2017年9月18日月曜日

詭弁を弄する 2

 言葉によって何かを伝えようとすると発信者が意図すると否とにかかわらず中立的ではなくなる。
 日本のメディアは日韓関係といい韓国では韓日関係という。もし日本で韓日関係と言ったら韓国寄りメディアとレッテルを貼られるだろう。
 言っていることは同じだが受け取る印象はこれほど違う。この意味において中立的な表記方法などない。

 人に訴える議論は詭弁となりやすい。先ごろ話題となった加計学園の獣医学部新設問題で、前川前文科省事務次官は「行政が歪められた」と言った。
 これに対し菅官房長官は、「前川前次官は行政が歪められたというが当のご本人は出会い系バー通いをしていた、教育行政にかかわっていながらそのようなことをする人の発言は信用できない」と非難した。
 この問題で議論すべきは、獣医学部新設の認可が正当に行われたかどうか、行政が歪められたかどうかであって、出会い系バー通いの非難はこれとは関係のない論点のすり替えである。

 嘘つきの人間が「嘘はいけない」と言ったからといって、「嘘がいけない」ことに変わりはない。
 だが受けとるほうは、嘘つきがそう言うのだから、たまには嘘をついていいのかもしれないと思うかもしれない。嘘つきのこの発言が「嘘をつく」ことに一種の免罪符を与えたようなものだ。
 詭弁はこれを弄する人は無意識のうちに本題と離れたこの人に訴えるやり方で人びとを説得しようとしているのだろう。

 論点のすり替えは、言葉がすべての法曹の世界でも行われている。
 よく例に挙げられるのが昭和47年に起きた外務省秘密漏洩事件である。当時、毎日新聞の西山太吉記者が、沖縄の本土復帰の日米交渉で密約があったという証拠の機密資料を、外務省の蓮見喜久子事務官から入手した。
 この裁判は国民の知る権利と国家の秘密保全のどちらを優先するかについて世間の話題をさらった。
 ところが検察の起訴状に「情を通じ」という言葉があり、これがメディアによって明らかにされると世論の流れは一気に西山記者に厳しくなった。
 報道の自由と国家機密の議論より起訴状の「情を通じ」が世間の注目を集め、こんなことで資料を入手した西山記者はとんでもないヤツだということになった。

 上の論点のすり替えは詭弁のほんの一例にすぎない。詭弁は必ずどこかに誤りがある。詭弁は正しくある必要がないのでその種類はいくつもある。
 詭弁の種類について統一された定義はないようだが、大まかには論理的に破綻しているものと論理以外の意図的なものに分けることができる。
 論理は「Aが成立するならばBになる」から構成されるが、このAの前提部分に誤りがあるものと、Bの演繹部分に誤りがあるものに分けられる。
 論理以外のものには、論点のすり替え、言葉によるマジックなどレトリックを駆使した手法である。
 なお冒頭に挙げた日韓関係、韓日関係のように間違ってはいないが印象操作も詭弁の一種とする場合もある。

 世の中には詭弁や誤謬が溢れかえり日常茶飯事に使われている。
 人を説得したり、誘導しようとする意思が働けばどうしても中立的ではなくなる。
 世論調査も質問の仕方によって結果も微妙に異なってくる。
 政権寄りのメディアの世論調査は政権寄りに、政権に距離を置くメディアのそれは政権に厳しい結果となって表れる。
 メディアは新聞の社説などのほかに世論調査を通じて時の政権に一定の影響力を及ぼしていることになる。
 世論調査と同様に国の政策もその策定過程では中立的ではない。
 いづれの省庁も各種諮問会議のメンバーには自らの意に沿う人選を行い政策が策定されるまでにレトリックの限りを尽くす。
 それがどんなものか内容によっては唖然とするものがある。

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