2014年11月10日月曜日

比叡山の怨霊

 先週、高野山と並ぶ日本仏教の聖地 比叡山を訪れた。
 この山の開祖 伝教大師最澄はこの地で修行し日本仏教の一大改革者となった。

 仏教は釈迦が教えた「戒」を守ることが根本である。
唐の高僧・鑑真は、5度に亘る失敗の後決死の覚悟で渡来し、日本に戒律を伝えた。
 戒律こそ仏教の真髄だからである。
 ところが最澄は鑑真が伝えた戒律をことごとく骨抜きにした。
 最澄自身、唐で大乗戒小乗戒を学んだが帰国後戒律が厳しい小乗戒を排し大乗戒の布教に絞った。
 仏教の総本山である比叡山延暦寺が仏教の真髄である戒律をなくした。
 総本山が戒律をなくせば後はこれに従う他ない。かくて日本の仏教は世界的にも稀有な戒律なき宗教となった。
 なぜ最澄は戒律をなくしたか。その理由は彼自身が考えた「円戒の思想」によって明らかになっている。
 円戒の思想とはすべてのものは円(まどか)で悟りに至る備えができているので戒律を厳しく守るまでもない。
 すべての人には内面的な「仏性」が備わっていて煩悩や迷いを抱いたままでも悟りを開くことができるという「天台本覚論」という思想により裏打ちされた。
 すべての人に「仏性」が備わっているゆえ煩悩や迷いを乗り越えられない僧侶はじめすべての衆生も念仏を唱えさえすれば救済されるという。
 修行する必要もなければ戒律を守る必要もない。
 ただ念仏を唱えさえすればいい。
 こんなことを聞いたら、イスラム教徒やキリスト教徒はびっくり仰天するだろう。
 否それにもまして、他国の仏教徒が一番驚くだろう、そして憤慨して言うだろう 「そんなものは仏教ではない」 と。
 厳しい修行をし迷いを断ってはじめて悟りを拓くことができる。仏教本来の教えである。
 この根本教義を根底から覆したのが日本仏教の総本山である比叡山延暦寺に他ならない。

 最澄の教えに
「一隅を照らす」、「自利とは利他をいう」がある。
 宗教家の教えというより道徳家の説教と見間違う。
 最澄が日本人に与えた影響はとてつもなく大きい。それは日本人の宗教観および東日本震災時の日本人の行動様式などに顕著に現れている。

 延暦寺のお坊さんに「伝教大師最澄はなぜ戒律を廃止されたのですか」と問うたところ、
 「広く布教するためです。戒律によれば、たとえばお金に触ることさえできませんから」との回答を得た。

 奈良仏教から離脱し戒律を排し、孤独の決断をした最澄、信長に抗して戦い死んでいった荒法師たち。
 叡山には今も怨霊が漂っている。

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