2014年9月8日月曜日

衰退するアメリカ 5

 ファリード・ザカリアは、文明の発達について西洋と非西洋の歴史的経緯について対比している。

 「西暦1000年以降の数百年間、ほぼすべての指標は東洋が西洋の先を行っていたことを示している。
 西洋が中世の闇に沈んでいたころ、中東はギリシャとローマの知識を受け継ぎ、発展させ、数学や物理学や医学や人間学や心理学など多彩な分野で画期的な業績をのこした。(中略)
 最盛期のインドは、科学の鬼才、芸術の天才、建築の俊才を輩出した。
 16世紀初頭のクリシュナ=デーヴァラーヤ王の時代、インド南部の街は、数多くの外国人訪問客から、ローマに匹敵する世界有数の都市であると評価された。
 この数世紀前の中国は、世界一の富と世界一の先端技術をもっていたと考えられる。当時の中国人が使いこなしていた火薬や活版印刷や鎧には、西洋よりも数百年進んだ技術が使われていた。
 この時期は、アフリカの平均所得もヨーロッパを上回っていた。 潮目が変わったのは15世紀だった。そして、16世紀にはもうヨーロッパが世界の先頭に立っていた。」
(ファリード・ザカリア著楡井浩一訳徳間書店『アメリカ後の世界』)

 16世紀以降ルネッサンスに沸く西洋と攻守交替し非西洋諸国は深い眠りについたかの如く科学・技術・産業で足踏みした。
 なぜ文明の進展が逆転したか。
 この疑問は長いこと議論されたが明確な答えは未だにない。   が、私有財産権・良質な統治機関・力強い市民社会はヨーロッパやアメリカの成長に必要不可欠な要素であったとファリード・ザカリアは言う。
 これらの要素を欠けば成長がおぼつかないということになる。そして非西洋社会にはこれらの要素に欠けていたと述べている。

 「対照的に、ロシア皇帝は理論上、国のすべてを所有していた。また清帝国の宮廷をとり仕切っていたのは、商業への侮蔑を隠そうともしない高級官吏たちだ。
 非西洋世界のほとんどの地域では、市民社会はまだまだ弱々しく、政府から自立することなど夢のまた夢だった。
 インドの地方に住む事業家は、気まぐれな王宮の顔色をいつもうかがっていた。
 中国の裕福な商人は、宮廷の歓心を買うべく、事業そっちのけで儒教の古典の習得に励んだ。
 ムガル帝国とオスマン帝国は武人と貴族によって支配されており、(中東には商人の長い伝統があったものの)交易は魅力と重要性に欠けるとみなされていた。
 ヒンドゥー教のカースト制度は商人を低い地位においていたため、インドではこの傾向がさらに強かった。」(前掲書)

 アジアにおける商業主義が数世紀にわたり停滞した原因は、このような国家の構造にありと言う。

 「かってのアジア諸国の大多数は、強権的、中央集権的、略奪的な国家だった。この種の国家は人々に重税を果たす一方、人々に多くを還元しない。
 15世紀から19世紀までのあいだアジアを統治していたのは、おしなべて典型的な東洋の専制君主だった。」(前掲書)

 このようにファリード・ザカリアは、脆弱な市民社会、専制的な統治機関、商業主義への侮蔑等々が非西洋世界を数世紀にわたり休眠させたのではないかと言う。
 では非西洋世界の専制君主などによる中央集権国家がなぜヨーロッパでは見られなかったのか。
 その理由を彼は次のように分析している。

 「王の権力とも対抗しうる史上初の大組織、すなわちキリスト教教会の存在が、ひとつの理由として挙げられる。
 独立した拠点を地方にかまえながら、中央では絶対王政の監視役を務めた地主エリート層の存在も、ひとつの理由として挙げられる(西洋世界初の”権利宣言”であるマグナカルタは、実態的には諸侯の特権を定めた憲章であり、貴族たちが国王に迫って成立させたものだった)。
 そしてヨーロッパの地理的条件も、ひとつの理由として挙げられる。これを究極の理由と呼ぶ向きもあるだろう。
 ヨーロッパは広い川、高い山、深い谷で分断されている。この地形は天然の境界線を数多く生み出し、さまざまな規模の政治共同体を成立させた。
 すなわち都市国家、公国、共和国、国民国家、帝国などだ。
 1500年のヨーロッパには、500以上の国と公国と都市国家が存在していた。
 ここで見られる多様性が意味するのは、理念、人、芸術、金、武器をめぐる絶え間ない競争だ。
 ある場所で不当な扱いを受けたり、軽んじられたりした者は、ほかの場所へ逃れて富や地位を得ることができた。
 そして成功した国家は模倣され、失敗した国家は潰えた。
 ながいあいだ競争にもまれたヨーロッパは、富の蓄積と戦争の遂行という分野で、高度の技能をもつこととなった。
 対照的に、アジアは見わたすかぎりの平地ーロシアの大草原や中国の大平原ーで構成されており、軍隊はほとんど障害なしに、域内をすばやく移動することができる。
 領土を守ってくれる自然の要害がないため、中国人は万里の長城を建設するしかなかった。
 この地理条件は、中央集権化された巨大帝国の維持に貢献し、数世紀にわたる権力掌握を可能にした。」(前掲書)

 このように、なぜ非西洋は長きにわたり休眠し、西洋は休眠しなかったのか、ファリード・ザカリアはこれらを分析し、非西洋が休眠から目覚め台頭する意味およびその可能性について、二つの新興大国である中国とインドについて特筆している。
 大きな歴史の流れをみるに大洋と大陸を浮かび上がらせその他は捨象、そんな彼の意図を検証してみよう。

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