2010年に日本を追い抜き、世界第2位の経済大国になって昇竜の勢いにある中国は、遠からずアメリカをも追い抜き世界第1位になるだろうと予想する人もいる。
その中国は、東シナ海では尖閣諸島に、南シナ海ではパラセル(西沙)諸島、スプラトリー(南沙)諸島に、経済力と軍事力を背景に権益むき出しの行動に出ている。
先日は日中中間線で中国のミサイルを搭載した戦闘機が自衛隊機に異常接近した。
目覚めた中国が文字通り東シナ海と南シナ海に隣接する諸国を震撼させている。軍事予算で日本の2倍を越える中国の脅威は今後も増大し止まることを知らないかのようだ。
一方経産省出身で現役時代から中国をウオッチしてきた中国コンサルタントの津上俊哉氏は中国を次のように分析している。
「いま中国のGDPはちょうど米国の半分である。この数年、『中国は7%以上の実質成長を続け、人民元レートも年間5%程度の速度でドルに対して切り上がっていく。これにより、早ければ2017年にも、中国がGDPで米国を抜く日が来る』といった楽観的な見通しが中国内外で語られてきたが、いまやそれは『荒唐無稽』の類いに思える。
仮に中国が2020年まで5%の成長を続けても、その間に米国も2%は成長するだろう。差分はわずかに3%、2020年に至っても中国のGDPは米国の3分の2に達するだけだ。
『人民元レートが今後も上昇を続ける』という想定も疑わしい。その後には厳しい人口オーナスがやってくる。
中国がGDPで米国を抜く日は来ないだろう。」
(日経プレミアシリーズ津上俊哉著『中国台頭の終焉』)
津上氏がこのように予想する根拠は、中国躍進の原動力となった投資にあると見ている。
リーマンショックを契機に中国は景気底上げのため4兆元の公共投資をつぎ込んだ。
土地代を含めた全産業の総投資額はリーマンショック前の2008年の15兆元を発端として 2009年19兆元 2010年24兆元 2011年30兆元 2012年36兆元 2013年43兆元 と毎年20%以上の勢いで投資を伸ばしてきた。
しかもこれらの財源は主に借金によって賄われた。
GDPは投資と消費と輸出の3頭の馬車に喩えられるが中国の場合、過度に投資に偏りすぎている。工場は過度な設備投資の結果、過剰生産となり生産調整を余儀なくされ遊休設備が増えた。
不動産もリーマンショックを契機に大幅な金融緩和が実施されいくらでも銀行から借りられることをいいことに中央、地方ともに道路、地下鉄などのインフラおよび土地と住宅に際限なく投資した。
この結果、不動産の高騰を招いた。北京や上海の住宅価格は今や東京のそれを上回るところがあるという異常な事態となっている。
地方の住宅は一部ゴーストタウン化しているところもある。
これらの投資は何れも借金によって賄われているため返済しなければならない。
ところが大半が利益を生まない投資であるため返済期限がくれば借りて返さざるを得ない。たとえそれが高利であっても。
今や中国の懸念材料になっているシャドーバンキング膨張の主な原因がここにある。
その規模は2013年6月末で31兆元ともいわれ対GDP比6割となっている。
行き過ぎた投資は抑制しなければならない。当然である。
が、中国の場合これをやると肝心の成長のエンジンを機能停止させるにも等しいことになる。
なにしろ消費と輸出をあわせても僅か4%の成長でしかないのだから。
今まで10%近くあった成長率をいきなり4%などにしたら社会不安をおこすどころか共産党政権の存立にもかかわる。
そんなことはできっこない。かくて2014年3月の全人代で李克己首相は雇用促進、投資継続を打ち出し今年度の成長率目標を7.5%前後とした。
が、借金頼みの投資はいつまでも続けられない。
中国高成長の牽引車である投資は、進むも地獄、引くも地獄である。
かかる理由で、中国が今後も成長を続けていくには投資以外に成長の芽を見出す他ない。
このような中国政府の危機感が感じられるのが2013年11月の三中全会決定である。
規制緩和、民活による大胆な成長戦略である。アベノミクス第三の矢 中国版とでもいったらいいか。
「三中全会決定(全文)は、多くの点で大胆な転換を宣言し、しかも習近平氏が先頭に立つことを明らかにした。
『決定』を読みかえすうちに、これは『習近平改革』の宣言なのだと思いあたったが、同時に、これは『背水の陣』になると感じた。 三中全会決定を本当に実現できれば、『国のかたち』は大きく変わるが、これを『2020年までに完了する』には、そうとう『急進的』な改革である。
