報じている。
英国の大手ブックメーカの一つウイリア・ムヒルの最新の賭け率はクリントン1.33 トランプ3.50 と圧倒的にクリントン勝利に賭けている。
過去6回の選挙で民主党の固定票ともいえる州の多さを考慮すれば当然の結果ともいえる。
過去の例から6ヶ月前の予測が大きく変わることがないともいう。
このことからもクリントン候補が勝つというのが妥当な予測であろう。
だが今回の選挙には意外性が潜んでいることも無視できない。
その一つが過去の民主党と共和党の対立構図がトランプ候補にはそのまま当て嵌まらないことである。
トランプ候補の主張は従来の共和党の政策と相容れずむしろ民主党の政策寄りである。
曰く、医療、年金の民営化拒否、公共事業推進、TPP反対、保護貿易、富裕層の増税など、どれをとっても民主党の政策そのものだ。このため共和党は事実上分裂の危機に瀕している。
トランプ候補の主張は民主党のクリントン候補以上に左派のサンダース候補の主張にちかい。このことは本選挙でトランプ候補がサンダース候補の支持票を奪いかねないことを意味している。
次にトランプ候補の属人的意外性である。
彼は意味のない演説を延々と、とてもアメリカ大統領候補にふさわしくない下品で野卑な言葉を使うが、票になるとおもえばそれまでの主張を変えるポピュリストである。
目的のためには手段を選ばないこの危うさは諸刃の剣で、票の獲得にどう左右するか蓋をあけてみなければわからないところがある。
格差に起因するアメリカ国民の不満の鬱積をどこまで吸収できるか。稀有なポピュリストの手腕の見せどころがそこにある。
今回の米大統領選挙は不毛の選択といわれる。嫌われもの同士の戦いとも。
クリントン候補が勝てば彼女の選挙資金の豊富さから政策のフリーハンドは望めずアメリカ社会の格差是正は掛け声だけに終わるだろう。
トランプ候補が勝てば国際社会は彼の品位のない言動を支持したとしてアメリカ国民のレベルを疑うだろうし、危うい人物が ”核のボタン” を握ったと懸念もするだろう。
それでもアメリカ国民はどちらかに投票しなければならない。
いまあえて選挙結果を予測すれば、よほどのことがない限りクリントン候補の勝利に揺るぎはないという見方に賛成する。
1992年から2012年まで過去6回の米大統領選挙では、民主党4勝に対し共和党2勝であった。
選挙結果の内容をみると興味深い数字が浮かび上ってくる。米大統領選挙は州別の勝者総取り方式で選挙人総数538人である。
過半数の270人を集めれば大統領になれるが、過去6回に限っては民主党候補が取った州が選挙人242人、共和党は102人と州ごとに固定されていて圧倒的に民主党に有利である。
勝敗を決したのは選挙ごとにぶれるスイング州といわれる残りの19州の選挙人194人である。
スイング州の中でも大票田であるフロリダ29人とオハイオ18人は選挙の行方を左右した。
共和党不利のハンデを跳ね返し1999年の選挙で共和党候補から大統領に当選したジョージ・W・ブッシュはフロリダとオハイオのスイング2州で勝利している。
この選挙においてフロリダ州の選挙集計をめぐるトラブルは記憶に新しい。
因みにこの選挙はジョージ・W・ブッシュがアル・ゴアに一般投票で負けて選挙人投票で勝つという異例の結果でもあった。
さて今回はどうか。現時点で各種世論調査はクリントン候補有利と報じている。
英国の大手ブックメーカの一つウイリア・ムヒルの最新の賭け率はクリントン1.33 トランプ3.50 と圧倒的にクリントン勝利に賭けている。
過去6回の選挙で民主党の固定票ともいえる州の多さを考慮すれば当然の結果ともいえる。
過去の例から6ヶ月前の予測が大きく変わることがないともいう。
このことからもクリントン候補が勝つというのが妥当な予測であろう。
だが今回の選挙には意外性が潜んでいることも無視できない。
その一つが過去の民主党と共和党の対立構図がトランプ候補にはそのまま当て嵌まらないことである。
トランプ候補の主張は従来の共和党の政策と相容れずむしろ民主党の政策寄りである。
曰く、医療、年金の民営化拒否、公共事業推進、TPP反対、保護貿易、富裕層の増税など、どれをとっても民主党の政策そのものだ。このため共和党は事実上分裂の危機に瀕している。
トランプ候補の主張は民主党のクリントン候補以上に左派のサンダース候補の主張にちかい。このことは本選挙でトランプ候補がサンダース候補の支持票を奪いかねないことを意味している。
次にトランプ候補の属人的意外性である。
彼は意味のない演説を延々と、とてもアメリカ大統領候補にふさわしくない下品で野卑な言葉を使うが、票になるとおもえばそれまでの主張を変えるポピュリストである。
