2018年11月12日月曜日

アメリカのオデッセウス 1

 ドイツ系移民の子エリック・ホッファーは、7歳時、母親と死別し同年に失明、15歳時、突如視力回復、18歳時、父親逝去により係累をすべて失う。誰しもが絶望の淵に沈む境遇である。

 「天涯孤独になったあと、ホッファーはカリフォルニアに行き、さまざまな職につき、とくに1930年代を農業労務者として各地を移動しながらすごした。
 不況時代とはいえ、他に可能性がなかったわけではあるまい。むしろ彼はこういう生活を選んだのである。
 ホッファーが選んだのは、いわばもっとも単純な生存である。
 日雇い労働をすること、金と暇ができれば図書館で本を読むこと、結婚もせず工場にも勤めないこと、おそらくこれは現代において独りの人間が生きていく上でとりうる最も単純な形態である。
 彼の生活史にドラマティックなものは何もない。ただ28歳のとき自殺しようとしたということをのぞけば。」(柄谷行人『エリック・ホッファーについて』)

 エリック・ホッファーは徒手空拳、独学で覇権国へならんとしていたアメリカを内側から観察している。
 彼の見方はおよそわれわれがイメージする哲学者や社会学者のそれとは異なり新鮮に映る。今に照射し考えてみよう。

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