2016年1月11日月曜日

資本主義と自由について 6

 アメリカン・ドリームとは努力次第で誰でも成功するチャンスがあることの代名詞であるが、現実のアメリカは行き過ぎた自由により強者の論理にはかなうかもしれないが弱者の論理とは合致せずこの言葉の本来の意味を失いつつある。
 フリードマンの政策を積極的に採用したレーガン大統領時代からこのことが少しずつ現れはじめ貧富の差が拡大しアメリカは格差社会へと突入していった。
 格差拡大につれ機会均等も損なわれる。
 フリードマンの思想が顕著に政策として具現された例は、金融市場であろう。
 フリードマンは政府の介入を必要最小限に止める小さな政府を主張したが、中央銀行については例外扱いとした。
 マネタリストである彼は、特にマネーサプライを重視した。
 マネーサプライを常に一定の割合で増やしていけば経済は安定的に成長すると説いた。必要とあらばそれはコンピュータに任せてもいいとも。
 フリードマンは独特の実証経済学理論にもとづき金融市場から規制をなくし為替も固定相場制から変動相場制にすれば金融市場はより一層活性化し経済に好循環をもたらすであろうという仮説をたてた。
 この仮説はやがて現実に実施されその結果、規制を解除された金融市場は、水をえた魚のごとく自由に取引ができる市場となった。
 金融市場にはサブプライムローンなど複雑な金融商品が続々と生まれた。これらの金融商品を人びとは格付け会社の格付けを参考に競って購入した。高格付けを付与されたサブプライムローンはその典型であろう。その帰結は述べるまでもない。
 これが一つのキッカケになってリーマンブラザーズが破綻に追い込まれた。
 フリードマンの安定的な経済成長という意図とは裏腹にアメリカの金融市場は賭博場と化していった。
 リーマン・ショックは全世界に影響をあたえた。行き過ぎた自由、市場万能主義の結果は ”悲惨” の一語につきる。

 フリードマンが与えた影響について、中山智香子氏は簡潔ににまとめている。

 「市場の自由を唯一の原則とするフリードマンの経済学が、市場にとってむしろ例外と考えられていた 『企業』 と 『貨幣』 にかかわる利害関係者たちに利用され、また当時のアメリカの政治とメディアによって担ぎ出されて、さらには1973年9月11日のピノチェトのクーデター以降のチリの経済政策となって実施されたことで、ほんの数年のうちに、つまり1975,76年頃までにはほぼ 『主義』 として定着したことをみた。
 またそれが不況にあえぐイギリスでも処方され、また覇権国アメリカの心臓部ニューヨークの財政危機にも適用されるうちに、普通に働く人びとに 『所有者社会』 の夢を語りながら、『新自由主義』 としてグローバル世界に普及していく基盤を形成したことを考察した。
 ただし、そうした夢に誘うためにさまざまな金融商品が生み出された貨幣市場ではやがて、国家権力による統治の力も、これを土台とした国際経済社会の統治の力も及ばないような、いわばおカネの独り歩きという事態が生じることになった。
 2008年秋のいわゆるリーマン・ショック以降、世界を襲った金融危機は、このようなおカネの独り歩き状態が、やはりそれ自体として持続不可能な不安定なものであったことを示した。」
(中山智香子著平凡社『経済ジェノサイド』)

 市場の規制をなくし”おカネ”と”企業”を大事にした結果、強きを助け弱きを挫く経済の大量虐殺を招いた。
 これはフリードマンの意図とは異なる。
 フリードマンの意図は、マネーサプライを一定の割合で増やし、かつ企業に対しても課税強化などせず (課税強化などすれば企業は税金逃れなどに力をそそぎ本来の企業活動がおろそかになる) 企業の利益が増えるよう手助けすれば、その利益が貧しい人びとにも滴り落ち安定的な経済成長が得られる筈であった。
 マネーの暴走は安定的な成長というフリードマンの意図をはるかに超えグローバル化し制御不能となった。

 わが国もこの影響をモロに受け格差が拡大し、一億総中流はもはや昔話になってしまった。
 近年とくにフリードマンよりの政策をかかげる政府や金融・財政当局に対して、顔色をうかがう政府主催審議会の御用学者や民間議員の活躍が目立つ。
 経済学者の影響はたとえまちがっていても思いのほか強力である。
 ケインズは有名な『雇用、利子、貨幣の一般理論』の最後でこのことについて述べている。

 「経済学者や政治哲学者たちの発想というのは、それが正しい場合にもまちがっている場合にも、一般に思われているよりずっと強力なものです。というか、それ以外に世界を支配するものはほとんどありません。
 知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどこかのトンデモ経済学者の奴隷です。
 虚空からお告げを聞き取るような、権力の座にいるキチガイたちは、数年前の駄文書き殴り学者からその狂信的な発想を得ているのです。
 こうした発想がだんだん浸透するのに比べれば、既存利害の力はかなり誇張されていると思います。
 もちろんすぐには影響しませんが、しばらく時間をおいて効いてきます。
 というのも経済と政治哲学の分野においては、二十五歳から三十歳を過ぎてから新しい発想に影響される人はあまりいません。 
 ですから公僕や政治家や扇動家ですら、現在のできごとに適用したがる発想というのは、たぶん最新のものではないのです。
 でも遅かれ早かれ、善悪双方にとって危険なのは、発想なのであり、既存利害ではないのです。」
(ジョン・メイナード・ケインズ著山形浩生訳講談社学術文庫『雇用、利子、お金の一般理論』)


 経済学者の真贋の見極めは、既存利害などよりはるかに重要であるということだろう。

 リーマン・ショック直後の2008年11月イギリスのエリザベス女王がロンドン大経済政治学院の開所式で、その場に居合わせた経済学者たちに 『どうして、危機が起きることを誰も分からなかったのですか?』 と質問したがだれも答えられなかったという。
 この話には後日談がある。
 4年後の2012年12月イングランド銀行を訪れた同女王に対し、銀行幹部は4年前の女王の質問に回答を用意していた。
 『金融が複雑になって危機を予測できなかった』 と。
 これに対し女王はこう応えたという。
 『人びとが少しだらしなくなってきたのでしょう』

0 件のコメント:

コメントを投稿