男系男子による皇位継承が絶対視されるようになったのは遠い昔のことではない。
それは帝国憲法が制定された明治22年からそれが終了する昭和22年までの60年間である。長い日本の歴史からすればほんのひと時にすぎない。
岩倉使節団は2年に及ぶ欧米視察後、欧米に伍していくため皇室を機軸として近代国家を建設することを目指した。
伊藤博文は枢密院において明治天皇隣席のもと憲法草案の大意をこう説明している。
「歐洲に於ては憲法政治の萌芽せる事千餘年、獨り人民の此制度に習熟せるのみならず、また宗教なる者ありて之が機軸を爲し、深く人心に滲潤して人心之に歸一せり。
然るに我國に在ては宗教なる者其力微弱にして、一つも國家の機軸たるべきものなし。
佛教は一たび隆盛の勢いを張り上下の人心を繋ぎたるも,今日に至ては已に衰替に傾きたり。神道は祖宗の遺訓に基き之を祖述すとは雖,宗教として人心を帰向せしむるの力に乏し。
我国に在て機軸とすべきは独り皇室にあるのみ。是を以て此憲法草案に於ては専ら意を此点に用い,君権を尊重して成る可く之を束縛せざらんことを勉めたり。」
(『枢密院会議筆録』「憲法草案枢密院会議筆記 第一審会議第一読会における伊藤博文枢密院議長の演説」明治21年6月18日,京都での憲法演説)
注目すべきは皇室を単に道徳的機軸とするのではなく君権として統治原理に結び付けている点である。
帝国憲法とともに旧皇室典範も制定された。旧皇室典範の位置づけは帝国憲法の下位法ではなく並ぶものである。
制定、改正に帝国議会の関与を受けず、皇室に関する諸法の根本法である。
旧皇室典範第1条で皇位継承資格を男系男子に限るとした主な理由の中に今日からみれば明らかに時代錯誤のものがある。
「・男性尊重の国民感情・慣習が存在する中で、女性天皇に配偶者が在る場合、女性天皇の尊厳を傷つける。
・歴史上の女性天皇は、その在任中配偶者はなかったが、今日、女性が皇位を継承する場合、独身を強いる制度は、道理や国民感情に合わない。
・配偶者が女性天皇を通し政治に干渉するおそれがある。
・女性が参政権を有しないのにもかかわらず、政権の最高の地位に女性が就くことは矛盾である。」
(皇室典範に関する有識者会議報告書参考資料 参考11 女性天皇に関する明治典範制定時の議論(1)皇位継承資格を男系男子に限定した理由から)
旧皇室典範制定過程で女帝の可否が検討されたが、最終的には井上毅が女性は皇位を継承できないとする趣旨の「謹具意見」を伊藤博文に提出し、伊藤がこれを受け容れたことで問題が決着した。
帝国憲法・旧皇室典範制定以降、天皇陛下は軍服を着、サーベルを吊って白馬にまたがり三軍を指揮するイメージがある。それは新興国日本が国民を統合し欧米列強に伍してゆくために期待される天皇陛下の勇姿と重なる。
天皇は歴史的には、”軍人”というより”天子さま”と呼ぶにふさわしい期間が圧倒的に長い。
明治22年から昭和22年までの60年間は例外的でありほんの歴史の一こまにすぎない。
だがこの期間は天皇の国民に与えた影響力があまりにも強くそれが終わって70年間も経った今日においてもなお日本人の心を呪縛している。熱狂的な男系男子の皇位継承論がその証左である。
この男系男子皇位継承論の背景は、帝国憲法と旧皇室典範の起草者である伊藤博文と井上毅との関係にまで遡らなければ十分とは言えない。
またこれに関連して今上陛下がお気持ちを表明されたことで議論の俎上に上った”ご譲位”にも言及しなければならない。
皇室の問題は想像を超えて深く日本国民の運命にかかわっている。
2017年2月27日月曜日
2017年2月20日月曜日
皇位継承について 7
つぎに、
「二千年に亘って維持されてきた男系による皇位継承の伝統は奇跡である。これを変える権利は何人にもない。
これを変えることは二千年の歴史に対する背信行為である。その間生きてきたすべての人びとの想いを蹂躙することである。」
ということについて。
男系による継承方法については、古くからわが国が強い文化の影響を受けた中国と朝鮮半島の継承方法、それに皇室とともに歩んできた日本国民のそれを客観的に俯瞰してみよう。
はっきりしていることは中国や朝鮮半島では親族制度上、父系継承が徹底していることである。
中国には父系同族集団の宗族がある。
宗族では、同姓不婚(姓が同じであれば結婚せず)、異姓不養(養子をとる際には同姓の者に限る)である。
朝鮮半島も中国と同じ親族制度で中国の宗族に相当するのが本貫である。
韓国人の戸籍には本籍とは別に本貫を記載しなければならない。本貫とは祖先の発祥の地をさす言葉だが、現実の地名を表すというよりは、血縁共同体のレッテルのようになっている。(社会学者イ・ヨンスク氏)
いづれも父系制度が徹底していて、女性は他の姓(韓国の場合姓の数が少ないため本貫)の男性としか結婚せず、結婚しても姓は元のまま。
子どもは男でも女でも父親の姓を引き継ぐ。このため母親と子どもは別姓となる。
この父系制度は皇帝や王だけでなく一般庶民にまですべてにおよぶ。
男子が生まれなかったら氏族のなかから他家の男子を養子にして男系男子の継承を厳格に守ってきた。
これに対し日本の一般庶民は、中国や朝鮮半島の強い父系制度を受け入れず独自の継承制度を形成してきた。
日本は古来多くの中国文化の影響を受けたが、すべてを受け入れたわけではない。
宦官、科挙、纏足、食人などは受け入れなかったし、父系継承の親族制度も受け入れなかった。
日本は中国や朝鮮半島のように血縁関係を絶対視せず柔軟な親族制度を維持してきた。
子どもに娘しかいなければ嫁にだすが、どうしても跡継ぎほしければ娘に婿養子をとって跡を継がせる。
仮にお妾さんがいて男の子が生まれたとしても娘をさしおいて跡継ぎはさせないし、他から跡継ぎとして男の子を養子にとることもしない。
子どもはいないが跡継ぎほしい場合は、養子をとり嫁を娶るか、または夫婦そろって養子をとる。
このように男系、女系に拘泥しない柔軟な継承方法が日本社会に形成されていて今もその伝統は生きている。
皇統と異なり女系を容認するのが日本の一般庶民の継承方式である。