目的のためには手段を選ばないこの危うさは諸刃の剣で、票の獲得にどう左右するか蓋をあけてみなければわからないところがある。
格差に起因するアメリカ国民の不満の鬱積をどこまで吸収できるか。稀有なポピュリストの手腕の見せどころがそこにある。
今回の米大統領選挙は不毛の選択といわれる。嫌われもの同士の戦いとも。
クリントン候補が勝てば彼女の選挙資金の豊富さから政策のフリーハンドは望めずアメリカ社会の格差是正は掛け声だけに終わるだろう。
トランプ候補が勝てば国際社会は彼の品位のない言動を支持したとしてアメリカ国民のレベルを疑うだろうし、危うい人物が ”核のボタン” を握ったと懸念もするだろう。
それでもアメリカ国民はどちらかに投票しなければならない。
いまあえて選挙結果を予測すれば、よほどのことがない限りクリントン候補の勝利に揺るぎはないという見方に賛成する。
2016年5月9日月曜日
地震予知について 3
石橋克彦氏は東京大学理学部の助手になったばかりの頃SF作家小松左京の小説 「日本沈没」 を読みいたく影響を受けた。
このままでは日本は大変なことになる。世間はのんびりしすぎている。
県や国を啓発せねばならないという動機から石橋氏は1977年(昭和52年)2月地震予知連絡会会報に一本の表と図解付きのレポートを発表した。
同レポートの第1項で
「従来の『遠州灘地震』 との相違を明確にするためと、社会的影響(震災は駿河湾沿岸が最劇甚であろう)を強調するために、予想される大地震を 『駿河湾地震』 と呼んだ。
マグニチュードは、最悪の場合 8.3 程度になるだろう。」
と危機を煽った。”社会的影響を強調するため” とは研究者らしからぬ言葉である。
第2項では
「 『駿河湾地震』 は切迫している恐れがある。正確に言うと、長期的予測の結果として、前兆現象が(あるとすれば)いつ始まっても不思議ではない状態である恐れが強い。」
(以上いづれも石橋克彦氏発表地震予知連絡会会報 『東海地方に予想される大地震の再検討 ー 駿河湾地震の可能性ー 』 から )
これ以前にも複数の研究者から東海地震の危険性が叫ばれていたが、直接的にはこのレポートがキッカケとなり 「東海地震」 が一人歩きを始めた。
翌年の1978年1月に発生した伊豆大島近海地震がこれに火をつけ、「大規模地震対策特別措置法」 が国会に提出された。
法案の審議過程で気象庁の末広参事官(当時)が 「東海地震に限る大規模地震については予知できる」 の発言が決め手となり同法案は成立した。
これに伴い地元静岡県は国から法律に基づき特別な財政支援を受け、県をあげて地震対策に取り組んだ。
メディアも 「東海地震」 が差し迫っていると危機を煽った。かくて東海地震以外の大地震は日本人の眼中から消え去り、ひとり東海地震のみがクローズアップされた。
SF作家の小説を読んで影響を受けた一研究者のレポートが ”大規模地震=東海地震” という固定概念を植えつけたのに違いはないが、これを社会現象にまで高めたのは別の力によるところが大きい。
それは ”原子力村” ならぬ ”地震村” の力である。
地震村は、研究者、政治家、地元自治体、防災関連業界などから構成され、彼らにとって東海地震は振ることによって予算を生み出す貴重な ”打ち出の小槌” となった。
ところが来るはずの東海地震はいっこうに来ず(幸いなことに)、レポート発表から阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災そして今回の熊本地震が発生しいづれも壊滅的被害を受けた。
これらの大震災を経験しさすがに国民は地震予知についてやや懐疑的になった。
ところが地震予知にたずさわる学者・研究者や防災関係者は驚くことに平然としていた。
東日本大震災後、学者や当局の事情を朝日新聞の黒沢氏はこう解説している。
「政府が 『予知の可能性がある』 として、東海地方に特別な観測網を構築して、前兆となるであろう地殻の微妙な変化を24時間体制で監視している。
こうした特別な体制があるのは将来起きると想定される 『東海地震』 だけで、東日本大震災が起きた日本海溝にも、阪神大震災のような活断層で起きる地震にも、予知を目指したシステムはない。
つまり、東海地震以外の地震予知は、そもそも能力もなければ、やる意思もないのが実情である。
例えば、『予知できなかった』 という指摘は、地震学者や防災関係者の立場に立ってみると、試験を受けていない学生が、『入学試験に合格できなかった』 と言ったり、『遭難者を救助できなかった』 と、荒天で救助に向かえなかった山岳救助隊に言ったりしているようなものなのだ。
