2017年6月3日土曜日

自殺について 5

 人間にとって一番たいせつなものは連帯、これが喪失されれば正常な人間も異常になる。異常になった人間は精神のバランスを欠き自殺に走る。無連帯社会で自殺率が高くなる原因となる。
 社会の連帯を強固にし自殺を減らすにはどうすればいいか? 
 デュルケームが提案したのは、職業集団や同業組合によって凝集力・結束力を高めることであった。
 「宗教社会、家族社会、政治社会などのほかにも、これまで問題にされなかったもう一つの社会がある。
 それは、同種類のすべての労働者、あるいは同じ職能のすべての仲間がむすびついて形成する職業集団ないしは同業組合である。(中略)
 職業生活は生活のほとんどすべてであるから、組合のおよぼす作用は人びとの仕事のどんなささいな点にも感じとられ、人びととの仕事もある集合的方向にむけられることになる。
 このようなわけで、同業組合は、個人をとり囲み、精神的孤立状態から個人を引き出すにたるだけの十分なものをそなえている。」(デュルケーム著宮島喬訳『自殺論』)
 職業集団は、このように精神的孤立から自己本位的自殺を防ぐだけでなく、集団であるから個々人の上に十分に君臨し、その限界のない欲望に歯止めをかけるという道徳的役割をも担いアノミー的自殺を防いでいるという。

 デュルケームのこの自殺防止提案をわが国に活かすにはわが国特有の自殺の原因を知らなければならない。 
 日本独特の自殺の原因として、侍の切腹、捕虜になるより死を選ぶ、生き恥を晒さないなど、恥の文化に起因するものがある。
 これらは自殺によって名誉を守る、責任をとる、累が身辺や所属する集団に及ぶことを防ぐなど、自殺が文化の一部となっている。
 また自殺を禁じた宗教が不在で自殺については中立もしくは同情的でさえある。
 これらは日本特有のものかもしれないが自殺率の高さを説明できない。自殺についての許容度と自殺率の関連図(下図)がそのことを示している。



 自殺を禁じた西欧キリスト教諸国は今や自殺について最も寛容となっている、日本の自殺に対する許容度は中立的である。片や自殺率は西欧諸国が低く日本は高い。
 自殺が文化であれば自殺に対し許容度は高くなる筈だが日本の場合これに該当しない。
 自殺の原因として日本人の性格を挙げる説もある。
 「すみません」、「ご迷惑をおかけしました」などの言葉を残して自殺する。
 いわゆる内向きな性格、自分に厳しい生真面目な性格が起因しているという。
 しかしこの生真面目さは最近はじまったわけではない。自殺を性格から割り出そうとするのは自殺を顔形から判断するのと同じように無理がある。

 日本人は機軸となる宗教をもたない。元旦に神社にお参り、結婚式で牧師に誓い、葬式にお坊さんにお経をあげて頂くように宗教に対して融通無碍である。
 東南アジアの小乗仏教の厳格な僧侶が日本のお坊さんを見たらびっくり仰天するだろう。
 このように機軸となる宗教が微弱であり精神的に安定しているとは言えずこれが原因で高い自殺率となっているという。
 強い信仰心がなく精神の自由度が高すぎることはともすると孤立しがちであり自殺への歯止めもまた弱いことを意味し、ある程度説得的ではある。
 だが日本人の信仰心の薄さは性格と同じように今にはじまったわけでなくもともとのものである。これも近年のわが国の高い自殺率を説明する決め手とはいい難い。

 他に社会、経済、福祉などから説明しようものなら的外れもいいところだ。社会不安、経済困窮、貧弱な福利厚生、どれもわが国の高自殺率の説明にはふさわしくない。
 それでは先進国で最も高い自殺率の原因となるもの、有力な要因はなにか?

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