2019年7月15日月曜日

衰退する日本 2

 カネも名誉も命もいらぬ、ただひたすらお国のため。一片の私心もない西郷の生き方は日本人の心の琴線に触れる。
 昭和初期、不況で巷には失業者があふれ農村は疲弊しきっていた。飢えを凌ぐための娘の身売り話はこの頃のことである。一方政財界の上層部は贅に酔いしれ腐敗しきっていた。
 この窮状に青年将校は決起し要人をつぎつぎに殺した。人びとは喝采した、青年たちの動機に一点の曇りもなく純真であったからである。
 日本人は結果より人の心根、動機を問題にしがちである。動機がよければたいがいのことは許される。
 だが動機がよければすべてが許されることになれば社会秩序は保たれない。
 少なくとも民主主義はなりたたない。民主主義に手続きは不可欠でそれを欠けば民主主義ではなくなる。
 アメリカ独立戦争のキッカケとなったボストン茶会事件がそのことを教えてくれる事例の一つである。

 18世紀の北米植民地で、イギリスは、本国のイギリス議会に代表を持たなかったにもかかわらず北米植民地のイギリス人に対し課税した。
 この課税はリーゾナブルであったが植民地のイギリス人に一切相談なく行われた。
 植民地人もイギリス人である。この課税は権利の侵犯であるとして植民地人は怒った。
 代表を有する植民地議会からの課税ではなく代表を有しない英本国議会からの課税であったからである。
 「代表なきところに課税なし」のスローガンのもと植民地のイギリス人は自主課税を貫いた。自らの税は自ら決める、これこそ民主主義の事始めである。
 課税の意味、課税とは何か、民主主義を理解するためにはこのことをしっかりと腑に落とし込んでおかなくてはならない。
 民主主義は国家と国民のコミュニケーションでありそこに手続きは欠かせない。
 丸山真男は民主主義は民主化のプロセスとしてのみ存在する永久革命であるといった。

 「およそ民主主義を完全に体現したような制度というものは嘗(かつ)ても将来もないのであって、ひとはたかだかヨリ多い、あるいはヨリ少ない民主主義を語りうるにすぎない。
 その意味で『永久革命』とはまさに民主主義にこそふさわしい名辞である。なぜなら、民主主義はそもそも『人民の支配』という逆説を本質的に内包した思想だからである。
 『多数が支配し少数が支配されるのは不自然である』(ルソー)からこそ、民主主義は現実には民主化のプロセスとしてのみ存在し、いかなる制度にも完全に吸収されず、逆にこれを制御する運動としてギリシャの古から発展してきたのである。」
(丸山真男著未来社『現代政治の思想と行動』追記)

 民主主義は与えられるものではなく心の内から湧き出るものでなければならない。言うは易く行うは難しである。
 覚悟をもって気長に求めるほかない。民主主義にゴールはない。それを求め続ける努力こそが本当の民主主義である。
 翻って昨今のわが国の民主主義はどうか。とくに税をめぐり国家と国民のコミュニケーションは十分にとられているだろうか。順を追って検証しよう。

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