『合格できなかった』 『救助できなかった』 とは、誤りではないが、そもそも挑戦してもいないのだから、できるはずもないのである。」
(黒沢大陸著新潮社『地震予知の幻想』)
来るはずの大地震が来ず、監視外の大地震が発生するに至って、国は地震予知について 「可能」から「一般的に困難」へと変更したが、学者を含めた当局と国民の間の認識は乖離したままだ。
東海地震対策は当該地域では徹底されたが、それ以外の大地震は想定されず対策もとられてこなかった。
当局は東海地震以外は能力もなければやる意思もなかったと言うが、東海地震を強調した罪はあまりにも大きい。
東海地震以外の地域は大震災に対してまともな対策をとらなかったのだから。
阪神・淡路大震災後、当時の地震予知推進本部長も兼務する科学技術庁長官の田中真紀子氏は興味ある発言をした。
「地震から1ヶ月もたたない1995年2月15日の衆議院科学技術委員会で所見を問われた田中は、
『大震災後に地震予知に対する認識が随分変わった。いろんな専門家の話を聞いても難しい。研究はいいかも知れませんが、口をあけて待っているのではなく、避難訓練や耐震構造物を優先する現実的な対応をするべきではないかと考えております』
と答えた。
この時期、田中は、地震研究者の間で、今も引き合いに出される言葉を放った。
『地震予知にカネを使うくらいだったら、元気のよいナマズを飼った方が良い』
彼女らしい物言いではあるが、核心を突いている発言だったかもしれない。」(前掲書)
想定外の災禍は繰り返された。新潟県中越、東日本、そして熊本。
「日本損害保険協会によると、2014年度の地震保険の世帯加入率は宮城県の50.8%に対し、熊本県は28.5%。
震災後、被災した宮城は大きく伸びたが、地震への備えの必要性は熊本まで届かず、意識の差は歴然だ。」(5月1日付河北新報)
東海地震の幻が熊本を呪縛しつづけてきたなによりの証である。
地中深くで起こる地震のメカニズムについては解明されていないことが多い。まして一般の国民はこの分野で全くの門外漢だ。
学者や研究者の言葉は思いのほか人びとに影響をあたえる。地震は国民の生命と財産に直結するからである。
繰り返して言おう。東海地震をクローズアップさせ結果的にその他地域を油断させた罪はあまりにも大きい。
(当ブログへご訪問いただきありがとうございます。次稿は都合により約1ヶ月後の6月中旬の予定です)
このままでは日本は大変なことになる。世間はのんびりしすぎている。
県や国を啓発せねばならないという動機から石橋氏は1977年(昭和52年)2月地震予知連絡会会報に一本の表と図解付きのレポートを発表した。
同レポートの第1項で
「従来の『遠州灘地震』 との相違を明確にするためと、社会的影響(震災は駿河湾沿岸が最劇甚であろう)を強調するために、予想される大地震を 『駿河湾地震』 と呼んだ。
マグニチュードは、最悪の場合 8.3 程度になるだろう。」
と危機を煽った。”社会的影響を強調するため” とは研究者らしからぬ言葉である。
第2項では
「 『駿河湾地震』 は切迫している恐れがある。正確に言うと、長期的予測の結果として、前兆現象が(あるとすれば)いつ始まっても不思議ではない状態である恐れが強い。」
(以上いづれも石橋克彦氏発表地震予知連絡会会報 『東海地方に予想される大地震の再検討 ー 駿河湾地震の可能性ー 』 から )
これ以前にも複数の研究者から東海地震の危険性が叫ばれていたが、直接的にはこのレポートがキッカケとなり 「東海地震」 が一人歩きを始めた。
翌年の1978年1月に発生した伊豆大島近海地震がこれに火をつけ、「大規模地震対策特別措置法」 が国会に提出された。
法案の審議過程で気象庁の末広参事官(当時)が 「東海地震に限る大規模地震については予知できる」 の発言が決め手となり同法案は成立した。
これに伴い地元静岡県は国から法律に基づき特別な財政支援を受け、県をあげて地震対策に取り組んだ。
メディアも 「東海地震」 が差し迫っていると危機を煽った。かくて東海地震以外の大地震は日本人の眼中から消え去り、ひとり東海地震のみがクローズアップされた。
SF作家の小説を読んで影響を受けた一研究者のレポートが ”大規模地震=東海地震” という固定概念を植えつけたのに違いはないが、これを社会現象にまで高めたのは別の力によるところが大きい。
それは ”原子力村” ならぬ ”地震村” の力である。
地震村は、研究者、政治家、地元自治体、防災関連業界などから構成され、彼らにとって東海地震は振ることによって予算を生み出す貴重な ”打ち出の小槌” となった。