しかし、『急進的改革』に潜む問題や危険を見てきたからこそ、中国は一貫して『漸進的な改革』を標榜してきたはずだ。
『失われた10年』の遅れを取り戻すことは、簡単ではないだろう。(中略)
三中全会から1ヶ月経った2013年12月、北京を回って人々の受け止め方を探った。
『すごい改革だろう?』という気分はあるが、どうも『みなこぞって興奮に沸いている』感じではない。
かねがねその炯眼ぶりに私淑している人物は、私にこう言った。
『トップが前線で矢面に立って私に続け!と言ったが、将兵は後に続く準備ができているのか。
(私:様子見している?)そうじゃないが、兵はちゃんと兵嚢を背負っているか。銃に弾は込めてあるのかだ』
『別の言い方をすると、基本設計はこれでいいとしても、詳細設計図はすでに引けているのか?すべてはこれからじゃないか。しかも達成期限は2020年だという。』
習はたいへんな賭けをしてしまった。『これで失われた10年が取り戻せる』と喜んでいるヤツは、頭がおめでたすぎる。」
(文春新書 津上俊哉著『中国停滞の核心』)
分かりやすい例を一つ。
「 『両親いずれかが一人っ子なら、二人の子供を成育してよい』とする規制緩和が『決定』に盛り込まれたことはサプライズだった。
いまの都市の若夫婦はこれでほとんどがカバーされるから、『二人っ子政策』に近づいたとも言え、規制緩和のテンポは予想より加速している。
しかし、いまや少子化が進行しているのは、『政策が禁じているから』ではない。
子供養育の経済負担(住宅、教育等)が重すぎて『子供二人はたいへん』なのである。
積年の一人っ子政策の誤謬のツケは、そう簡単には解消できないだろう。」(同上)
因みに、なぜここまで一人っ子政策が放置、否 堅持されてきたか。その理由の一つが、この政策が基礎財源が殆どない農村地帯の党政府機関にとって、一人っ子政策違反に科される罰金は貴重な収入源になっており、手放したくない既得権益であったからである。
三中全会決定事項は、中国そして共産党政権にとって歴史的な実験であり目が離せない。
2014年5月26日月曜日
2014年5月19日月曜日
「目覚めた獅子」中国 3
ここ30年の中国の高度経済成長は改革開放を推進した共産党主導による成果であろう。
中央集権体制の下、権力の共産党一党集中により利権、汚職、腐敗が必然的に発生した。
これらは急成長に伴う副作用で中国の運命でもあった。
最近になって、習近平体制は大衆路線を打ち出し、官僚の腐敗をやり玉にあげている。
この路線は、かっての指導者 毛沢東に自らを重ねあわせているかのようだ。
が、余華氏の見方は手厳しい。
「国民は、習近平さんのやっていることに興味などありませんよ。いくら役人が自己批判文を書いたところで、国民に対する姿勢は絶対に変わらない、ということを知っているからです。
そんな国民の視線をよそに、私の知り合いの役人は、大衆路線のためのレポート作りに忙しいと、こぼしています。
しかも、その自己批判文にはノルマがあって、文章全体の4割以上を自分の欠点で埋めなければならないのです。
役人たちは自己批判をするのではなく、自己批判文の作成を早く片づけてしまいたいだけです。
つまり、大衆路線というのは、そうですね…吹き抜けていく風のようなものですよ。
通り過ぎれば、はい、おしまいというものです。」
(2013年11月20日NHKクローズアップ現代『シリーズ模索する中国①民衆の不満はどこへ』)
ただ、共産党のコントロール能力は、とても強力です。そして、コントロールするために、多くのお金を使うこともできます。ですので、そのような民衆の爆発を分散させている。
集中して大爆発させないようにすることに、今のところ、成功しているのです。」(同上)
余華氏の発言を裏付けるものとして中国の治安維持を担う公共安全予算がある。
13年度の中国の公共安全予算7690億元は国防費予算7406億元を上回っている。
これに比し国民の関心が高い環境対策予算は3286億元と公共安全予算の半分以下である。(なぜか14年度から公共安全予算の公開は中央政府分のみとし、従来、中央政府分より多い地方政府分は非公開となった)
が、余華氏は中国政府のコントロール能力にも限界があるという。
「現在、政府はインターネットへの監視を強めています。
