2015年1月12日月曜日

官僚に対する民主的統制 6

 財務省OBの高橋氏と榊原氏の相反する見解を検証した結果、財務省が実質日本の政治を左右する力を持っているという共通点が見出せた。
 日本人は、伝統的に”お上”とか”官尊民卑”という言葉があるように、役人に対し一定の尊敬と信頼を寄せてきた。
 ところが汚職および経済停滞を機に役人に対して多少疑問を抱くようになった。
 そして2度にわたる消費税増税と景気後退でその疑問は増した。
 日本の近代的官僚制度発足からわずか1世紀強で早くも制度疲労を心配しなければならない事態となった。
 弊害の最たるものは、官僚による立法権の簒奪である。
 選挙を経ない官僚が国権の最高機関である立法府・国会の立法権を簒奪するという異常事態になっている。
 国会議員に立法能力がないからというのがその簒奪の理由であるが、理屈になっていない。
 戸締りしてないから泥棒に入ったというのと同じだ。
 ここで改めて官僚制について考えてみたい。

 「官僚制における構造的腐蝕とは何か。トップは責任を取らない。どんな失敗をしても犯罪を犯しても、トップに責任が及ぶことはない。恐るべき無責任地帯がゆきわたる。
 その由って来るところは何か。『トップ・エリートの共同体には、その他の人びと(普通の人びと)とは違った規範が適用される』からである。
 たとえば、『捕虜になった者は死ね』という規範が、下士官、兵には厳重に適用された。しかし、連合艦隊参謀長や高級参謀には適用されなかったのであった。(中略)
 これと同じ構造的腐蝕が、今の日本にも現れてきたのである。
 この構造的腐蝕は、現在日本の官僚制全般に見られるところではある。
 が、特に甚だしいのが大蔵省。大蔵省は、役所中の役所、官庁中の官庁と言われ、日本の権力中枢をがっちりと握っている。(中略)
 これほどまでのトップ・エリートであるがゆえに、特に腐蝕しやすい。
 腐蝕の構造も、戦前の陸海軍とそっくりなのである。特に、その無責任システムが!
 大蔵官僚が腐蝕するとどうなる。経済と財政が分からなくなってしまうのである。
 腐蝕した軍人が『戦争が分からなくなってしまった』ように。
(小室直樹著クレスト社『これでも国家と呼べるのか』)

  7年前平成8年の著作であるが、2度に亘る消費税増税と景気低迷の無責任システムを予言しているかのような一節だ。
 権限を持てば持つほど無責任になるという官僚制の構造的腐蝕には淵源がある。
 マックス・ウエーバが定義した家産官僚がそれである。ウエーバは家産官僚の特徴は公私の混同であるという。
 財務省のキャリア官僚が扱う金額は桁外れだ。主計局の一部局だけで何十兆円も扱う。10億円など30代前半の係長一人の裁量で、簡単に増減額できる。
 ひと頃、元官房長官の野中氏や武村氏による官房機密費 年間約15億円の使途証言で話題騒然となったが、これと比較してもその額の凄さがわかる。
 これは今だけの話ではない。戦前も同じである。エピソードを一つ。

 「東條英機といえば『カミソリ東條』の異名で知られた陸軍随一の強面です。その東條が関東軍参謀長という、泣く子も黙る地位にいた時の話です。(昭和12年3月から翌年5月頃の話と推定されます)。この時、満州に出張に来た大蔵省の主計官が釣りを趣味にしていると聞き、東條は『お楽しみください』と湖の真ん中で列車を止めようとしたというのです。
 この時の主計官は、32歳の福田赳夫(後の総理大臣)です。
東條は20歳以上年が若い福田に揉み手で官官接待をしたというのです。」(倉山満著光文社新書『検証 財務省の近現代史』)

 若いときからこのような境遇に馴らされれば、どういう性格になるか想像に難くない。
 青雲の志を抱き国家公務員になった当初から省益や天下りを考える人など誰一人いないだろう。だが境遇が彼らを変えてしまう。
 特に、財務官僚はベスト・アンド・ブライテスト(The Best and the Brightest)、彼らが最もその罠に陥りやすい。

 「いかにエリート教育を受けたとはいえ、しょせん官僚は優秀な『マシーン』にすぎません。偏差値ロボットです。
 彼らは過去の前例や既存の法律はよく記憶しているかもしれないが、今までに経験したことのない事態に遭遇したときには、何の役にも立たない。
 学校教育は知識を教えてくれるけれども、発想力や創造力までは与えてくれない。
 マックス・ウエーバーは『最高の官僚は最悪の政治家である』と述べています。
 どれだけ優秀な官僚であっても、彼らには政治家たる資格、指導者たる資格はない。
 官僚に政治を行わせるのは、サルに小説を書かせるよりもむずかしい。
 政治家たちが上手にコントロールして、はじめて官僚の力を活かすことができる。」
(小室直樹著集英社『日本人のための憲法言論』)

 ベスト・アンド・ブライテストは 『今までに経験したことのない事態に遭遇したとき』 を除いたときという条件付なのだ。
 その意味で極論すれば、官僚に政治を行わせるのは、将棋の名人に政治を行わせるようなものだ。
 倒錯した日本の政治を民主主義本来の姿に甦えらせる手段とは何か。原点に立ち返り検討したい。

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