2014年9月29日月曜日

衰退するアメリカ 8

 人工的に造られた国家であるアメリカは、自然発生的に造られた国家とくらべ何のしがらみもない。社会の仕組みがすべてゼロから造られたから。
 近代社会は、人が目的、意思をもって行動する。行動の結果には当然責任が伴う。
 よい結果にはよい責任が悪い結果には悪い責任が、それぞれ報酬とか罰のかたちであたえられる。
 ところがこのあたりまえと思えることが前近代社会にはなかった。

 「『大名、公卿、さむらいなどとて、馬に乗りたり、大小を挿したり形は立派に見えても、そのはらのなかはあき樽のやうにがら空にて・・・ぽかりぽかりと日を送るものは大そう世間におほし。
 なんとこんな人をみて貴き人だの身分の重き人だのいふはずはあるまじ。
 ただこの人たちは先祖代々から持ち伝えたお金やお米があるゆえ、あのやうに立派にしているばかりにて、その正味はいやしき人なり』
 ---これは福沢諭吉が維新のころ幼児のために書き与えた『日々のおしへ』の一節であります。
 ここには、家柄や資産などの『である』価値から『する』価値へという、価値基準の歴史的な変革の意味が、このような素朴な表現のはしにもあざやかに浮彫りにされております。
 近代日本のダイナミックな『躍進』の背景には、たしかにこうした『する』価値への転換が作用していたことはうたがいないことです。
 けれども同時に、日本の近代の『宿命的』な混乱は、一方で『する』価値が猛烈な勢いで浸透しながら、他方では強じんに『である』価値が根をはり、そのうえ、『する』原理をたてまえとする組織が、しばしば『である』社会のモラルによってセメント化されて来たところに発しているわけなのです。」
(丸山真男著岩波新書『日本の思想』)

 前近代社会では先祖から受け継いだものでほぼその人の価値が決まった。
 今でこそ、先祖代々の地位とか遺産だけに頼る人をそれだけでは尊敬しなくなった。だがこれが完全に払拭されたかというとかならずしもそうとはいえない。
 先進国の中でも日本に限らずヨーロッパでもこれら社会の『しがらみ』はいまなお社会に根をはっているからだ。
 ところが人造国家アメリカはこれらの『しがらみ』は一切ない。『しがらみ』フリーだ。
 社会は人間の力によって動かし難いなどという考えは最初からなかった。
 前近代社会が産みの苦しみを味わい、ルソーやロックによって唱えられた社会契約説がアメリカではこともなげに実現された。
 自由に移民によって造られた国に王権神授説などの考えが入り込む余地などなかった。
 アメリカには、丸山教授がいう『である』社会が最初からなかったので『する』社会を考えさえすればよかった。
 そこでは社会は人間が作ったものであるから人間によって変えることができるという『作為の契機』が機能する。
 作為の契機が機能しない社会とはどんな社会か。上述の福沢諭吉が指摘した維新前の日本社会であり、その残滓は現代日本にも散見される。
 典型的なものとして日本人の憲法への接し方がある。
 大日本帝国憲法は不磨の大典として一度も改正されることはなかった。
 そしてGHQの強い影響のもと戦後急ごしらえの日本国憲法もまた発布から70年にもなろうというのに一度も改正されることなく現在に至っている。
 アメリカの憲法改正6回、フランスの27回、ドイツの58回などとくらべても際立っている。
 社会の実情にそぐわないものは、すべて融通無碍な解釈や慣習によってやり過ごしてきた。
 日本社会の前近代的な一面である。
 作為の契機がフル機能するアメリカ社会は、契約を重視する。アメリカ社会の厳格な契約概念が高度な資本主義の発達を可能にした。
 小室直樹博士は契約社会アメリカの秩序形成力について述べている。

