2014年11月24日月曜日

民主主義と選挙公約

 民主主義社会における選挙の公約とはなにか。
 選挙公約は、選挙の時の当選するための一つの手段であり、選ぶ人も選ばれる人も軽くそうように考えているとしたら民主主義社会といってもそれは名ばかりのものでしかない。
 選ばれて当選した人は、当選後選挙公約に違反してもそれが重大な約束違反とは考えない。
まして状況が変化すれば公約に違反してもそれを当然のことと考える。選んだ人もそれに同調し理解を示す。
 これに近いことが日本社会ではあたりまえになっている。

 旧社会党は党是として消費税に絶対反対であった。ところが自社さ政権で
村山富市社会党党首が政権の座につくとそれまでの党是、選挙公約をかなぐり捨て1994年11月に消費税を3%から4%へ引き上げた。
 民主党の鳩山由紀夫党首は2008年9月総選挙で消費税率は向こう4年間は上げないと公約し政権交代を実現して首相になった。
 が、その後、2010年6月民主党管直人内閣は参議院選で消費税10%を掲げ選挙に惨敗した。
 2012年6月民主党野田佳彦内閣は自民党と公明党を巻き込んで消費税を2014年に8%、15年に10%に引き上げる法案を成立させた。
 ことほどさように選挙時の公約は軽く扱われている。選挙民もそのことに寛容である。
 議会制民主主義では代議員を目指す人は公約を掲げ、国民は自分の意見を反映してくれる代議員に投票しそこに送り込む。

 これは代議員と選挙民との契約行為といえる。この契約行為の遵守こそ民主主義のイロハであり出発点である。これなくして真の民主主義社会は成り立たない。

 日本人の契約の概念について小室直樹博士は言う。

 「日本の学校教育では絶対に教えてくれませんが、近代デモクラシーの大前提は『契約を守る』ということです。
 この前提がなければ、いかに立派な議事堂を作っても、あるいは文面上、堂々たる憲法を制定しても、それは底が抜けたザルのようなもの。デモクラシーの形式だけを整えても、そこには肝心のデモクラシー精神は生きていけないことになります。
 社会契約の精神がなければ、国家は暴走し放題に暴走する。公約が守られなければ、国会はただの数合わせの場になる。(中略)

 『契約とは、言葉によって記された約束である』ということが示す象徴が、企業が取り交わす契約書です。
 欧米の契約書には虫眼鏡で拡大してみないかぎり、読めないような小さな字で、ぎっしりさまざまな条項が書き記されています。考え得るあらゆるケースを想定し、『この場合には、こうする』 『このときには、こう対応する』と列挙されている。契約書とは言葉の塊です。
 ところが、日本人の場合、いちいち約束事を言葉にするのをひじょうに嫌がる。本当に信頼しあっていたら、言葉にして約束するのはかえって失礼だという感覚があります。
その最たる例が、次のような言葉です。


 『俺の目を見ろ、何にも言うな』
 『黙って俺について来い』
 『悪いようにはしない』


 男なら一生に一度くらい、こんなことを言ってみたいもんですなあ。前からそう思っていたが、やっぱり君は一生、国際人になれませんな。

 こんな言葉で欧米人に向かって言ってごらんなさい。
 『こいつは、頭がおかしいのではないか』と思われること、請け合いです。(小室直樹著集英社「日本人のための憲法原論」)

 ”日本はアジアに冠たる民主主義国家である” などと、自慢げに言う人もいるが、内実をみればお寒いかぎりだ。
 11月18日衆議院を解散するに当たって安倍首相は記者会見で、

 「公約に書いていないことを行うべきでない」と言った。
 この言葉を言った御本人を含め与野党の政治家が理解し実行することを期待したい。”君子は食言せず”という。

2014年11月17日月曜日

対米一辺倒

 北京で開催されたAPECでの日中首脳会談に先立つ写真撮影で、習近平国家主席の仏頂面が話題になった。
 メディアの解説によると、「反日世論の反発をおそれた政治的演技」という。
 そうと思わせるような習主席のぎこちない所作であった。

 「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。」

 この徒然草の一節にある”真似”のところに、習近平主席の仏頂面というか不機嫌の”真似”を置き換えることができる。


 APEC関連ではつぎのニュースもながされた。
 「『初めて会ったときは他人でも、2回目からは友人になる』。
 安倍晋三首相は10日、北京で行った中国の習近平国家主席との初めての首脳会談後、アジア太平洋経済協力会議(APEC)ビジネス諮問委員会の会合で再び習主席と会話を交わした際、そう話しかけられたという。
 首相が11日のフジテレビ番組(10日収録)で明らかにした。」(2014.11.11産経ニュース)