男系維持を強く主張する人は、
「二千年の歴史、125代、万世一系の伝統にはただひれ伏すのみ。議論すべきは、いかにこれを維持するかだけに限るべきでそれ以外の議論はすべきでない。そういう議論は先人にたいする冒涜である。」
というが、この主張が日本国民の伝統的な親族意識といかにズレているか。
皇位の継承と国民一般のそれとは異なる。このため皇位の継承方法をもって必ずしも日本文化の核心とはいえない。
男系維持論者は、伝統を守りこれを壊してはならないというが、長い間皇位継承を支えてきた側室制度の伝統については彼らはどう答えるのだろうか。
国民とともに歩む皇室は従来にも増して尊崇の念、敬愛の念をもたれこそすれ、それが減ずることはないだろう。
男系女系に捉われすぎない柔軟な皇位継承は皇室の危機どころか皇室と国民との絆をより強固なものとするだろう。
このように男系継承が途絶えれば皇室の崩壊につながる、とか正統性がなくなり国民から支持されなくなるとかいう論は説得力があるとはいい難い。
厳格な男系男子継承は中国や朝鮮半島の伝統でこそあれ日本のそれでは断じてない。
男系維持を絶対視することは日本の伝統を守ることにはならず中国や朝鮮半島の伝統に倣うという皮肉な結果となる。
国民は、自分たちの継承方法と異なる、臣籍からの皇族復帰や遠い傍系からの皇位継承よりも直系女性の皇位継承を支持するであろう。それが一般庶民の継承のやり方を反映しているからである。
最後に、なぜ男系男子の皇位継承論が、特に保守層を中心に熱気をもって支持されるのか、その背景につき分析し今後の展開を読み解きたい。
「二千年に亘って維持されてきた男系による皇位継承の伝統は奇跡である。これを変える権利は何人にもない。
これを変えることは二千年の歴史に対する背信行為である。その間生きてきたすべての人びとの想いを蹂躙することである。」
ということについて。
男系による継承方法については、古くからわが国が強い文化の影響を受けた中国と朝鮮半島の継承方法、それに皇室とともに歩んできた日本国民のそれを客観的に俯瞰してみよう。
はっきりしていることは中国や朝鮮半島では親族制度上、父系継承が徹底していることである。
中国には父系同族集団の宗族がある。
宗族では、同姓不婚(姓が同じであれば結婚せず)、異姓不養(養子をとる際には同姓の者に限る)である。
朝鮮半島も中国と同じ親族制度で中国の宗族に相当するのが本貫である。
韓国人の戸籍には本籍とは別に本貫を記載しなければならない。本貫とは祖先の発祥の地をさす言葉だが、現実の地名を表すというよりは、血縁共同体のレッテルのようになっている。(社会学者イ・ヨンスク氏)
いづれも父系制度が徹底していて、女性は他の姓(韓国の場合姓の数が少ないため本貫)の男性としか結婚せず、結婚しても姓は元のまま。
子どもは男でも女でも父親の姓を引き継ぐ。このため母親と子どもは別姓となる。
この父系制度は皇帝や王だけでなく一般庶民にまですべてにおよぶ。
男子が生まれなかったら氏族のなかから他家の男子を養子にして男系男子の継承を厳格に守ってきた。
これに対し日本の一般庶民は、中国や朝鮮半島の強い父系制度を受け入れず独自の継承制度を形成してきた。
日本は古来多くの中国文化の影響を受けたが、すべてを受け入れたわけではない。
宦官、科挙、纏足、食人などは受け入れなかったし、父系継承の親族制度も受け入れなかった。
日本は中国や朝鮮半島のように血縁関係を絶対視せず柔軟な親族制度を維持してきた。
子どもに娘しかいなければ嫁にだすが、どうしても跡継ぎほしければ娘に婿養子をとって跡を継がせる。
仮にお妾さんがいて男の子が生まれたとしても娘をさしおいて跡継ぎはさせないし、他から跡継ぎとして男の子を養子にとることもしない。
子どもはいないが跡継ぎほしい場合は、養子をとり嫁を娶るか、または夫婦そろって養子をとる。
このように男系、女系に拘泥しない柔軟な継承方法が日本社会に形成されていて今もその伝統は生きている。
皇統と異なり女系を容認するのが日本の一般庶民の継承方式である。
男系維持を強く主張する人は、
「二千年の歴史、125代、万世一系の伝統にはただひれ伏すのみ。議論すべきは、いかにこれを維持するかだけに限るべきでそれ以外の議論はすべきでない。そういう議論は先人にたいする冒涜である。」
というが、この主張が日本国民の伝統的な親族意識といかにズレているか。
皇位の継承と国民一般のそれとは異なる。このため皇位の継承方法をもって必ずしも日本文化の核心とはいえない。
男系維持論者は、伝統を守りこれを壊してはならないというが、長い間皇位継承を支えてきた側室制度の伝統については彼らはどう答えるのだろうか。
国民とともに歩む皇室は従来にも増して尊崇の念、敬愛の念をもたれこそすれ、それが減ずることはないだろう。
男系女系に捉われすぎない柔軟な皇位継承は皇室の危機どころか皇室と国民との絆をより強固なものとするだろう。
このように男系継承が途絶えれば皇室の崩壊につながる、とか正統性がなくなり国民から支持されなくなるとかいう論は説得力があるとはいい難い。
厳格な男系男子継承は中国や朝鮮半島の伝統でこそあれ日本のそれでは断じてない。
男系維持を絶対視することは日本の伝統を守ることにはならず中国や朝鮮半島の伝統に倣うという皮肉な結果となる。
国民は、自分たちの継承方法と異なる、臣籍からの皇族復帰や遠い傍系からの皇位継承よりも直系女性の皇位継承を支持するであろう。それが一般庶民の継承のやり方を反映しているからである。
最後に、なぜ男系男子の皇位継承論が、特に保守層を中心に熱気をもって支持されるのか、その背景につき分析し今後の展開を読み解きたい。
2017年2月13日月曜日
皇位継承について 6
ここまで皇位継承に関連して皇室典範を現状のまま維持するか又は見直すかについてそれぞれの主張とその根拠について主要と思われるものをとりあげて来た。
皇室に関することは議論することさえはばかられ、ともするとタブー視される。
あげくひとたび俎上にのると議論が沸騰し論理を超え感情的になりやすい。