ところが来るはずの東海地震はいっこうに来ず(幸いなことに)、レポート発表から阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災そして今回の熊本地震が発生しいづれも壊滅的被害を受けた。
これらの大震災を経験しさすがに国民は地震予知についてやや懐疑的になった。
ところが地震予知にたずさわる学者・研究者や防災関係者は驚くことに平然としていた。
東日本大震災後、学者や当局の事情を朝日新聞の黒沢氏はこう解説している。
「政府が 『予知の可能性がある』 として、東海地方に特別な観測網を構築して、前兆となるであろう地殻の微妙な変化を24時間体制で監視している。
こうした特別な体制があるのは将来起きると想定される 『東海地震』 だけで、東日本大震災が起きた日本海溝にも、阪神大震災のような活断層で起きる地震にも、予知を目指したシステムはない。
つまり、東海地震以外の地震予知は、そもそも能力もなければ、やる意思もないのが実情である。
例えば、『予知できなかった』 という指摘は、地震学者や防災関係者の立場に立ってみると、試験を受けていない学生が、『入学試験に合格できなかった』 と言ったり、『遭難者を救助できなかった』 と、荒天で救助に向かえなかった山岳救助隊に言ったりしているようなものなのだ。
『合格できなかった』 『救助できなかった』 とは、誤りではないが、そもそも挑戦してもいないのだから、できるはずもないのである。」
(黒沢大陸著新潮社『地震予知の幻想』)
来るはずの大地震が来ず、監視外の大地震が発生するに至って、国は地震予知について 「可能」から「一般的に困難」へと変更したが、学者を含めた当局と国民の間の認識は乖離したままだ。
東海地震対策は当該地域では徹底されたが、それ以外の大地震は想定されず対策もとられてこなかった。
当局は東海地震以外は能力もなければやる意思もなかったと言うが、東海地震を強調した罪はあまりにも大きい。
東海地震以外の地域は大震災に対してまともな対策をとらなかったのだから。
阪神・淡路大震災後、当時の地震予知推進本部長も兼務する科学技術庁長官の田中真紀子氏は興味ある発言をした。
「地震から1ヶ月もたたない1995年2月15日の衆議院科学技術委員会で所見を問われた田中は、
『大震災後に地震予知に対する認識が随分変わった。いろんな専門家の話を聞いても難しい。研究はいいかも知れませんが、口をあけて待っているのではなく、避難訓練や耐震構造物を優先する現実的な対応をするべきではないかと考えております』
と答えた。
この時期、田中は、地震研究者の間で、今も引き合いに出される言葉を放った。
『地震予知にカネを使うくらいだったら、元気のよいナマズを飼った方が良い』
彼女らしい物言いではあるが、核心を突いている発言だったかもしれない。」(前掲書)
想定外の災禍は繰り返された。新潟県中越、東日本、そして熊本。
「日本損害保険協会によると、2014年度の地震保険の世帯加入率は宮城県の50.8%に対し、熊本県は28.5%。
震災後、被災した宮城は大きく伸びたが、地震への備えの必要性は熊本まで届かず、意識の差は歴然だ。」(5月1日付河北新報)
東海地震の幻が熊本を呪縛しつづけてきたなによりの証である。
地中深くで起こる地震のメカニズムについては解明されていないことが多い。まして一般の国民はこの分野で全くの門外漢だ。
学者や研究者の言葉は思いのほか人びとに影響をあたえる。地震は国民の生命と財産に直結するからである。
繰り返して言おう。東海地震をクローズアップさせ結果的にその他地域を油断させた罪はあまりにも大きい。
(当ブログへご訪問いただきありがとうございます。次稿は都合により約1ヶ月後の6月中旬の予定です)
2016年5月2日月曜日
地震予知について 2
地震予知は可能だとする学者でもどれほどの確信があるのか。地震予知連絡会の会長であり地震防災対策強化地域判定会の会長でもあった茂木氏は、 ”岩石に力を加えると、大きく壊れる前に小さな破壊が起きる。この小さな破壊が前兆となって地震予知につながる。” という考えだ。
だがこの前兆は必ずしもはっきりと観測できるとは限らない。それゆえ重い責任を伴う予知の判断を迫られても白黒の判断のしようがない。
茂木氏は中間の灰色を主張したがこれが国土庁に受け入れられず自ら地震防災対策強化地域判定会の会長職を辞した。
地震学者の中でも最初から予知など不可能だとする少数派の学者がいる。島村英紀、ロバート・ゲラーの両氏はその代表であろう。