 「近代資本主義社会では、金銀財宝ではなく、信用こそが一般的な交換手段、また流通手段となり、それが軸となって全経済がフルスピードで回転する。
 しかも、この信用を個人が創造しうるところに、現代資本主義が躍進しうる秘訣がある。
 だから、この信用が熱信的なまでに規範化されていなければ、トランスミッションが腐った自動車のように、たちまち分解四散していまうだろう。
 この信用の熱信的な規範化が市民社会の根本規範となっているところに、アメリカ社会の秩序形成力の根幹が存する。(中略)
 アメリカの犯罪産業は、どれほど巨大であろうとも、正規の産業と関係ない。
 善良な市民と犯罪者は峻別され、犯罪者はどれほど富みかつ有力であっても、善良な市民の仲間入りを許されることはない。  夜の大統領カポネは、絶対に昼の大統領にはなれない。
 社会の根本規範に秩序形成力があり、犯罪者のルールをよせつけないからである。
 このような社会には、いかに犯罪者や落伍者や反体制派の人間が多くても、”急性アノミー”発生の余地はない。
 アノミーの制御因子は社会構造の中核にすえられ、その作動によって、社会的、経済的矛盾から発生するアノミーはついにコントロールされてしまう。
 この制御因子としてもっとも有力なものの一つが、先に述べたファンダメンタリストだ。
 アメリカのファンダメンタリストの秩序形成力には日本人の想像を絶するものがある。
 このような予定調和的構成をもっていればこそ現在のアメリカは、多くの矛盾の噴出と、指導者の無能によって、満身創痍の姿も無残に、苦悩にのたうちまわっていながら、底しれぬ力を秘めていることができるのである。」
(小室直樹著光文社『アメリカの逆襲』)

 ファンダメンタリストはアメリカ社会に深く根を張っている。覇権国アメリカの命運をも左右する存在と言っても過言ではない。

2014年9月22日月曜日

衰退するアメリカ 7

 ここまで欧米で反響を呼んだエマニュエル・トッドとファリード・ザカリアの著作をもとに彼らの考えを検分したが、論評するにあたり、その前提としてアメリカという国の理解は不可欠である。
 われわれがアメリカについて思い描いていることについて改めて考えてみたい。
 近代の日本人にとってアメリカほど身近に感じる外国はない。そのためアメリカについてはかなり理解していると思いがちだが、それはほんの表面的なものにすぎないことがわかる。
 特に宗教について、日本人にとって理解することは殆んど絶望的である。
 キリスト教ファンダメンタリズムを日本人に教え理解させるのは猿に日本語を教えるより難しいだろう。
 キリスト教ファンダメンタリストは聖書に書いてあることを一言隻句そのまま信じる。聖書に書いてある数々の奇跡も当然そのまま信じる。
 アメリカCBSの世論調査で聖書の言葉を一言一句そのまま信じますかという問いに、実に43%の人が信じると答えている(CBS News Poll. April 6-9, 2006. N=899 adults nationwide.)。
 各種世論調査でバラツキはあるものの、4割近くのファンダメンタリストがいることは間違いなさそうだ。
 これは先進国のなかでは例外的で、開発途上国に近い。
 ファンダメンタリズムの一つで有名なクリスチャン・サイエンスの主張を見てみよう。教祖はメリー・ベーカー・エディ。どのような人物か?

 「一人の女性、なんといったらよいか、美しくもないし、人の心をひきつけるところももっていない、完全無欠ともいえないし、賢いともいいきれない、それに中途はんぱな教育しかない、孤独で、無名で、親から受けついだ地位なぞなに一つもっていないし、金もない、友人もない、つきあいもない人物。
 彼女はどんなグループにも宗派にもすがらない。
 彼女がにぎっているのは筆一本で、しかもそのせいぜい中位な頭脳につめこまれているのは、ひとつの考え、たったひとつっきりの思想である。
 最初からあらゆるものが彼女の行手をはばんでいる。
 学問、宗教、学校、大学、そしてそれ以上に、ありふれた理性、『常識』、また彼女の故郷アメリカなどが彼女の障碍であり、しかもアメリカという国は、万国のなかで最も即物的で、最も感覚が冷えきっていて、最も非神秘的な国であり、こうした抽象的な理論にとってはどこの国にもましてありがたくない土地であるように思われる。
 これらすべての障碍に対抗する彼女の武器は、自分の信仰によせる強靭で、頑固で、鈍いといってもさしつかえないような強情な信念だけであり、偏執的な憑かれ方で、うそのようなことをまことにしてしまわずにはおかないのだ。
 その成果は条理に反している。しかし、現実に対抗する妄想にこそ、つねに不思議なものの最もあきらかな兆しを見ることができる。」
(シュテファン・ツヴァイク著中山誠訳『ツヴァイク全集 精神による治療 メリー・ベーカー・エディ』)

