2014年8月25日月曜日

衰退するアメリカ 3

 エマニュエル・トッドは、『帝国』の資質に必要な2つ目の基準として普遍主義を挙げている。

 「帝国というものの本質的な強さの源泉の一つは、普遍主義という、活力の原理であると同時に安定性の原理でもあるもの、すなわち人間と諸民族を平等主義的に扱う能力である。
 このような姿勢は、征服した民族や個人を中核部に統合することによって権力システムを連続して拡大して行くことを可能にする。
 当初の民族的基盤は止揚される。システムと一体化する人間集団の規模は、被支配者が支配者の一員となることが認められるがゆえに、絶えず拡大を続ける。
 服従した諸民族の心の中で、征服者の当初の暴力は寛大さへと変貌する。」
(エマニュエル・トッド著石崎晴己訳藤原書店『帝国以後』)

 支配者が被支配者に、被支配者が支配者にいつでももなり得るという恰も民主主義体制のごとく、帝国もまた体制維持にはそのことを可能にする公平性・普遍性が不可欠であると言う。

 「アメリカ合衆国それ自体における平等主義的・普遍主義的感情の後退である。その基本的帰結は、アメリカ合衆国が帝国というものに不可欠のイデオロギー手段を失ったということである。
 人類と諸国民についての同質的把握を失ったアメリカは、あまりにも広大な多様な世界に君臨することはできない。
 公正感という武器を、もはやアメリカは所有していない。
 終戦直後ー1950年から1965年ーという時代はそれゆえ、アメリカの歴史の中で普遍主義の絶頂期というべきものであった。
 当時の戦勝国アメリカの普遍主義は、ローマ帝国の普遍主義と同様に謙虚で寛大であった。
 ローマ人はギリシャの哲学、数学、文学、芸術の優越を認めていた。ローマ貴族はやがてギリシャ化していった。
 軍事的勝利者が多くの点で、被征服者の優れた文化に同化したわけである。
 それにローマはオリエントの宗教のうちのいくつかに帰依し、やがてそのうちのただ一つに帰依するに至る。
 アメリカ合衆国は本当に帝国の名に値した時代にあっては、外部の世界に対して知識欲と敬意を抱いていた。
 世界のさまざまな社会の多様性を、政治学や人類学や文学や映画を通して共感をこめて観察し分析していた。
 本物の普遍主義は世界中から最良のものを集めて貯えるものである。征服者の力の強さが文化の融合を可能にするのである。
 アメリカ合衆国において経済・軍事力と知的・文化的寛容とが組み合わさっていたあの時代は、いまでははるか昔のことと思われる。
 2000年の弱体化し生産的でなくなったアメリカは、寛容でもなくなった。専ら己のみが人間の理想を具現しており、いかなる経済的成功の秘訣をも手中にし、己のみが映画と考えられ得る映画を製作していると豪語する。
 このような最近の社会的・文化的覇権への主張、このような自己陶酔的な拡大のプロセスは、アメリカの普遍主義と同時に、その現実の経済・軍事力も劇的に衰退して行く、その数多くある兆しの一つにすぎない。
 世界を支配する力がないために、アメリカは世界が自律的に存在することを否定し、世界中の諸社会が多様であることを否定するのである。」
(前掲書)

 このようにエマニュエル・トッドは、アメリカは「帝国」の資質に不可欠な、安定的なな貢納物の徴収システムと公平性・普遍性を欠いているという。
 さらに、二つの危機がアメリカを襲っているともいう。

 一つはアメリカの帝国としての存在理由である。

 フランシス・フクヤマは民主主義と資本主義が最終的に勝利すればそれは「歴史の終わり」を意味し、かつ、マイケル・ドイルが言うように民主主義国家同士の戦争はあり得ないとすれば、民主主義を普及し戦争を抑止するという大義はなくなり、アメリカの存在理由もなくなる。

 二つ目は、世界経済への依存である。

 「1990年から2000年までの間に、アメリカの貿易赤字は、1000億ドルから4500億ドルに増加した。
 その対外収支の均衡をとるために、アメリカはそれと同額の外国資本のフローを必要とする。
 この第三千年紀開幕にあたって、アメリカ合衆国は自分の生産だけでは生きて行けなくなっていたのである。教育的・人口学的・民主主義的安定化の進行によって、世界がアメリカなしで生きられることを発見しつつあるその時に、アメリカは世界なしでは生きられないことに気付きつつある。」 (前掲書)

 この二つの危機に直面しアメリカは習慣のなせる業で自由と民主主義の言辞を弄しているがその実 国民の統制の効かない寡頭制となってしまった。
 世界の保安官たる任務を全うし己の存在を証明するためにとられた行動が、イラクなどの「弱者を撃つ」という挙であった。
 自由と民主主義の旗手を任ずるアメリカが実質上、自ら民主主義国家であることを放棄してしまったのだ。
 アメリカは『帝国』としての資質に欠けるだけでなく、存在理由が消滅し、世界経済もアメリカを必要としなくなってしまった。
 かくてエマニュエル・トッドはアメリカの帝国としての日は数えられたり、それも2050年まで断言している。予断を持たず論をすすめたい。

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