2013年3月18日月曜日

領土問題 4

 尖閣諸島は歴史的にも法的にもわが国の領土であるが、中国の主張は真逆で、尖閣諸島は中国の核心的利益で、同諸島の領有を国家の方針としている。
 日本のとり得る選択肢は、領土問題など存在しないという日本の立場を貫き通す以外にない。
 が、これには、国としての覚悟がなければ完遂できない。
国としての覚悟ないまま、中国と対峙してもますます泥沼に嵌るだけであろう。
 日本の立場を貫き通す上で唯一障壁となるものは、紛争から戦争へと発展する事態をなにがなんでも回避しようとする政策を全てに優先させるあまり中国に対して譲歩、妥協することである。理想的平和主義ほどやっかいなものはない。
 日本は敗戦後、長きにわたり平和を享受してきた。もう戦争はいやだ、二度と戦争などしたくないという思いは広く国民に骨の髄まで根づいている。今の日本で、好戦的な発言でもしようものならその人はまず頭がおかしい変なやつだと思われ相手にもされない。政治家なら、次の選挙で落選確実だ。
 誰しも平和を望まない国民はいない。平和を願い不戦を宣言し、これを憲法で規定することだけで平和が達成されるのであれば、これにこしたことはない。
 しかし、歴史は証明する。そんなことで平和が達成されるなど、夢のまた夢であることを。
 いってみれば、台風はいやだから、法律で上陸するのを禁止するようなものだ。そんなルールなど、国際社会で通用する筈がない。
 1938年9月イギリス首相チェンバレンは、ミュンヘン会談で、ドイツのヒトラーの要求を全面的に認め、チェコ有数の工業地帯ズデーデン地方をドイツの領土とした。条件として、ドイツはこれ以上のいかなる領土の要求をしないと確約する文書に署名した。
 チェンバレンは帰国後の空港で、この文書を誇らしげに掲げ、これで戦争が回避されヨーロッパに平和が訪れたと宣言した。
 この平和は半年ももたず、ヒトラーはチェンバレンとの誓約を嘲笑うかのように、チェコ本国、ポーランドへと侵攻していった。
 当時財務大臣であったチャーチルは、最も強行にチェンバレンの宥和政策に反対していた。
 が、当時のイギリス国民は厭戦気分が強く、チャーチルなど戦争屋とみなされ、国民の支持はなかった。
 チャーチルは第二次世界大戦回顧録で述懐している。
 「第二次世界大戦は防ぐことができた、宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう」と。
 平和を願わない国民はいないが、現実は、この国民の願いとは別のものになってしまうというのが歴史の鉄則だ。
 個人について成立する命題が、全体にと。ついても成立するとは限らないという社会学の法則がここでも当て嵌まる。
 平和について、この1938年当時のイギリス社会は、格好の事例となった。
 個人がいくら平和を願ったとしても、国家としての意思には反映されない。否、意思に反映しても結果は個人の願いとは異なってしまう。
 当時は、イギリスのみならず、ヨーロッパ全体に厭戦気分が充満していた。平和主義者があふれ、戦争に結びつく言動などもってのほかであった。平和の達成があらゆるものに優先された。
 その結果、チャーチルが言ったように、やらなくともよかったかもしれない戦争を招いてしまった。皮肉なことに、平和主義者が戦争を引き起こしたといっても過言ではない。
 以上の事柄を弁えた上で現下の尖閣諸島問題も考えなければならない。
 不戦を宣言し、平和憲法を有するわが国は、1938年当時のヨーロッパ社会以上に平和を愛し、厭戦気分が漲っている。
 戦争などとんでもない。戦争を避けるためとあらば、どんなことでも受け入れかねない。こんな空気がある。
 現に、領土的野心をもった隣国がこんな空気を感じているからこそ、野心をむき出しにしている。
 中国の圧倒的人口と年々拡大する軍備費、少数の指導者による計画的な権益拡大作戦、これらを露骨に見せ付けられると平和に浮かれた日本はなすすべなく右往左往するばかりである。
 国防をひたすら米軍に頼り、自らを防衛する気概がないかのようだ。
 しかし、こういう時こそ歴史の教訓に従がわなければならない。
 戦争を避けることをあらゆるものに優先させることだけは避けなければならないという歴史の教訓に。
 尖閣諸島問題で日本のとり得る選択肢は、冒頭に述べたとおり、領土問題は存在しないという立場を貫く以外にない。
 仮に、将来、アメリカなりロシアの仲介で、紛争を避ける唯一の手段として、尖閣諸島を日中の共同管理とする提案を受け入れるなどの事態が発生すれば、かなり危険だ。
 それは領土損失という失敗以上の、紛争拡大という失策に他ならない。
 そのような妥協で得られるものは一時的な平穏のみである。繰り返し強調したい、戦争を避けるための妥協は、最終的に意図することとは反対の結果を招く。
 とくに、相手が、軍事拡張にひた走り、領土的野心を隠そうともしない一党独裁国家の中国相手の場合にはそうである。領土問題は、単に資源や経済の問題ではなく、それ以上に安全保障の問題である。
 平和を願うことと、平和を勝ち取ることは全く別のものである。
 平和を祈念すればするほど平和から遠ざかる。残念ながら、これが歴史の冷酷な事実である。
 事実から目をそらしても何の解決にもならない。

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