2019年4月22日月曜日

日本語考 11

 物事を考えるときには言葉を使って考える言語思考と言葉を介さず具象やイメージだけで考える場合がある。
 会話や説明などコミュニケーションの場ではそれと意識することなく言葉に置き換えて考えている。
 一方科学者が宇宙の成り立ちを考え将棋指しが長考に耽るときなどわざわざ言語に置き換えて考えるようなことはしないだろう。
 言語思考は思考全体の一部にすぎない。それにもかかわらずなぜ言葉が重要なのか。
 人は言葉に影響される。言葉には人びとを拘束する力がある。言葉がひとたび発せられると発した方もその受け手もともにその言葉に引き寄せられる。
 言葉には情報伝達の手段のほかに人びとの行動を律するという重要な働きがある。
 言葉が文明の重要な要素の一つとなっているのはこの言葉がもつ引き寄せる力にある。
 自己主張が強い言語は自己主張が強い文明を築きその逆もまた然りである。
 このことから言葉を単に情報伝達の手段として捉える見方は言葉の一つの側面にすぎないことが分かる。

 文明の重要な要素である言語を替えることは文明を替えることにも通じる。
 母語や国字を替えることは過去との断絶を意味する。アイルランドではゲール語を話す人が少なくなりケルト文明の継承が危ぶまれている。
 朝鮮半島とベトナムは長年使用してきた漢字を廃止したため混乱している。古代文献は漢字で書かれているため自国の歴史を知るのも困難となっている。

 わが国ではグローバル化に対応するためとして熱心に英語教育が推進されている。
 政治学者の丸山真男は日本の文化は日本固有の文化層という古層の上に新しい外来の文化を取捨選択して積み重ねることを繰り返すことによって成り立っていることを明らかにした。このことは言語についても言える。

 わが国はかって日本固有語である訓読みの和語に加えてかって東アジアの国際公用語であった古代中国語の音読み漢語を日本語の枠組みに取り入れた。
 和語の替わりに漢語にするようなことはしないで和語に漢字文化を組み入れさらに日本独自の訓読み漢字を開発して言語のアイデンティティを守った。
 現在の国際公用語である英語はわが国にとっては当時の古代中国の漢語に匹敵する
 英語の日本語化が進んでいる。グローバル、ファイナンス、コンビニ、リテラシーなど数多くの英語の語彙が日本語化され理解されている。
 英語の日本語化はかっての漢語の日本語化と同じ流れであるが、日本語の使用を禁止したり日本語ではなく英語を優先する教育は明らかに行きすぎである。
 小学校低学年からの英語教育は子供の成長に問題がある。人は幼少期に2つ以上の言語を習いいずれも中途半端で終われば混乱して物事を深く考えることができなくなるという。
 日本の企業が日本語の使用を禁止し英語を強制する政策には違和感がある。
 母語を禁じられた社員は英語で考えるようになるだろうが考える力や発想の自由が母語のようにはままならないだろう。
 母語は思考活動の基盤である。これをおろそかにすることは思考をおろそかにするに等しい。

 日本はこれまで漢語、オランダ語、英語など外国語の文献を懸命に翻訳しその結果日本語で読めないものはないまでになった。
 維新前は日本語の語彙不足のため翻訳ではなく外国語のままで学ぶほかなかった。

 現在の言語政策は翻訳が未整備な時代に逆行するかのようである。グローバル化の波に乗り遅れてはならないと国際公用語の英語教育が優先され日本文明の一翼を担う母語教育が後回しになる。
 グローバル化の病を治す薬はないかのようだ。グローバル化の病膏肓(ヤマイコウコウ)に入る。
 歴史が証明するように母語をないがしろにする国の文明は衰退する。

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