2018年4月16日月曜日

無宗教国家日本 8

 宗教とは何か? 改めてこう問われると難解な質問であるがマックス・ウエーバーの答えは明快である。
 宗教とはエトス(行動様式)である。意識すると否とにかかわらず人びとの行動パターンを規定するもの、それが宗教であるという。
 この定義にしたがえば日本は宗教国家である。そこで問題となるのが日本人のエトスである。

 歴史の積み重ねが日本人のエトスを形成してきたことに違いはない。
 では日本人のエトスとは何か。それは平穏な時代には潜んで分からないが激動の時代にはそれがくっきりと浮かび上がってくる。
 江戸時代末期から明治にかけて起きた世界史的にもまれに見る革命である明治維新がそうである。
 維新の原因はさまざまな見方があるが、その後の日本人のエトスを規定したという意味において儒学の一派である崎門学の影響を見逃すことは出来ない。
 なかでも決定的役割を演じたのは儒学者の浅見絅斎(あさみけいさい)であろう。
 彼は革命を是認する思想の湯武放伐論を全否定した。君主に対する反抗は理由の如何にかかわらず不可であると主張した。なぜなら君主は絶対者であるからである。君主とは天皇である。
 彼のこの思想が徳川幕府の正統性に疑問を投げかける議論へと発展し倒幕への流れをつくった。
 彼の主著 靖献遺言(せいけんいげん)は幕末の勤王の志士にとってバイブルであり、戦前の日本人にも多く読まれた。
 その一貫した主張は忠義を尽くすことの大切さである。

 「人間にとって何故にそれほどまでに忠義が大切なのか。絅斎の次の言葉はこうした疑問に答えてくれよう。
 『父子兄弟は骨肉で、夫婦はすなわち情で親む者である。ただ君臣だけが、義で合する者である。だから、心を尽し身を忘れ、わずかばかりも遺すことのない者でなければ、利を貪り、義に背いてその君を後にすることになってしまいかねない。---文集雑説
 君臣の絆は、国家の大綱である。それは国家の存立を根本から支える命綱といってもいいすぎではない。
 にもかかわらずその君臣の絆は、父子や夫婦のそれと比べ、結合力の強さの点でどうしても及ばないものがある。
 父子や夫婦の絆は、放っておいても人はこれを忘れることはない。ところが君臣の絆は、ややもすれば人はこれを忘れかねない。
 義による結びつきは、骨肉や情による結びつきほど人間の身に切実なものではないからである。ところがそうなれば、国家はたちまちのうちに崩壊の憂き目にあい、民族は辛酸をなめなければならない。」(石田和夫著明徳出版社『日本の思想家13 浅見絅斎』)

 浅見絅斎が50歳のとき起きた江戸城松之廊下事件で忠義を貫きあだ討ちした赤穂浪士四十七士を当然の如く擁護した。
 忠臣蔵のドラマは事件発生から300年以上経過したいまもなお12月の風物詩となっている。
 個人が規範的に正しいことをすればすべてがうまくいく、社会も国家も。
 その他のことを想い患うな。契約とか組織とかそのようなものに捉われていれば人間が純粋でなくなる。
 たとえば人と約束する場合、欧米人ならあらゆる場合を想定して微に入り細に入り契約を取り交わすが日本人はそんなことは水くさいと考える。
 日本の契約はたいてい「本契約に定めのない事項については双方誠意をもって協議する」旨の文言がある。欧米ではこんなものはない。
 日本的契約を極論すれば、 ”細かい取り決めは不要。おれの目をじっと見よおれが約束を破ると思うか” といったところか。腹芸は得意中の得意だ。

 浅見絅斎の思想の根底にあるのは国家をあたかも一つの家族のように考えこれを守り抜く姿勢である。そしてそれは個人の純粋な動機と規範的に正しい行動によって担保される。
 日本人のエトスはあくまでも歴史の積み重ねで獲得されてきたものであり浅見絅斎はこれを解き放す役割を担った。
 最後にこのようなエトスをもった国民の宗教のあるべき姿について考えてみたい。

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