 ひとつの考え、たったひとつっきりの思想とはなにか、その思想とは


 「つぎの公式に最もよく要約されている、『神の一元性と悪の非実在』。
 すなわち実在するのは神だけである、そして神は善であるから、悪はまったく存在しない。
 したがって苦痛とか病気の状態とかはまったくありえない。
 それが存在するように見えるのは感覚があやまり伝えているにすぎず、人類の『誤信』である。
 『神は唯一の生命でありこの生命は真理であり愛であって、この神聖な真理はあやまった考えをすべてとりのぞき病人をなおす』 
 したがって病気、老衰、肉体上の欠陥が人間をなやますことができるのは、人間が病気の状態や老衰という愚かな妄想を盲信しているあいだであり、そうしたものが存在するという精神的な観念を人間が作りあげているあいだにかぎる。
 しかし実は(これがサイエンスの偉大な認識である)『神が人間を病気にしたことは一度もなかった。』 病気はしたがって人間の妄想である。」(前掲書)

 一言でいえば、この世には神の意思しかない。死をふくめ病気、老衰などすべて人間の妄想にすぎない、ということになる。

 「最も強い人はつねにただ一つの考えしかもたない人である。  力や行動や意志や知性や精神の集中力の点で自分のうちにたくわえてきたものを、すべて彼はひたすらこの一つの方向に注ぎこみ、そうすることで世界も歯がたたないほどの勢いをもつようになるからだ。」(前掲書)

 例えは悪いが、この点においてのみ、『ユダヤ人憎悪』というただ一つの考えを持ち続けたナチスドイツのヒットラーを想起させる。

 クリスチャンサイエンスは一つの例であるが、これを含め類似のファンダメンタリストが国の4割近くも占めるアメリカをどう理解したらよいのだろう。
 科学先進国アメリカで、神の教えに反するゆえ信条から科学に異を唱える人が4割近くも占めるお国柄である。
 ファリード・ザカリアがアメリカのイノベーションは移民によって支えられているという指摘には説得力がある。

 最も即物的で非神秘的な国と思われているアメリカで、先進世界のどの国よりもファンダメンタリストが隆盛を極め全人口の約4割を占めるとは驚きの極みだ。
 アメリカの最大の特徴であろう。
さらにアメリカを特徴づけるもう一つのものがある。
 近代においてゼロから造られた国家アメリカならではの特性であり、これもアメリカの理解には欠かせない。



2014年9月15日月曜日

衰退するアメリカ 6

 中国では革命の都度王朝が変わるも社会体制は変わらないという易姓革命を繰り返してきた。
 毛沢東による共産党革命も基本的に同じで毛沢東による易姓革命と言える。
 毛沢東は下放政策や文化大革命によって歴代の王朝と同じく中国を疲弊させた。毛沢東悪しき模倣者ポルポトは同じく下放政策によってカンボジアをズタズタにした。
 ただ中国はカンボジアと違って破滅寸前で踏みとどまった。
 1978年12月の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で鄧小平は改革開放路線に大きく舵を切り、これ以降中国は一意専心、経済発展に驀進した。
 この時、事実上中国は目覚めた。
 その後の中国の驚異的な発展は有史以来どの大国もなしえなかった成長を遂げたことはいうまでもない。
 歴史上、世界の覇権国が新興国から挑戦を受けたとき、両者の関係はぎくしゃくするとファリード・ザカリアは言う。
 だが中国の場合従来の挑戦国とは違うとも言う。中国には孫子の兵法 ”勝敗は戦う前に決している” という戦法がある。

