2018年7月30日月曜日

AI時代の格差問題 8

 汎用AIが開発されれば大量の失業者が街にあふれる。汎用AIは人間に代わって仕事するから人間は不要となる。
 そういう時代がいずれ訪れると予想する人が欧米を中心に多く、わが国にも少なからずいる。
 汎用AIが人の代替をするなど天地がひっくり返るような事件である。それがあたりまえのように語られしかもその時は約30年後だという。
 もしそうなれば政府は失業者救済および経済をまわすために有無を言わさずベーシックインカムを導入するだろう。
 生産は消費を前提としているが汎用AIに仕事を奪われた失業者は消費するための資力がないからである。
 このような時代が訪れれば国民は一握りの汎用AIを所有する資本家と大多数のベーシックインカムだけで生活する人の二極に分かれる。
 前者は強大な権力を握るが後者は消費するだけの存在と化す。
 このような大きな格差は埋めようがない。格差を緩和するはずのベーシックインカムも焼け石に水である。

 本当にこういう時代が訪れるのだろうか。改めて汎用AIについて考えてみたい。
 汎用AIとは、特定のものに限定しないであらゆるものに対して自律的に考え、学習し、判断して行動するAIである。
 シンギュラリティ仮説をとなえる未来学者レイ・カーツワイルは、AIが自らのプログラムを自分自身で改良するようになると指数関数的に進化を遂げある時点で人間の知能を超えるようになり2045年にはAIが人類の全知能を超える特異点を迎えると予言している。
 グーグルを始めとするグローバル企業は汎用AI開発に全力で取り組んでいるという。わが国にもシンギュラリティ仮説を信じている人が少なくはない。
 この仮説が成り立つには機械が生命体を超えることが前提である。
 素朴に考えてそんなことが可能だろうか。AIといってもしょせんは機械にすぎない。しかも人間がつくったプログラムによって作動している。
 他律的な機械がどうやって生命体である人間が持つ自律性を獲得できるのだろう。疑問は尽きない。

 「AIに関して、最大の問題点の一つは、『自律性』の概念である。自律ロボットといった言葉がマスコミを飾ることも少なくない。
 しかし、もしAIロボットが真に自律的に作動しているなら、その判断の結果については社会的な責任をとることができるはずである。
 このあたりを曖昧にしてはならない。正確にいうと、自律性をもつためには『自ら行動のルールを定めることができる』という前提がある。
 コンピュータに限らず、あらゆる機械は、その作動ルールを人間の設計者によって厳密に規定されているから、他律系に他ならない。
 したがってAIは機械である以上、正確には自律性をもたないのである。」
(西垣通著講談社選書メチェ『AI原論』)

 シンギュラリティ仮説を支持する人はなぜか欧米に多い。キリスト教文化にそのようなものを育む土壌があるのだろう。
 ユダヤの青年イエスは貧しい人のため危険をかえりみずユダヤ教の改革に身を投じて殉じた。
 イエス没後キリスト教はローマ帝国による長い間の弾圧を経て公認宗教となり紀元325年ニケーア公会議ではイエスの神性が決定した。
 そして21世紀の今も聖書に書いてあることはそのまま事実であると信じるキリスト教ファンダメンタリストは多い。 なかには高名な科学者もいる。彼らはイエスの神性を信じ彼が起こした奇跡についても当然のごとく信じている。

 「『奇跡なんて科学的に起こりえない』と反論する人に、ファンダメンタリストは答えていう。『自然法則なんていったところで、やはり神が作りたまいしものにすぎない。人間が水の上を歩いたとて、神が重力の法則を一時停止させたとすれば、少しもおかしくないではないか』」(小室直樹著徳間書店『日本人のための宗教原論』)