皇位継承をめぐっても例外ではない。特に、天皇を男系男子に限るべしとする維持派には反論を一切受け付けない頑なな議論が目につく。彼らの主張には危うさが潜んでいる。
まず、「神武天皇のY遺伝子が奇跡的に一度も絶えることなく125代にわたり受け継がれた。
この万世一系を絶やしてはならないし、絶やせば皇室の崩壊につながる。」ということについて。
Y遺伝子により男系の皇統が維持されたという議論は多くの男系天皇の信奉者を勇気づけ男系主義イデオロギーの中核となった。
が、初代とされる神武天皇は歴史上の人物か神話上の人物か研究者の間でも評価が定まっていない。
百歩譲って、かりに神武天皇が歴史上実在の人物であったとして、Y遺伝子などの科学を援用した説明が皇統の正統性のそれにふさわしいと言えるだろうか。
Y遺伝子を援用するからには神武天皇以前のY遺伝子も当然問題となる。
神武天皇のY遺伝子が無から生じたわけではないからだ。だが、神武天皇以前は神話の世界であり、Y遺伝子とは断絶している。
さらに百歩譲って、神武天皇のY遺伝子が無から生じたとしよう。
科学は再現可能であることによってはじめてなりたつが、皇統のY遺伝子の再現は果たして可能か。
墓を掘りおこしDNA鑑定しなければならないが、そんなことは実現不可能だ。
125代にわたり一つも途絶えることなく続いたとされるY遺伝子が検証されないのであればそれは伝聞推量の域を出ない。
そもそもY遺伝子については検証以前の問題がある。
聖書の記載をそのまま信じるキリスト教原理主義のごとく、古事記、日本書紀をそのまま信じる記紀原理主義であればそれなりに一つの見識であるが、Y遺伝子論はこの見識をも打ち壊すものでしかない。
Y遺伝子の議論を極限まですすめれば皇祖は猿ということにもなりかねない。
日本の皇室が神話に基づき神代の時代につながっていることに疑念をはさめばその正統性にも疑念が生じかねない。
神話は皇統の正統性を担保するものであり科学には馴染まない。キリスト教における聖マリアの処女降誕が科学に馴染まないように。
Y遺伝子の援用は、男系皇統の断絶以前に、皇統と神話との断絶という深刻な事態を招いてしまう。神話の世界から断絶された皇室をだれが望むだろうか。
男系主義イデオロギーの中核はこの部分がスッポリと抜け落ちている。
皇室に関することは議論することさえはばかられ、ともするとタブー視される。
あげくひとたび俎上にのると議論が沸騰し論理を超え感情的になりやすい。
皇位継承をめぐっても例外ではない。特に、天皇を男系男子に限るべしとする維持派には反論を一切受け付けない頑なな議論が目につく。彼らの主張には危うさが潜んでいる。
まず、「神武天皇のY遺伝子が奇跡的に一度も絶えることなく125代にわたり受け継がれた。
この万世一系を絶やしてはならないし、絶やせば皇室の崩壊につながる。」ということについて。
Y遺伝子により男系の皇統が維持されたという議論は多くの男系天皇の信奉者を勇気づけ男系主義イデオロギーの中核となった。
が、初代とされる神武天皇は歴史上の人物か神話上の人物か研究者の間でも評価が定まっていない。
百歩譲って、かりに神武天皇が歴史上実在の人物であったとして、Y遺伝子などの科学を援用した説明が皇統の正統性のそれにふさわしいと言えるだろうか。
Y遺伝子を援用するからには神武天皇以前のY遺伝子も当然問題となる。
神武天皇のY遺伝子が無から生じたわけではないからだ。だが、神武天皇以前は神話の世界であり、Y遺伝子とは断絶している。
さらに百歩譲って、神武天皇のY遺伝子が無から生じたとしよう。
科学は再現可能であることによってはじめてなりたつが、皇統のY遺伝子の再現は果たして可能か。
墓を掘りおこしDNA鑑定しなければならないが、そんなことは実現不可能だ。
125代にわたり一つも途絶えることなく続いたとされるY遺伝子が検証されないのであればそれは伝聞推量の域を出ない。
そもそもY遺伝子については検証以前の問題がある。
聖書の記載をそのまま信じるキリスト教原理主義のごとく、古事記、日本書紀をそのまま信じる記紀原理主義であればそれなりに一つの見識であるが、Y遺伝子論はこの見識をも打ち壊すものでしかない。
Y遺伝子の議論を極限まですすめれば皇祖は猿ということにもなりかねない。
日本の皇室が神話に基づき神代の時代につながっていることに疑念をはさめばその正統性にも疑念が生じかねない。
神話は皇統の正統性を担保するものであり科学には馴染まない。キリスト教における聖マリアの処女降誕が科学に馴染まないように。
Y遺伝子の援用は、男系皇統の断絶以前に、皇統と神話との断絶という深刻な事態を招いてしまう。神話の世界から断絶された皇室をだれが望むだろうか。
男系主義イデオロギーの中核はこの部分がスッポリと抜け落ちている。
2017年2月6日月曜日
皇位継承について 5
皇位を男系男子に限定するのは、安定的な皇位継承を阻害するというのが女系天皇容認派の主張である。
万世一系の皇統は、傍系制度と側室制度という二本の柱によって維持されてきた。
このうち側室制度は旧皇室典範が認めていたにもかかわらず昭和天皇はこれを拒否された。
現皇室典範はこの制度を認めていないし、この制度の復活を支持する人は男系男子維持派を含めほとんどいない。
側室の子・非嫡出子は国民の感情から乖離しており、国民とともに歩む皇室にふさわしいとは言えず当然の帰結といえる。
残るのはもう一本の柱、傍系制度のみとなった。
ところがこの傍系制度は、昭和22年GHQの方針によって秩父宮、高松宮、三笠宮の3宮家を除き、傍系の11宮家が皇籍離脱を余儀なくされた。
このため旧宮家の皇族復帰が男系男子維持派の最後のよりどころと期待されている。
が、これには無理があると元衆議院議員の大前繁雄氏は言う。
「旧宮家の皇族復帰が、これも男系継承と並んで皇室の最も重要な伝統としてある『君臣の分』、『君臣の別』という大原則に反することだからである。
よく『万世一系』という言葉を、125代にわたり男系で継承されてきたことと同義に解する向きが少なくない。
このような解釈がされるようになったのは、明治典範の制定前後からである。