 中国社会は「幇」に代表されるように特に人間関係が重要視される。
 このことは中国でビジネスに携わっている人がしばしば述懐している。
 はじめて会った人は他人かもしれないが、外交でそんなルールが通用する筈もない。
 たとえ政治的演技であろうと「仏頂面」されたら理由の如何を問わずされたほうは不愉快である。
 少なくとも習主席が韓国の朴大統領との初対面で「仏頂面」をしたという報道はない。

 一方米中首脳会談では、中国のアメリカに対する厚遇ぶりが際立った。
 中国は、日本を無視するかのような発言をした。

 「今回のアメリカの訪中は新しい形の大国関係を築くうえで重要な契機となる。」 
 「軍事交流を深め協力し、中国とアメリカの新しい形の軍事関係を発展させることで合意した。」 
 「太平洋は中米を入れるに充分な広さがある。」等々。
 これら中国側の発言はある程度想定されるとしても、アメリカ側の中国への姿勢がこれまで以上に、より中国重視に傾いた印象をうける。
 ケリー国務長官にいたっては、「我々のアジア重視政策の鍵となる要素が米中関係の強化にあることは疑いない」とまで言い切っている。
 米民主党は伝統的に中国寄り政策をとってきたが、オバマ政権になってその傾向は顕著である。
 オバマ大統領は、本年4月の訪日時に、
 「尖閣は安保適用の範囲内」であるとリップサービスしたが、
 今回訪中時には、
 「米中両国が効果的に協力できれば、世界全体の利益になる」 
 「米中関係を新たなレベルに高めたい」と、これまたリップサービスしている。
 共産党独裁国家がアジアのリーダーとなることを容認するとも受け取られかねないような発言だ。
 たとえ独裁国家であっても米国の国債や商品を買ってくれさえすればそれでよいという意図が透けて見える。

 国家の基本である国防を他国に依存するにも限度がある。
 はからずもAPECでの日中および米中首脳会談でそのことが窺い知れた。
 戦後70年、日本は、外交も経済も安全保障もアメリカとさえうまく連携すればそれでよかった。
 今回のAPECでアメリカは自国の利益に汲々とし世界のリーダとしての役割りに翳りがみえてきた。
 また他国へ干渉する余裕をなくしつつあるアメリカ自身が日本の全面的な米国依存を望んでいるとは限らない。
 それらのことにはおかまいなく、従来どおり、日本はアメリカへの対米一辺倒路線を踏襲するのだろうか。

 あからさまに日本を無視する中国、およびこれに明確に異を唱えないアメリカを見るにつけ、従来の対米一辺倒路線に疑念を禁じえない。

2014年11月10日月曜日

比叡山の怨霊

 先週、高野山と並ぶ日本仏教の聖地 比叡山を訪れた。
 この山の開祖 伝教大師最澄はこの地で修行し日本仏教の一大改革者となった。

 仏教は釈迦が教えた「戒」を守ることが根本である。
唐の高僧・鑑真は、5度に亘る失敗の後決死の覚悟で渡来し、日本に戒律を伝えた。
 戒律こそ仏教の真髄だからである。
 ところが最澄は鑑真が伝えた戒律をことごとく骨抜きにした。
 最澄自身、唐で大乗戒小乗戒を学んだが帰国後戒律が厳しい小乗戒を排し大乗戒の布教に絞った。
 仏教の総本山である比叡山延暦寺が仏教の真髄である戒律をなくした。
 総本山が戒律をなくせば後はこれに従う他ない。かくて日本の仏教は世界的にも稀有な戒律なき宗教となった。
 なぜ最澄は戒律をなくしたか。その理由は彼自身が考えた「円戒の思想」によって明らかになっている。
 円戒の思想とはすべてのものは円(まどか)で悟りに至る備えができているので戒律を厳しく守るまでもない。
 すべての人には内面的な「仏性」が備わっていて煩悩や迷いを抱いたままでも悟りを開くことができるという「天台本覚論」という思想により裏打ちされた。
 すべての人に「仏性」が備わっているゆえ煩悩や迷いを乗り越えられない僧侶はじめすべての衆生も念仏を唱えさえすれば救済されるという。
 修行する必要もなければ戒律を守る必要もない。
 ただ念仏を唱えさえすればいい。
 こんなことを聞いたら、イスラム教徒やキリスト教徒はびっくり仰天するだろう。
 否それにもまして、他国の仏教徒が一番驚くだろう、そして憤慨して言うだろう 「そんなものは仏教ではない」 と。
 厳しい修行をし迷いを断ってはじめて悟りを拓くことができる。仏教本来の教えである。
 この根本教義を根底から覆したのが日本仏教の総本山である比叡山延暦寺に他ならない。

 最澄の教えに
「一隅を照らす」、「自利とは利他をいう」がある。
 宗教家の教えというより道徳家の説教と見間違う。
 最澄が日本人に与えた影響はとてつもなく大きい。それは日本人の宗教観および東日本震災時の日本人の行動様式などに顕著に現れている。