アメリカ出身のロバート・ゲラー東京大学教授は、地震予知についてこう述べている。
「鉛筆を曲げる様子を想像してみよう。両手で鉛筆を握り、少しずつゆっくり曲げてゆく。ゆっくりゆっくり曲げていくと、ある時点で鉛筆はボキッと折れるだろう。
鉛筆を曲げていけば、いつか必ず破壊現象が起きることは誰でもわかる。
だが、鉛筆がいつ折れるのかを正確に予測することはできない。
なぜなら、各鉛筆の詳細な構造や曲げ方の速度、外部環境など多くの要因が複雑に関わるからだ。(中略)
またサイコロの例を想起してみてほしい。サイコロを投げたときに、どの数字が出るのか。確率過程を調べるためにどんなに大量のデータを記録したとしても、次にどの数字が出るか正確に予測できない。
サイコロを投げるときに、手にどれほどの強さがかかっているのか。ひねりをどの程度加えたのか。転がる場所の材質はどうなっているのか。初期条件にほんのわずかな変更を与えただけで、結果は異なってくる。
サイコロがフェルトの壁にぶつかれば、フェルトが一部のエネルギーを吸収する。壁にぶつかれば、転がり方だって変わってくる。 サイコロの出目を決定論的に予測することは、どうやっても不可能だ。
初期条件に非常に敏感な依存性をもつ物理過程を、物理学の世界では 『カオス』 と呼ぶ。カイス理論を紹介した 『複雑系』(ミッチェル・ワールドロップ著)という本をご存知の読者もいるだろう。
微小地震の発生とその後の断層面における滑りの広がり方も、カオス的な過程だ。
サイコロの出目を予測できないと同様、正確な地震予知などできないのだ。」
(ロバート・ゲラー著双葉社『日本人は知らない地震予知の正体』)
サイコロの出目を例にあげるのが適当か否かはともかく破壊現象の予測困難は地震予知に否定的な学者が一様に指摘するところである。
ロバート・ゲラー氏のカリフォルニア工科大学時代の師であり地震研究の第一人者といわれる金森博雄氏は、東日本大震災後の2012年秋被災地を訪れ地震予知についてこう語っている、
「不可能と証明できないが、現在も非常に難しく、今のところ将来も相当難しい」
と。
人びとは阪神淡路大震災、東日本大震災を経験し地震予知について懐疑的になり、地震学者の自信もゆらぎはじめた。 そしてついに国の見解が示された。
「気象庁が唯一 『可能性がある』 としてきた東海地震の予知が 『困難』 だと、国が初めて一線の専門家を集めて検討していた結果が2013年5月に公表された。
南海トラフの対策を検討していた中央防災会議の 『南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ』 の最終報告で、下部組織である 『南海トラフ沿いの大規模地震の予測可能性に関する調査部会』 が報告書にまとめたもので、 『現在の科学的知見からは(地震直前の)確度の高い予測(=予知)は難しい』 を引く形で、予知の限界を認めたのである。(中略)
こうしてまとめられた報告書では、核心の地震予知については、こう書かれた。
『地震の規模や発生時期の予測は不確実性を伴い、直前の前駆すべりを捉え、地震の発生を予測するという手法により、地震の発生時期等を確度高く予測することは、一般的に困難である。』
『予知は困難』 とは書かれていないが、内容の意味するところは、東海地震を含む南海トラフでの地震の予知が難しいことを示している」
(黒沢大陸著新潮社『地震予知の幻想』)
このように国によって地震予知は 「可能」 から 「一般的に困難」 へと変更された。
日本における地震予知は、正式には東海地震から発展した南海トラフ巨大地震のみである。
これ以外に予知の対象となっているものがない。それ故わが国の地震予知は、東海地震抜きには語れない。まだ起きてもいない(幸いながら)のに命名されたこの東海地震は、地震予知に関連してわが国に混乱と災禍をもたらしてきた。
だがこの事実が国民に十分認識されているとは云えない。
だがこの前兆は必ずしもはっきりと観測できるとは限らない。それゆえ重い責任を伴う予知の判断を迫られても白黒の判断のしようがない。
茂木氏は中間の灰色を主張したがこれが国土庁に受け入れられず自ら地震防災対策強化地域判定会の会長職を辞した。
地震学者の中でも最初から予知など不可能だとする少数派の学者がいる。島村英紀、ロバート・ゲラーの両氏はその代表であろう。
アメリカ出身のロバート・ゲラー東京大学教授は、地震予知についてこう述べている。
「鉛筆を曲げる様子を想像してみよう。両手で鉛筆を握り、少しずつゆっくり曲げてゆく。ゆっくりゆっくり曲げていくと、ある時点で鉛筆はボキッと折れるだろう。