『万世一系』という表現自体、明治初年に岩倉具視あたりが初めて用いたものといわれているが、それは本来、男系に限られるものでなく、『皇統に属する皇族による継承』と、ゆるやかに解釈するほうが自然である(所功氏”万世一系の天皇”に関する覚書)。
わが国の皇室は、中国の王朝の交替による『易姓革命』が一度もなく、大和朝廷以来の同一皇統によって皇位が連綿と継承されてきた。
その間に、『君臣の別』が、厳しく守られ、臣下の者が皇位につくことを厳しく排除してきた。
わが国で一たん臣籍に降った方が再び皇籍に戻り即位された例は、九世紀末の第五十九代宇多天皇のみである(次の醍醐天皇は、父君の在野三年間に生まれ、その即位後に親王となり皇太子に立てられた)。
だから、明治の典範義解でも『恒範と為すべからず』と退けている。
また第二十五代武烈天皇崩御後、はるか遠縁から男子をさがし出して男系維持をはかった継体天皇も、約二百年さかのぼった応神天皇の五世王であり、臣下に降っておられたわけではない。
そのような意味で六十年も前に皇籍離脱された旧宮家の皇族復帰を図ろうとするのは、この『君臣の分』、あるいは『君臣の別』という皇室の大原則に反するのである。」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』から)
一旦民間人となった人が皇族に復帰することは明治時代には
『恒範と為すべからず』と退けたが、現代でもその精神は変わらない。
『君臣の分』、『君臣の別』は皇室の尊厳にかかわることだからである。
このように一旦民間人となった旧宮家の皇族復帰は国民の共感を得難いし違和感がある。
男系男子を維持してきた側室制度につづいて傍系制度もその支えを失いかねないのは戦後開かれた皇室により皇族方と国民の距離が縮まった結果でもある。
かかる理由で直系継承以外の皇位継承が期待できないとなればいずれ皇位継承者がいなくなる時がくるのは必至だ。
現皇室典範下では悠仁親王殿下が皇位を継承される頃には男性皇族は同殿下より上の世代だけであり、あとは女性皇族だけということになる。
従って皇室の将来は事実上悠仁親王殿下ただお一人にかかっている。
これは皇位継承の伝統に照らしてみて異常であり不安定である。
これが神話のほかに女系天皇容認派が主張するもう一つの根拠である。
万世一系の皇統は、傍系制度と側室制度という二本の柱によって維持されてきた。
このうち側室制度は旧皇室典範が認めていたにもかかわらず昭和天皇はこれを拒否された。
現皇室典範はこの制度を認めていないし、この制度の復活を支持する人は男系男子維持派を含めほとんどいない。
側室の子・非嫡出子は国民の感情から乖離しており、国民とともに歩む皇室にふさわしいとは言えず当然の帰結といえる。
残るのはもう一本の柱、傍系制度のみとなった。
ところがこの傍系制度は、昭和22年GHQの方針によって秩父宮、高松宮、三笠宮の3宮家を除き、傍系の11宮家が皇籍離脱を余儀なくされた。
このため旧宮家の皇族復帰が男系男子維持派の最後のよりどころと期待されている。
が、これには無理があると元衆議院議員の大前繁雄氏は言う。
「旧宮家の皇族復帰が、これも男系継承と並んで皇室の最も重要な伝統としてある『君臣の分』、『君臣の別』という大原則に反することだからである。
よく『万世一系』という言葉を、125代にわたり男系で継承されてきたことと同義に解する向きが少なくない。
このような解釈がされるようになったのは、明治典範の制定前後からである。
『万世一系』という表現自体、明治初年に岩倉具視あたりが初めて用いたものといわれているが、それは本来、男系に限られるものでなく、『皇統に属する皇族による継承』と、ゆるやかに解釈するほうが自然である(所功氏”万世一系の天皇”に関する覚書)。
わが国の皇室は、中国の王朝の交替による『易姓革命』が一度もなく、大和朝廷以来の同一皇統によって皇位が連綿と継承されてきた。
その間に、『君臣の別』が、厳しく守られ、臣下の者が皇位につくことを厳しく排除してきた。
わが国で一たん臣籍に降った方が再び皇籍に戻り即位された例は、九世紀末の第五十九代宇多天皇のみである(次の醍醐天皇は、父君の在野三年間に生まれ、その即位後に親王となり皇太子に立てられた)。
だから、明治の典範義解でも『恒範と為すべからず』と退けている。
また第二十五代武烈天皇崩御後、はるか遠縁から男子をさがし出して男系維持をはかった継体天皇も、約二百年さかのぼった応神天皇の五世王であり、臣下に降っておられたわけではない。
そのような意味で六十年も前に皇籍離脱された旧宮家の皇族復帰を図ろうとするのは、この『君臣の分』、あるいは『君臣の別』という皇室の大原則に反するのである。」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』から)
一旦民間人となった人が皇族に復帰することは明治時代には
『恒範と為すべからず』と退けたが、現代でもその精神は変わらない。
『君臣の分』、『君臣の別』は皇室の尊厳にかかわることだからである。
このように一旦民間人となった旧宮家の皇族復帰は国民の共感を得難いし違和感がある。
男系男子を維持してきた側室制度につづいて傍系制度もその支えを失いかねないのは戦後開かれた皇室により皇族方と国民の距離が縮まった結果でもある。
かかる理由で直系継承以外の皇位継承が期待できないとなればいずれ皇位継承者がいなくなる時がくるのは必至だ。
現皇室典範下では悠仁親王殿下が皇位を継承される頃には男性皇族は同殿下より上の世代だけであり、あとは女性皇族だけということになる。
従って皇室の将来は事実上悠仁親王殿下ただお一人にかかっている。
これは皇位継承の伝統に照らしてみて異常であり不安定である。
これが神話のほかに女系天皇容認派が主張するもう一つの根拠である。
2017年1月30日月曜日
皇位継承について 4
次に、皇室典範第1条見直し派の主張について。
皇位の正統性は、古事記の記述、天照大神の仰せ言によっている。曰く