 「従来型の軍事的政治的進出に対処するすべを、アメリカは心得ている。
 ソ連の脅威もナチスの台頭も、本質的にはこのタイプだった。
 アメリカは従来型の進出を押しとどめるための概念的枠組みと実用的ツールー武器、援助、同盟ーをもっている。
 もしも中国が傍若無人にふるまって近隣諸国を激怒させ、世界に脅威をばらまいたなら、ワシントン政府は効果的な政策をパッケージにして実行し、自然な均衡化のプロセスを誘発させるだろう。
 そして、この流れを利用して日本、インド、オーストラリア、ベトナムなど周辺各国を結束させ、中国の台頭を難なく封じ込めてしまうはずだ。
 しかし、中国が非対称戦略を貫いたとしたら、どうなるだろか? 世界各国との経済関係を徐々に深め、節度ある穏やかな行動をとり、じっくりと勢力圏を拡大しながら、世界における重要性と友好と影響力の増大だけを追求するとしたら?
 アメリカの忍耐力と耐久力をすり減らすために、ワシントン政府をアジアの隅へ隅へとゆっくり押しやる戦略をとってきたら?
 傲慢ないじめっ子のアメリカになりかわるべく、代替者としての立場を密かに固めていくとしたら?
 このようなシナリオが現実となったとき、果たしてアメリカはどう対処するのだろうか?」
(ファリード・ザカリア著楡井浩一訳徳間書店『アメリカ後の世界』)

 このような難題についてアメリカには経験もなく準備もほとんどできていないとザカリアは言う。

 中国の台頭が肌で感じられ、その派手な経済的、軍事的プレゼンスに比し、インドのそれは控えめに見える。
 だが、BRICsの生みの親ゴールドマンサックスのジム・オニール会長は言う。

 「ここ10年間、中国の方が高い成長率を達成するとばかり考えていました。今回の出張で『インドの方が高成長を見せるかもしれない』と初めて考えるようになりました。(中略)
 インドは人口統計学的に見て非常に恵まれた状態にあり、新たな小規模な街の都会化が進む高成長期に突入しつつあります。 インフラの水準が不十分であり中国に著しく劣る状態にありますが変化が見られていることが重要だと考えています。」
(2010年11月6日 Viewpoints FROM THE OFFICE OF THE CHAIRMAN-Goldman Sachs )

 インドを一度でも訪れた人は首をかしげるだろう。粗末なインフラと悲惨な貧困、それに根深いカースト制度。
 だが、フリード・ザカリアは、楽観的に見ている。
 脆弱なインフラと貧困については、これらを克服するにインドには大英帝国の遺産である英語に裏打ちされた人的資源とそれを生かした社会の活力がある。
 カースト制については、成長は必ずしも文化によって制約されるものではない、なによりインドにはたぐいまれなる真の民主主義がある。
 インドを特徴づける力強い社会と弱い政府。そして次のように言いきっている。

 「現在のインドに似ているのは、19世紀末のアメリカ合衆国だ。 世界政治におけるアメリカの台頭を大きく遅らせたのは、国内の制約要因だった。
 1890年当時、アメリカはイギリスから世界一の経済大国の地位を奪取していたものの、外交と軍事の面ではまだまだ二流国にすぎなかった。
 軍事力はブルガリアに次ぐ第14位。産業力はイタリアの13倍だが、海軍力はイタリアの8分の1。
 アメリカは国際会議にほとんど参加せず、アメリカの外交官は国際問題においてケチな役回りばかりを演じていた。
 ワシントンDCは小さな地方都市で、アメリカ連邦政府は限定された権力しかもたず、一般的に大統領の地位は要職とみなされていなかった。」(前掲書)

 目の前の現実に心を奪われると、それが何時までも続くと錯覚しがちだが、将来の変化予測は現実世界に囚われることのない想像力にかかっている。
 あたりまえすぎて忘れがちなことだ。