 日本人なら屁理屈と思うかもしれないが彼らは大真面目である。
 人々の心を深くとらえ動かすのは知的合理性だけでなく情念に働きかける物語である。

 「『キリスト教の推進力は感情的なものだった。キリスト教は、正統なる哲学をもってではなく、より強力な神話をもって、力の弱まった支配的神話を打ち倒したのである。
 概念よりも神話の方が、素早く、そしてより強烈に打撃を与えるのだ。
 人々を動かそうとするのなら、定理を示すのではなく物語を語るべきなのだ』 とドブレは述べている。
 神秘的な物語の筆頭は、すでに述べてきたように、十字架刑にかけられたイエスの受難と復活の物語に他ならない。
 しかしここで、21世紀の今日、新たな物語が出現していることに注目する必要がある。
 端的に言えば、トランス・ヒューマニズム、とくにシンギュラリティ仮説こそ、その一つと見なされるのだ。
 AIに通暁したフランスの現代哲学者ジャン=ガブリエル・ガナシアは、シンギュラリティ仮説を『現代のグノーシス神話』だと断じている。」
(西垣通著講談社選書メチェ『AI原論』)

 ガナシアが指摘するシンギユラリティ仮説とグノーシス神話の類似点のなかで最も注目すべきことは正確な論理ではなく物語によって人々を説得しようとしている点である。

 カルヴァンの予定説によれば救われる人とそうでない人は予め決まっている。
 この世の成功者は成功こそ救いが予定されている証に他ならないと考える。特にこの考えは自由の国アメリカではアメリカン・ドリームとして成就した。
 この考えに従えば貧しい人は救済を予定されていないことになる。
 貧しい人に手をさし伸べ虐げられた人を救うために生まれた宗教が金持ち、成功者のための宗教となってしまった。

 だが今やアメリカン・ドリームなど夢幻にすぎず成功者はごく一部に限られる。その他の人は何を信じ何に頼ればよいのか。

 「自分たちを救ってくれる『新たな神秘的物語』である。 そして、トランス・ヒューマニストが喧伝するシンギュラリティ仮説は、まさにそういう新たな神話として機能し始めているのである。
 『人間より賢いAIがすべてを決めてくれ、効率よく公平な正義をもたらしてくれる』のだから。
 シンギュラリティ仮説は表面上、論理実証的な科学論の装いをしているが、実はガナシアが批判するように、人々の情念にはたらきかける物語以外のものではないのだ。
 ガナシアは、巨大な予算をつぎこんで汎用AI実現の研究を進めているグローバルなハイテクIT企業に、国家にかわる世界支配の意図を読み取ろうとしている。
 それらの国際企業は、『シンギュラリティが到来し、情報技術は自律的に進歩して世界を支配する。がだそれは歴史的必然なのだ』と述べて自らの責任を回避しつつ、ひそかに政治的な支配をもくろんでいる ー そうガナシアは警告するのだ。」(前掲書)

 ガナシアはグローバルなハイテクIT企業に悲観的である。 キリスト教文明がヘレニズムと融合し近代文明を創り上げた一方虐げられた人を救うはずの宗教が富めるものを救っているように見えるのは確かだ。
 このようにシンギュラリティ仮説は数々の奇跡が語られる聖書と同じく神秘的物語でありこれに惑わされることはない。
 AI技術が進むにつれ特定目的の仕事は人からAIに移り、この恩恵に与れる人とそうでない人の間に格差は生ずる。
 ラッダイト運動が起きない限り時代とともにベーシックインカムの要請は高くなるはずである。これだけグローバル化した情報化社会ではラッダイト運動は有効な手段とはなり得ない。
 ベーシックインカムは、SFの汎用AI社会では焼け石に水であろうが、近未来のAI時代には勤労意欲と格差緩和をもたらす呼び水の役割を果たすであろう。
 ガイ・スタンディング教授はじめベーシックインカムに真摯に向きあっている研究者はこのように考えている。
 格差縮小のためベーシックインカムを導入するに躊躇する理由はない。消費税増税には山ほどあるが。

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