「天忍穂耳命(天照大神の子)が申されたとおりに、日子番能迩々芸命(天忍穂耳命の子・天照大神の孫)にお命じになって、
『この豊葦原の水穂国は、お前が統治すべき国である、とご委任があって授けられた。だから仰せに従って天降りなさい』
と仰せになった。」
(中村敬信『古事記』現代語訳)
このように古事記は天照大神を皇祖神として記述している。天照大神は女性神であり、女系天皇を排除する根拠はどこにもない。
これが、神話上から女系天皇を容認するべしという皇室典範見直し派の主張である。
神話をもとに強く主張しているのは、高森明勅氏である。同氏は小泉内閣時の「皇室典範に関する有識者会議」8名のメンバーの一人であった。
高森氏は男系限定主義は神話からのメッセージではないという。
「世界各地の神話では、最高神は『男性』であるのが通例だ。
日本神話の最高神、天照大神が女性神であることは、それらに比べて、かなり目立つ特色と言ってよい。
さらに見逃せないのは、この神が『女性』であるにもかかわらず、皇室の祖先神とされていることだ。
血筋は、”男性”のみによって受け継がれるという、シナ流の『男系』絶対の考え方からは、このような神話は生まれる余地がない。
この点についても述べておく。シナには『血筋』の継承について、次のような考え方が、伝統的にあった。
生命(気)は、父(男性)からその息子(男性)たちに伝わっていく。
母(女性)は、生命の形成と伝達について、その『形』を与えるだけ。
娘(女性)は、父の生命を受け継ぐが、自分の子(男女とも)には伝えられない。
祖先からの生命は、世代を超えて男系(父→息子の血筋)を通してだけ、受け継がれる。
その同じ生命を受け継ぐ者たちの全体が『宗族』と呼ばれ、宗族のメンバーは皆、同じ『姓』を持つ。
このような考え方は、男尊女卑の思想に由来するのか。それとも、こうした考え方が男尊女卑の思想を生んだのか。
どちらにしても、こうした『男系』主義の考え方と『男尊女卑』の思想は、きわめて密接な関係にあると見なければならないだろう。
こうした男系主義の立場を前提とすれば、特定の血族の『祖先』が”女性”ということは、絶対にありえない。
女性は、自分の血筋を子どもに伝えられない、と観念されているからだ。
そうすると、神話上のこととはいえ、皇室の祖先神が『女性』神の天照大神とされているのは注目に値する。というより、神話上だからこそ一層、重く見る必要があるだろう。」
(高森明勅著ベスト新書『歴史で読み解く女性天皇』)
”長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみ”という男系主義者がいう”伝統”も間違った思い込みであると言う。
その証左に日本には男系血縁集団としての”宗族”がついに生まれなかった。同姓同士は結婚しないというタブーも機能しなかったという。
「シナ文明に由来する『男系主義』を、わが国のかけがえのない”伝統”と思い込んでしまったことだ。
男系主義の観点からすると、皇室の歴史は『逸脱』だらけだったことになる。
皇族同士の結婚なぞは、その最たるものだ。多くの実例があるという程度ではなく、それこそ『あるべき姿』とさえされていた。
”易姓革命”なき女性の登場や、母から娘への皇位継承など、シナ男系主義の立場からは想像を絶する事例だろう。
これらは、もはや逸脱どころか、男系主義への『挑戦』と言っていいかも知れない。
その背景には、わが国独特の『双系』の伝統があった。そのことが近年、学問的に明らかになっている。その事実を見逃していたのだ。
だから、日本の伝統にあらざるものを"伝統”とカン違いしてしがみつき、結果として皇室の存続をあやうくするような、『空想的』で『妥当性を欠く』対策案へと迷い込んでしまった。
一方、女性宮家の創設は、わが国の『神話』と『歴史』から浮かび上がってくる”双系の伝統”に照らして、皇室がより『日本らしく』なっていく、大切な一歩になるのではないか。
わが国は『女性』を神話上の”最高神”で、しかも皇室の祖先神とする国である。
シナの男系主義が周囲に大きな影響を与えた東アジアの中で、歴史上10代、8人の『女帝』を登場させた国である。
『女性宮家』創設をためらう理由はない。それは、むしろわが国にふさわしい『日本らしさ』の新展開と言えよう。」(前掲書)
古事記や日本書紀などの神話はおとぎ話である。イザナキノミコト、イザナミノミコトの話など本当のことでないことは子どもでもわかる。天照大神のこともそうであり、神武天皇もそうであろう。
歴史家はそれらのことは史実ではないと言う。そのとおりに違いない。
が、記紀の作者は物語を”でっち上げた”かもしれないがそこには夢、願望、期待、祈りなど作者の想いが込められており史実以上のものがある。
保守派の福田恒存氏は神話について進歩派の丸山真男さんと考えが同じで意を強くしたと言っている。
「私はこれまで、当時の人間の心の動きだとか、価値観だとか、さういふものが単なる史実以上に大事だといふことを何度も言ってまゐりましたが、最近大いに意を強うしたことに・・・丸山真男さんはこれまで進歩派の象徴と見なされてゐた人ですが、その中でかういってをります。
神話が”思想史上決定的に重要”であり、それがわが国の考え方の根っこを支えているとすれば、皇祖神が女性であるという日本の神話を無視するわけにはいかないというのが女系天皇容認派の主張である。
皇位の正統性は、古事記の記述、天照大神の仰せ言によっている。曰く
「天忍穂耳命(天照大神の子)が申されたとおりに、日子番能迩々芸命(天忍穂耳命の子・天照大神の孫)にお命じになって、
『この豊葦原の水穂国は、お前が統治すべき国である、とご委任があって授けられた。だから仰せに従って天降りなさい』
と仰せになった。」
(中村敬信『古事記』現代語訳)
このように古事記は天照大神を皇祖神として記述している。天照大神は女性神であり、女系天皇を排除する根拠はどこにもない。
これが、神話上から女系天皇を容認するべしという皇室典範見直し派の主張である。
神話をもとに強く主張しているのは、高森明勅氏である。同氏は小泉内閣時の「皇室典範に関する有識者会議」8名のメンバーの一人であった。