2014年9月8日月曜日

衰退するアメリカ 5

 ファリード・ザカリアは、文明の発達について西洋と非西洋の歴史的経緯について対比している。

 「西暦1000年以降の数百年間、ほぼすべての指標は東洋が西洋の先を行っていたことを示している。
 西洋が中世の闇に沈んでいたころ、中東はギリシャとローマの知識を受け継ぎ、発展させ、数学や物理学や医学や人間学や心理学など多彩な分野で画期的な業績をのこした。(中略)
 最盛期のインドは、科学の鬼才、芸術の天才、建築の俊才を輩出した。
 16世紀初頭のクリシュナ=デーヴァラーヤ王の時代、インド南部の街は、数多くの外国人訪問客から、ローマに匹敵する世界有数の都市であると評価された。
 この数世紀前の中国は、世界一の富と世界一の先端技術をもっていたと考えられる。当時の中国人が使いこなしていた火薬や活版印刷や鎧には、西洋よりも数百年進んだ技術が使われていた。
 この時期は、アフリカの平均所得もヨーロッパを上回っていた。 潮目が変わったのは15世紀だった。そして、16世紀にはもうヨーロッパが世界の先頭に立っていた。」
(ファリード・ザカリア著楡井浩一訳徳間書店『アメリカ後の世界』)

 16世紀以降ルネッサンスに沸く西洋と攻守交替し非西洋諸国は深い眠りについたかの如く科学・技術・産業で足踏みした。
 なぜ文明の進展が逆転したか。
 この疑問は長いこと議論されたが明確な答えは未だにない。   が、私有財産権・良質な統治機関・力強い市民社会はヨーロッパやアメリカの成長に必要不可欠な要素であったとファリード・ザカリアは言う。
 これらの要素を欠けば成長がおぼつかないということになる。そして非西洋社会にはこれらの要素に欠けていたと述べている。

 「対照的に、ロシア皇帝は理論上、国のすべてを所有していた。また清帝国の宮廷をとり仕切っていたのは、商業への侮蔑を隠そうともしない高級官吏たちだ。
 非西洋世界のほとんどの地域では、市民社会はまだまだ弱々しく、政府から自立することなど夢のまた夢だった。
 インドの地方に住む事業家は、気まぐれな王宮の顔色をいつもうかがっていた。
 中国の裕福な商人は、宮廷の歓心を買うべく、事業そっちのけで儒教の古典の習得に励んだ。
 ムガル帝国とオスマン帝国は武人と貴族によって支配されており、(中東には商人の長い伝統があったものの)交易は魅力と重要性に欠けるとみなされていた。
 ヒンドゥー教のカースト制度は商人を低い地位においていたため、インドではこの傾向がさらに強かった。」(前掲書)

 アジアにおける商業主義が数世紀にわたり停滞した原因は、このような国家の構造にありと言う。

 「かってのアジア諸国の大多数は、強権的、中央集権的、略奪的な国家だった。この種の国家は人々に重税を果たす一方、人々に多くを還元しない。
 15世紀から19世紀までのあいだアジアを統治していたのは、おしなべて典型的な東洋の専制君主だった。」(前掲書)

 このようにファリード・ザカリアは、脆弱な市民社会、専制的な統治機関、商業主義への侮蔑等々が非西洋世界を数世紀にわたり休眠させたのではないかと言う。
 では非西洋世界の専制君主などによる中央集権国家がなぜヨーロッパでは見られなかったのか。
 その理由を彼は次のように分析している。