鉛筆を曲げていけば、いつか必ず破壊現象が起きることは誰でもわかる。
だが、鉛筆がいつ折れるのかを正確に予測することはできない。
なぜなら、各鉛筆の詳細な構造や曲げ方の速度、外部環境など多くの要因が複雑に関わるからだ。(中略)
またサイコロの例を想起してみてほしい。サイコロを投げたときに、どの数字が出るのか。確率過程を調べるためにどんなに大量のデータを記録したとしても、次にどの数字が出るか正確に予測できない。
サイコロを投げるときに、手にどれほどの強さがかかっているのか。ひねりをどの程度加えたのか。転がる場所の材質はどうなっているのか。初期条件にほんのわずかな変更を与えただけで、結果は異なってくる。
サイコロがフェルトの壁にぶつかれば、フェルトが一部のエネルギーを吸収する。壁にぶつかれば、転がり方だって変わってくる。 サイコロの出目を決定論的に予測することは、どうやっても不可能だ。
初期条件に非常に敏感な依存性をもつ物理過程を、物理学の世界では 『カオス』 と呼ぶ。カイス理論を紹介した 『複雑系』(ミッチェル・ワールドロップ著)という本をご存知の読者もいるだろう。
微小地震の発生とその後の断層面における滑りの広がり方も、カオス的な過程だ。
サイコロの出目を予測できないと同様、正確な地震予知などできないのだ。」
(ロバート・ゲラー著双葉社『日本人は知らない地震予知の正体』)
サイコロの出目を例にあげるのが適当か否かはともかく破壊現象の予測困難は地震予知に否定的な学者が一様に指摘するところである。
ロバート・ゲラー氏のカリフォルニア工科大学時代の師であり地震研究の第一人者といわれる金森博雄氏は、東日本大震災後の2012年秋被災地を訪れ地震予知についてこう語っている、
「不可能と証明できないが、現在も非常に難しく、今のところ将来も相当難しい」
と。
人びとは阪神淡路大震災、東日本大震災を経験し地震予知について懐疑的になり、地震学者の自信もゆらぎはじめた。 そしてついに国の見解が示された。
「気象庁が唯一 『可能性がある』 としてきた東海地震の予知が 『困難』 だと、国が初めて一線の専門家を集めて検討していた結果が2013年5月に公表された。
南海トラフの対策を検討していた中央防災会議の 『南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ』 の最終報告で、下部組織である 『南海トラフ沿いの大規模地震の予測可能性に関する調査部会』 が報告書にまとめたもので、 『現在の科学的知見からは(地震直前の)確度の高い予測(=予知)は難しい』 を引く形で、予知の限界を認めたのである。(中略)
こうしてまとめられた報告書では、核心の地震予知については、こう書かれた。
『地震の規模や発生時期の予測は不確実性を伴い、直前の前駆すべりを捉え、地震の発生を予測するという手法により、地震の発生時期等を確度高く予測することは、一般的に困難である。』
『予知は困難』 とは書かれていないが、内容の意味するところは、東海地震を含む南海トラフでの地震の予知が難しいことを示している」
(黒沢大陸著新潮社『地震予知の幻想』)
このように国によって地震予知は 「可能」 から 「一般的に困難」 へと変更された。
日本における地震予知は、正式には東海地震から発展した南海トラフ巨大地震のみである。
これ以外に予知の対象となっているものがない。それ故わが国の地震予知は、東海地震抜きには語れない。まだ起きてもいない(幸いながら)のに命名されたこの東海地震は、地震予知に関連してわが国に混乱と災禍をもたらしてきた。
だがこの事実が国民に十分認識されているとは云えない。
2016年4月25日月曜日
地震予知について 1
熊本地震は想定外の地震であり、今なお余震がつづき多くの被災者を苦しめている。
ハザードマップ(全国地震動予測地図)によれば、被災地は30年以内に震度6弱以上の揺れが起きる確率が8%にすぎなかった。
全国には確率70%以上の地域が多数あリ熊本での地震はハザードマップのみに頼ることの危うさがわかった。
地震予知が外れるのは熊本に限らない。最近の大地震である阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災もことごと想定外と言っていい。
残念ながら科学が発達した今日において地震予知が確立されているとはいい難い。
地震は人びとの生命と財産に直結するだけに関心が高い。ハザードマップはわれわれが頼りにしてきたものの一つである。 それがこうも期待に背けばハザードマップひいては地震予知そのものについて懐疑的にもなる。
