2015年9月28日月曜日

民主主義と多数決 2

 多数決と民主主義は、7世紀初頭の日本に既にあった。聖徳太子が作ったとされる17条憲法がそれである。
 この憲法には、日本独特の多数決と民主主義に関連する条文がある。
 いかにも日本的な、第一条の”和を以って貴しと為す” という精神が全文の背景にある。
 第十条には自分と異なる意見に耳を傾けよ諭し、第十七条には大事については判断を誤らないようみんなで相談して決めよ、とある。 

 日本では物事を決めるときは話し合いが最優先され誰か一人が決断して決めるということはまれである。
 裏返せば決断の主体がいないため責任を負うものもいないということになる。
 日本でもっとも独裁的な人物とされる織田信長とか大久保利通でさえ、物事を決める時には、部下から上申されものに承諾を与えるという形式をとったといわれる。
 この点ヒットラーとかスターリン等西洋の独裁者とは異なる。彼らは一人で決断し自らの考えを一方的に命令した。

 戦時中の出征兵士激励のために国旗に円環状に署名された寄せ書きがあるが、この慣習は遠く足利時代に一揆に用いられた傘連判状に似ていて、これに起源があるのかもいれない。
 傘連判状は筆頭人がいないので誰が首謀者かわからないようにしたといわれる。
 また何か物事を決めるときには『多数』できめこの傘連判状に署名した。
 このような多数決方式は現代民主主義に似ている。
このため伝統的に日本人はこのような多数決によって物事をきめたので、日本には足利時代から既に民主主義であったともいえる。
 だが、それは日本的民主主義ではあるが、西洋に起源をもつ近代民主主義とは異なる。
 民主主義については既に本ブログで言及したが、多数決であればただちに民主主義であるとは限らない。

 丸山真男教授は、民主主義は 『そこにある』 完成されたものではなく、絶えず育て守っていくべきもの、いわば民主主義は永久革命であると言った。
 多数決原理が民主主義の絶対条件であるなどと理解したらそれは誤解である。
 たとえば独裁者ヒットラーは正当な手続きで政権の座につき、多数決につぐ多数決を重ね独裁を揺るぎないものにし、ついには
多数決原理を利用し民主主義を圧殺してしまった。
 これとは逆に多数決を否定したらどうなるか。
 中世まで大国であったポーランドは議会の議決は多数決によらず全会一致でなければ議決できなかったため、議会が機能せず衰退していった。
 多数決は民主主義の基礎ではあるが、いわば諸刃の剣で、民主主義を生かしもするし殺しもする。

 戦後の日本は、アメリカ占領軍司令官のマッカーサーによって、『そこにある』 民主主義を与えられ後生大事にありがたく守り通してきた。
 丸山真男教授が言うように 『そこにある』 民主主義は、本来の民主主義とは似て非なるものだ。
 そこには近代民主主義で最も重要な 『作為の契機』 が欠如している。
 自分たちでかちとったという契機が欠如している。
 『作為の契機』 の基礎は契約だ。人が作ったものは人が自由に変えられる。
 西洋の契約は近代以前はユダヤ教やキリスト教の 『神との契約』 であったものが近代になって『人間との契約』になった。
 神との契約では人間は自由自在に変えることなどできない。だが人間との契約であれば、人間が作ったものは自由自在に変えることができる。
 これこそ作為の契機であり近代民主主義はこの原則のうえに成り立っている。
 近代法での責任はそれに対応する権限があってはじめて生じるものであり、これによって近代民主主義は成り立っている。

 日本では、多数決原理にしても、この作為の契機が欠如しているため、多数決がもたらす弊害に思い至らない。ただ多数決に従えば民主主義であると単純に考えがちである。
 このため多数決を妨げられると民主主義への妨害と考えてしまう。
 責任問題にしても、与えられた権限をはるかに越えて無限責任を負わされる。また選挙時の公約は必ずしも厳格に守られない。有権者もそのことに寛容である。契約という概念が乏しいからに他ならない。

 戦後70年経過したが、日本には未だに近代民主主義が根づいたとは言い難い。今回の安保関連法案採決の混乱はそれを物語っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