ソーシャルネットワークのウェイボーなどで、10万以上のアカウントを閉鎖し、デマを流したとして、多くの人々を拘束しました。
しかし、民衆の多様な声を、こんなことで抑え込めるわけはありません。
1つの例を挙げましょう。
習近平主席や、李克強首相は、去年(2012年)の共産党大会のあと、ぜいたくや公費での食事を禁止しました。
この方針に、多くの役人は恐れをなしました。
ただ、恐れたのは、中央政府ではなく、豪華な施設の前で民衆に公用車のナンバープレートを撮影され、告発されることでした。 ですから、腐敗を撲滅するには、国民による監視がいちばんなのす。国民が監視して、政治の透明性を高めることが必要なのです。」(同上)
中国政府は大衆路線を強く打ち出し、腐敗撲滅を旗印に掲げ、ある程度の成果を得た。が、共産党幹部の既得権に係る”新公民運動”には逆に規制を強めている。
余華氏は中国の行く末について次のように述べている。
「中国社会のこれまでの歩みを考えると、もう後戻りはできません。私は前進あるのみだ、と信じています。
私の考えでは、中国が、これからたどる道は2つしかないと思います。
現状を見ると、政府が行う政策。そして、意思決定では、中国社会の抱える大きな問題を解決することができないのは明らかです。
ですから、中国の道筋は2つに限られます。
その1つは、革命が起こるということですが、それは中国社会に大きな混乱をもたらします。
私は、そんな中国を望みません。ただ、政府が民主化を拒めば、起こりうる事態だと思っています。
私が望むのは、もう1つの道筋です。それは、一歩ずつ、確実に民主的な社会に進むことです。
その過程では、民衆だけでなく、共産党の中の改革派の人を巻き込んでいく必要があります。一歩一歩、民主社会へ。
その方向に進んでいく中国に、私は希望を持ちたいと思っています。」(同上)
余華氏は中国を愛し、その未来に希望を託している。彼の著作や言動からそのことが読み取れる。
彼が示した2つの道のうち、中国はどちらの道を辿るのであろうか。
彼は大きな混乱をもたらす革命への道は避けたいと言う。が、残念ながら彼が希望する道を辿る可能性は少ないように思える。
独裁体制がその強大な権力をスムーズに民主体制へ委譲することは望むべくもないと思えるからである。
少なくともそのような事例を寡聞にして知らない。
中央集権体制の下、権力の共産党一党集中により利権、汚職、腐敗が必然的に発生した。
これらは急成長に伴う副作用で中国の運命でもあった。
最近になって、習近平体制は大衆路線を打ち出し、官僚の腐敗をやり玉にあげている。
この路線は、かっての指導者 毛沢東に自らを重ねあわせているかのようだ。
が、余華氏の見方は手厳しい。
「国民は、習近平さんのやっていることに興味などありませんよ。いくら役人が自己批判文を書いたところで、国民に対する姿勢は絶対に変わらない、ということを知っているからです。
そんな国民の視線をよそに、私の知り合いの役人は、大衆路線のためのレポート作りに忙しいと、こぼしています。
しかも、その自己批判文にはノルマがあって、文章全体の4割以上を自分の欠点で埋めなければならないのです。
役人たちは自己批判をするのではなく、自己批判文の作成を早く片づけてしまいたいだけです。
つまり、大衆路線というのは、そうですね…吹き抜けていく風のようなものですよ。
通り過ぎれば、はい、おしまいというものです。」
(2013年11月20日NHKクローズアップ現代『シリーズ模索する中国①民衆の不満はどこへ』)
いつか民衆の不満が爆発する時が来るのでは? と聞かれ余華氏は次のように答えた。
「爆発は、いつも絶えず起きていますよ。デモや陳情といった、さまざまな形で爆発しています。ただ、共産党のコントロール能力は、とても強力です。そして、コントロールするために、多くのお金を使うこともできます。ですので、そのような民衆の爆発を分散させている。
集中して大爆発させないようにすることに、今のところ、成功しているのです。」(同上)
余華氏の発言を裏付けるものとして中国の治安維持を担う公共安全予算がある。
13年度の中国の公共安全予算7690億元は国防費予算7406億元を上回っている。
これに比し国民の関心が高い環境対策予算は3286億元と公共安全予算の半分以下である。(なぜか14年度から公共安全予算の公開は中央政府分のみとし、従来、中央政府分より多い地方政府分は非公開となった)