わが国には地震予知の先導的役割を担ってきた地震予知連絡会がある。
ここで1991年4月から10年の長きにわたり会長であった茂木清夫氏は地震予知はむずかしいと断ったうえでこう述べている。
「地震をおこす原因は毎年数センチで移動するプレートの運動で、きわめてゆっくりした変化である。
地震はいわば静的な状況下でおこる。しかも外部から何らかの擾乱が急に入ってくるということはほとんどない。
物事はゆっくりと進行し、極限に近づき、ついに破局をむかえるというのが地震現象である。
したがってこのプロセスの物理がわかり、変化のプロセスを追うことができれば、破局の発生を予測することができる可能性はおおいにある。
地下の力の分布状況や増加のしかた、深部の強度分布状態がわかれば、理論的にその破局である地震の発生を予知できる可能性がある。
しかし、実際はこれらの地下の状況をしめすデータはわずかしかわかっていない。それを推測するために地表での各種の観測がおこなわれているが、現状では理論的に予測するには、地下の状況について不明な点が多すぎる。
こういう場合には、これまで経験した事例がひじょうに重要な手がかりを与える。
なぜならば、地震がおこるときの諸条件が時間的にあまり変化せず、かなりの再現性が期待できるからである。
もちろん、隣接地域で大きい地震がおこれば、それによる条件の変化を考慮しなければならないし、場所が少し変わっただけで地震のおこり方がちがうことも念頭におかなければならない。また、破壊現象自体の不確実さもある。
これらのことを十分認識した上で、これまでの事例あるいは経験をよく検討して、その中から何らかの規則性を見出し、それを参考にすることが重要である。」
(茂木清夫著岩波新書『地震予知を考える』)
茂木氏は地震調査のための予算の不足を嘆きながらも地震予知の可能性について楽観的である。彼の見解を要約すれば、
”地震をおこす原因はゆっくりした変化であるから十分な予算をかけて地下を含め詳細に観察すれば地震予知に悲観的になることはない。残念ながら十分な予算がないからそれがかなわない。
十分な予算があれば過去におきた事例をけんきゅうするのも有力である。
また地震は様々な種類がある。過去におきた地震を調べ積み重ね、その中から規則性を見出し将来の予知に役立てることができる。”
ということであろう。
いづれにしても、近年の大地震の予知をことごとく外してきたにも拘らず条件さえ充たされれば地震予知は可能であるという。
長らく地震予知の世界で中心的役割をしてきた人の意見である。この地震予知に対する見解がわが国の主流であろうことは容易に推測できる。
ハザードマップ(全国地震動予測地図)によれば、被災地は30年以内に震度6弱以上の揺れが起きる確率が8%にすぎなかった。
全国には確率70%以上の地域が多数あリ熊本での地震はハザードマップのみに頼ることの危うさがわかった。
地震予知が外れるのは熊本に限らない。最近の大地震である阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、東日本大震災もことごと想定外と言っていい。
残念ながら科学が発達した今日において地震予知が確立されているとはいい難い。
地震は人びとの生命と財産に直結するだけに関心が高い。ハザードマップはわれわれが頼りにしてきたものの一つである。 それがこうも期待に背けばハザードマップひいては地震予知そのものについて懐疑的にもなる。
わが国には地震予知の先導的役割を担ってきた地震予知連絡会がある。
ここで1991年4月から10年の長きにわたり会長であった茂木清夫氏は地震予知はむずかしいと断ったうえでこう述べている。
「地震をおこす原因は毎年数センチで移動するプレートの運動で、きわめてゆっくりした変化である。
地震はいわば静的な状況下でおこる。しかも外部から何らかの擾乱が急に入ってくるということはほとんどない。
物事はゆっくりと進行し、極限に近づき、ついに破局をむかえるというのが地震現象である。
したがってこのプロセスの物理がわかり、変化のプロセスを追うことができれば、破局の発生を予測することができる可能性はおおいにある。
地下の力の分布状況や増加のしかた、深部の強度分布状態がわかれば、理論的にその破局である地震の発生を予知できる可能性がある。
しかし、実際はこれらの地下の状況をしめすデータはわずかしかわかっていない。それを推測するために地表での各種の観測がおこなわれているが、現状では理論的に予測するには、地下の状況について不明な点が多すぎる。
こういう場合には、これまで経験した事例がひじょうに重要な手がかりを与える。
