地震により石垣が崩れ、屋根瓦がはがれ落ち無残な姿となった熊本城。
熊本城がはからずも世間の耳目を集めている。熊本城が人びとの注目を浴びたのは過去にも一度あった。
日本最後にして最大の内戦となった明治10年西南戦争の熊本城の戦いである。
西南戦争で一つの石垣にまつわる伝説がある。
薩摩軍は加藤清正が築城した武者返しの石垣を攻めあぐねた。
熊本城篭城作戦をとった官軍は2ヶ月近くにわたる薩摩軍の猛攻を防ぎ熊本城が文字通り「難攻不落」であることを証明した。
西南戦争が終焉を迎えるとき、薩摩の城山で西郷隆盛はこう言ったという。 「わしは官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」 と。
加藤清正は石垣の名手のみならず川の氾濫に悩まされた肥後で治水に尽力し新田を開発した土木の天才であった。
領民のために率先垂範して行動した彼は地元出身でないにも拘らずいまなお熊本で絶大な人気を誇っていて親しみを込めて 「清正公(せいしょこ)さん」 と呼ばれ慕われている。
彼の手になる熊本城の堅牢で優美な石垣・武者返しの破損は、熊本人にとって精神的な痛手であろう。熊本城は熊本を代表するシンボルであるからである。
此度の地震で被災した熊本の人びとはこう思うかもしれない
「熊本城もあんなに被害を受けたのだから仕方がないか」 と。
この思いが明日に向けて復興への糧となることを願うばかりだ。
熊本城修復が復興のシンボルとなり、いつの日かまた武者返しの雄姿を見てみたい。
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