高森氏は男系限定主義は神話からのメッセージではないという。
「世界各地の神話では、最高神は『男性』であるのが通例だ。
日本神話の最高神、天照大神が女性神であることは、それらに比べて、かなり目立つ特色と言ってよい。
さらに見逃せないのは、この神が『女性』であるにもかかわらず、皇室の祖先神とされていることだ。
血筋は、”男性”のみによって受け継がれるという、シナ流の『男系』絶対の考え方からは、このような神話は生まれる余地がない。
この点についても述べておく。シナには『血筋』の継承について、次のような考え方が、伝統的にあった。
生命(気)は、父(男性)からその息子(男性)たちに伝わっていく。
母(女性)は、生命の形成と伝達について、その『形』を与えるだけ。
娘(女性)は、父の生命を受け継ぐが、自分の子(男女とも)には伝えられない。
祖先からの生命は、世代を超えて男系(父→息子の血筋)を通してだけ、受け継がれる。
その同じ生命を受け継ぐ者たちの全体が『宗族』と呼ばれ、宗族のメンバーは皆、同じ『姓』を持つ。
このような考え方は、男尊女卑の思想に由来するのか。それとも、こうした考え方が男尊女卑の思想を生んだのか。
どちらにしても、こうした『男系』主義の考え方と『男尊女卑』の思想は、きわめて密接な関係にあると見なければならないだろう。
こうした男系主義の立場を前提とすれば、特定の血族の『祖先』が”女性”ということは、絶対にありえない。
女性は、自分の血筋を子どもに伝えられない、と観念されているからだ。
そうすると、神話上のこととはいえ、皇室の祖先神が『女性』神の天照大神とされているのは注目に値する。というより、神話上だからこそ一層、重く見る必要があるだろう。」
(高森明勅著ベスト新書『歴史で読み解く女性天皇』)
”長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみ”という男系主義者がいう”伝統”も間違った思い込みであると言う。
その証左に日本には男系血縁集団としての”宗族”がついに生まれなかった。同姓同士は結婚しないというタブーも機能しなかったという。
「シナ文明に由来する『男系主義』を、わが国のかけがえのない”伝統”と思い込んでしまったことだ。
男系主義の観点からすると、皇室の歴史は『逸脱』だらけだったことになる。
皇族同士の結婚なぞは、その最たるものだ。多くの実例があるという程度ではなく、それこそ『あるべき姿』とさえされていた。
”易姓革命”なき女性の登場や、母から娘への皇位継承など、シナ男系主義の立場からは想像を絶する事例だろう。
これらは、もはや逸脱どころか、男系主義への『挑戦』と言っていいかも知れない。
その背景には、わが国独特の『双系』の伝統があった。そのことが近年、学問的に明らかになっている。その事実を見逃していたのだ。
だから、日本の伝統にあらざるものを"伝統”とカン違いしてしがみつき、結果として皇室の存続をあやうくするような、『空想的』で『妥当性を欠く』対策案へと迷い込んでしまった。
一方、女性宮家の創設は、わが国の『神話』と『歴史』から浮かび上がってくる”双系の伝統”に照らして、皇室がより『日本らしく』なっていく、大切な一歩になるのではないか。
わが国は『女性』を神話上の”最高神”で、しかも皇室の祖先神とする国である。
シナの男系主義が周囲に大きな影響を与えた東アジアの中で、歴史上10代、8人の『女帝』を登場させた国である。
『女性宮家』創設をためらう理由はない。それは、むしろわが国にふさわしい『日本らしさ』の新展開と言えよう。」(前掲書)
古事記や日本書紀などの神話はおとぎ話である。イザナキノミコト、イザナミノミコトの話など本当のことでないことは子どもでもわかる。天照大神のこともそうであり、神武天皇もそうであろう。
歴史家はそれらのことは史実ではないと言う。そのとおりに違いない。
が、記紀の作者は物語を”でっち上げた”かもしれないがそこには夢、願望、期待、祈りなど作者の想いが込められており史実以上のものがある。
保守派の福田恒存氏は神話について進歩派の丸山真男さんと考えが同じで意を強くしたと言っている。
「私はこれまで、当時の人間の心の動きだとか、価値観だとか、さういふものが単なる史実以上に大事だといふことを何度も言ってまゐりましたが、最近大いに意を強うしたことに・・・丸山真男さんはこれまで進歩派の象徴と見なされてゐた人ですが、その中でかういってをります。
『ぼくが日本神話を大切だといふのは、古代人の世界像とか価値判断のしかたが現れてゐる点です。
考古学的事実史の上からいふと、ぼくはしろうとだけれど、思想史からいふと、決定的に重要なんですね。
記紀の話は事実としては作り話であつていいわけです。・・・』」
(昭和40年4月号雑誌『自由』から)
考古学的事実史の上からいふと、ぼくはしろうとだけれど、思想史からいふと、決定的に重要なんですね。
記紀の話は事実としては作り話であつていいわけです。・・・』」
(昭和40年4月号雑誌『自由』から)
神話が”思想史上決定的に重要”であり、それがわが国の考え方の根っこを支えているとすれば、皇祖神が女性であるという日本の神話を無視するわけにはいかないというのが女系天皇容認派の主張である。
女系天皇容認派はこのほかにも安定的な皇位の継承をその主張の根拠に挙げている。
2017年1月23日月曜日
皇位継承について 3
万世一系は男系男子でなければ守れない。女系天皇になったら万世一系が途絶えてしまう。
こう主張するのが生物学的な側面から現皇室典範第1条の男系男子維持派である。
これを最初に言いだしたのが生物学者の蔵琢也氏であり、その根拠がY染色体である。
「男子のみが所有するY染色体が神武天皇以来今日まで受け継がれてきたことに男系継承の意義があり、女系天皇に移った途端にこのY染色体の継承が途絶え、男子でも別人のY染色体を持つ天皇が出現することになる。
こう主張するのが生物学的な側面から現皇室典範第1条の男系男子維持派である。