が、余華氏は中国政府のコントロール能力にも限界があるという。
「現在、政府はインターネットへの監視を強めています。
ソーシャルネットワークのウェイボーなどで、10万以上のアカウントを閉鎖し、デマを流したとして、多くの人々を拘束しました。
しかし、民衆の多様な声を、こんなことで抑え込めるわけはありません。
1つの例を挙げましょう。
習近平主席や、李克強首相は、去年(2012年)の共産党大会のあと、ぜいたくや公費での食事を禁止しました。
この方針に、多くの役人は恐れをなしました。
ただ、恐れたのは、中央政府ではなく、豪華な施設の前で民衆に公用車のナンバープレートを撮影され、告発されることでした。 ですから、腐敗を撲滅するには、国民による監視がいちばんなのす。国民が監視して、政治の透明性を高めることが必要なのです。」(同上)
中国政府は大衆路線を強く打ち出し、腐敗撲滅を旗印に掲げ、ある程度の成果を得た。が、共産党幹部の既得権に係る”新公民運動”には逆に規制を強めている。
余華氏は中国の行く末について次のように述べている。
「中国社会のこれまでの歩みを考えると、もう後戻りはできません。私は前進あるのみだ、と信じています。
私の考えでは、中国が、これからたどる道は2つしかないと思います。
現状を見ると、政府が行う政策。そして、意思決定では、中国社会の抱える大きな問題を解決することができないのは明らかです。
ですから、中国の道筋は2つに限られます。
その1つは、革命が起こるということですが、それは中国社会に大きな混乱をもたらします。
私は、そんな中国を望みません。ただ、政府が民主化を拒めば、起こりうる事態だと思っています。
私が望むのは、もう1つの道筋です。それは、一歩ずつ、確実に民主的な社会に進むことです。
その過程では、民衆だけでなく、共産党の中の改革派の人を巻き込んでいく必要があります。一歩一歩、民主社会へ。
その方向に進んでいく中国に、私は希望を持ちたいと思っています。」(同上)
余華氏は中国を愛し、その未来に希望を託している。彼の著作や言動からそのことが読み取れる。
彼が示した2つの道のうち、中国はどちらの道を辿るのであろうか。
彼は大きな混乱をもたらす革命への道は避けたいと言う。が、残念ながら彼が希望する道を辿る可能性は少ないように思える。
独裁体制がその強大な権力をスムーズに民主体制へ委譲することは望むべくもないと思えるからである。
少なくともそのような事例を寡聞にして知らない。
2014年5月10日土曜日
「目覚めた獅子」中国 2
中国で29日夜、NHK海外放送の番組が中断された。中国の作家、余華氏を「反骨の作家」として紹介し、中国の格差問題などを取り上げた内容。中国当局が意に沿わないため規制したようだ。
途中、毛沢東ブームを取り上げた場面はいったん見られるようになったが、大部分は画面が真っ黒で音も聞けなかった。
中国では人権や少数民族、官僚の腐敗を取り上げたNHK海外放送の番組が見られなくなることがよくある。
(2014/4/30共同通信)
中国は共産党一党独裁国家であり、このインターネット社会においてもなお情報が統制されている。
このため中国の公式の声明だけでは、中国の実態は分かり難い。素顔の中国を知るには勢い中国で解禁されないものから得る他ない。
中国の反骨作家 余華氏はその著作で日常の些事から、政治、経済、文化にいたるまで現代中国を忠実にスケッチしている。
天安門事件など中国が触れられたくない部分もあるため解禁されていない。
余華氏は作家の目で、彼が実体験で得た中国問題の核心を鋭く指摘している。
「今日の中国は巨大な格差を抱える国である。我々が歩んでいる現実社会は、片側が賑やかな歓楽街、片側が壁の崩れた廃墟のようなものだ。
奇妙な劇場に身を置いていると言っていい。おなじ舞台の半分では喜劇が、半分では悲劇が演じられている。(中略)
中国はこの30年で、注目すべき経済の奇跡を作り上げた。30数年間の経済成長率の平均は9パーセントである。2009年の時点で、すでに世界第2の経済大国となった。
2010年の財政収入は8兆元に達する可能性がある。関係各署は自慢げに、中国はアメリカに次ぐ世界第2の富裕国になるだろうと公言した。
しかし、この栄光の数字の背後には、人を不安にさせる数字が隠されている。個人の平均年収は、まだ世界100位なのだ。
