2013年5月11日土曜日

道州制考 3

 明治の新政府は、地域に根付いていた全国302の藩を、試行錯誤の末整理し、現在の県を設置し、県令を政府から派遣した。 中央集権化が主たる目的であった。近代化を急ぐためにはまことに適切な施策といえよう。
 外国では、連邦制を敷いている国が多い。形態はさまざまでも、先進国では、殆ど連邦制である。
 わが国で道州制を、これを議論されたことはあるが、実際に導入されたことはない。
 かって、かの松下幸之助氏は、明治100年にあたる1968年に、廃県置州を唱えた。幸之助の衣鉢を継いだ参議院議員江口克彦氏が、地域主権型道州制を唱え、これが現在の道州制導入の主流の一つである。
 以下が氏の主張の要旨である。

① 明治維新と国家総動員法
 中央集権体制の極めつけが1938年の国家総動員法であり、この社会主義的、軍国主義的体制が亡霊となって生き続け、今日の日本のあらゆる分野を徘徊し、混迷をもたらしている。
② 中央集権で発展した戦後日本
 アメリカ占領軍の意向もこれあり、中央集権体制を推し進め経済大国となった。
③ 地方を発展させるには限界がある
 画一化の時代は、中央集権は適していたが、多様化の時代にはむしろ障害になる。地方の努力も中央集権のもとでは徒労に帰す。
④ 官僚機構の弊害
 中央集権とは行政だけでなくさまざまな社会活動を中央政府が直接主導していくということであるから、当然それにたずさわる官僚機構は大きくなる。
 官僚機構は、規則万能、責任回避、秘密主義、画一主義、権威主義、自己保身、形式主義、前例主義、セクショナリズムに陥りやすいといわれている。
 中央集権によって形成された日本の官僚機構はまさにこのような弊害を内包しているのである。
⑤ 特殊法人という奇妙な企業
 中央集権体制は各省庁の下に特殊法人という奇妙な企業も生み出した。
 この企業は「親方日の丸」の放漫経営をし、傘下に作った関係会社・法人で不当な利益を上げ、しかも官僚の天下り先になるというものである。
 現在は特殊法人等改革基本法で整理縮小、移管、民営化の措置がとられつつあるが、中央集権体制がなくならない限り、その性質が根本的に変わるはずはない。
⑥ 規制と保護が競争を阻害する
 政府による必要以上の「規制」や「保護」も中央集権のマイナス面である。
 現在のようにボーダレス化した経済社会においては、規制や保護は企業の独創性を阻害し、市場における自由な競争と発展を抑制している。
 日本国内の経済活動や社会活動に霞が関から眼を行き渡らせるのは事実上不可能である。
 なぜ不要になった規制や保護が存在するかといえば、官僚が既得権益を守ろうとし、それによって利益を得てきた事業者や従業員も廃止に抵抗し、そうした人たちを支持者に持つ政治家も自分の政治基盤を維持することが優先しているからである。
 バブル崩壊後の歴代政権がこの改革に取り組んできたが、中央集権的統治制度が続くかぎり、改革の効果はおのずと限度がある。
 中央集権の弊害をなくすためには、弊害の対処療法ではなく、中央集権という弊害の根源を崩し、「地域主権型道州制」に大きく国の舵を切らなければならない。
⑦ 消えた自立心と責任感
 日本の中央集権的なシステムは、日本人の精神構造までゆがんだものにしてしまった。
 自治体の首長や議員は永田町や霞が関を訪れてひたすら陳情をし、国会議員は国政のことはそっちのけで、地元利益、特定企業の利益の代弁者のようになってしまった。
 また、霞が関の官僚の中には、自分達こそが国の支配者であると勘違いするウスラトンカチすらでてきてしまった。
 一方、国民の間には自立心と責任感が消えうせ、「甘え」や「たかり」、「あきらめ」や「無関心」の精神が蔓延してしまった。何度も繰り返しているように、「中央集権は諸悪の根源」であるという所以である。
⑧ 複雑・高速の時代に対応できない
 現在の日本の状況をみると、戦前に作られ、戦後も形を変えながら維持されてきた中央集権的な国家体制は、かつては日本に高度成長をもたらし、国民を豊にしたかもしれないが、今となっては日本を破滅に向かわせている。
 その理由は大きく二つある。一つは、中央集権的な国家体制では、複雑かつ高速化し、さらに統合されつつある国際社会、とくに経済活動に対応できなくなっていること。
 もう一つは、中央集権的な国家体制によって、中央政府が肥大化し、国家財政を逼迫させていることである。

 中央集権とか地方分権とかの議論はともかく、官僚機構の腐敗、腐蝕にたいする憤懣やるかたない思いがひしひしと伝わってくる。
 制度疲労を来した中央集権体制に対する、悲鳴にも似た糾弾に聞こえる。
 江口氏の主張は、とりようによっては、中央集権を止め、地域主権型道州制を導入さえすれば全てうまくゆくかの如くうけとれる。 確かに現体制に諦めの境地にも似た感情をもつ国民からすれば新鮮に映る。
 氏の貴重な提言を、ここは詳しく検証し、さらに別の角度からも考えてみたい。
 前稿でものべたが、道州制論は、革命的な議論の筈であるが、熱気が感じられない。
 何故なのか、このあたりの理由を含め、次稿で検討したい。

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