2013年8月12日月曜日

アノミー 4

 先月、山口県周南市金峰で8世帯14人が住む集落で5人が殺害されるという衝撃的な事件があった。平成の「八つ墓村事件」と騒がれたほど典型的な村落共同体の葛藤事件である。
 このような事件は戦前にこそみられたが、現代では稀有である。
 戦前の日本は、天皇を中心にした共同体であり、この共同体の底辺に村落共同体があった。
 前稿で記したように天皇の人間宣言によって、天皇イデオロギーの共同体は解体したが、底辺の村落共同体は、存続した。
が、この村落共同体も、日本の高度経済成長時代を迎えるとともに、その姿を変え事実上解体した。
 かくして昭和20年から高度経済成長が始まりかける昭和30年頃の凡そ10年間で従来の日本社会の共同体は頂上から底辺まで解体した。
 戦後10年間、日本社会は完全な、無規範、無連帯社会となり、アノミーは日本中を覆い尽くした。
 破壊され解体された村落共同体は日本社会から全くなくなったのかという、そうではなく、高度成長を機に、会社組織あるいは役所組織に紛れこんでいったのだった。
 これらの組織の内と外の二重規範の存在がなによりそれを証明している。
 いうまでもなく会社は利益を追求する集団であり、役所は国家あるいは地方の公益を追求する集団である。
 ドイツの社会学者 テンニースは、近代社会は、地縁、血縁、友情などで結びついた自然発生的なゲマインシャフト(共同体組織)と、利益や機能を追求する人為的なゲゼルシャフト(機能組織)を形成していくと提唱した。
 ゲマインシャフトは人間関係を重視し、ゲゼルシャフトは機能を重視する。
 この定義に従えば、高度成長を機に、日本の村落共同体は、人間関係を重視した集団が、機能を重視した集団へと紛れこんだことになる。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの並存である。
機能組織でありながら人間関係を重視する共同体組織でもある。
 この結果どういう現象が起こるか。
 組織の規範が二重となる現象が起こる。
機能組織の規範はどんな場合でも一つしかない。
 が、共同体組織は、内と外では規範が異なる二重規範である。
外で通用することが、内では通用せず、内で通用することが、外で通用せず、といった現象が起こる。
 ここで重要なことは、この二重規範が生じたとき、共同体組織は内の規範を最優先する。
 中央省庁の省益最優先、国益後回し、会社内では会社の利益が最優先、その他は後回しなどが典型的な例である。
 役所にしろ会社にしろ、日本社会の組織の内部の実態は外部からは伺い知ることはできない。
 共同体組織の特徴として、末端になればなる程、この内の規範の締め付けが厳しくなる。
 不正を暴くには、内部告発に頼るほかないが、内部告発するには、職を賭す覚悟がなければできない。
 なにしろ組織内部の論理が最優先される日本社会では、組織に不利益となる告発など許される筈もなく論外だ。
 逆に、組織に利益をもたらすものであれば、たとえそれが限りなく不法行為に近いものであっても許される。
 幾度も述べたが、デフレ下の消費増税で、国全体の税収が減ろうとも、自らの歳出権の増大という省益のためとあらば、全てを犠牲にする。
 最強官庁 財務省の省益あって、国益なしの論理およびその行動様式は、官民問はず、日本社会の隅々まで行き亘っている。
 アノミーの結果、日本社会は他のいかなる国にも見出せない日本独自の組織を生んだ。
 民主主義とは何か、また資本主義の精神とは何か、いずれ稿を改め考察したいが、このような日本独自の組織社会には、とても民主主義は育たないし、また資本主義の精神も宿り難い。
 戦前 軍部は国民を置き去りにし戦争に向け独走した。
今再び、官民はこぞって組織の論理を振りかざし、省益と終わりのない企業戦争に突き進み止まることを知らない。

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