この2つは接近し、釣り合いが取れて当然の経済指標だろう。
ところが今日の中国では、格差がこんなに大きい。この数字は、我々がいまバランスを失った社会で暮らしていることを物語っている。
巷間でささやかれている言い方を使えば、我々の生活は『国は富み、民は貧しい』状態にある。
(河出書房新社余華著飯塚容訳『ほんとうの中国の話をしよう』)
民主主義体制でなくとも目覚しい経済成長ができると余華氏はいう。
「西洋の知識人は古い観念に固執し、政治体制が民主化された社会でなければ経済の高度成長はあり得ないと思っている。
だから、政治体制の不透明な国家で、なぜ驚くほど急速な経済発展が起こったのか、不思議でならないのだ。
思うに、彼らは重要な点を見過ごしている。この経済の奇跡の背後には、強力な後押しがあった。その推進力の担い手の名前は、『革命』にほかならない。」
(前掲書)
余華氏がいう『革命』とは、民主主義的手法の対極の概念を意味している。
彼は幼少期に体験した毛沢東時代の文化大革命について詳しく述べている。
文化大革命は中国に大きな犠牲を強いた。
しかし成果として、資本家、地主、役人などが階級闘争により一掃された。一掃された後もなお毛沢東は片時も階級闘争を忘れるなと人民に向かって言った。
階級社会の一掃は毛沢東による『革命』によって達成された。
が、改革開放の時代になると、鄧小平は
『黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ』
『先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける』
と唱えた。
階級闘争ということを誰も言わなくなった。この鄧小平理論が現在の中国の重要路線となっている。
当然のごとく階級社会が復活した。中でも共産党書記の権限は絶大で、予算の使い道、土地や建物の破壊と建設など思いのまま。共産党書記が公共の名のもとに立ち退きを命ずれば法的にも人民は従う他ない。
絶大な権限に腐敗はつきもので、腐敗はまたたくまに中国全土を覆い尽くした。
中国には、かって科挙の制度がありこの試験に合格した高級官僚は、どんな清貧な人であっても親子三代にわたり裕福に暮らせるほどの財をなしたという。
賄賂があたりまえ、給料の一部という中国の家産官僚の伝統が、現代にも脈々と生きているようだ。
皮肉なことに、中国の急成長は、共産党員をはじめとした急拵えの階級社会の『革命』によって成し遂げられた。
煩わしい民主主義の手続きなど不要で、共産党員の号令のもとスピーディに経済成長が達成された。
文化大革命という『革命』によって一掃された階級社会は、改革解放という『革命』によって巨大な格差を伴ない見事に復活した。
この矛盾する『革命』にこそ今日の中国の混迷がある。
途中、毛沢東ブームを取り上げた場面はいったん見られるようになったが、大部分は画面が真っ黒で音も聞けなかった。
中国では人権や少数民族、官僚の腐敗を取り上げたNHK海外放送の番組が見られなくなることがよくある。
(2014/4/30共同通信)
中国は共産党一党独裁国家であり、このインターネット社会においてもなお情報が統制されている。
このため中国の公式の声明だけでは、中国の実態は分かり難い。素顔の中国を知るには勢い中国で解禁されないものから得る他ない。
中国の反骨作家 余華氏はその著作で日常の些事から、政治、経済、文化にいたるまで現代中国を忠実にスケッチしている。
天安門事件など中国が触れられたくない部分もあるため解禁されていない。
余華氏は作家の目で、彼が実体験で得た中国問題の核心を鋭く指摘している。
「今日の中国は巨大な格差を抱える国である。我々が歩んでいる現実社会は、片側が賑やかな歓楽街、片側が壁の崩れた廃墟のようなものだ。
奇妙な劇場に身を置いていると言っていい。おなじ舞台の半分では喜劇が、半分では悲劇が演じられている。(中略)
中国はこの30年で、注目すべき経済の奇跡を作り上げた。30数年間の経済成長率の平均は9パーセントである。2009年の時点で、すでに世界第2の経済大国となった。
2010年の財政収入は8兆元に達する可能性がある。関係各署は自慢げに、中国はアメリカに次ぐ世界第2の富裕国になるだろうと公言した。
しかし、この栄光の数字の背後には、人を不安にさせる数字が隠されている。個人の平均年収は、まだ世界100位なのだ。