これを最初に言いだしたのが生物学者の蔵琢也氏であり、その根拠がY染色体である。
「男子のみが所有するY染色体が神武天皇以来今日まで受け継がれてきたことに男系継承の意義があり、女系天皇に移った途端にこのY染色体の継承が途絶え、男子でも別人のY染色体を持つ天皇が出現することになる。
これは皇統の断絶であるから、神武天皇から受け継がれてきたY染色体を我々の時代に途絶させてはならない。 - これがこの説の骨子であり、その信奉者は使命感と責任感をもって『男系天皇』を鼓吹することになる。
これは科学を援用した継承論であり、これを知った多くの人々を強く説得する力を持ってきた。」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』)
これは科学を援用した継承論であり、これを知った多くの人々を強く説得する力を持ってきた。」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』)
このY遺伝子説は科学的根拠を持つものとして今や男系維持派のイデオロギーの中核的存在となっている。
男系維持派の大御所である渡部昇一氏も持論”種と畑”理論でこのY遺伝子説をその主張の根拠としている。
「『稲』はいかなるところに植えても稲ですが、『畑』は、稲を植えれば稲を、麦を植えれば麦を、ヒエを植えればヒエを実らせます。
つまり『畑』には、『種』にあるような連続性のイメージがないのです。
/皇室に目を転じれば、古代から日本の天皇が外から妃を取ることは珍しくありませんでした。桓武天皇は九州、東北、さらには百済からも妃を捧げられています。
/天皇という『種』を保つ『畑』は、方々から捧げられてくる。桓武天皇自身も、百済の『畑』で生まれていたと記憶しています。
ただし『種』は天皇ですから、一向に構わないわけです。こうして種さえ守っていれば、皇室が廃絶に追い込まれることはありません。
というのも、脈々と種を受け継いでいる天皇というものにこそ、日本人は尊敬の念を抱いてきたからです。」(前掲書)
万世一系を法理論から擁護する説がある。この理論は明治の井上毅が作成した皇室典範義解に明記されている。
今日に至るもこれを主張の根拠とする人がいる。
皇室典範義解はこう締めくくっている。
「皇室ノ家法ハ祖宗ニ承ケ子孫ニ傳フ君主ノ任意ニ制作スル所ニ非ス又臣民ノ敢テ干渉スル所ニ非サルナリ」
この皇室典範は祖先の遺志だから君主といえども従うべきであり、変更不可と宣言している。
井上毅はもともとイギリスに範をとった法律には反対であったが、この皇室典範義解でイギリス法である不文法を援用している。
男系男子を貫くために最初の一押しを必要としたのであろう。
皇室典範義解は、もともと皇室典範の解説書であり伊藤博文の私著として扱われたものであるが、その精神は現代にも脈々と受け継がれている。
数学者の藤原正彦氏は「長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみ」といったが、井上毅は皇室典範を説明により法理論上正当化していたのだ。
因みに井上毅は秀才の誉れ高く、明治日本のグランドデザイナーといわれるほどであったが、女性の社会進出には一貫して否定的であった。
以上男系維持派の主だった主張をとりあげてきた。彼らの主張の骨子を一言でいえば、「皇統の万世一系は奇跡であり、これは絶対守らなければならない。これが崩れれば皇室の崩壊につながる」という妥協の余地ないものである。
男系維持派の大御所である渡部昇一氏も持論”種と畑”理論でこのY遺伝子説をその主張の根拠としている。
「『稲』はいかなるところに植えても稲ですが、『畑』は、稲を植えれば稲を、麦を植えれば麦を、ヒエを植えればヒエを実らせます。
つまり『畑』には、『種』にあるような連続性のイメージがないのです。
/皇室に目を転じれば、古代から日本の天皇が外から妃を取ることは珍しくありませんでした。桓武天皇は九州、東北、さらには百済からも妃を捧げられています。
/天皇という『種』を保つ『畑』は、方々から捧げられてくる。桓武天皇自身も、百済の『畑』で生まれていたと記憶しています。
ただし『種』は天皇ですから、一向に構わないわけです。こうして種さえ守っていれば、皇室が廃絶に追い込まれることはありません。
というのも、脈々と種を受け継いでいる天皇というものにこそ、日本人は尊敬の念を抱いてきたからです。」(前掲書)
万世一系を法理論から擁護する説がある。この理論は明治の井上毅が作成した皇室典範義解に明記されている。
今日に至るもこれを主張の根拠とする人がいる。
皇室典範義解はこう締めくくっている。
「皇室ノ家法ハ祖宗ニ承ケ子孫ニ傳フ君主ノ任意ニ制作スル所ニ非ス又臣民ノ敢テ干渉スル所ニ非サルナリ」
この皇室典範は祖先の遺志だから君主といえども従うべきであり、変更不可と宣言している。
井上毅はもともとイギリスに範をとった法律には反対であったが、この皇室典範義解でイギリス法である不文法を援用している。
男系男子を貫くために最初の一押しを必要としたのであろう。
皇室典範義解は、もともと皇室典範の解説書であり伊藤博文の私著として扱われたものであるが、その精神は現代にも脈々と受け継がれている。
数学者の藤原正彦氏は「長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみ」といったが、井上毅は皇室典範を説明により法理論上正当化していたのだ。
因みに井上毅は秀才の誉れ高く、明治日本のグランドデザイナーといわれるほどであったが、女性の社会進出には一貫して否定的であった。
以上男系維持派の主だった主張をとりあげてきた。彼らの主張の骨子を一言でいえば、「皇統の万世一系は奇跡であり、これは絶対守らなければならない。これが崩れれば皇室の崩壊につながる」という妥協の余地ないものである。
2017年1月16日月曜日
皇位継承について 2
皇位継承の問題が浮上するたびに、皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」が議論の的となる。