 「王の権力とも対抗しうる史上初の大組織、すなわちキリスト教教会の存在が、ひとつの理由として挙げられる。
 独立した拠点を地方にかまえながら、中央では絶対王政の監視役を務めた地主エリート層の存在も、ひとつの理由として挙げられる(西洋世界初の”権利宣言”であるマグナカルタは、実態的には諸侯の特権を定めた憲章であり、貴族たちが国王に迫って成立させたものだった)。
 そしてヨーロッパの地理的条件も、ひとつの理由として挙げられる。これを究極の理由と呼ぶ向きもあるだろう。
 ヨーロッパは広い川、高い山、深い谷で分断されている。この地形は天然の境界線を数多く生み出し、さまざまな規模の政治共同体を成立させた。
 すなわち都市国家、公国、共和国、国民国家、帝国などだ。
 1500年のヨーロッパには、500以上の国と公国と都市国家が存在していた。
 ここで見られる多様性が意味するのは、理念、人、芸術、金、武器をめぐる絶え間ない競争だ。
 ある場所で不当な扱いを受けたり、軽んじられたりした者は、ほかの場所へ逃れて富や地位を得ることができた。
 そして成功した国家は模倣され、失敗した国家は潰えた。
 ながいあいだ競争にもまれたヨーロッパは、富の蓄積と戦争の遂行という分野で、高度の技能をもつこととなった。
 対照的に、アジアは見わたすかぎりの平地ーロシアの大草原や中国の大平原ーで構成されており、軍隊はほとんど障害なしに、域内をすばやく移動することができる。
 領土を守ってくれる自然の要害がないため、中国人は万里の長城を建設するしかなかった。
 この地理条件は、中央集権化された巨大帝国の維持に貢献し、数世紀にわたる権力掌握を可能にした。」(前掲書)

 このように、なぜ非西洋は長きにわたり休眠し、西洋は休眠しなかったのか、ファリード・ザカリアはこれらを分析し、非西洋が休眠から目覚め台頭する意味およびその可能性について、二つの新興大国である中国とインドについて特筆している。
 大きな歴史の流れをみるに大洋と大陸を浮かび上がらせその他は捨象、そんな彼の意図を検証してみよう。

2014年9月1日月曜日

衰退するアメリカ 4

 アメリカの超党派の非営利組織 『外交問題評議会』 はアメリカ政治の奥の院とも言われる。
 その組織の機関紙 『フォーリン・アフェアーズ』 の編集長に弱冠27歳で抜擢されたインド出身のジャーナリスト ファリード・ザカリアが2008年に上梓したThe Post-Amerikan Worldがアメリカ社会に反響を呼んだ。
 彼はその著書で世界は今、近年3度目のパラダイムシフト期を迎えつつあると言う。
 1度目は15世紀に始まり18世紀に劇的に加速した科学・技術・産業などの近代化を成し遂げた西洋の台頭。
 2度目は19世紀末からのローマ帝国以来 最強となったアメリカの台頭。
 3度目は現在進行中でアメリカ以外のその他の国の台頭である。
 彼は現在進行中の3度目のパラダイムシフトはアメリカの凋落ではなくアメリカ以外のその他の国の台頭である。
 アメリカの絶対的強さの終焉であり、その意味でアメリカの時代が終わりを告げたといっている。
 アメリカに絶対的な力がなくなったとはいえ相対的にはなお当分世界首位の座は揺るがない。
 アメリカは、経済的・軍事的・技術的になお他を圧倒しているがその背景には教育・移民政策などがある。
 特に移民はアメリカの秘密兵器である。

 「すべての人種と民族と宗教信者が対立することなく、ともに暮らしともに働く国家を着々と築きあげている。(中略)
アメリカ生まれの白人層の出生率は、ヨーロッパ並に低い。アメリカが移民を受け入れていなければ、過去四半世紀のGDP成長率はヨーロッパと同水準になっていただろう。
 イノベーションにおけるアメリカの優位性は、移民の産物と言っても過言ではない。
 国内で勤務する科学研究者の50パーセントは、外国人学生もしくは移民であり、2006年には科学博士と工学博士の40パーセント、コンピューター科学博士の65パーセントが、外国人もしくは移民だった。
 2010年には、ありとあらゆる分野の博士課程で、博士号取得者に占める外国人学生の割合が50パーセントを超え、科学の分野に限れば、75パーセントに近づくだろう。
 シリコンヴァレーの新興企業のうち半数の創業者は、移民もしくは二世だ。
 新たな生産性の爆発の可能性、ナノテクノロジーとバイオテクノロジーにおける優位性、未来を創造する能力・・・これらすべてが移民政策によって左右される。
 アメリカの大学で教育した人々を、国内に引きとめられれば、イノベーションはアメリカで起こるだろう。
 彼らを母国へ帰してしまえば、イノベーションも彼らとともに海を渡るだろう。」
(ファリード・ザカリア著楡井浩一訳徳間書店『アメリカ後の世界』)