 延暦寺のお坊さんに「伝教大師最澄はなぜ戒律を廃止されたのですか」と問うたところ、
 「広く布教するためです。戒律によれば、たとえばお金に触ることさえできませんから」との回答を得た。

 奈良仏教から離脱し戒律を排し、孤独の決断をした最澄、信長に抗して戦い死んでいった荒法師たち。
 叡山には今も怨霊が漂っている。

2014年11月3日月曜日

消費税再増税

 「他人の役に立とうとする日本人が増えている」 という調査結果が10月30日文科省所管の統計数理研究所から発表された。
 自分のことだけに気をくばっている 42% を3ポイント上回る45%であった。
 日本人の半数近くは他人の役に立ちたいと感じている。おそらく国際的にも稀であろうこの結果は日本人の国民性を表わしている。
 個人の場合はこのような結果であるが、集団の場合はどうであろうか。
 集団の統計なるものにお目にかかったことはないが、仮にあれば、集団の内と外を峻別する日本社会にあっては、個人とは異なることが予想される。
 集団内の組織の論理が外の論理より優先されるからである。
消費税増税にかかわる財務省の行動はその好例である。

 以前本稿でとりあげた財務省出身の野田自民党税制調査会長の発言を再び検証してみよう。


 「そもそも名目3%実質2%成長は、消費税増税の前提条件ではない。
 増税した分、そっくりそのまま歳出にまわすので、デフレにはならない。
 毎年1%増税など、机上の空論で経済活動の現場が混乱する。デフレ脱却とはいうけれど、要は、賃金が上がりさえすればいいこと。
 消費税増税すれば、企業にとって、賃金を上げるまたとないチャンスだ。われわれは、そのための手をすでに打っている。
 賃金を上げた企業には1割減税する。
消費税が3%上がれば、物価も3%上がる、従って賃金も当然3%上げなければならない。また、そのようにわれわれも指導する。」(2013/9/3 ニュース番組での内閣官房参与 本田悦朗氏との討論)

 野田氏は
消費税が3%上がれば、物価も3%上がる、従って賃金も当然3%上げなければならない。また、そのようにわれわれも指導する。」
と大見得を切ったがその結果賃金はどうなったか。
 26年4月からの対前年度比実質賃金指数は3%増どころか次のような惨憺たる結果となっている。

  26年1月 - 0.9 %
     2月 - 1.7 %
     3月 - 1.3 %
     4月 - 3.3 %
     5月 - 3.5 %
     6月 - 3.4 %
     7月 - 2.8 %
     8月 - 3.1 % 
(厚生労働省実質賃金指数確報値:事業所規模30人以上のきまって支給する給与)

 この指数などどこふく風、彼は、消費税再増税は実施すべしと次のように発言している。


 「自民党の野田毅税制調査会長は1日のBS11番組で、来年10月に予定される消費税率の10%への引き上げについて、『上げなかった場合のリスクは(上げた場合よりも)10倍以上大きい』と述べ、予定通り引き上げるべきだとの認識を示した。
 再引き上げの慎重論に対しては、『引き上げても経済成長に悪影響を及ぼさないような手立てを講じながらやっていくのが良識的な姿だ』と語った。」(2014.10.1 産経ニュース)


 大蔵省出身者らしい野田氏の発言である。

 「大蔵省は他官庁と比べて“大蔵一家”と呼ばれるように、その団結力には盤石の強さを発揮する。
 中でも大蔵省の中枢である主計局は、より強い連帯意識で結ばれた局であり、その団結力の秘密は、キャリアの主計官僚の多くが将来の幹部候補生ということもあるが、その彼らを支えるノンキャリア組の再就職先(天下り先)を、それこそ『死ぬまで』面倒を見てやるという“一家の掟”があるからだ。」(専修大学ホームページ大蔵省の支配構造から)

 財務省は、旧大蔵省時代からの団結の強さもさることながら省益を優先する伝統も受け継いでいて、その精神は現在も脈々と生きている。
 消費税増税は、たとえトータルで税収減になったとしても財務省の権限拡大に寄与し省益に適う。
 省益とあらば、増税実現を目指して組織的に活動する。
 有識者会議のメンバーの選定、御用学者の活用、マスコミ対策等々、現役OBともに総力をあげて増税推進に努力する。
 安倍首相は5%から8%への増税を決断する前に「増税しても全体の税収が減れば意味がない」というまともな発言をした。そして今回の再増税論にも同趣旨の発言をしている。
 実質賃金指数のみならず各種GDP統計は当初の26年7月からの急回復の見込みを裏切る結果となっている。
 もし、このデフレ下の日本で再び消費税が増税されれば、日本の将来に暗雲が漂う。
 そればかりか、かかることが繰り返されれば、日本は最悪の場合、アルゼンチンと同じく先進国から脱落しかねない。
 そうならないためにも、どこかで事態を正しく受け止め目覚めなければならないが、消費税再増税の阻止はその試金石の一つとなろう。