焦点は、「男系の男子」であり、これを維持する派と見直し派に議論が二分される。
それぞれの主張に耳を傾け然る後に検証しよう。まず維持派の主張から。
「藤原正彦氏は衆議院議員の平沼赳夫氏との対談(『この国のかたちを壊すのは誰だ』文藝春秋平成18年4月号)の中でこのように述べる。
『万世一系を保つことが是か否かを平然と議論するということ自体、私には考えつかないことです。
日本人は、古き伝統に対しては、議論など無用、ただそれにひれ伏すべき、という謙虚な精神を失ってしまった』
『しかし、その場合、重要なのは、男系継承の原則を変えるかどうかは議論してはならないということです。
長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみであり、議論すべきはどうやって男系継承を維持するかという方法についてのみです。
飛鳥の昔から奈良、平安、鎌倉、室町と連綿と続いてきた伝統を、今平成の御世に変えるというのは、その間生きてきたすべての人々の想いを蹂躙することになる。
そんな権利は現代の人々にはないのです』」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』)
同書で藤原氏は、万世一系は世界の奇跡として、アインシュタインが大正11年訪日時に言ったとされる言葉を引用している。
曰く
「近代日本の発展ほど世界を驚かせるものはない。万世一系の天皇を頂いていることが今日の日本をあらしめた。・・・我々は神に感謝する。日本という尊い国を造っておいてくれたことを」
このアインシュタインの言葉は維持派の多くが引用するが、その出典を誰一人明らかにしていないという。
さらに数学者の藤原氏は皇位継承問題をを数学的見方で言う。
「数学は論理だがその出発点を決めるのは直感であり、情緒である」と。
これに共鳴した衆議院議員の稲田朋美氏が、平成17年の皇室典範に関する有識者会議の女性天皇を容認した報告書は出発点が誤っていると批判した。
もはや皇位継承に関する議論というより神学論争である。この出発点論は、議論の対象ではないという意味において、17世紀フランスのパスカルによるデカルト批判を想起させる。
「私はデカルトを許せない。彼はその全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっとおもっただろう。
しかし、彼は、世界を動きださせるために神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかなかった。
それからさきは、もう神に用がないのだ。無益で不確実なデカルト。」
(パンセ第77~78節)
概して維持論者は藤原氏に代表されるように、万世一系は奇跡であり、これを守り抜く以外の議論を端から寄せ付けず、これが崩れれば皇室の崩壊を招くと主張する人が多い。
同じ維持派でも、万世一系を守り抜くために男系でなければならない理由を理路整然と述べ持論を展開する人もいる。
その理由とは何か、根拠となるものを見てみよう。
焦点は、「男系の男子」であり、これを維持する派と見直し派に議論が二分される。
それぞれの主張に耳を傾け然る後に検証しよう。まず維持派の主張から。
「藤原正彦氏は衆議院議員の平沼赳夫氏との対談(『この国のかたちを壊すのは誰だ』文藝春秋平成18年4月号)の中でこのように述べる。
『万世一系を保つことが是か否かを平然と議論するということ自体、私には考えつかないことです。
日本人は、古き伝統に対しては、議論など無用、ただそれにひれ伏すべき、という謙虚な精神を失ってしまった』
『しかし、その場合、重要なのは、男系継承の原則を変えるかどうかは議論してはならないということです。
長い伝統を前にしてはただひれ伏すのみであり、議論すべきはどうやって男系継承を維持するかという方法についてのみです。
飛鳥の昔から奈良、平安、鎌倉、室町と連綿と続いてきた伝統を、今平成の御世に変えるというのは、その間生きてきたすべての人々の想いを蹂躙することになる。
そんな権利は現代の人々にはないのです』」
(中島英迪著イグザミナブック『皇位継承を考える』)
同書で藤原氏は、万世一系は世界の奇跡として、アインシュタインが大正11年訪日時に言ったとされる言葉を引用している。
曰く
「近代日本の発展ほど世界を驚かせるものはない。万世一系の天皇を頂いていることが今日の日本をあらしめた。・・・我々は神に感謝する。日本という尊い国を造っておいてくれたことを」
このアインシュタインの言葉は維持派の多くが引用するが、その出典を誰一人明らかにしていないという。
さらに数学者の藤原氏は皇位継承問題をを数学的見方で言う。
「数学は論理だがその出発点を決めるのは直感であり、情緒である」と。
これに共鳴した衆議院議員の稲田朋美氏が、平成17年の皇室典範に関する有識者会議の女性天皇を容認した報告書は出発点が誤っていると批判した。
もはや皇位継承に関する議論というより神学論争である。この出発点論は、議論の対象ではないという意味において、17世紀フランスのパスカルによるデカルト批判を想起させる。
「私はデカルトを許せない。彼はその全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっとおもっただろう。
しかし、彼は、世界を動きださせるために神に一つ爪弾きをさせないわけにはいかなかった。
それからさきは、もう神に用がないのだ。無益で不確実なデカルト。」
(パンセ第77~78節)
概して維持論者は藤原氏に代表されるように、万世一系は奇跡であり、これを守り抜く以外の議論を端から寄せ付けず、これが崩れれば皇室の崩壊を招くと主張する人が多い。
同じ維持派でも、万世一系を守り抜くために男系でなければならない理由を理路整然と述べ持論を展開する人もいる。
その理由とは何か、根拠となるものを見てみよう。
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