 イギリスの凋落の主な原因は 『不可逆的な経済の衰退』 であったが、これはアメリカには当て嵌まらないと言う。

 「イギリスの場合、他を寄せつけない経済超大国の地位は数十年の寿命しかなかった。
 しかしアメリカの場合は、すでに130年以上も続いている。
 1880年代半ばから現在まで、アメリカ経済は世界一の座を維持してきた。
 実際、世界の総GDPに占める割合は、驚くほど一定の水準で推移している。
 1940年代と50年代は先進工業諸国が壊滅したため占有率は50パーセントにも達したが、これを除くと、世界経済に占めるアメリカ経済の割合は、100年以上の間、ほぼ四分の一の数字を保ってきた。
 これからの20年間、占有率は下落する可能性が高いが、といって大幅な下落は考えにくい。
 2025年の時点でも、アメリカの名目GDPは中国の二倍の水準を維持する、というのが大方の見方である(ただし、購買力平価で比較すると両者の差は縮まる)。」(前掲書)

 ではなにがアメリカにとって問題なのか。それは、『機能不全に陥ったアメリカ政治』 だとファリード・ザカリアは言う。

 「基本的に言うと、21世紀のアメリカは、経済が弱いわけでなも、社会が退廃しているわけでもない。
 しかし、政治は深刻な機能不全に陥っている。
 誕生から225年を迎え、過度に硬直化した時代遅れの政治システムは、金や、特殊権益や、扇情的なマスコミや、イデオロギー的な攻撃集団によって翻弄されてきた。
 この結果、瑣末な問題をめぐって敵意むき出しの議論が繰り広げられ(政治の劇場化)、政治は実利を取ったり、妥協を成立させたり、計画を実行に移すことがほとんどできなくなってしまった。 ”なせばなる”の国は今や、”何もしない”政治プロセスを背負い、制度に命じられるまま、問題解決よりも党派争いに明け暮れている。
 過去30年間で特殊権益、ロビー活動、利益誘導予算はいずれも増大した。アメリカの政治プロセスは以前と比較して格段に党利党略の度合いが強まり、格段に目標達成の効率が低下している。
 反対反対と小賢しく立ちまわる政治家は、激しい党利党略を助長するだけでなく、党派を超えた尊い呼びかけを聞き逃す可能性が高い。
 一部の政治学者は長きにわたり、アメリカの政党がヨーロッパ化すること ー すなわち純粋なイデオロギーをもち、原理原則を重んじることを望んできた。
 この望みはようやくかなえられた(民主党でも共和党でも穏健な中道派は減少している)ものの、結果として、アメリカ政治は八方ふさがりの状態に陥っている。」(前掲書)

 ファリード・ザカリアはイギリス帝国についでアメリカの一極支配に綻びが生じアメリカの時代は終わりを告げつつあると言っている。
 これがため過去500年にわたり支配的であった西洋の文化・宗教・産業など西洋的価値観は見直され21世紀には全く別の価値観となるかもしれない。
 そうなれば世界の政治的・文化的地図は大幅に塗り替えられることになる。
 だが500年にもわたり西洋的価値観に染まりきっている現代のわれわれは、パラダイムシフトを俄かに信じられないし理解もできない。
 
 「”(アメリカ以外の)その他の台頭”の意味を本当に理解したいなら、”その他”が休眠していた期間を正確に理解する必要がある。」(前掲書)

 と言う。
 しからばファリード・ザカリアが言う”その他の台頭”とはなにか、またその可能性や如何に。
 このインド出身のアカデミックなジャーナリストの予測はアメリカで賛否両論を呼び話題になったという。
 上梓から5年経過した今、彼の予測は少しも色褪せていないようだ。