なぜならば、地震がおこるときの諸条件が時間的にあまり変化せず、かなりの再現性が期待できるからである。
もちろん、隣接地域で大きい地震がおこれば、それによる条件の変化を考慮しなければならないし、場所が少し変わっただけで地震のおこり方がちがうことも念頭におかなければならない。また、破壊現象自体の不確実さもある。
これらのことを十分認識した上で、これまでの事例あるいは経験をよく検討して、その中から何らかの規則性を見出し、それを参考にすることが重要である。」
(茂木清夫著岩波新書『地震予知を考える』)
茂木氏は地震調査のための予算の不足を嘆きながらも地震予知の可能性について楽観的である。彼の見解を要約すれば、
”地震をおこす原因はゆっくりした変化であるから十分な予算をかけて地下を含め詳細に観察すれば地震予知に悲観的になることはない。残念ながら十分な予算がないからそれがかなわない。
十分な予算があれば過去におきた事例をけんきゅうするのも有力である。
また地震は様々な種類がある。過去におきた地震を調べ積み重ね、その中から規則性を見出し将来の予知に役立てることができる。”
ということであろう。
いづれにしても、近年の大地震の予知をことごとく外してきたにも拘らず条件さえ充たされれば地震予知は可能であるという。
長らく地震予知の世界で中心的役割をしてきた人の意見である。この地震予知に対する見解がわが国の主流であろうことは容易に推測できる。
2016年4月18日月曜日
熊本城の石垣
地震により石垣が崩れ、屋根瓦がはがれ落ち無残な姿となった熊本城。
熊本城がはからずも世間の耳目を集めている。熊本城が人びとの注目を浴びたのは過去にも一度あった。
日本最後にして最大の内戦となった明治10年西南戦争の熊本城の戦いである。
西南戦争で一つの石垣にまつわる伝説がある。
薩摩軍は加藤清正が築城した武者返しの石垣を攻めあぐねた。
熊本城篭城作戦をとった官軍は2ヶ月近くにわたる薩摩軍の猛攻を防ぎ熊本城が文字通り「難攻不落」であることを証明した。
西南戦争が終焉を迎えるとき、薩摩の城山で西郷隆盛はこう言ったという。 「わしは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」 と。
加藤清正は石垣の名手のみならず川の氾濫に悩まされた肥後で治水に尽力し新田を開発した土木の天才であった。
領民のために率先垂範して行動した彼は地元出身でないにも拘らずいまなお熊本で絶大な人気を誇っていて親しみを込めて 「清正公(せいしょこ)さん」 と呼ばれ慕われている。
彼の手になる熊本城の堅牢で優美な石垣・武者返しの破損は、熊本人にとって精神的な痛手であろう。熊本城は熊本を代表するシンボルであるからである。
此度の地震で被災した熊本の人びとはこう思うかもしれない
「熊本城もあんなに被害を受けたのだから仕方がないか」 と。
この思いが明日に向けて復興への糧となることを願うばかりだ。
熊本城修復が復興のシンボルとなり、いつの日かまた武者返しの雄姿を見てみたい。
熊本城がはからずも世間の耳目を集めている。熊本城が人びとの注目を浴びたのは過去にも一度あった。
日本最後にして最大の内戦となった明治10年西南戦争の熊本城の戦いである。
西南戦争で一つの石垣にまつわる伝説がある。
薩摩軍は加藤清正が築城した武者返しの石垣を攻めあぐねた。
熊本城篭城作戦をとった官軍は2ヶ月近くにわたる薩摩軍の猛攻を防ぎ熊本城が文字通り「難攻不落」であることを証明した。
西南戦争が終焉を迎えるとき、薩摩の城山で西郷隆盛はこう言ったという。 「わしは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」 と。
加藤清正は石垣の名手のみならず川の氾濫に悩まされた肥後で治水に尽力し新田を開発した土木の天才であった。
領民のために率先垂範して行動した彼は地元出身でないにも拘らずいまなお熊本で絶大な人気を誇っていて親しみを込めて 「清正公(せいしょこ)さん」 と呼ばれ慕われている。
彼の手になる熊本城の堅牢で優美な石垣・武者返しの破損は、熊本人にとって精神的な痛手であろう。熊本城は熊本を代表するシンボルであるからである。
此度の地震で被災した熊本の人びとはこう思うかもしれない
「熊本城もあんなに被害を受けたのだから仕方がないか」 と。
この思いが明日に向けて復興への糧となることを願うばかりだ。
熊本城修復が復興のシンボルとなり、いつの日かまた武者返しの雄姿を見てみたい。
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