2016年3月21日月曜日

タージ・マハル

 インドのイスラム建築の至宝といわれるタージ・マハルを再訪した。インド観光の目玉の一つでもあるこの聖廟は3年前とおなじく観光客が引きも切らない。
 楼門をくぐりぬけ目の前に広がる景観は、周囲から遊離した異次元の景観だ。
 今の景観は19世紀にイギリス人よって西欧風に改造されたものであるが往時は種々の草花や果樹が整然と植え込まれており、コーランにいうイスラム教の天国である緑園をイメージしたものとなっていたという。
 この景観とは裏腹にタージ・マハルは血ぬられた手で造られた。
渡辺建夫著「タージ・マハル物語」はその陰惨な歴史を地道な現地取材と手堅い手法で描いている。
 遊牧民の血をひくムガル帝国の王家には、皇位継承をめぐって皇子兄弟間での争いが絶えず ”王冠か死棺か” と形容されるほど残酷で凄惨な物語が連綿と続く。
 タージ・マハルを建造したムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンも例外ではない。
 彼は第4代皇帝の第3皇子であったが第1皇子のホスロウを殺害した。さらに先帝が死んで自分が皇帝となろうとしたとき自分の子を除いて皇位継承の可能性のあるムガル王家の男子5人を全て殺害した。
 わが国の戦国時代、秀吉が嫡男 秀頼誕生によって一旦は後継者に決めたはずの甥の秀次を一族ともども三条河原で惨殺した事件を想起させる。
 独裁権力者の行動様式は宗教、洋の東西を問わず同じということか。
 シャー・ジャハーン自身は後に第6代皇帝となる息子の3男オーラングゼーブによって幽閉され悲惨な晩年を送った。その第6代皇帝オーラングゼーブも皇位継承争いで兄弟3人を殺害している。
 ムガル王家は初代から6代まで兄弟間、父子間で争わなかった皇帝はいない。骨肉の愛憎が激しい一族であった。

 タージ・マハルは完成までに常時2万人の職人と22年間の歳月が費やされたという。なぜこれほどのものが造られるに至ったか、一つの伝承があり観光ガイドの定番となっている。
 曰く
 ”ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの后妃ムムターズ・マハルは、17年におよぶ結婚生活で14人の子供を生んだが最後は産褥で死ぬ。
 死の間際后妃ムムターズは皇帝に二つのことを依頼する。一つは自分が死んだ後新たに后妃を迎えないこと、もう一つは自分の死後いつまでも自分の名を残すお墓るつくることであった。
 皇帝シャー・ジャハーンはこれを忠実に実行した。” と。

 物語としては面白くロマンチックではあるが真相や如何に。
渡辺建夫氏の解説はいささか異なりイスラム社会の背景から解説を試みている。
 氏によれば聖廟がつくられた理由の一つはこうだ。イスラム教シーア派であるペルシャ独特の殉教者の聖廟崇拝の習慣をインドにもちこみ、自分の妻を殉教者として祀りあげ、その霊廟をムガル帝国最大のイスラム聖地に仕立て上げようとしたのだろうと。
 男の聖戦での戦死はイスラム教では殉教者であるが女性の産褥死もまた殉教者とみなされたからである。
 もう一つはシャー・ジャハーン自身の血ぬられた過去を浄化したいという願いが込められていたのではないか。その証左に完成したタージ・マハルを見てシャー・ジャハーンがよんだという詩を挙げている。

 「罪ある者、ここに避難所を求むれば、罪業から解き放たれ、許されん。  罪ある者、この聖所を訪えば、犯せし罪のすべては洗い清められん。  この聖所の気高き姿こそは、罪ある者に悔恨の情をよびさまし、陽の光、月の光に、罪ある者は眼より涙あふれさせん。  この地上に、かくも典雅なる高殿、神の栄光とともにいま姿をあらわせり。」 (渡辺建夫著朝日新聞社『タージ・マハル物語』から)

 狂ったように権力を求め、血ぬられた過去におののく第5代皇帝シャー・ジャハーン。
 彼は晩年息子によっ て幽閉されたヤムナー河対岸にあるアーグラ城からどんな想いでこの聖廟をみていたのだろうか。

 インドの近世史は略奪された歴史でもある。16世紀から18世紀まではムガル王家によって、19世紀から20世紀まではイギリスによって略奪された。
 砂漠の遊牧民の血を引くムガル王家を山賊になぞらえれば、イギリスはさしずめ海賊ということになる。タージ・マハルの金箔や宝石類はイギリス人によって剥ぎ取られた。
 タージ・マハルはインド観光の目玉であるとともに悲惨な近世史の象徴でもある。そこにインドのかなしい現実を見る想いがする。

 だが渡辺建夫氏は前掲書でこう結んでいる。
「これほどの人がなぜタージ・マハルを訪れ、愛してやまないのか。
 ただ単にその姿の美しさ故にだけではないだろう。
そこに葬られているのが、皇帝でも、英雄でも、高名な聖者でもなく、ただ夫を愛し、夫に愛され、14人もの子を産み、子を産む苦しみの中で死んでいった一人の女性であることを、誰もが知っているからだ。」

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