2017年1月30日月曜日

皇位継承について 4

 次に、皇室典範第1条見直し派の主張について。
 皇位の正統性は、古事記の記述、天照大神の仰せ言によっている。曰く
 「天忍穂耳命(天照大神の子)が申されたとおりに、日子番能迩々芸命(天忍穂耳命の子・天照大神の孫)にお命じになって、
 『この豊葦原の水穂国は、お前が統治すべき国である、とご委任があって授けられた。だから仰せに従って天降りなさい
 と仰せになった。」
(中村敬信『古事記』現代語訳)

 このように古事記は天照大神を皇祖神として記述している。天照大神は女性神であり、女系天皇を排除する根拠はどこにもない。
 これが、神話上から女系天皇を容認するべしという皇室典範見直し派の主張である。
 神話をもとに強く主張しているのは、高森明勅氏である。同氏は小泉内閣時の「皇室典範に関する有識者会議」8名のメンバーの一人であった。
 高森氏は男系限定主義は神話からのメッセージではないという。

 「世界各地の神話では、最高神は『男性』であるのが通例だ。
 日本神話の最高神、天照大神が女性神であることは、それらに比べて、かなり目立つ特色と言ってよい。
 さらに見逃せないのは、この神が『女性』であるにもかかわらず、皇室の祖先神とされていることだ。
 血筋は、”男性”のみによって受け継がれるという、シナ流の『男系』絶対の考え方からは、このような神話は生まれる余地がない。
 この点についても述べておく。シナには『血筋』の継承について、次のような考え方が、伝統的にあった。
 生命(気)は、父(男性)からその息子(男性)たちに伝わっていく。
 母(女性)は、生命の形成と伝達について、その『形』を与えるだけ。
 娘(女性)は、父の生命を受け継ぐが、自分の子(男女とも)には伝えられない。
 祖先からの生命は、世代を超えて男系(父→息子の血筋)を通してだけ、受け継がれる。
 その同じ生命を受け継ぐ者たちの全体が『宗族』と呼ばれ、宗族のメンバーは皆、同じ『姓』を持つ。
 このような考え方は、男尊女卑の思想に由来するのか。それとも、こうした考え方が男尊女卑の思想を生んだのか。
 どちらにしても、こうした『男系』主義の考え方と『男尊女卑』の思想は、きわめて密接な関係にあると見なければならないだろう。
 こうした男系主義の立場を前提とすれば、特定の血族の『祖先』が”女性”ということは、絶対にありえない。
 女性は、自分の血筋を子どもに伝えられない、と観念されているからだ。
 そうすると、神話上のこととはいえ、皇室の祖先神が『女性』神の天照大神とされているのは注目に値する。というより、神話上だからこそ一層、重く見る必要があるだろう。」
(高森明勅著ベスト新書『歴史で読み解く女性天皇』)

 ”長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみ”という男系主義者がいう”伝統”も間違った思い込みであると言う。
 その証左に日本には男系血縁集団としての”宗族”がついに生まれなかった。同姓同士は結婚しないというタブーも機能しなかったという。

 「シナ文明に由来する『男系主義』を、わが国のかけがえのない”伝統”と思い込んでしまったことだ。
 男系主義の観点からすると、皇室の歴史は『逸脱』だらけだったことになる。
 皇族同士の結婚なぞは、その最たるものだ。多くの実例があるという程度ではなく、それこそ『あるべき姿』とさえされていた。
 ”易姓革命”なき女性の登場や、母から娘への皇位継承など、シナ男系主義の立場からは想像を絶する事例だろう。
 これらは、もはや逸脱どころか、男系主義への『挑戦』と言っていいかも知れない。
 その背景には、わが国独特の『双系』の伝統があった。そのことが近年、学問的に明らかになっている。その事実を見逃していたのだ。
 だから、日本の伝統にあらざるものを"伝統”とカン違いしてしがみつき、結果として皇室の存続をあやうくするような、『空想的』で『妥当性を欠く』対策案へと迷い込んでしまった。
 一方、女性宮家の創設は、わが国の『神話』と『歴史』から浮かび上がってくる”双系の伝統”に照らして、皇室がより『日本らしく』なっていく、大切な一歩になるのではないか。
 わが国は『女性』を神話上の”最高神”で、しかも皇室の祖先神とする国である。
 シナの男系主義が周囲に大きな影響を与えた東アジアの中で、歴史上10代、8人の『女帝』を登場させた国である。
 『女性宮家』創設をためらう理由はない。それは、むしろわが国にふさわしい『日本らしさ』の新展開と言えよう。」(前掲書)

 古事記や日本書紀などの神話はおとぎ話である。イザナキノミコト、イザナミノミコトの話など本当のことでないことは子どもでもわかる。天照大神のこともそうであり、神武天皇もそうであろう。
 歴史家はそれらのことは史実ではないと言う。そのとおりに違いない。
 が、記紀の作者は物語を”でっち上げた”かもしれないがそこには夢、願望、期待、祈りなど作者の想いが込められており史実以上のものがある。
 保守派の福田恒存氏は神話について進歩派の丸山真男さんと考えが同じで意を強くしたと言っている。

 「私はこれまで、当時の人間の心の動きだとか、価値観だとか、さういふものが単なる史実以上に大事だといふことを何度も言ってまゐりましたが、最近大いに意を強うしたことに・・・丸山真男さんはこれまで進歩派の象徴と見なされてゐた人ですが、その中でかういってをります。
 『ぼくが日本神話を大切だといふのは、古代人の世界像とか価値判断のしかたが現れてゐる点です。
 考古学的事実史の上からいふと、ぼくはしろうとだけれど、思想史からいふと、決定的に重要なんですね。
 記紀の話は事実としては作り話であつていいわけです。・・・』」
(昭和40年4月号雑誌『自由』から)

 神話が”思想史上決定的に重要”であり、それがわが国の考え方の根っこを支えているとすれば、皇祖神が女性であるという日本の神話を無視するわけにはいかないというのが女系天皇容認派の主張である。
 女系天皇容認派はこのほかにも安定的な皇位の継承をその主張の根拠に挙げている。

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