この2つは接近し、釣り合いが取れて当然の経済指標だろう。
ところが今日の中国では、格差がこんなに大きい。この数字は、我々がいまバランスを失った社会で暮らしていることを物語っている。
巷間でささやかれている言い方を使えば、我々の生活は『国は富み、民は貧しい』状態にある。
(河出書房新社余華著飯塚容訳『ほんとうの中国の話をしよう』)
民主主義体制でなくとも目覚しい経済成長ができると余華氏はいう。
「西洋の知識人は古い観念に固執し、政治体制が民主化された社会でなければ経済の高度成長はあり得ないと思っている。
だから、政治体制の不透明な国家で、なぜ驚くほど急速な経済発展が起こったのか、不思議でならないのだ。
思うに、彼らは重要な点を見過ごしている。この経済の奇跡の背後には、強力な後押しがあった。その推進力の担い手の名前は、『革命』にほかならない。」
(前掲書)
余華氏がいう『革命』とは、民主主義的手法の対極の概念を意味している。
彼は幼少期に体験した毛沢東時代の文化大革命について詳しく述べている。
文化大革命は中国に大きな犠牲を強いた。
しかし成果として、資本家、地主、役人などが階級闘争により一掃された。一掃された後もなお毛沢東は片時も階級闘争を忘れるなと人民に向かって言った。
階級社会の一掃は毛沢東による『革命』によって達成された。
が、改革開放の時代になると、鄧小平は
『黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ』
『先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける』
と唱えた。
階級闘争ということを誰も言わなくなった。この鄧小平理論が現在の中国の重要路線となっている。
当然のごとく階級社会が復活した。中でも共産党書記の権限は絶大で、予算の使い道、土地や建物の破壊と建設など思いのまま。共産党書記が公共の名のもとに立ち退きを命ずれば法的にも人民は従う他ない。
絶大な権限に腐敗はつきもので、腐敗はまたたくまに中国全土を覆い尽くした。
中国には、かって科挙の制度がありこの試験に合格した高級官僚は、どんな清貧な人であっても親子三代にわたり裕福に暮らせるほどの財をなしたという。
賄賂があたりまえ、給料の一部という中国の家産官僚の伝統が、現代にも脈々と生きているようだ。
皮肉なことに、中国の急成長は、共産党員をはじめとした急拵えの階級社会の『革命』によって成し遂げられた。
煩わしい民主主義の手続きなど不要で、共産党員の号令のもとスピーディに経済成長が達成された。
文化大革命という『革命』によって一掃された階級社会は、改革解放という『革命』によって巨大な格差を伴ない見事に復活した。
この矛盾する『革命』にこそ今日の中国の混迷がある。
2014年5月5日月曜日
「目覚めた獅子」中国 1
かってフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトは 『中国は眠らせておけ、目覚めると世界を震撼させるだろう』 と言った。
中国新華社通信によると、去る3月27日 習近平中国国家主席は、パリで行った中仏修交50周年記念講演でこのナポレオンの言葉を引用し、中国を「目覚めた獅子」に例え、「獅子はすでに目覚めた。しかし平和で温和な文明の獅子だ」と述べた。
「 習主席のこうした発言は『中国の夢』を説明する過程で出てきた。中国の浮上は国際社会にとって脅威でなく機会、混乱でなく平和、退歩でなく進歩だというのが、習主席の説明だ。『中国の夢』とは、習主席が2012年11月に党総書記に就任した当時、『2049年までに強力な現代国家を作り、中華復興の時代を開く』と宣言した政治スローガン。」
(2014年3月29日中央日報日本語版)
2049年までに世界の中心を目指すともとれる『中華復興』の意気込みを宣言した習近平主席の『中国の夢』の実現性やいかに。
共産党一党独裁体制の中国が覇権国家になる日がくれば、歴史の常識は覆されることになる。
近世の覇権国家はスペイン(ポルトガル)→オランダ→イギリス→アメリカ と、すくなくとも独裁国家ではなかった。
しかも中国は独裁とはいえ、個人の独裁ではなく、共産党という一党の独裁である。この意味において、習主席の宣言は歴史に対する挑戦でもある。
覇権国家になるには、経済および軍事で圧倒的な力が求められる。
中国の経済はどうか。2012年11月にOECDの2060年までの長期予測では、早ければ2016年に中国が米国を抜いてGDP世界1位になると予想している。中国がGDP世界1位になるのは時間の問題となりつつある。
覇権国家に不可欠な軍事はどうか。毎年10%以上の経済成長に歩調をあわせ、軍事予算も毎年10%以上増額してきた。
その結果、日本をはじめ近隣諸国の脅威となっている。
世界の軍事予算の過半を占めるアメリカには遠く及ばないものの、現在の10%を越える軍事予算増が続き、アメリカの軍事予算が縮小方向に向かえばナポレオンの予言が的中し、早晩中国が世界を震撼させる日がくるかもしれない。
中華復興を目指し中国は経済と軍事では着実に前進している、が政治的、文化的影響力はどうか。
先月、習主席のウイグル自治区訪問直後、嘲笑うかのように発生したテロ事件にみられるように、少数民族問題、沿岸部と内陸部の格差問題など、外患以上に内憂問題を抱え、軍事予算以上に内政上の治安に予算を割いている。
成長途上にある国家が、多くの矛盾を抱えるのが常としても、軍事予算以上に治安維持費に予算を割くなど尋常ではない。
昇竜の勢いにある中国を分析するには、情報が統制され、不確定、不明な部分が多く困難を極めるが、わずかな頼りとして中国の反骨といわれる作家および日本の現代中国研究家の著作を手がかりに、習近平主席が喩えた『目覚めた獅子』について分析を試みたい。
中国新華社通信によると、去る3月27日 習近平中国国家主席は、パリで行った中仏修交50周年記念講演でこのナポレオンの言葉を引用し、中国を「目覚めた獅子」に例え、「獅子はすでに目覚めた。しかし平和で温和な文明の獅子だ」と述べた。
「 習主席のこうした発言は『中国の夢』を説明する過程で出てきた。中国の浮上は国際社会にとって脅威でなく機会、混乱でなく平和、退歩でなく進歩だというのが、習主席の説明だ。『中国の夢』とは、習主席が2012年11月に党総書記に就任した当時、『2049年までに強力な現代国家を作り、中華復興の時代を開く』と宣言した政治スローガン。」
(2014年3月29日中央日報日本語版)
2049年までに世界の中心を目指すともとれる『中華復興』の意気込みを宣言した習近平主席の『中国の夢』の実現性やいかに。
共産党一党独裁体制の中国が覇権国家になる日がくれば、歴史の常識は覆されることになる。
近世の覇権国家はスペイン(ポルトガル)→オランダ→イギリス→アメリカ と、すくなくとも独裁国家ではなかった。
しかも中国は独裁とはいえ、個人の独裁ではなく、共産党という一党の独裁である。この意味において、習主席の宣言は歴史に対する挑戦でもある。
覇権国家になるには、経済および軍事で圧倒的な力が求められる。
中国の経済はどうか。2012年11月にOECDの2060年までの長期予測では、早ければ2016年に中国が米国を抜いてGDP世界1位になると予想している。中国がGDP世界1位になるのは時間の問題となりつつある。
覇権国家に不可欠な軍事はどうか。毎年10%以上の経済成長に歩調をあわせ、軍事予算も毎年10%以上増額してきた。
その結果、日本をはじめ近隣諸国の脅威となっている。
世界の軍事予算の過半を占めるアメリカには遠く及ばないものの、現在の10%を越える軍事予算増が続き、アメリカの軍事予算が縮小方向に向かえばナポレオンの予言が的中し、早晩中国が世界を震撼させる日がくるかもしれない。
中華復興を目指し中国は経済と軍事では着実に前進している、が政治的、文化的影響力はどうか。
先月、習主席のウイグル自治区訪問直後、嘲笑うかのように発生したテロ事件にみられるように、少数民族問題、沿岸部と内陸部の格差問題など、外患以上に内憂問題を抱え、軍事予算以上に内政上の治安に予算を割いている。
成長途上にある国家が、多くの矛盾を抱えるのが常としても、軍事予算以上に治安維持費に予算を割くなど尋常ではない。
昇竜の勢いにある中国を分析するには、情報が統制され、不確定、不明な部分が多く困難を極めるが、わずかな頼りとして中国の反骨といわれる作家および日本の現代中国研究家の著作を手がかりに、習近平主席が喩えた『目覚めた獅子』について分析を試みたい。
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